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 カジ 
 カジというのはカジ紙の原料になる木のこと。昔は山の暮らしは現金収入が少なかったので、カジの木を栽培し、業者さんに売って収入にしていた家もあった。(楮(コウゾ)のことをカジと言うのかも?)村内に製紙工場があったという話も聞くが・・・?

 梶原(かじわら) 
梶原集落のこと。下梶原(しもかじわら)地区もある。
頭地方面から行った場合、竹の川より右折し県道五木湯前線に入り、梶原川沿いに10分ほど行ったところから左折して、車で10分程度の場所にある集落。以前は太鼓踊りが伝えられていたらしい。また、県道を直進すればヤマメ養魚場のある下梶原地区に20分程度で到着する。下梶原は梶原川上流なのに、なぜ「下」なのか?興味深いところである。
また梶原、下梶原から水上村に抜ける道もある。

 金川(かなごう) 
 五木村南部にあった集落の名前。9戸の茅葺き民家が並んでいたが、昭和60年までに村外移転を済ませ、集落そのものがなくなった。
集落には観音堂、馬頭観音像(個人所蔵)もあった。観音堂は民家が移転して20年たってから移転したので、その間に観音様が盗難にあってしまい、右岸付け替え道路沿いにあるお堂の中には何も祭られていないという状態にある。心ない人がいるものである。
 
 金川の共有地(かなごうのきょうゆうち) 
金川には強制収用にかかっている共有地があり、国交省と一部の地権者ら(錦町在住ほか)の間には、無縁仏埋葬問題、立木伐採、境界線の間違いなどの問題もあるが、未解決のまま収用委員会審理が打ち切られている。強制収用問題については:http://www01.vaio.ne.jp/wild/kawabeDAM/syuyo/kyoseisyuyo.htm

 茅葺き民家(かやぶきみんか) 
 最近ではほとんどが瓦に葺き替えられたが、昔は茅葺き屋根の家ばかりだった。茅から瓦になったのは、材料の茅を手に入れるのが大変になったことと、茅の葺き替えにはかなり手間がかかることなど(茅は傷むので、10年に一度くらいは葺き替えなければならない)。瓦に葺き替えるのではなく、トタンで屋根全体を覆った家も時々ある。かつて子守唄公園にあった茅葺き民家は、一般家屋を移築したものだと聞いた。現在は頭地代替地に新子守唄公園ができ、再度移築されている。
 なお、人吉市西間に横枕五十雄さんという画家がおられ、茅葺き民家を好んで描かれている。五木村の茅葺き民家をモチーフにしたスケッチや油絵もあって、画集や週刊ひとよしで紹介されている。

+ 川辺川(かわべがわ) +
五木小川とともに村の中心部を流れる川。「大川」「五木川」とも呼ばれた。古くから川沿いの迫に集落が形成され、魚など川の恵みや、田畑への水、主要な交易路として古くから五木村の文化と生活を支えてきた。道が整備されるまでは川は重要な交易路で、山から切りだした木はほとんどが「川流し」で人吉、八代まで下っていた。発電所や堰ができても、川流しに支障がないようになっていたが、そのうちに村に車が入りだし、道も整備されてきたので廃れていった。
昭和41年7月、建設省による川辺川ダム建設計画が発表され、長く五木村社会を揺るがしてきた川でもある。近年では、ダム反対運動の盛り上がりから清流川辺川の名前が全国的に知られるようになってきた。
川辺川ダムと五木村については
こちら

+ 川遊館(かわゆかん) +
道の駅温泉センター夢唄の一室にできた、全国でも珍しいヤマメ釣りとフライフィッシングの展示室兼、体験ツアー案内所。フライフィッシングの道具の展示や、竹竿やランディングネット、フライ(毛鉤)などのヤマメ釣りの道具を手作りする教室や、フライキャスティング講座、水生昆虫についての講座や野外料理教室などの体験メニューを用意。親子連れや初心者でも楽しめる内容を展開していく予定。
梶原川のキャッチアンドリリースや地域づくりを進めている「マダラ倶楽部」が監修。

