−0〜3歳の頃−
私は、1973年の春に富山県富山市で生まれました。
3750グラムという「デブ」で生まれたと両親から聞きました。
3歳までのことはほとんど記憶にありませんが、よく父や母に抱かれていたような気がします。
毎日、指をしゃぶっていました。\(^o^)/
一番いい時期でした・・・
−4〜6歳の頃−
保育園の頃は、悪いことばかりしていました。
いたずらをしたり、人をいじめたりしていたような気がします。
夏になると、よく近所の友達とせみを捕まえに行っていました。
家の近くに小学校があったので、よく砂場でトンネルを作っていました。
あと、ガチャガチャにはまっていました。
体は、普通だったと思いますが、よく医者に行っていたような気がします。
注射をされて、しょっちゅう泣いていました。
すぐ日焼けするタイプだったので、水疱瘡の痕が顔に残ってしまいました。
−7歳〜12歳の頃(小学校時代)−
家を建てたということで、小学校から場所が変わりました。
小学校時代は、勉強ができたほうかなと思います。
先生にもかわいがってもらいました。
学校では鬼ごっこばかりして、廊下や階段を走り回っていました。
家に帰ると、よく友達とラジコンやルーレットゲームなどをやりました。
外が晴れた日には、道路でドッジボールをしたり、田んぼで野球やサッカーをしたりしました。
真っ黒に日焼けしていました。
海やドライブにもよく行きました。
習い事は、習字と水泳でした。
水泳は、小4の時、スイミングクラブに入っていました。
父によく海へ連れて行かれたので、泳ぎはわりと得意でした。
そして、1級を取ってやめました。
ゲームセンターのメダルゲームにはまっていました。
自転車が解禁になって、しょっちゅう遊びに行っていました。
小5の時、腹痛で初めて入院を経験しました。
1週間で退院しましたが、5キロぐらいやせました。
小6になると、親に無理やり別のスイミングスクールの選手コースに入れられました。
ここの練習は厳しく、タイムが遅いと竹刀でおしりを殴られたりしました。
おかげで、タイムは伸びて25メートルをクロールで息継ぎなしで泳げるようになりました。
しかし、練習がきつかったので、中学になると同時にやめることにしました。
牛乳もよく飲んでいたので、身長が一番伸びた時期でした。
ちょうどこの頃、ファミコンが流行っていて、弟と一緒に遊んでいました。
スキーにもよく行きました。
−13歳〜15歳の頃(中学時代)−
中1の時は、勉強していませんでした。
授業中も、友達としゃべって先生によく怒られていました。
スイミングスクールをやめたということで、塾に行くことになりました。
この頃は、友達とよくゲームセンターに行っていました。
女の子から、話しかけられたりしていい感じでした。(笑)
この頃から、視力が悪くなり始めました。
中2の時は、なぜか真面目に勉強するようになりました。
成績もよくなっていきました。
休み時間によく友達とバク転の練習をしていました。
おかげで、バク転とバク中ができるようになりました。
成績がよかったので、先生からもひいきされていました。(たぶん。)
中3の時は勉強がメインでした。
高校受験が心配でした。
この時の友達とは一番親しいかもしれません。
−16歳〜18歳の頃(高校時代)−
第一志望の高校に入り元気でした。
校則も自由だったので、短ランと太いズボンをはいて学校に通っていました。
しかし、成績のほうは思わしくなく、先生から集中攻撃されていました。
ただ、3年間クラス替えがなかったのは残念でした。
結局、成績が悪くすんなり浪人しました。
−19歳の頃(浪人時代)−
近くの予備校に通いましたが、実際は、友達と近くのボーリング場に行っていました。
日に日にボーリングがうまくなっていきました。(^^)V (おいおい。)
ストレスが溜まっていた時期でした。
−20歳〜21歳の頃(大学時代)−
志望していた学部に入れませんでしたが、某大学に引っかかり入学することにしました。
が、入学して1ヶ月ぐらいで5月病にかかり、志望する学部を受け直そうと思いました。
また、まわりに女性が多く、気を使うタイプの私にとっては大変苦痛でした。
学校の授業のことよりも、志望する学部のことで頭がいっぱいになり授業に出なくなりました。
しょっちゅうカラオケで歌っていました。
そして、2年で大学をやめることにしました。
−22歳の頃(浪人時代)−
4月当初は少し精神的に不安定でしたがすぐに慣れ、勉強が楽しくなっていきました。
近くの予備校に通い、毎日真面目に勉強しました。
ここで、私の人生にとってジーンとくる素敵な言葉を聞きました。
模試の結果は、工学部ではA判定が出ていましたが、志望する学部ではE判定ばかりでした。
母集団が増えるにしたがって、偏差値もなかなか上がらなくなりました。
大学受験の厳しさと自分自身の無力さを知りました。
1月。やっぱり自分は工学部のほうがいいかなと思い始め、センター試験の後、工学部を受けることに決めました。
どこの大学を受けるか悩みましたが、いろいろな人に出会うために日本の首都である東京がいいかなと思って、東京の大学を受験することにしました。
入試科目は、英語、数学、化学で、英語と化学は8割以上の出来でしたが、数学はほとんどできませんでした。
3月10日。電子郵便が届く。受験番号6919。合格・・・
−23歳〜26歳の頃(大学時代)−
大学に入り、前の大学で取得した単位を30単位認めてもらい、空いた時間でアルバイトをしました。
塾講師のアルバイトです。
最初大変でしたが徐々に慣れ、楽しくなっていきました。
気の合う友達もできて2年間続けました。
この大学では、私が1度大学を辞めて再入学をしたということで、先生方からは目をつけられていたような気がします。
非常に残念でした・・・。
大学3年になると実験で忙しくなり、レポートに追われることになりました。
しかし、まわりの人間に恵まれて頑張ることができました。
クラスの仲間は苦労している人間が多く、本当にいい奴ばかりでした。
この大学に来て本当によかったなと思いました。
そして、春にパソコンを買いました。これが私の人生を変えました。
その後、インターネットにはまり、夜更かしするようになりました。
大学4年になると研究室に配属になりました。
研究室は定員が決まっていて、私はどの研究室でもいいと思っていました。どこも興味がなかったのです。
私は時間を勘違いして、研究室を決めるジャンケンに遅刻してしまいました。
そして、ご縁があってK研究室に行くことになりました。
化学発光という分野で、面白そうだなと思っていました。
研究室では、単位が欲しいから来たのかと言われ、誤解をされました。
私の経歴からいろいろなことを推測され、非常に残念でした・・・。
就職活動と研究で疲れ、遅刻が多かったですが、毎日深夜まで一生懸命研究しました。
私は就職活動から、日本の会社や社会では人と違ったことをしてはいけないということに気づきました。
夜寝る前に、日本が変わっていくことを祈っていました。
そして、3月24日無事卒業。
私はこの大学で心にジーンとくる言葉を聞きました。
−27歳(社会人)−
新入社員ということもあって深夜まで一生懸命働きました。
しかし、一身上の都合により退社。
−28歳(勉強と転職)−
コンピューター会社に転職。
コンピュータ言語を勉強しています。早く一人前になれるよう頑張っています。ヽ(^o^)丿
もうすぐ30歳・・・p(^^)q
〜現在に至る〜
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