医学部時代の思い出(1)
スージーが医学部を卒業する年度は、「インターン制度廃止」の学生運動が真っ盛りだった。
父親が突然死亡して、スージーは早く一人前の医師になって、
自分の力で医学部の月謝を払い、母を養い、生活費を稼がなければならなくなった。
そんな理由で、授業ボイコット、医師国家試験ボイコットなどの学生ストに参加していられなかった。
クラス決議を破ったということで、クラスから除名処分されて、卒業アルバムに加えてもらえず、
仕方なく、除名された4人で、自分達だけの卒業アルバムをつくった。
学生時代にお世話になった教授の先生方と記念写真を撮り、一筆いただいた。
その一部の写真である。
顔の写っている先生、同級生、個人情報云々はいいでしょう?
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卒業当時の病院長先生。 外科の教授である。 今のスージーよりずっと若い はずなのに、偉そうに見えるし 貫禄もある。 若き日の「感激」と「友情」、 そう、忘れずに持ち続け、 大切にしよう。 |
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当時の指導的立場の内科の 教授。 大変真面目な先生であった。 それだけに、迷わず座右の銘、 「真実一路」と書いてくれた。 医者も科学者、真実を求めて ひたすら進むことを教えてくれ た。 |
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循環器内科の笹本教授。 当時の教授陣の中では、 若干派手なところが目立った。 当時の最高級クラブ「姫」という のが銀座にあって、そこの常連 であった。 モチロン(?)製薬会社の接待 と思うけど・・・・? 当時は医師と製薬会社は、とて もいい仲(?)であったから。 いい人生を送り、若干、自分の 残された寿命が見え始めた頃、 こんな言葉が出てくるのかも。 |
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耳鼻咽喉科の鈴木教授。 ギリシャ語で書いてくれた。 『人生は短く、芸術は長く、 機会は速く、経験は不安にして 判断は困難なり。』 と、書いてあるらしい。 ギリシャの医学者、ヒポクラティ スの言葉である。 スージーも教養課程でラテン語 なんかをならったけれど、こんな の覚えられないよ。 教授はやっぱりスゴイ。。 |
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生化学教授の関田先生は、 地味でまじめな先生でした。 基礎医学の先生方は、医学 部の給料だけで、製薬業界 からの研究費などは、あまり 入らず、接待も受けていない ので、臨床系教授とはいい意 味で違う面がありました。 とても含蓄のあることを書いて いただきました。 慶応医学部では、一人の教授 に生徒10人ぐらいがグループ になって、食事会をしていまし た。教授先生の奢りです。関田 先生は、いつも「蕎麦屋」でザル そばでした。 法医学のF先生の時は、夕方 6時頃から呑み始めて、3軒 ぐらいハシゴしながら、夜の11 時頃まで呑み続けた記憶があ ります。 そして、スージーは友人の車を 運転して、酔っぱらった同級生 を乗せて、埼玉まで帰っちゃい ました。 今思えばあぶなかったけど、 まあ、無事でなにより。 |
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東大出身の泌尿器科教授です。 この言葉が最もスージーの好きな、 今でも後輩たちに時々伝えたくなる 言葉です。 このあと一筆もらいに行った先生方 も、この書を見て、皆さん『う〜〜ん』 とうなり、『さすが〜』と言ってました。 医者は謙虚に、謙虚にあるべきことを 教えています。 自分達は何でも治せると思ってはいけ ないし、結果的に患者さんの幸せに つながらなければ、良い医療とは言え ないのです。 医療行為を行ったために、より悪くなっ てしまう事故的なこともありますから。 |
信濃町の慶応病院屋上です。
当時は6階建でした。
まあ、こんなことをしていたこともありました。
楽しい医学部6年間の学生生活でした。