+ 簡易水道(かんいすいどう) +
昔は川原のそばや谷水のわき水があって、その水を飲料に使っていた。衛生面や利便のために簡易水道が作られ、飲料や田畑の水はそこから引かれるようになった。田口にある頭地簡易水道は昭和37(1962)年の完成で、地元の人がみんなで作ったという。簡易水道ができたことで田んぼに水が引けるようになったそうで、それまでは一部の田しか水が引けなかったそうだ。
なお、頭地の簡易水道は現在は公営の水道施設そのものを指しているが、以前は掛橋谷から導水した施設を「田口の水道」と呼んでいた。つい最近まで田口地区の住民が単に「水道」と呼ぶ場合、この田口水道を意味している場合が多かった。
(例:水道修繕に行く ⇒ 田口水道の水漏れ修理に行く)

+ 観音さま(かんのんさま) +
いわゆる観音菩薩。五木村にはお堂が多いが、その中に祭られているものには観音様、お地蔵様、お薬師様が多い。
***現在鋭意作成中**

 祇園池(ぎおんいけ) 
清楽集落の対岸、野の脇地区より下流500mほどの川辺川左岸にある(った)。言い伝えでは、ここの池の魚は取って食べてはいけないと言われていたそうだが、ふざけて魚を取って食べた人が相次いで不幸になったと言う話もある。
祇園池には「片目の鮒」と「亀」がいると言い伝えがあったらしい。この亀は毎年のように瀬目の祇園神社(八坂神社)へ行くのだと言う(「五木の民俗」より)。
現在は瀬目トンネル掘削の影響なのか無くなったとの話も聞く。現地に行って確認したい。なお、瀬目トンネル内で交通事故が頻発するのは、この祇園池の祟りだと、言う人もいないでもない。

 祇園さん(ぎおんさん) 
瀬目の氏神である八坂神社の別名。北瀬目と言われる、瀬目の中でも一番高い位置にある。 
 → 「八坂神社」参照。

 教育委員会(きょういくいいんかい) 
五木村役場の2階にある。村のことで電話で質問すると、担当課が分からないものは大抵、教育委員会か総務課につながられる。
昔は村の広報誌は公民館だより「館報いつき」と言って、教育委員会の活動の一つとして発行されてきた。現在では「広報いつき」となって総務課の管轄になった。教育委員会は学校関係や運動会、文化財保護など仕事が幅広い。役場の2階、見晴らしの良いベランダ付きの部屋が教育委員会の部屋。埋蔵文化財調査の仕事で現在多忙を極めている。今の教育長は兼田さん。

 霧島神社(きりしまじんじゃ) 
阿蘇神社とは別の系統の神社。大平代替地に、旧大平集落から移転した霧島神社が建っている。村内にここだけなのか、ほかにもあるのかは未詳。年に一度、11月(確か)にお祭りがあっている。

 苦渋の選択(くじゅうのせんたく) 
五木村がダムを受け入れた経緯を表す言葉。現村長がこの表現を使って有名となった(と記憶している)。
苦渋の大きさは村民一人一人にとって違い、中でも地権者協議会の中心メンバーや、ダムに反対と言葉に出すことのできなかった人々の苦しみは計り知れない。本当に苦渋の選択をした村民にとって、「苦渋の選択」という言葉を口にすること自体が苦しみに近いのではと思う。それが今では、ダム反対運動に対して、五木村のダム本体着工を正当化するための言葉として若干安易に使われることに、個人的には疑問もある。
いずれにしても多くの村民、元村民にとって、ダムと故郷のことは忘れようと思っても忘れられないものなのだと言う。

 クズ(くず) 
昔祇園池に住むと言われていた大きな亀の名前。
→「祇園池」

 熊ヶ嶽(くまがたけ) 
江戸相撲の有名な力士。五木村平野の黒木家の出身で、平野のお堂のそばの銀杏の木の根元には、熊ヶ嶽の墓碑が祀られている。本名は黒木松五郎。頭地の道の駅物産館に錦絵が飾られてある。

