いきなりやけど、僕はアンチ巨人ファンです。
日本にいるときは日本テレビでたいがいやってる劇空間プロ野球を見ていた。
で、巨人が負けると小踊りして喜ぶ。けど、アンチ巨人ファンやからって阪神のファンでもない
僕のひいきのチームは何を隠そう中日ドラゴンズ
これはおじいちゃんの代から代代伝えられてきた。 余談になるが僕が生まれた年は中日がペナント優勝している

何故中日が好きになったか・・・
それは1988年の中日がナゴヤ球場でペナント優勝を決めた試合の事だ
あれはヤクルト戦だったと思うが9回2アウトまでこぎつけ、あとアウト1つで中日は優勝というところだった
マウンドには抑えの切り札・郭 源治。当然ファンはみんな「あと一人コール」をしている
そのとき、僕の心に戦慄が走ることになる。郭がマウンド上で泣き始めたのだ。
135試合という長いペナントレースを今、制しようとして、さまざまな苦労を思い出し感極まって泣いている
(実際、郭はその年のシーズン途中に実弟を交通事故で亡くしていた)
なんてアツイ奴なんだ。野球にこんなにも情熱を燃やしている人間が中日にはいる。
その日から 僕は中日の虜、そして郭 源治の虜になった
小学校で野球をするときは当然ピッチャーをやらない嫌だったし、投げ方はもちろん郭の真似
それは4年ぐらい続いた

そしてまた新たな僕のヒーローが現れる。
背番号・14、今中慎二である
140キロを軽く超える直球と 人を食ったような90キロ台のカーブ。そしてあのポーカーフェイス。
郭のときと同じくらいの戦慄が走った。
このぐらい抑えて当然といったような顔で打者を抑えていき、最多勝・沢村賞などのタイトルをかっさらっていく
全く持ってすごいピッチャーだ。すごいことを平気でやってのける。俺のこんなピッチャーになりたい
当然僕の投げ方も自然に今中の真似になっていった。
そして、中学・高校のでは野球部に入り、当然ピッチャーをして、
投げる球種は ストレートとカーブの2種類だけだった、というか2種類しか手の小さい僕は投げれなかった

しかし
今、この僕を野球へと導いてくれた2人の偉大な投手はいない。
今中は肩を壊し4年間も1軍での十分な働きが無い
郭は中日を退団しこの前のシドニーオリンピックの地区予選に台湾代表として
テレビに出ていたがとうに40歳を過ぎていた

では何故僕は今も中日ファンなのか・・・
それは今、中日の監督が星野仙一だからだ。
あのお方は本当にアツイお方だ
1988年に優勝した年、星野監督が監督をしていたが
実弟を亡くし精神的に不安定になっている郭に「ゲンジ、弟が天国で見てるぞ」とはっぱを掛け、見事に復活させ
当時のレギュラー捕手の中村武志を試合中に説教の為にベンチ裏に呼び出し、
説教が終わって帰ってきた 中村の鼻には鼻血のあとがあったというエピソードが忘れることが出来ない。
当然僕は星野監督についてかかれた本はすべて読んだ
あのお方にはオーラ、いやパワーがみなぎっている。
あの巨人戦への執念
あのお方がいるだけで「中日=巨人のライバル」 という図式が出来上がってしまっている。
しかし執念やアツイところがあのお方のすべてではない
ナゴヤドームの完成で、強力打線で打ち勝つ野球の限界がささやかれる中
守れるチームをたった2年で完成させるあのカリスマ的手腕
1999年の優勝の年にはあれほど弱投といわれつづけてきたあの中日が、投手王国と呼ばれるまでなった

打って勝つの巨人の対抗馬はやはり守って勝つのチーム。
あの強力打線をなぎ倒すのはやはり中日なのだ
去年は優勝こそ逃してしまったが、今年こそは優勝、そして日本一へ
ヤクルトから球界きっての巨人キラー・川崎 憲次郎をFAで迎え入れ
阪神からあの元ホームランキング・大豊も戻ってきた
そしてあの広島の元エースの紀藤も取ってしまった
中日の補強はほとんど完璧だ。
戦力外通告を免れた今中の復帰も待ち遠しい
中日への愛着は強くなるばかりだ