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 赤大根(あかだいこん) 
西俣(川辺川右岸側、五木小川沿いの地区)の出ル羽(いづるは)地区特産の、赤い大根のこと。
話に聞いたところでは、他の場所に植えると赤くはならず白い大根になるとか・・・本当なんだろうか!?ミステリーである。


 阿蘇神社(あそじんじゃ)  
 頭地の下手と久領にある2つの神社。下手の方を「東俣の神社」、久領の方を「西俣の神社」とも言う。どちらも人吉市青井町にある青井阿蘇神社の分社。地元の氏神であると同時に地域全体の氏神を兼ねた存在。社家伝によると大同年代(806〜809)に創られた古社らしいが、永徳2年(1382)に「地頭朝師修創」との記録もあるらしい。「麻郡神社私考二」(元禄12年(1699)刊)の中にも阿蘇神社の記録がある。
 神官は尾方芳郎氏。祈祷のほかに神楽なども行われていたらしい(現在もかどうかは未詳)。

 鮎(あゆ)  
 川辺川の鮎はその大きさから「尺アユ」と呼ばれ、全国にファンも多い。鮎は遡上するので川辺川辺りでも大きな鮎が釣れる。村内にも川漁師がいるが、漁をする人は限られていて村民全部がするわけではない。球磨川本流は上流に市房ダムができて以来、川が汚れて鮎も減ったたので、下流から川辺川へ釣りに来る人も多い。味も色も、球磨川本流の鮎と川辺川の鮎では違うらしい。川辺川の尺アユは、ビッグコミックで連載中の「築地魚河岸三代目」でも紹介された。

 有佐(ありさ)  
 五木村から最寄りのJRの駅は人吉駅だが、北から来る場合は有佐駅で下車するのも近い。ただし、有佐駅から頭地までは車で40〜50分ほどだが、有佐駅から大通峠越えの公共交通機関はないため移動の車がある場合に限る。鹿児島本線の熊本駅と八代駅の真ん中あたりで、小川町にある。大通峠を越えて宮原五木線を下りてくると、3号線とぶつかる交差点がある。そこをそのまままっすぐにすすむと、突き当たりが有佐駅。小さな白い駅舎で、どこか懐かしい。5月が近づくと、駅の近くに鯉のぼりが泳ぐ。

 安心どん(あんしんどん)  
 田口お堂のそば、銀杏の木とお堂の間にある石碑のことを地元ではこう呼ぶらしい。即身仏を祀った信仰で、安心して亡くなったから安心どんと呼ばれるのかもしれないという話を聞いた。久領にも同じ石碑があり、そちらに刻まれている命日は、対岸の田口の石碑に刻まれている日付と数日違いだと聞いた(未確認)。田口では土の中に埋まった際に、長く行者の鐘の音が聞こえていたという言い伝えも残っているらしい。一方、即身仏の信仰は球磨郡一帯にあり、田口や久領のものもその一つだという説もある。

 「あゆみ」(あゆみ)  
 五木村水没者団体の一つ、「水没者同盟会」の活動記録のタイトル。1巻と2巻がある。同盟会から見た、五木村、国、県のダムをめぐる経緯が詳しく記録されている。

 池の鶴(いけのつる) 
 五木小川と川辺川の合流点付近で、五木中学校のある辺り。五木の新興地帯で、中学校が昭和26年10月にできて以来、村営住宅などができ、昭和47年11月には人吉高校五木分校も開設された。ホタル祭りの会場でもある。

 出ル羽(いずるは) 
 西俣の一地区。小鶴トンネルを出てそのまま宮原五木線を少しすすみ、内谷方面に入って間もなく左折(南下)すると出ル羽の方に行く。

 銀杏(いちょう) 
 五木村の各集落には、ほぼ一つずつお堂があり、その側にはよく銀杏の木が立っている。中には樹齢を重ねた巨木もあり、宮園の大銀杏は有名である。頭地にも田口のお堂の側に、大銀杏がある。秋になると金色の葉が柱のように立ち、遠くからでもよく目立つ。銀杏にはぎんなんのなる木とそうでない木がある。宮園は知らないが、田口の銀杏はぎんなんがなるらしい。拾いに行きたいところである。

 移転補償(いてんほしょう) 
 ダムによって頭地以下下流が水没予定地に指定されたため、村外や村内代替地への移転が行われてきた。移転補償とは、水没予定地にある家屋や農地、山林を国交省が見積もり、補償を支払うというもの。精神的補償などは含まれず、川辺川ダムによる移転補償基準というものがあってそれに沿って額が決定される。一般に思われているほど高いものではないという話もあるが、個々それぞれによって額が違ってくるのでよく知らない。
 移転補償契約に調印したら、補償金の7割が支払われ、水没予定地にある家屋を取り壊し、宅地も田畑も更地にした後で、残り3割が支払われることになっている。 
 
