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| わたしたちが生きていく上で、イメージの果たす役割は大変大きい。イメージは言葉と並んで私たちの心を形作る大きな要素である。イメージを使うことによって、私たちは思考し、回想し、計画し、想像する。そして、またイメージは私たちの行動にダイレクトに影響を与える。もしイメージ力を高め、その力を有効に活用できるなら、人生にとって素晴らしい技法を得たことになる。 イメージの力を活用する(1)では、イメージというものの実体・イメージ力の強化といったことについて扱ったが、今回は自己のイメージ、イメージの実現を中心に扱ってみる。 【身体イメージ】 あなたは、私たちの運動がイメージに大きく依存していることを知っているだろうか。 例えば、自分の耳をつかむ動作を考えてみてほしい。どのような仕組みで自分の耳を掴むことができるだろうか。まず、脳から運動神経を伝わって、筋肉へ刺激が伝わり、筋肉が収縮して、・・・・といったプロセスが考えられるだろう。しかし、こんなことは誰も意識しない。そんなことは知らなくても普通にその行動をすることができる。ただ単に触れようという意志を持っただけで十分である。 この行動を説明する一つの概念が身体イメージである。頭の中ですでに自分の身体に関するイメージがあって、そのイメージの中で耳をつかむという操作をする。そうすると、あとは勝手に現実の世界にある肉体が動いて、その行動を遂行してくれる。 こういう単純な人間行動においても、イメージがなければスムーズに行うことはできない。例えば、目をつむって目の前にあるものを触ろうとしてみれば、イメージの存在はよくわかるはずである。 この身体イメージがどのようにして獲得されるかというと、幼児の頃、運動、そしてその運動感覚のフィードバックの試行錯誤を繰り返して自分の身体感覚を得たり、あるいは自分の身体を視覚的に見て、自分の身体のイメージをつかんだりして獲得する。一度イメージが作られると、試行錯誤の必要がなくなり、イメージを利用するようになる。例えば幻肢の場合、脚が事故でなくなったとしても身体イメージとしては残っている。そのため、触ろうとして失敗したり、あるいは立ち上がろうとして、転んでしまう。そして改めて自分には脚がなかったことに気付く。これは頭の中に身体イメージが固定されてインプットされているからである。身体に何らかの変化があった場合、身体イメージを修正するまでには少し時間がかかる。 【イメージの予期的性格】 一般にイメージは予期的性格を持ち、行動の準備状態を作り出すことが言われている。この性格は、この世界を一貫した安定したものにして、状況に対応した心の準備をすることによって、環境世界おける適応をスムーズにする役割を果たしている。しかし、このことは逆にイメージによって行動が束縛されるともいえる。例えば、ある人物に対して壁を感じていると、そばに行こうとしてもその壁に遮られてしまうといったことがある。 このイメージの性格を積極的に活用しようとするのがイメージトレーニングで、例えば音楽の演奏では、演奏の前にイメージがあり、そのイメージに引っ張られて演奏が行われる。スポーツの分野でも実技の前にイメージが決まったときにはその実技はうまくいくと言われている。 【心身のコントロール】 私たちはイメージを使うことによって、通常では意識的に操作することのできない神経系を刺激し、変化させることができる。例えば、唾液を分泌させようとして意志の力を使ってもなかなか上手くいかない。というのも唾液の分泌は随意に動かせる中枢神経と違い、意志とは無関係に営んでいる自律神経系が支配しているから、分泌させようとしても反応しないのである。ところがレモンや梅干しなどのイメージを浮かべると、実際に食べる時と同様に唾がでてくる。 つまり、実際の経験と同じ現象をイメージによって起こすことが可能で、意志とは別ルートから自律神経系を動かすことができるのである。また、生理的な現象だけではなく、精神面においても、意識的にコントロールできなかった感情が、例えばリラックスした場面のイメージを思い浮かべるなどによって鎮めることができる。 