 熊本日日新聞(くまもとにちにちしんぶん) 
 熊日とも言う。熊本県では熊日のシェアは大きいが、五木でも結構多く読まれている様子。頭地辺りは毎日配達されるのだろうが、ダムサイトの山手にある相良村中ノ原地区では、熊日は郵便配達と一緒に届けられ、日曜日は新聞はお休みなのだそうだ。おそらく五木の山の奥の集落でも同じなのではと思われる。お昼近くになるまでその日のニュースが届かず、もちろん番組欄も見ることができないわけで、当然夕刊を購読することも難しいのではないと思われる。
 熊日は地方紙であるので、早い時期から川辺川ダムと五木村の問題を取り上げてきた。ダム反対運動が現在ほど盛り上がる前までは、川辺川ダムと言えば9割がたは五木の問題として書かれていたが、最近では逆に9割がたが下流や地元以外の問題として報道され、五木の問題として報道されるのは1割程度。地元不在なのは村内に現在激しいダム反対闘争がないからもあるだろうが、地元が抱える問題として川辺川ダム問題は極めて大きく、地元の視点に着目した報道として熊日に期待したい。
 川辺川については以前から報道されてきたが、ここ近年では「考 川辺川」というシリーズの中で「五木日記」「続 五木日記」を経て、現在は「五木から」といる連載が不定期で掲載されている。中でも、「五木日記」は、2000年1月23日付から2001年4月1日付まで285回にわたって連載され、『山が笑う村が沈む〜ダムに揺れる五木の人びと〜』(熊本日日新聞編、2001年、\1800、葦書房)として出版された。私のイチオシ、必読の書である。ぜひご一読を進めたい。 → 葦書房

+ 栗(くり) +
近代になって栗の栽培が広がった。それまで栗を植えるという発想はなかった。収穫した栗は収入源になったが、最近では猿害があまりにひどく、村の人たちの悩みの種になっている。相良村や人吉でも山の方では栗園が多い。
栗と言えば、瀬目公園の売店「四季の里」には季節限定で手作りの栗饅頭が販売されている。4個入り\350。栗あんがぎっしり詰まっていておいしく、オススメの一品。

+ 久領(くりょう) +
頭地の一地区。頭地橋の西側の地区で、消防署、新泉寺、五木屋本舗、久領公会堂、チッソ頭地発電所がある。つい最近までは郵便局と派出所も久領にあった。久領にも薬師堂があって、その裏には村で最も古いという土屋家の墓碑があった。墓碑は頭地代替地へ移転されていて、今は久領にはない。


+ 
渓流(けいりゅう) +
五木村は渓流だらけで、ヤマメの格好の棲家となっている。ただヤマメ釣りなどで意外と多くの人が入り込むようになったため、五木村の古来のヤマメはそのため激減してそうだ。注意したいところである。

+ 甲・乙・丙(こう・おつ・へい) +
五木村の住所は、田口、下手や竹の川などの地名で書かれることもあるが、五木村甲、乙、丙○番地と書かれることも多い。
大まかには川辺川と五木小川を境に分かれていて、川辺川左岸が甲、五木小川左岸が乙、五木小川右岸・川辺川と五木小川合流点より下流の右岸を丙となる。
ただし甲は川辺川左岸のうち、正式には五木小川をのぞく川辺川の支流域も含む。しかし掛橋谷はなぜか含まれない…(注:推測であるが、掛橋に向かうためには一度川辺川を頭地付近で右岸側に渡る必要があり、そのため久領との関係が深く、五木小川の左岸を意味する乙になったのではないか?と推測する)。なお久領は川辺川沿いではあるが五木小川の左岸を意味する乙である。

 工事用道路(こうじようどうろ) 
付け替え道路を作るための、工事用の仮道路。
川辺川左岸で国道445号線の付け替え工事が行われており(頭地までは通っているがその以北が建設中)、右岸でも旧道の付け替え工事が行われている。右岸の方が後から工事を始めたのと、地質が悪く作る側から崩壊しかけているようで、進行状況が遅いようす。

+ 庚申塔(こうしんとう) +
五木村には庚申塔も多くある。 お堂の側にあることもあれば、道端などにあることもあるらしい。庚申信仰がどのように村内に存在するのか、興味深いところである。

+ 国道445号線(こくどう445ごうせん) +
相良村から五木村へ上がる道で、ダムサイト手前からは付け替え道路になっている。1982年までは県道だった。川辺川沿いに五家荘方面まで続いている。

