■■ダムと私的五木考■■  第11回(2003.8.1)

テーマ:水没地に残る人びと(2)

 頭地に残る家が一軒、また一軒と減っています。左岸川、旧道沿いの並びには、もうしばらくすると民家は尾方さんだけになってしまいそう。利水訴訟勝訴の知らせで収用委員会も大きく揺れ、ダム本体工事着工の可能性も分からなくなってきたにも関わらず、五木村は孤立したまま独自の道を歩き、国のスケジュール通りに頭地の移転も進められています。
 今年3月からの尾方さんの様子を日記風に綴ってみました。
 

■2003年3月13日、尾方茂さんを訪ねる。
14、15日の両日、京都での世界水フォーラムに先立って開かれる、青年向けのプレセッションで私が川辺川の事例報告をすることになっているため、尾方さんにも会場参加者へのビデオメッセージをお願いしていたのだ。
 平成8年に代替地造成のための農地の多くを失ったこと、代替農地配分のために確約書を書かせたが何にもならないこと、地権者協議会へ入った経緯やダムへの思い・・・。インタビューをする形で少しずつ話を聞かせて頂いた。

−地権者協議会(*)に入られたのはなぜ?
「知人がやっぱ入らんかということで、入るのは入ってやりよったけどなぁ。農地を売るか売らんかで会長とケンカしたで、途中から私は会には行っとりませんが。」
(*)五木村水没者団体の一つで、ダム反対闘争を続けた団体。

−ダム反対の世論は今ほどない中で、迷いながらも反対して来られたわけですか?
「というのは、ダムに賛成しとれば生活がでけんというふうに思うてな。問題は。農地を取られてしまえば何で生活すっですか。・・昔はまぁ、こぎゃんまでは思っとらんかったばってんなぁ。今んなればやっぱ反対した方がよかちゅう気持ちがあっもんなぁ。」

−その頃よりも今の方がダム反対の気持ちが強い、と。
「はい、そうですなぁ。ちゅうのはやっぱ、農地を取られてしまえば生活がでけんというのが第一たいなぁ。生活の基本はやっぱ農地を持つことじゃもんでなぁ、百姓は。」

−代替農地造成は随分遅れていて、平成8年に農地を手放されてからもう何年にもなります。それでも今でもできるかどうか分からないことに対して不安は?
「やっぱ不安はあっですなぁ・・・。ダムができるのだろうか、でけんのだろうかと。できればダムはでけんのが一番よかですけどなぁ。農地はどうしてもやっぱ作ってもらわんばな。・・・できれば本当、ダムを止めてもらえば一番よかとばってんなぁ・・・。」

−ダムができないならここに残られる予定ですか?
「はい、そうです。建設省にもそぎゃん言いよっとじゃもんなぁ。ダムがでけんならここにおるて。(ダムが)でくれば(移転するのは)しょんなかち言うて。ダムができんならですね・・・。」

−建設省は何か言いますか?
「建設省は返事はなかですよ。黙って帰って行く。建設省は、さみしゅうはなかかて言うけど、そりゃさみしゅうはさみしかですよなぁ、わたし一人んなれば。さみしゅうはなるけれども、百姓は百姓の仕事があっでなぁ。野菜を作ったりいろいろなことせんばんですから。そして、肥料を作ったり堆肥を作ったり、いろいろせんばんですからですなぁ。その、密集した家の近くではそういうことはされんですからなぁ。広いところでないと。今だったら家の近くででくっですもんなぁ。」
 

■2003年5月25日、再び尾方さんを訪ねる。
 自宅の向かいの畑で、仕事をされているところだった。
 奥さんのチユキさんと一緒に、畝を起こし野菜の苗を植えられていた。ちょうど熊日新聞の記者さんとも一緒になり、記者さんが写真を撮りたいので畑仕事を続けてもらえないかとお願いしたところ、尾方さんは照れくさそうに帽子を深くかぶり、鍬を持ってくれた。
 振り上げた鍬を、赤茶けた土に振り下ろす。手首を返して土を起こし、半歩下がって鍬を上げ、また土へと深く振り下ろす。
 黙々と鍬を握る尾方さんの背に、汗がにじむ。民家が減り、辺りの光景も変わってしまったが、尾方さんのこの姿はずっと変わっていないのだろう。
 自宅の向かいのこの場所には、以前は民家があったそうだが、ダムによって移転した後に畑にしたのだとか。木切れとコンクリートの破片だらけの土地を、なんとか2年がかりで野菜が取れるようにしたそうだ。
 ちょうどこの日の日中、国交省の職員が尾方さんを訪ねて来たと言う。またいつもの、移転契約に調印しないかという話である。そろそろ移転しないかと言う彼らに、「ダムがいつできるのかも分からんとに、移転なんてできるか」と尾方さんは言ったら、そのまま帰って行ったそうだ。赤茶けた土には、夏野菜やネギの苗が植えられていた。
 

