| 大 数 学 者 |
… 曰 ク … ト |
| アインシュタイン(1879−1955) |
| しかし、数学が高い評価を受けるもう一つの理由がある。厳正な自然科学にある程度の確実性を与えるものは数学であり、数学なくしてはそれは不可能なのである。 |
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| アインシュタイン(1879−1956) |
経験から独立した思考の産物たる数学が如何にして現実の事物にかくも見事に適合するのであろうか。 |
| 秋月康夫 |
今日数学教育などでユークリッド幾何学などは全く役に立たないものだから、そんなものは止めてしまえという意見がある。私はそれは非常に短慮だと思う。 |
| 秋月康夫 |
数学や理科では、ただこうすればできるというテクニックばかり、細分化の方向のみを教えている。ちょうど山に登るのを教えるのに、ここに気をつけて行かないと石に躓くぞ、という注意ばかりで、山へ登っても決して下に開ける景色を眺めさせることもなければ、これから登ろうとする山の偉容も仰がせもせぬ。個々のテクニックもさることながら、全体を眺め、まとめさせて、いつもオリエンテーションをつけさせる気風を養成しなければならぬ。 |
| エウリピデス(BC480?−BC406?) |
数は万能である。そして、数は芸術とも分ち難く統合している。 |
| エマーソン(1803−82) |
詩人にしか過ぎない人の語句も、代数学者に過ぎない人の問題も、耳を傾けるには値しない。物事の幾何学的基礎も、お祭りの華やかさも、同時に知る人なら、彼の詩は正確であり、彼の代数学は音楽的なのである。 |
| エルンストンマッハ(1838−1916) |
不思議に聞こえるかも知れないが、数学の力はあらゆる不思議な思考の回避と精神機能の驚くべき節約とに依存している。―思考経済説― |
| 岡潔(1901−1978) |
私の中学3年のとき、非常に注目すべき現象が起こりました。私たちの数学の教科は1年で算術、2年で代数を習い、そして3年のときから平面幾何が加わったが、私の生涯でも、これ位面白いものはありませんでした。それは発見のするどい喜びをここでも感じたからです。そしてこの後遂に二度とこれ以上の鋭い喜びには巡り合ってはいません。(「私の生いたち」より) |
| ガウス(1777−1855) |
数学は科学の女王である。しかも算術は数学の女王である。 |
| カジョリ |
ネピーア(1550〜1617)の対数発見に捧げたことば―彼が指数の未だ存在しない以前に、対数の作成に成功したことは、実に科学史上の一大驚異である。 |
| ガリレオ(1564−1642) |
自然という書物は、数学という言葉で書かれている。 |
| ガロア(1811−32) |
計算を飛び越えて、演算をまとめ、その形ではなく、その困難さに従って分類すること。それこそ、私には将来の幾何学者の使命であると思える。 |
| カント(1724−1804) |
およそ科学は数学を用いてある限り正確なものである。 |
| カントール(1845−1918) |
数学の本質は、その自由性にあり、これを制約するものは、ただ次のような自明な配慮のみ。すなわち、数学の概念は自己の中に矛盾を含まないこと、並びに、それが前に作られ、現に存在し、かつ確実に認められている概念と定義によってきちんと整理された関係を保つこと。―この様な配慮だけなのである。 |
| クライン(1849−1927) |
数学のテーマは、それが直感的に自明になるまでは、究め尽くされたとは考えられない。 |
| クライン(1849−1927) |
数学研究の極めて重要なる一つの目的は、正確なる前提に基づく正確なる思考は、自然を征服し得るという信念を培うにある。 |
| 黒川紀章(1934−) |
中学時代、当時有名な名古屋大学助教授東屋五郎先生について、理論数学の勉強を始めたが、抽象的世界の美しさを発見し、それを通じて、建築への夢が広がって行った。(「私の学生時代」より) |
| クロネッカー(1823−91) |
神は整数を創造し給うた。他の一切のものは人間の仕業である。 |
| ゲーテ(1749−1832) |
予は予が数学の反対者であり、敵で有るといって非難されるのを耳にした何人も予以上にそれを高く評価し得る者はない。何となれば数学は予が成し遂げ得ざりしことを成就した。 |
| ケルビン(1824−1907) |
数学を難解で常識に反するものと考えてはならない。ただ常識の枠を取ったものである。 |
| ソーヤー |
我々は日常生活において何か一つの仕事をしようとするとき、必ず数学で使う方法と本質的に同じ方法でものを考える。自分ではそれに気づかないでいる。 |