+ コバ作(こばさく) +
焼畑農業のことを、五木村ではコバサクと言う。コバ(山林)を切って焼き、その後ソバやマメ、カライモなどを3〜4年かけ続けて耕作する。地力が弱くても育つ作物は後で作る。4年ほど耕作し、地力が弱まったらそのまま20〜30年くらい放置して、自然に草木が生えてくるのを待つ。これをアラスと言う。コバサクは昔はどこの家でもやっていた。自分の持ち山や共有林、あるいはダンナから借りた山で耕作していた。共有地でコバサクをする場合には、途中まで共同作業をしてその後個々人の土地ごとに作業を進めるものや、最初から区分してその土地を耕作するもの(区分した土地をワリコバという)など場所によっていろいろな形態があった。ダンナから借りた山でも、この辺りはどの家がコバサクをするというのが大まかに決まっていたらしい。収穫物は分収林のように貸し手と借り手で分けたり、焼酎を持って挨拶に行ったり、ダンナ家の作業を手伝いに行ったりという形だったようだ。五木でコバサクが多かったのは、農地が絶対的に少なかったためで、日常的な食料を得るための農地が不足していたからと、山の土が肥えていたのでコバサクに向いていたためではないかと思われる。

 小浜代替地(こはまだいたいち) 
川沿いにあった小浜集落の住民が移転するために作られた代替地。当初は移転予定者も多かったらしいが、代替地造成が遅かったことで数が減り、また代替地上斜面で亀裂が見つかったので危険ではないかと不安に思った人も移転を取りやめたため、結局3戸分の土地が移転者もないまま国道沿いに残されている。川辺川工事事務所の出張所がある付近。

 子別峠(こべっとうげ) 
こべっとうげ、こべっとうとも言われる。五木の人は単に「こべっとう」と呼ぶ。川辺川上流の平沢津辺りにある峠のこと。
名前から考えると、子どもと別れる峠だったのだろうか。

 子守唄(こもりうた) 
五木の子守歌はあまりにも有名である。昭和30年頃に、NHKの放送終了時の曲として流され、哀愁漂うメロディに魅せられた人々からNHKに問い合わせが殺到したとか。
五木の子守唄は球磨地方に伝わる唄の一つで、それぞれ歌詞や節まわしが微妙に違う。五木村でも、よく聞かれる「五木の子守唄」とは歌詞とメロディが少し違う、「正調 五木の子守唄」というのがあって、堂坂よし子さんはその歌い手として、五木の子守唄の大ヒット後あちこちで歌う機会があったそうだ。 現在では宮園の川辺みゆきさんが歌い手として受け継いでいる。
五木の子守唄の歌詞にはいろいろある。一般に知られているのは以下のもの。

 一 おどま 盆ぎり盆ぎり
   盆から先ゃ おらんど
   盆がはよ来りゃ はよ戻る

 二 花はなんの花
   つんつん椿
   水は天から もらい水

 三 おどま かんじんかんじん
   あん人たちゃ よか衆
   よか衆 よか帯 よか着物(きもん)

これ以外に、村内に伝わっている子守唄のさまざまな歌詞について五木中学校生徒が調査をしたことがある。着眼点がすばらしい。

 子守唄温泉(こもりうたおんせん) 
 五木温泉センター夢唄というのが正式名称。かつては旧頭地の真ん中より少し北側、子守唄公園の中にあったが、今年4月から頭地代替地へ移転して新装オープンした。大人\300、子ども\200で夜21時まで営業。物産館等と合わせ道の駅の一施設として、第3セクター「いつきむら」が経営している。地下1100mからほりあげた低温(30度くらい)の温泉を沸かしなおした温泉。

 ◆泉温 30.1度
 ◆掘削深度 1,100m
 ◆pH値 8.02
 ◆湧出量 315L/min
 ◆ラドン濃度 0.38M.E/kg
 ◆泉質 単純温泉(低張性、弱アルカリ、低温泉)
 ◆効能 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消火器症、痔病、冷え症、病後回復期、疲労回復、健康増進など


