

僕が日本語の先生・・・
この僕が小学校の1年から好きになったことない日本語(=国語)を教えることになるとは
でも、こんなことがあるから人生は面白い
僕の夢
僕は幼稚園の頃、毎日書かされていた絵日記・日記によく未来のことについて書いた
その日、あまり書きたいようなことがなかった日には「僕は大きくなったら・・・」という書き出しで
不可能に近いような未来を淡々と書いたものだ
前の日に未来は体操選手だと書いた次の日には果物屋だと書いたり
あまりに未来の事を書きたがる息子を見て、母は僕が未来について書いた日記を
「大きくなったらシリーズ」と呼び
幼稚園の先生も飽きてしまって「もっと他の事を書いて」というまでかなり書いた覚えがある
しかも、それを言われてからも、僕の日記の最後の切り札は「大きくなったらシリーズ」だった
小学校に入ると僕の夢はだんだんと固まっていった。それは「教師」しかも「小学校の先生」
小学校低学年(1・2年生)のときは
音楽の時間なのにすりこ木で「足の裏マッサージ」をやらせる先生がいたり
英語の授業中に、美空ひばりの「川の流れのように」を大声で歌う先生がいたりした関係で
それほど小学校の先生になりたいと思うことはなかったが
3〜6年生のころはいい先生に恵まれて、「先生って言うのもいいかもしれない」と思ったものだ
特に生徒と野球をするからといって昼休みのはじめの10分で弁当をかきこみ
ピッチャー役だけを買って出てくれる先生や
本当に「まじめ」という言葉の似合う先生
東京に旅行に(うちの学校は5年生で東京に旅行にいける学校だった)行った時
横浜の中華街で中華料理を食べた。その時、「河田君(僕の本名)はよく食べるから」と言って
いっぱいお皿に中華料理をもってくれる副校長先生などと接していると
「あぁ、これが先生ってやつかーー」と思ったという
中学・高校には、僕は関西の私大で1番いいと称される大学の付属の学校に入って
大学試験はほぼしなくていい状況になったため、
学校は進学校のように必死に勉強をがんばるという雰囲気ではなかった
そんな学校だから、先生も一風変わったのが多かった
中学の担任はHRの時間で決めないといけないことがあるのもそっちのけで
外でサッカーなどをする、先生らしくない先生や
授業中なのに、すぐ雑談に入ってしまう英語の先生
(各クラスでその先生に授業中、何分雑談させたか競ったものだ。最高50分間授業で45分)
ここに来ると「こんな自由な先生もいいなあ。」と勝手に思い、1番すきだった科目の英語の先生になりたいと思った
今になって思えば、それもほぼ不可能に近い夢になったけど
Kawatinhoのお仕事場(?) 僕のお仕事場の写真
僕が今、働いているところは「ピラポーラ日本語学校」というところで
ピラポーラにある日本人・または日系人の組織である「ピラポーラ日本人会」というところが運営している
授業は朝の部と昼の部に分かれていて
僕は朝、学校がある関係で昼の部だけを手伝っています
でも、仕事と書いたけど、僕の給料は0。別に欲しくてやってるわけじゃないのでいいんですが
この学校の授業、生徒にしてみれば超豪華!!!!
昼の生徒さんは全員で4人なんですが月謝は15レアル(900円)で
授業は土曜日・日曜・祝日以外のほぼ毎日。しかも2時間の授業に先生3人(僕も含めて)付きっきりなのです
豪華でしょ?
何故始めたか・・・?
