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連載5◆ダムの狭間で 揺れる五木村

 川辺川ダム計画では、五木村中心部も水没予定地となる。計画が持ち上がった直後、村議会は全員一致でダム反対を決議。水没者団体も発足し、ダム反対を訴えて闘った。しかし国は、「下流の財産を守るため」と繰り返した。補償金の増額を持ちかけ、県もダムを前提とした立村計画を五木村に押し付けた当時、下流ではダム反対の声は少なかった。
 ダムに揺れる36年間で、村の人口は4900人から1640人にまで減った。代替地完成は余りに遅すぎ、村内でダム反対の声が減る中で、多くの人が苦しい思いで村を後にした。借家、借地暮らしの村人の中には、補償金でやっと持ち家が変えると喜んで移転した人もいると言う。それぞれ事情が違うが、ダムによって分断された村の溝は今でも消えていない。
 「できることなら移転はしたくなか。ずっとここで暮らしたかです」
 頭地地区で暮らす尾方茂さん(74)のところには、まだ国交省は移転交渉に来ていない。明治12年に建てたというどっしりとした旧家の作り。水は山から樋を伝って引き、風呂は今も五右衛門風呂。冷たい谷水を湛えた池に鯉が泳いでいる。
 夫婦と犬のジロウの、二人一匹暮らし。代々の農家で、蕎麦、麦、米、野菜、コンニャク、茶、大豆、菜種など、作れるものなら何でも、一年中作物を育ててきた。現金収入の少ない生活では、自給自足が当たり前。今でも味噌や茶は自家製のものを使い、炭も自分で焼いている。 家の前の小さな水田には、青々とした稲が揺れる。十数年前までは、7反ほどの田畑を耕していた。しかし、代替地造成のために5反余りの土地を失った。
 「私は最初から、畑は売らんて言いよったつですよ。代替農地がでくる予定はなかし、現金収入の少なか生活で、畑を取られたら生きていけんて思うて。」
 国交省の関係者が売地を迫り何度も自宅に来た。最後にはとうとう、尾方さんから印鑑を借りて勝手に契約書に押した。尾方さんは最後まで、売るとは言わなかったと言う。
 それから十余年。今でも代替農地計画は遅々として進んでいない。畑を売って得た補償金は、今でも手つかずのままにしている。6年前、畑ができたら優先的に5反を購入させるという念書を、国交省と交わした。「時期をくぎっておったら良かったですね。いつでくるとか今も分からんままです」
 頭地地区には今も20世帯ほどが生活している。歯が抜けるように次々と家がなくなる様子を「やっぱり、さみしかもんですよ」と尾方さんは漏らす。両隣の家も近いうちに移転する予定で、向かいの家は最近空き地になった。
 国交省は、平成15年までに残る各家庭と個別に交渉し、順次移転してもらうと言う。ダム計画の狭間で、声なき人々の喘ぎが続いている。(了)
 
参考:『山が笑う村が沈む〜ダムに揺れる五木の人々』(熊日新聞社編、葦書房)



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