■2003年6月*日、尾方さんを訪ねる。
 緑に覆われた家を見て、そう言えば去年初めて尾方さんを訪ねたのもこの時期だったと思い出した。『山が笑う村が沈む』で見ていた尾方さんの写真では、自宅前が野菜畑になっていた。去年初めて訪ねた時には、そこには苗が植えられたばかりで、ここが実は田でもあり畑でもあると知った。
 そう言えば、もう6月と言うのに尾方さんの田にはまだ水が張られていなかった。田植えはまだなのですかと聞くと、今年は米を作らないのだと言う。目を患っていて視力が落ち始め、今年は作れる自信がないのだとのことだった。
 尾方さん以外の農家のほとんども、代替農地は手に入れていない。頭地代替地計画では、旧頭地地区を埋めたその上に代替農地と中学・高校移転地が造られることになっている。農地が完成する頃には、尾方さんは元気でいるのだろうか。視力が落ち、米を作らなくなってしまった今の時点で、国交省の代替地計画はすでに遅過ぎたのだ。
 ダムが止まったら、五木村への対策を十分にしなければならない。地元は「苦渋の選択」を背に、ダム推進の道のみを歩いているが、ダムに関わりなく進めてもらうべき事項を、村はどこまで整理しているのだろうか。
 

■2003年7月26日。再び尾方さんを訪ねる。
 週末に福岡からの川辺川支援者がやってきて、旧五木東小グランドでキャンプを予定していたので、そこで使う竹をもらいに来たのだ。人吉で頭地行き始発バスに乗り、途中で乗車してきた高校生と一緒に445号線を上る。野々脇辺りまでくると、谷間に朝日が差し始め、8時に中頭地のバス停でバスを降りる頃にはすっかり朝になっていた。草履にリュックサック姿で尾方茂さん宅へと歩いていく。途中で、大きな里芋の並んだ畑におばあさんがいた。移転した後、下へ降りてきて畑を作っている人が何人かいるらしいので、この方もそうなのだろう。
 かっぽう酒とそうめん流しをしたいという参加者の希望があったので、前もって尾方さんから竹を分けて頂くようお願いしていた。電話口で、「竹はどしこでんあっで、好きなのを持って行ってよかですよ」と言われていた。「まぁこっちに来てからやろうや」と気さくに言われて嬉しかった。