 かつて下の頭地地区にあった温泉センターから見る新緑もすばらしかったが、新しい温泉センターから見る山々と空もすばらしい。
岩露天風呂と切石露天風呂があり、リョウリューサウナ備長炭サウナもある(男風呂と女風呂で、定期的に入れ替わる)。
 特に2つの露天風呂は、「癒し空間演出のカリスマ」と言われる黒川温泉新明館の後藤哲也氏監修だそう。あまりPRされてませんが、実は
究極の癒し系露天風呂と言える。しかも施工工事中、村長直々に指示を出し露天風呂スペースを計画されてたサイズから拡充したのだそうで、とっても広い露天との噂。建物はすべて地元産のスギ、ヒノキ、ツガを使用。シックハウス対策もばっちり。
 以前下の頭地地区にあった子守唄温泉ロビーには、無料のマッサージチェアがあって、湯上がりにぼーっとテレビを見ながら肩揉みを味わうのは至福の時だった(あのマッサージチェアで私の寿命も2年くらい伸びたはず)。新しい子守唄温泉にも、足裏マッサージや背中や肩揉みマッサージチェアがあるらしい(ただし有料)。チェアの向かいは日本庭園になっていて、の〜んびりくつろげるようです。
 
 道の駅については
こちら

+ 子守唄公園(こもりうたこうえん) +
川辺川ダムによる移転により、2004年4月から頭地代替地へ移転した。郵便局の隣り、温泉センターのはす向かいになる。
茅葺き民家が移築されていて、5月の連休中には野点などイベントもあっていたらしい。周囲にはお茶が植えられ、子守唄の像もある。
なお、以前の子守唄公園にあった「ママあいたかった」の像は、現在は道の駅物産館の前に移っている。川がちょっと遠くなってしまったのが残念。

<かつての子守唄公園について>
頭地の溝の口にあった公園のこと。駐車場、温泉、トイレ、うどん・そば屋、おみやげ物屋が併設されていた。公園内には、村が「子守唄の里彫刻コンテスト」を行った際の作品が並んでいた。子守唄公園の左奥にあるのが、「ママ 会いたかった」というやさしいフォルムの作品。村内のあちこちにこのコンテストの入賞作がある。また、温泉前には森重久彌筆の石碑があり、その石碑を見ようと近づくと自動的に「正調 五木の子守唄」が流れるしくみなっていた。
子守唄公園で最も残念なのが、水辺へ下りる道が分かりにくいこと。左奥の「ママ 会いたかった」の裏へ回ってジグザグに下りていく道しか知らないが、もしかすると森重久彌氏の石碑の裏辺りからも下りられるのかも。

なお、どうせ川へ下りるのならば、もう少し下流の森林組合の、道を挟んで川沿いの隣りの方へ回っていくと、コンクリの細い路地があるので、そこに沿って下りて行ける。玉石の砂利になっていて、数m歩くと大きな岩場もある。この岩は、昔頭地橋がなく対岸と船で行き来をしていた頃の船着場だったらしい。昔は涼しい木陰が広がっていて、本当に気持ちいい場所だったのに、国交省がダム計画に伴って無情にも切り倒したので木陰がなくなった。(おっと話が脱線してしまった)

+ 子守唄の里(こもりうたのさと) +
五木村の村づくりのコピー。心のふるさとである。

+ 子守唄祭り(こもりうたまつり) +
商工会が毎年11月に主催している村一番の祭り。地元の人達による芸能や木遣り唄(木を切り出す時の唄)などの披露や、バザーなどもあってみんな楽しみにしているらしい。私はまだ参加したことがないので、今年こそはと思っている。会場は通常であれば旧五木東小学校グランド。去年は試験的に会場を村内に分散させて開いたが、あまり評判が良くなかったとも聞く。できれば、村民みんなが参加できるよう、例年通りの場所で開くのが良いのかもしれない。http://www.kumashoko.or.jp/itsuki/event/html/event_001.html

+ 子守茶屋(こもりちゃや) +
子守唄公園にある茅葺き民家タイプのそば屋さん。五木屋本舗が経営している。うどん、そばの他、焼酎や山うに豆腐などもある。お茶受けに豆腐の味噌漬けや山ごぼうなどが各テーブルにあり、料理を待っている間も待ち飽きない。のどこさぎソバというメニューがあって、ぶつ切りにしたソバに山芋がかかっていた記憶がある。「のどこさぎ」とは五木の子守唄の歌詞に由来している。隣の売店にはおみやげもあって、山うに豆腐を試食できる。

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なお、このキーワード解説は寺嶋の個人的視点に基づくもので、村の公的な定義ではありません。ご了承下さい。
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