■■ダムと私的五木考■■  シリーズ第1回(2002.9.22)

テーマ: 五木村のダンナ制と、瀬目地区での焼畑の歴史、栗アンを作る女性たちの話

 よく言われる話ですが、五木村には「33人衆」と呼ばれる33人の「ダンナ」(地主)がいて、すべて(ほとんど?)の部落にその地区地区のダンナがいるそうです。
 戦後、農地解放が行われた時、山林の多い五木村ではほとんど農地解放が行われず、相変わらずの地主(ダンナ)−小作人(ナゴ)制度が長く残っていました。五木村の独特の文化や風習は、周囲からの地理的な断絶に加えて、このダンナ制度が大きく影響していると言われています。

 地区によっては、川から遠く、また周囲を千数百メートル級の山々が囲んでいるため水田が作れず、米を作れるようになったのは、大正末か昭和に入ってからという地区もあるようです。
 また、「コバ作」と言われる焼畑農業も戦後長くまで行われていたそうです。
 焼畑と言えば、柳田国男による宮崎県椎葉村の調査と『後狩詞記』http://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/minzoku.htmlで一躍有名になりましたが、九州山地奥地では椎葉村以外の地域でも焼畑が行われてきました。五木村もその一つで、おそらく椎葉村での焼畑と共通点もあれば相違点もあると思います。基本的に、山林を切り開いて火を入れ耕し(ハタケウチ)ソバ、小豆、粟、カライモ(サツマイモ)などを輪作していくという形のようです。
他の村の例をあまり知らないのですが、共有林が多いのも五木村の特徴のようです。個人持ちの山もありますが、3人、8人、13人、16人、18人持ちといったふうに何人かで共有している山が今も多くあり、かつては主に焼畑を営んだり、共同の畑作をしたり、屋根を拭くための茅栽培をしていたようです。(茅畑はタテノと言う)それ以外でも茶やソバ、コンニャク畑などを作る共有地もあるようです。
 焼畑農業は厳しい労働だったため、一人で耕作するよりも、共同で作業した方が良かったことや、ダンナが持っている山を部落の人たち数人で買い取ったり、ダンナの山を借りて焼畑をしたりしたということも、共有林が多い理由なのではと思います。

9月20日(木)に五木村瀬目地区をたずねました。
話を聞きたかった人はちょうどお留守だったのですが、地区の台所女性たちが栗アン作りをされていたのでしばらくお話を伺いました。
 瀬目は、五木村南部の川辺川左岸にあり、国道から奥へ上ったところにある非水没集落。国道445号線の森口商店のそばから川辺川左岸奥へ入って車で7、8分くらいのところにあります。標高500〜600メートルにあり、下からは集落はほとんど見えません。この先に民家があるのかと思うくらいの奥に、現在8軒の家族が生活されています。以下は瀬目の人に聞いた話です。
 