 五木小川(いつきおがわ) 
東陽村との堺から五木村頭地で川辺川と合流するまでを流れる川で、川辺川の支流。五木小川に対して、川辺川を「大川」と呼ぶこともあるらしい。

 五木南小学校(いつきみなみしょうがっこう) 
 →「南小」


+ 内谷ダム(うちたにだむ) +
五木村内谷にあるロックフィル式のダム。宮原五木線の途中のY字の分かれ道から入って、内谷集落を抜けてしばらく走るといきなり巨大な石垣が現れる。それが内谷ダム。揚水発電の上ダムになっていて、下ダムは九州自動車道から一瞬だけ見える。

 うりゅうじいさん 
終戦の頃、頭地にある田口観音堂に住んでいたおじいさん。いつの頃からか村にやってきて、下駄を作ってそれを売って生活していたが、そのまま村で亡くなったのだそうだ。昔の山村にはこういった漂泊者がよく見られた。



 大久保(おくぼ、またはおおくぼ) 
村南部地区の大平、宮目木、葛の八重地区をまとめて大久保と言い、元は一つの行政単位だった。頭地には「大久保のダンナ」である田山氏がいる。ダンナが大久保地区にいないのは、近世になって頭地へ移転したからではと言われている。

 大通峠(おおとおりとうげ)  
県道五木宮原線(県道25号線)を通って、東陽村との村境にある峠。現在は頂上にトンネルができたが、トンネル手前から入る旧道も残っており、そこを通ると見晴らしのよい本当の「峠」を通ることができる。昔のその「峠」には、アスレチックや子守唄像、トイレなどがある広い芝生の大通峠公園があって、天気の良い日にはピクニックに良。頭地から熊本へ抜けるには、人吉インターへ降りるよりも、大通峠を越えて宮原町へ抜ける方が早いらしい。宮原へ抜けたら3号線があり、松橋インターにもつながっている。

 大平代替地(おおひらだいたいち) 
水没予定地の大平地区(頭地より下流)から移転した人達のための代替地。大平は20戸弱の集落だったが、ほとんどが村外へ移転し、国道445号線沿いにある大平代替地には平成8年頃に3戸が移転した。大平トンネルの手前で、3家屋とサイエン(畑)、道を挟んで倉庫、霧島神社、お堂がある。445号線沿いの近くに冷たくおいしい水の湧き出る場所がある。

 大平銅山(おおひらどうざん) 
地名としては逆瀬川になるのだろうが、大平代替地の対岸には銅山があった。閉山と復活を繰り返し、現在では木々に埋もれてほとんど分からない。山を歩いていて、銅山の坑道跡と銅山労働者の墓を見つけたことがある。ダムによる工事用道路や右岸付け替え道路工事の際、この銅山労働者の墓と思われる無縁仏が見つかったらしいが、国交省が公告をしたかどうかを疑う声もある。無縁仏の処理はあいまいにされがちだからだ。工事の時に死亡事故が起きたことがあるらしいが、この原因は無縁仏の祟りではないかという噂すらある。
 銅山の歴史については、地元の村でもおぼろげにしか記録されておらず、記憶が消滅してしまわないうちにきちんとした調査の急がれるところである。

 お茶(おちゃ) 
 五木村のお茶は「五木茶」として特産品となっている。五木は元々茶の栽培に適した場所のようで、コバ作の時に山を焼いた後、自然に山茶が生えてきていたほどだという。昔は山仕事に行って、自生した山茶をあぶって飲むこともあったらしい。野々脇にも製茶工場があったそうだし、村内には他にもあるとか。移転が進んでいるので未詳。森口商店は元々製茶もしてきた店で、子守唄公園にはお茶屋さんが出している店もある。
 野生のお茶は「在来種」と呼ばれ、ヤマトミドリ、カナヤミドリなど。五木の各家は自家消費用に在来種を育ててきたが、ヤブキタ種が入り、味が良かったことや役場が栽培を奨励したことなどもあって、ほとんどがヤブキタ種に転作したらしい。在来種の茶畑は茶摘みの道がうねっていて、ヤブキタ種は後から植えたので整然とまっすぐに走っているため、茶畑を見ると在来かヤブキタかはすぐ分かる。村内で現在在来種を育てている人はほとんどいないのではという話。お茶を生け垣代わりに家の周囲に植えている人は多い。今はほとんどが製茶工場に出して加工するが、昔はみんな釜で煎る手揉み茶だった。今でも自家消費用に少し作っている家では、釜で煎っている家もあるとかないとか。

 温泉(おんせん) 
→子守唄温泉(こもりうたおんせん)

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