実は、今までの僕の午後の時間というのは12時ごろから6時までまったくヒマ極まりない時間だった
ある日、僕はそのヒマ極まりない時間がいやになって、学校に行った
朝、授業のある生徒はTrabalhoと言ういわゆる宿題を出されると、たいがいみんな学校の図書館に行く
そこで勉強をしつつ、遊びつつ、友達と無駄話しつつすごすのだ
僕はその無駄話してる友達を見つけて、話をして時間をすごそうと思ったのだ
その日は結構図書館に生徒はいた。でその中にルスジュリアさん(通称・ジュリアさん)もいた
ジュリアさんとの2ショット
彼女は日系人でもないのに日本語がしゃべれる
僕がブラジルの学校に行きはじめた最初の日に彼女はぼくに日本語で話かけてくれた
けれど、挨拶程度しかしゃべっていなくて、それからも挨拶しかしてなくて
彼女には悪いなあと思っていた。(実際、彼女も僕は全然しゃべってくれないと先生に文句をいっていたという)
その日はまあいい機会なのではじめていろいろとしゃべった
彼女はもうひらがな・カタカナは完璧で、小学校1年の漢字ぐらいならできるらしい。
すげぇーーーーーー、僕はそう思った。
よく考えてよ、皆さん。ここはブラジルでは、最近の日系人でさえ、日本語を知らない人が多いのに
ジュリアさんは写真を見たらわかるけど、完璧って行ったらおかしいけど、普通のどこにでもいるようなブラジル人ですよ
どうやって、日本語を習うチャンスを見つけるのですか?
そんななかなかないチャンスを見つけて、ちゃんと勉強するところがえらいと思うし、すごい
これはあとから聞いた話だけれど、ジュリアさんはこの日本語学校にきたのは
日系人の女の子が日本語学校に1人で行くのはちょっとイヤだということでジュリアさんを連れてきたのが、はじめで
その日系人の人が授業にこなくなっても、ちゃんと来て勉強したというがんばりやさん
今でも、ほぼ毎日2時間、飽きずに来ているし。
ふーーーーん、すごいなあ・・・・。ふむふむと聞いているうちに、あることを思い出した
僕の友達でアメリカに同じく留学している子が日本語の先生をしているということ
しかも彼女は自分でテストや授業で使う問題などを作っているらしい。これもすごいことだと感心していたのだ
俺も日本語学校の先生を手伝ってみようかな・・・?
二番煎じといわれるとそこまでだけれど、でも僕もこんなに日本語に熱心な子に日本語を教えてあげたい
今までお世話になっているブラジル、ピラポーラの人たちに恩返しといってはちょっと言いすぎですが
すこしでも何か手助けができればと思ったのです
思ったことは即実行して、その日のうちに日本語学校の先生の上田先生に電話すると
「ホントいいんですかぁーーー?じゃあよろしくお願いしますーーー」という快いお返事。
そこで僕の日本語学校でのお手伝いという道が開けたのです
僕のお仕事 写真です
僕の基本的なお仕事は、簡単で、上田先生、または、安部先生(もう1人の日本語学校の先生)のお手伝い
生徒がやり終わった問題の答えあわせ。
朝の授業に使う問題の製作・・・・etc
生徒はすでにひらがなとカタカナの書き方は知っているので(書き順はちょっと疑わしいけど)
漢字を書き方からちゃんと教えることが中心になる。
書き方が汚かったり、書き順が間違っていたら、その場で教えていくのです
漢字の書き方なんて、僕はまったく知らないというか苦手だったのですが、今は何とか教えてます
さよなら、みき先生・・・ さよなら、美貴先生
ここの日本学校で2年間、日本語をブラジル人のために教えていた上田美貴先生が日本に帰る日がきました
上田先生は僕がピラポーラに行く前から、ある人の紹介で(その人も知らない人だったけど)知っていました
ぼくにピラポーラについてわかりやすい説明や、いるものいらないものなどを詳しく教えてくれて
本当にお世話になった人でした
日本語学校では生徒たちに「ミキセンセイ」「ミキセンセイ」と慕われていて
こんなに楽しい授業をしているなら、もっと早くお手伝いをしていればよかったと思わず思った事もありました
本当にいろいろと骨の折れる仕事の多いこの仕事をいつも笑顔で頑張っている姿がとても印象的でした
これからも頑張ってください。美貴先生・・・