●瀬目地区で聞いた話:
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昭和30年代までだったか、瀬目でもコバ作をしていた。今頃の時期(秋の彼岸頃)は畑打ち(耕耘)の時期で、なぜか畑打ちは夜にやっていた。夕方に草切りをし、夜は8時頃までたいまつを持って耕したものだった。ソマ(=ソバ)コバでは、まずソバを作った。その後に小豆、アワ、カライモ・山芋などを続けて作った。昔はノイネ(稲の原種のようなもの?)も作っていた。瀬目では水を引けなかったので米を作ることができなかったためだった。ノイネは、畑に直に蒔いて作った。見かけは普通の米と一緒だが、味はおいしくない。
 私たちが(瀬目に嫁いで)きた頃には米という米はなかった。どこの家もムギとアワに、大根のヒバ(日干ししたもの)を入れて炊いた。炊くのは一日一度で、ムギは一晩水に浸けた後、翌朝炊いた。夕食前にカライモ煮やイモ煮を食べた。
 瀬目は現在8軒の家がある。隣りに「たけのくぼ」という集落があり昔は3軒あったが、今は一軒だけになったので、瀬目と一緒になっている。五木ではそれぞれの地区ごとにお堂があるが、「たけのくぼ」には瀬目とは別に地区のお堂がある。
 瀬目には共有林の他に共有の畑があり、コンニャクイモ、お茶を作っている。ドーゼン(ウド)を作って味噌漬けにしたりもした。
 昔はコンニャクイモも業者に売っていた。お茶は5軒ばかりで一緒に作り、製茶工場で製茶している。2、3軒は自分の家ごとにお茶を作っている。最近は若い人もお茶をあまり飲まなくなってきたのでお茶はあまり売れない。コンニャク作りは、瀬目の婦人部が大きな「クド」(かまど)を使って作っている。作ったコンニャクは、それぞれの家に配ったり、下の国道沿いの売店(=「瀬目公園」にある売店)で売っている。それぞれの家ごとにはほとんど作らない。昔はどの家にもクドがあったが今は2軒にあるのみ。また、「ジロ」(いろり)もどの家にもあったが、ジローの方はどの家でも今は埋めてしまってコタツにしている。掘りゴタツもあったが子供が落ちたりして危ないので、電気ゴタツに変えた。
クドやジローでは薪を使う。最近、瀬目では木炭は滅多に使わない。昔はやっていたが今は炭焼きもしない。炭は相良のやまて(地名?)や村で炭を焼いているところを尋ねて買ってきたりする。昔焼いていた炭が残っているのでそれを使っている人もいる。
水は上のタンクからパイプで引いてきて使っている。20〜30年前にタンクができた。特別な砂なのか、黄色い砂の入ったタンクが4つあり、それぞれパイプでつながっている。一つ目のタンクで漉された水が二つ目に流れて、そこで漉された水が三つ目に入っていくようになっている。タンクの砂は月に一回みんなで洗う。水がきれいに澄むまで砂を洗う。
 それができる以前は山から竹の樋で引いてきていた。竹を二つに割って節を取り、各家庭に引っ張ってきていたが、時々枝などが詰まったり、途中でひっくり返ったりもして大変だった。雨の日は仕方ないので雨の降り込むままだった。しかし今では、うまくパイプでそれぞれの家に引っ張ってきているので便利になった。
 買い物は、仕事や病院通いで人吉に行く人にことづけたり、下の森口さんのところ(国道沿いに移転したお店。元野々脇地区で村に残った唯一の方)で買ったり。木曜日には、免田町から魚屋さんが車で回って来て、魚や野菜を売っている。業者さんはずっと同じなのではなく、以前には湯前町や八代市から来ていたこともあった。
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 瀬目地区の婦人部と老人会では、以前から毎年ある時期だけ旧国道沿いに店を出して、手作りのまんじゅうやコンニャクを出していたそうです。
 5年前に、新しい国道そばに瀬目公園ができ、村が一緒に売店を作ってくれたのを借りて、売店『四季の里』として週6日店を開けているそうです。私も何度か買い物をしたことがあるのですが、445号線沿いの展望台のある場所です。もし万が一ダムができた場合には、(かつての谷を埋め尽くし緑色にどんよりと濁った)ダム湖を展望できるようにと村が作った展望台です。
 『四季の里』は夕方16時まで開店していて、瀬目の人の手作りの小豆アンまんじゅう、栗アンまんじゅう、こんにゃく、つけもの、山菜の薬味、わらびの塩漬けなどや、ソバや茶、お菓子類、豆腐の味噌漬け、木製品などがならんでいます。明るい女性が店番をされています。

 私が瀬目を尋ねていった時は、地区の台所で栗アンを作っているところでした。大きなクドが二つ、小さめのクドが一つあり、小さめの方を使って栗を茹でられていました。大きなクドはコンニャク作りの時に使うそうです。クドのそばに灰を入れたブリキバケツが置いてあり、コンニャク作りの時のアクに使うために貯めているとのことでした。
 薪をくべたクドにかけられた大なべの中では、たくさんの栗がぐつぐつと煮たっていました。台所の天井はすすですでに真っ黒で、女性たち二人が栗アン作りをされていました。
栗がゆで上がったら、タオルで鍋の取っ手を片方ずつ持ち、蓋を少しずらしたまま傾けてお湯を切ります。その後またクドに戻して、少し残った湯を蒸発させて火から下ろし、大きなすりこぎで突いて栗を潰します。太いすりこぎのような、杵のようなものを使われていました。木肌がゴツゴツしていたので何の木かを聞いたら、山椒の木だと教えてくれました。栗が大体つぶれたらあらかじめ計っておいた砂糖と、塩を少し入れてまた混ぜます。塩が15g、とつぶやかれていました。すりこぎから大きなしゃもじに換えてしばらく混ぜたら、栗アンのできあがりです。