| 高木貞治(1875−1960) |
凡そ極めて根本的なる問題は、これを解決すること非常に困難なると共に之を理解することは却って意外に容易なり。無理数の定義も亦、この種の問題に属せり。機械的に算式を把握するを以って、数学の能事見れりとする者、固より其の如き問題に干渉あるべからず。然れども一般の健全なる理解力及び成熟せる判断力を以って之に臨むときは問題の要点を摂取すること決して難からず。 |
| ダンツィク |
数、それは科学の言葉である。 |
| デカルト(1596−1650) |
とりわけ、私は数学を好んでいた。それの持つ理論の確実性と確証性の故に。…その基礎が極めて堅牢、極めて確実で、何一つとして危なっかしい建造がないのを見て驚いてしまった。 |
| デデキント(1831−1916) |
証明し得べきものは、証明なしには信じてはならない。 |
| ド・モルガン(1807−71) |
数学者を騙すのは、円を正方形にするより難しい。 |
| ド・モルガン(1807−71) |
数学的発明の原動力は推理にあらずしてむしろ想像なり。 |
| ドライデン(1631−1700) |
優れた完全な偉人たろうとする人は、幾つかの科学を学び、合理的、哲学的さらには数学的頭脳を持たねばならぬ。 |
| ナポレオン(1769−1821) |
数学の進歩と完成とは国家の隆盛に関係すること大なり。 |
| ハーディ(1877−1947) |
数学者は、画家や詩人と同じく、パターンの製作者である。数学者のパターンが彼らの物よりも永続的であるとすれば、それはパターンが概念で作られているからである。 |
| ハンケル(1839−73) |
近代の数学者は、100個のディオファントスの問題を学んでも、次の101番の問題を解くことは困難である…彼は人を喜ばせるよりも、眩ますものである。(ただ数多くの問題を技術的に解いたものを記したに過ぎないもので、一般的解法しか述べられていない) |
| ピアース(1839−1914) |
数学は必然的結論を導き出す科学である。 |
| ビクトル・ユーゴー(1802−1885) |
数学は科学の中にあると同じように、芸術の中にもある。代数は天文学の中にあり、天文学は詩と境を接している。代数は音楽の中にあり、音楽は詩と境を接している。数学は芸術の中にもある。 |
| ピタゴラス(BC560−BC500) |
数は宇宙を支配する。 |
| ビリングズリ |
人の心を汚濁より救い清めることは、各種多様の方法があるだろうが。数学的方法のように、人心を美化し装飾するものは他にはない。 |
| ヒルベルト(1826−1944) |
あらゆる新発見は、その形成において数学的である。何となれば我々は、それ以外に手引きを持ち得ないから。 |
| ファーブル(1823−1915) |
一分の隙もないきちんとした数の世界の美しさ。―これを規則の形で言い表した詩ともいうべき代数学は、素晴らしい勢いで空を駆けていく。私は代数の公式を素晴らしい詩の一節のように感じる。(「昆虫と暮し」より) |
| フーリエ(1768−1830) |
数学は自然征服の道具である。 |
| フォーサイス(1949−) |
科学上の問題は、直接必要の範囲内に研究を止めるべきではない。純粋数学の理論の如きは、幾十年、幾百年の後に初めて其の応用を見たものがある。武器は手にある。人これを用い得ないのである。 |
| フォンティネル |
数学者は恋人と同じである。…数学者に最小の原理を許せば、彼はそれから貴方も評さなければならないような結論を引き出す。そして、この結論から、また他の結論を引き出すのだ。 |
| フォントネル(1657−1757) |
幾何学的精神は、幾何学とは切り離しては他の知的領域に持ち込めない程融通が利かないものではない。倫理学、政治学、批評、さらに修辞法などの研究までも幾何学者の手になれば、もっと立派なものになろう。最近の良書に現れた秩序、純粋性、正確性、厳正さは、現在かつてない程広まっている幾何学的精神の場である。 |
| プラトー(BC427−BC347) |
神は常に幾何学し給う。 |
| プラトン(BC427−BC347) |
幾何学は、魂を真理へと導き、哲学精神を創造する。(幾何学は物体に関わりなしに、点、直線、三角形、四角形など純粋な思索の対象になるから、神の心への手引きであるという意味) |
| ベーコン(1561−1626) |
数学は科学の門であり、鍵である。 |
| ポアンカレ(1854−1912) |
数学とは思想を節約する科学である・数学とは異なるものに同一の名称を与える芸術である。 |
| ポアンカレ(1854−1912) |