 中に入ってご夫婦とお茶を頂いた後、一緒に裏山へ竹を取りに行った。裏山と言っても、代替地ができているので、今は旧道と代替地の間の森になっている。家の前の田の横を上がり、古いセメントでできた曲がりくねった道を二人で歩く。移転した後の空き地があり、夏草が繁っていた。初めてこの小道を通ったが、旧道の奥に実は小さな畑が数枚あった。石垣で高くなった畑に小さな芽が整然と並んでいたので、尾方さんに聞くと、ここは自分の畑で小豆を撒いてみたのだそうだ。家の前の田にも最近鋤いた後があり、米は作らないが何か植えてみようと思っていると言われていた。小豆の畑の側を通り上ったところが竹林だった。
 「そうめん流しばすっとなら、太かとのよかろう」と、竹を見上げながらしばし品定め。良さそうなものを一本選び、尾方さんが鉈(なた)で根元に切り込みを入れていく。3,4回鉈を入れたところ、鉈の柄が折れてしまった。尾方の「オ」の焼き印の入った鉈は年季が入った物だったようで申し訳なかった。折れた柄の先を手で握り、また根元に切り込んでやっと竹が倒れた。枝先を落として道へと下ろし、尾方さんが前を、私が後ろを担いで自宅の庭先まで運び、節を取ったり竹筒を作ったりした。偶然五木を通りかかったどらごんさんも駆け付け、手伝ってくれた。
 日差しが高くなってきて、尾方さんは上着を脱いで更に手伝ってくれた。私が節取りで苦闘している間、尾方さんは手際良く竹をノコギリで切り、ちょうど良い大きさのタカンポ(竹筒)を5,6本作ってくれた。ゴソゴソと納屋奥から箱を出して来られ、「口の大きさはどぎゃんくらいが良かな」と言われるので、近づくと電気ドリルを出してきてくれていた。ほどよい大きさの注ぎ口が付いた。
 作業が終わった後、台所でまたお茶を頂く。今年の新茶だろうか、チユキさんが蒸しただろうお茶は、いい香りがして喉にすっと落ちる。ここは本当に涼しい造りの家で、外の暑さとは無縁のようだ。明るい外の光の中、模様の入ったガラス戸の前で野菜や食器が静かに並んでいた。
 この間初めてTさんの息子さんに会ったことを私が話した。そうですか、Tさんも「調印」されたですもんなぁと尾方さんが言われた。Tさんが調印する際に尾方さんを訪ねて来られ、「自分も移ることにしたので、一緒に調印しないか」と言われたと言う。尾方さんは、自分はもうしばらくここにいようと思うと答えたそうだ。
 旧頭地には尾方さん他数軒の民家と、商工会や森林組合、消防署などの建物が残る。他の家の話を聞くと、最近調印された家も多く、川の手前、川辺川左岸側にある家で調印する予定のないのは、いよいよ尾方さんの家だけになってしまった。
 「さみしゅうはなかかち言わるるばってん、そりゃさみしゅうはさみしかたいなぁ。私一人んなれば。・・・ばってん、百姓には百姓の仕事があっでなぁ。」尾方さんが前に言われていた言葉を思い出した。
 私が、今年は米を作らないので、なんだか一手間足りない感じでしょうと聞くと、そうですなと尾方さんは笑い、「さみしかばってんが目の悪かもんで仕方んなかですたい」と言う。
 ジロウがやってきて、セメントの床が冷たいのか、足元で寝そべる。村のことを聞いたり、最近の動きなどをひとしきり話した後、決まって「本当に、ダムが止まればそれが一番よかばってんなぁ・・・。」という言葉で終わる。村行政のあり方、村の人の関心の低さ、村の将来への不安。一見、のどかで穏やかに見える尾方さんも、心の中からはいつも苦悩が消えないのだと感じた。
 

(第12回 おわり)

   + + + + + + + + + + おことわり + ++ + + + + + + + 
・シリーズ『ダムと私的五木考』は、五木村で見聞きしたこと、文献に当たって調べたことを勝手に記すものです。目的は、五木村の視点から川辺川ダムを見ることにあります。川辺川ダムのために揺れ続けている五木村を知り、五木村や流域と一緒に、ダム中止のその先を考えていくきっかけになればと思います。
・私的に記しているため、部分的に正確な文献の裏付けのない部分もありますが、どうぞ御了承下さい。また事実と違う部分があったら、ご指摘お願いします→yu@cown.npgo.jpまで。
・発行者が不精者なので、定期的に流していける自信がありません。気が向いたとき、余裕がある時にだけ発行します。
・川辺川ダム反対を応援してくれる方には、出典が分かる形になっていれば、勝手にメールとして転送して頂いて結構です。国土交通省関係者による引用は絶対にお断りします。
・バックナンバーはどらごんさんがHPに掲載して下さっています。
http://www.geocities.jp/kawabegawa2002/report/ituki-ko/yu-repo00.htm
・五木村とダムについての情報のページを作りました!
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Cosmos/6168/
・川辺川ダムをめぐる最新の情報は「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」
 http://kawabegawa.jp/
・Youth Kawabeは常時メンバー募集中です。MLがありますので、
 ユースな心を失っていない方で、水没地からダムその後を一緒
 に考えて下さる方はご連絡下さい。

発行:
川辺川を守る福岡の会、STOP!強制収用つんつん椿の会、川辺川流域を考えるユースの会(Youth Kawabe)
寺嶋 悠  yu@cown.npgo.jp
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