 きれいに表面を慣らしたあと、「味見ばしてくだい(下さい)」とお皿によそおって分けてもらいました。できたての栗アンはいい香りがしてあまく、地元のお茶と漬け物(大変塩辛い)を頂きながら、しばらく話を聞かせてもらいました。
 売店から連絡があってまんじゅうが少なくなると、こうやってアンとまんじゅう作りをするそうです。まんじゅう作りは翌土曜日(21日)の予定だったそうですが、お二人に今日は時間があったので、先に栗アンだけでも作っておくことにしたとのこと。いつもは5人で作っているそうです。

 話を伺っている間、女性たちはちぎって来た椿の葉の、葉先と葉元を切り、葉の表と裏をふきんで一つ一つ丁寧に拭いていました。何に使うのかを聞いたら、まんじゅうの下に敷くと教えてくれました。お彼岸の連休前でまんじゅうが売れているらしく、椿の葉も足りなさそうだったので、今日新しくちぎってきたとのことでした。まんじゅうは一度に400個くらい作るそうです。大抵は土曜日、金曜日あたりに作るそうですが、まんじゅうが足りないという連絡があればいつでも作るそうです。普通の小豆アンのまんじゅうと、栗アンのまんじゅうを作っていて、量が多くてそれぞれ二回ずつ作るときは午後までかかるそうです。普通の量だったら朝7時くらいから作って、午前中で終わるそうです。

 まんじゅう作りを見たかったけれど、私がもう今日は福岡に帰るのだと言うと、次に来る時は『四季の里』に電話してまんじゅうを作る日を聞いて来たらいいとお店の電話番号を教えてもらいました。売店は毎週火曜日が定休日。営業時間は朝8:00〜16:00までですが、7時半ころにはもうお店へ来ているそうです。
 『四季の里』TEL0966-37-2822
トイレもあり管理を瀬目の売店の方がされています。トイレ管理は村からの委託ですが、売店の借り賃は瀬目の人が村に支払うそうです。開店5年目で収入はトントン。最近借り賃が安くなったので、少しは黒字が出るようになったと店の人が言われていました。
売店内にはソバ畑の写真なども飾られています。瀬目地区の上の方には共有のソバ畑があり、今ちょうどソバの花が見頃だそうです。瀬目はかなり高地にあり、国道445号線と川辺川を見下ろすことができます。猿、鹿も多くでる場所で、農作物の被害に困っているそうです。

 栗まんじゅう作りの日に、改めて瀬目地区に行きたいと思っています。ダムで沈まない地区、ダムができたら眼下にダムを眺めることになる地区での人々の声を知りたいと思っています。

(第1回−おわり−)

参考文献:
『五木の民俗』五木村学術調査団編、1993年、五木村役場発行

   + + + + + + + + + + おことわり + ++ + + + + + + + 
・シリーズ『ダムと私的五木考』は、五木村で見聞きしたこと、文献に当たって調べたことを私的に記すものです。なんでもない話、ダムに関係なさそうな話も出てきますが、広い目で川辺川ダムと村を見ていく時の参考になればと思い内容に含めています。
・このシリーズの目的は、五木村の視点から川辺川ダムを見ることにあります。川辺川ダムのために揺れ続けている五木村を知り、五木村や流域と一緒に、川辺川ダム(中止)のその先を考えていくきっかけになれればと思います。
・私的に記しているため、部分的に正確な文献の裏付けのない部分もありますが、どうぞ御了承下さい。また事実と違う部分があったら、ご指摘お願いします→yu@cown.npgo.jpまで。
・発行者が不精者なので、定期的に流していける自信がありません。気が向いたとき、余裕がある時にだけ発行します。
・川辺川ダム反対を応援してくれる方には、出典が分かる形になっていれば、勝手にメールとして転送して頂いて結構です。国土交通省関係者による引用は絶対にお断りします。
・バックナンバーはどらごんさんがHPに掲載して下さっています。
../../../www.geocities.jp/kawabegawa2002/report/ituki-ko/yu-repo00.htm
・川辺川ダムをめぐる最新の情報は以下をどうぞ。MLもあります。
 「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」
  http://kawabegawa.jp/

発行:
川辺川を守る福岡の会、STOP!強制収用つんつん椿の会、川辺川流域を考えるユースの会(Youth Kawabe)
寺嶋 悠  yu@cown.npgo.jp
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