…数学は三つの目的を持つ。一つには自然研究のための武器、次には、哲学的に最後には実に「美」としての目的を持つ。数学に修練を積んだ者には、美術、音楽等の与える愉悦に似たものを数学の中に見出す。数と式のいとも妙なるハーモニーに賛嘆し、新しい発見が思わざる境地を展開するのを見るとき心からなる驚嘆の辞を捧ぐ。これこそは、美のもたらす愉悦ではあるまいか。 |
| ポアンカレ(1854−1912) |
数学の証明は三段論法をただ羅列したものではなく、それは一定の順序に並べられた三段論法であり、そのおのおのの要素の並べられる段階は一つ一つの要素よりもっと重要なのである。若し、私が全体としての推論を一目で見てとる程の順序の感じや直感を持っていたら、そのうちの一つを忘れはしないかと恐れる必要はない。なぜなら、そのおのおのは系列のなかの指示された場所に自ら収まり、しかも私のほうで記憶する努力はいらないからである。私たちに、その隠れた調和と関係を発見させる数学的秩序の感じ、もしくは直観は、誰でも持ち合わせているわけではない。 |
| ボルテール(1694−1778) |
数学には美しさがある。その美しさは神の声と共に混沌は消え、玲瓏たる天界が目前に現れたようなものである。この種の美観は壮麗な建築や崇高な音楽から生ずるものと似通ったところがある。 |
| ホワイトヘッド(1861−1947) |
数学がだんだん抽象的思考の最高段階にまで競り上がるに連れて、それが地上に跳ね返って事実の分析の正確さをもたらすことになったという事は極めて意義深いことである。…抽象の極みが具体的事実の思想を統御する真の武器であるというパラドックスが、今や完全に確立するに至った。 |
| マッハ(1838−1916) |
思想の経済は数学において、最も著しい発達を認める。数学は当該問題には不必要な考案を排除するに努め、思想活動の経済をはかる。順序の記号、即ち数字の如きは、之を諸事実に利用して、如何に簡単で経済であるか。まことに驚かない訳にはいかない。 |
| メネクムス(BC375−325) |
幾何学に王道はありません。―アレキサンダー大王の問に対して、彼の師として答えた言葉。 |
| モリス、フライシ |
数学は、知識の体系として、実際上の道具として、哲学の礎石として、論理的方法のお手本として、自然への鍵として、自然の中の実在として、知的遊戯として、推論の冒険として、美的経験として、というように色々に表現される。…数学が作用を及ぼした数多くの分野を考えると、数学を物理的、精神的、情緒的経験の世界に達する方法だと呼びたくなる。 |
| ヤコブ(1804−1851) |
神は常に算術し給う。 |
| 矢野健太郎 |
我々が日常生活で用いているものの考え方が、数学で使う考え方と本質的に全く同一のものである。 |
| ユークリッド(−300頃) |
青年彼に問う。「幾何学原本を読んで、何の役に立つのですか。」と…ユークリッドは召使を呼んで「この方に3ペンスを上げなさい。この方は学問することによって何か欲しいとのことだから。」と。(実用を軽蔑し、学問のための学問を愛した。) |
| ライプニッツ(1646−1716) |
数学は人知の栄光である。 |
| ラッセル(1872−1970) |
健全な哲学を創造するためには、形而上学を断念して、よき数学者にならねばならぬ。 |
| ラプラース(1749−1827) |
ネピーア(1550〜1617)の対数発見に捧げたことば―対数の発見は、骨折を少なくして、天文学者の命を2倍にした。 |
| ランダオ(1887−1938) |
数学とは、定理、証明、定理、証明、…。 |
| レルベルター |
数学は余にとっては詩である。 |
| ワイヤストラス(1815− |
詩人味のない数学者は完全な数学者ではない。 |
| ワイル(1885−1955) |
数学は無限の学である。 |
| 高村光太郎(1883−1956) |
美が元来健康であるというのは、美の本質がもともと比例的均衡に基づいているからである。比例的均衡は人間精神における審美性の最も原始的な要素であり、また同時に最も根底的なものであり、これを欠いては美は成立せず、しかもこれのみで立派に美が成立する力を持っている。 |
| 中谷宇吉郎(1900−1962) |
アインシュタインの相対性理論の式の中には、自然の森羅万象が、時空のただ四つの座標系として納められている。数学はもっと簡潔な形で、広い内容を表現できる言語である。この言語で書かれた文学的傑作のもつ美しさを解し得るのは、この言語を解し得る人だけに許される特権である。 |
| 彌永昌吉 |
自分でよく考えながらああ読みさえすれば人間の英知によって、新しく美しい世界が開かれていくのが分かる。数学書を味読するときの尽きぬ楽しみがここにある。 |
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