+ 五木の里から不知火海へ 川辺川 - 地域と住民は今 - 



連載7◆ダム計画の狭間で 揺れる五木村(3)

 川辺川沿いに国道445号線を上っていくと、道沿いに小さな住宅地がいくつか現れ始める。ダム計画のため、川べりから集落ごと移転した代替地である。五木村の中心地頭地までの間に、小浜、野々脇、大平、下谷と4つの代替地が作られた。眼下にかつての集落跡を見ながら、それぞれ新しい生活を始めてしばらくになる。
 野々脇代替地の次に見える3軒が、大平代替地である。旧大平地区には16家族が暮らし、茶園や農業を営んでいた。しかし、昭和56年以降次々と村外移転が始まり、最後に残った3家族だけが大平代替地に移った。
 一番下流側に住む山下スミエさん(82)は現在1人暮らし。旧大平では最後にスミエさんが最後の移転だった。1995年3月に移転してくるまでの半年間、谷底で夫婦2人の生活をしていた。
「ここはカシ林でしたで、『あげな山ン中に道なんかでくるわけなかタイ。スミエさんとこも早く外にナオッたら(移転したら)よかとに』ち言われたこつもありました。」
長く連れ添ったご主人の達夫さんは、最後まで自分の山の木で家を建てることにこだわった。その希望どおり、家の木材はずべて自分の山で育てたヒノキ。車椅子生活の達夫さんのため、勝手口にスロープを付けて段差をなくし、廊下も広く取って「なんもかもじいさん向き」にあつらえた。しかし新しい家に移って2カ月後、達夫さんは体調を崩して入院。その2ヵ月後に帰らぬ人となった。代替地で一緒に暮らした2カ月間、スミエさんは毎日達夫さんの車椅子を押し、散歩を欠かさなかった。
「1人で寂しかなかかち言わるるバッテン、なんが寂しかことのあるもんですか。隣の2軒のじいさんばあさんたちから茶飲みの誘いが来て、毎日3軒で持ち回りして茶飲みばしよります。」
スミエさんは自家菜園と茶園を作る。茶園へは今朝も農機具を抱えて手入れを済ませてきたばかり。土間に上がって私がニガウリや小梅の煮物とお茶を頂いていたら、隣のおじいさんも茶飲みにやってきた。
「ダムはどげえなるでしょうかね。」水没予定地区から移転した人は数多く、ダム問題の行方が気にならないわけではない。「本当ンこつ言うと、私はできてもできんでも、どぎゃーでも良かですよ。新しか道もできた、家もできた。バス停も近いし茶飲み友達もおりますけん。」帰り際、スミエさんはおみやげにと庭先で取れたミョウガを分けてくれた。(了)



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