「
見えない敵
」
そいつは突然やって来た−−
私は夕食の満腹感と共に至福の感を味わっていた。
風呂に入るにはまだ早過ぎる。
この胃袋を湯船に浸からせてはならない。
そうかと言って、パソコンでも立ち上げるには入浴時間を遅くしてしまう。
ただ、漫然と過ごすしかない時間。
私はそんな“たいくつな午後”と言った感の時間が好きだ。
新聞をおもむろに手にする。
イチローの成績はどうだったかな。
新庄・・・あ、頑張ってるやん。
そんな他愛もない記事をしっかりと毎日チェックしている。
と、その時だった。
あぷろが悲鳴と共に床に崩れ落ちた。
その驚愕と恐怖に苛まれた表情には尋常ならざる危機感が窺われた。
私は咄嗟に感じた。
−−百足が頭の上にいる!−−
この家で百足に噛まれた事もある私にとってそれが最大の恐怖でもあった。
しかし、それはあぷろの次の言葉で覆された。
−−ゴキブリ!今、飛んでった!−−
そう、既に夏を感じさせるこの頃、奴が現れたのだ。
私はその指差される方向を見知った。
事もあろうにそれは真横のテーブルではないか。
危機感を感じた私は咄嗟に脱兎の如くその場を離れた。
敵の姿は見えない。
その気配すら感じられない。
私は新聞を丸め折り、奴の第二波攻撃に備えた。
その間、あぷろは殺虫スプレーを備え、臨戦対戦は整った。
しかし、敵の姿は依然として掴めないままだ。
−−このまま待機していても埒が開かない。−−
そう判断した私は敵の潜伏先を探るべく、索敵を開始した。
カーテン、テレビ、パソコン、敷物と奴の隠れそうな所は手当たり次第に探る。
高性能布団ハタキはその特殊任務をそつなくこなしていく。
しかし、手掛かりは掴めない。
私は焦った。
−−もしや、これは敵のデマゴーグでは・・・−−
そう言った疑心さえも生まれてきた。
しかし、それは私がそう願っていたからこそ生まれた妄想だったのかもしれない。
事実、その仮定は一瞬にして反証される事になる。
−−服の所!−−
あぷろの戦慄の叫びが空気を震わせる。
その鬼気迫る絶叫は先程にも増して私の筋肉を強張らせた。
慌て、視線を服に移す。
−−奴だ!−−
右斜め前方、やや上。
確かに視覚はその黒い姿を捉えた。
デマではなかったのだ。
−−やばい!−−
しかも、その瞬間、奴の体が空に舞った。
私の体はその危機に際して、脊髄反射で対応していた。
理性で判断していては間に合わない。
次に私が見たのは全く変わってしまった視界だった。
仰け反るように奴の攻撃をかわし、床に腰から落ちていた。
しかし、それによって完全に奴を見失ってもいた。
この状況においては完全に不利だ。
直ちに起き上がった私は殺虫スプレーを手にするべく、あぷろの許に駆けた。
だが、敵は隣りの部屋に移動した事は確か。
私はこの部屋を封鎖する事を決定した。
−−上!−−
次の瞬間、急ぎ戦線に復帰した私にあぷろからの伝令。
視線を上げた先には奴がいた。
−−喰らえ!−−
しかし、引き金を引いた私は愕然とする事になる。
−−シュ・・・シュシュシュシュ・・・−−
その勢いは余りにも弱く、奴の手前で霞んでいく。
−−こ、こんな事って・・・−−
それでも奴は驚いたのか、奴は天井からの離脱を図った。
しかし、またしても咄嗟の動きに私の視界から逃れてしまう。
後方支援のあぷろから落下した位置が示されるものの、そこに確認する事は出来ない。
と、その時だった。
視界の隅に影を捉えた。
奴だ。
急ぎスプレーを発射。
今度は至近距離からの攻撃だ。
外す事はない。
しかし、敵もさる者。
手負いの身で離脱を図る。
−−こっちか!−−
私もそれを追って部屋を隣りに移る。
だが、その瞬間。
−−ガガン!ガン!−−
異様な大音響と共に腰に何かがぶつかった。
襖だ。
それはものの見事に敷居を外れ、コントのように傾き掛かった。
それでも私は奴の追跡を緩めない。
そして、遂に奴を完全に新聞の射程距離に捉えた。
−−バシ!−−
新聞を手に取り、奴を一撃の下に雌雄を決せんとする。
−−やったか?−−
しかし、それはまたしても微かに脳裏に過ぎった私の期待に過ぎなかった。
敵はその爆風に窓際へと飛ばされたに過ぎなかった。
−−くそ!−−
私は屈辱感と焦燥感に苛まれつつ、さらに追った。
敵はこちらの動きを読んでいるのだろうか。
先回りすれば直ちに転進を繰り返し、射程距離になかなか収まらない。
しかも、こちらは外れた襖を避けながらの追撃だ。
さらに基本的な運動性能は奴の方が上手だった。
−−何?−−
その差は遂に結果として現れてしまった。
襖に視界を遮られたと言い訳も出来よう。
しかし、それは余りにも惨めな結果だった。
奴を見逃してしまったのだ。
奴の足は既に明らかに運動性能の低下を示していた。
直進が出来ない状態だった。
そう遠くまで逃れる事はないはずだ。
しかし、その後の捜索によっても敵の足取りすら掴めない状態だった。
これは明らかに私の敗北だった。
奴を爆風で吹き飛ばした時。
−−あの時に確実に捉えておれば・・・−−
その後悔は余りにも空虚で、余りにも無意味だ。
奴を見失ってから数時間後、未だにその発見には至っていない。
これからその家の中で眠らなければならない。
夜襲を恐れ、緊張の夜はいつまで続くか定かではない・・・
「いやにゃ〜〜〜〜〜〜〜〜!!(T▽T) 」>あぷろ
<其の廿>−終−平成13年6月19日
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