極端な例として、例えば歯医者で治療を受ける時、治療を受けているのは自分ではなく他人で、自分は脇に立っているとイメージすることによって、麻酔なしに痛みを感ぜずに治療を受け続けることができたという例がある。イメージ力が強ければ、このようなことも可能となる。 最近のバイオフィードバックや催眠の研究から、イメージによって心拍数、血圧、呼吸、発汗、脳波、体温、各種ホルモンの分泌、痛感閾値、運動などがコントロールできることが分かっている。 【イメージと意志】 催眠ではイメージが多用される。例えば、両手を前に伸ばし、両手が開いていくと暗示をかけると、実際に開いていく。もちろん、これは意志の力を使えば、たやすいことである。だから、これぐらいでは催眠の効果を感じないかもしれない。 しかし、心臓の鼓動をゆっくりさせることや、手に火傷を起こすことは意志の力では無理である。これが本当の催眠状態に入ると、焼けた石を手に持っているとイメージするだけで火傷を起こすことができる。よく、プラシボー効果(偽薬効果)として知られているが、例えば痛烈な痛みを訴える患者に、強力な薬だといって水を注射すると、モルヒネと同じくらい有効だったと報告されている。病は気からとよく言われているが、心が身体に大きな影響を与えるのである。 無理に意志の力を稼動させなくても、イメージの力を利用すれば、多くのことが楽にこなせるようになる。例えば、朝起きる時、もう少し寝ていたいという欲求に打ち勝って、意志の力で起き上がるのは非常に苦痛かもしれない。しかし、ここで自分が起きて活動しているところをイメージすれば、わけなく起き上がることができる。 このようにして、わたしたちはイメージを媒介することによって、身体をコントロールし、また感情をコントロールすることができるのである。つまり意志の力では思うようにいかないこともイメージは可能とするのだ。 【イメージVS言葉】 私たちは心や体を動かす場合、イメージ以外に言葉を用いるときがある。この言葉とイメージとでは、どちらが影響力が大きいのだろうか。情報量はイメージの方が断然多く、イメージの情報は言葉の情報の10万倍あるともいわれている。そして全体像を整えるのはイメージの方である。しかし、正確さという点では、言葉の方が優位である。イメージを完全に理解できるなら、言葉は必要ないかもしれないが、情報を受け取る能力が劣っているならば、細かいところに気付くことができない。例えば、あるフォームを見て、ぱっと見てまねしろと言われても、右肩を上にするか左肩を上にするかは、言葉にしないと分からないかもしれない。だから、要所要所において、言葉で補佐する必要がある。また言葉の方が情報量を凝縮でき、伝達が容易であるというメリットがある。 ただ、言葉で伝えると、かなり情報が欠落するので、受け取り側はそれをイメージ情報に復元しなければならない。イメージと言葉は、それぞれ右脳と左脳に対応するので、その両方のメリット・デメリットを知って、相補的に使いこなす必要があるだろう。 【イメージトレーニング】 イメージの中で繰り返したことを、現実に投影させ、現実でも同じ行為ができるようにすること、これがイメージトレーニングである。これは、メンタルプラクティス、メンタルリハーサル、イメージリハーサルなどの言葉でも表現され、最近のスポーツ心理学の発達により、さまざまな研究がされている。 技能の向上には実際に自分の体を動かして鍛練することが不可欠だ。だが、イメージによって身体を思い通りに動かせるように神経回路を作っておくようにすると、技能は飛躍的に向上する。完璧なフォームで動く自分をイメージするたびに、脳の神経回路が作られていく。実際、実験によってイメージが脳波や筋電図に与える影響が明らかになっているが、運動のイメージを描くことによって、神経パターンを作り出し、実際の運動技術を向上させることができる。そうして、現実の行動なしにイメージの中で、現実同様の鍛練が可能となるのである。よくいわれることだが、「鮮明に映像化されるなら、心は想像上の経験と実際の経験を区別できない」という理論がその背景にある。 【「見る」イメージと「する」イメージ】 イメージには、「見る」イメージと「する」イメージがある。「見る」イメージとは、観察者の立場から自己を見るようなもので視覚的なイメージである。「する」イメージとは、実際の場面に参加しているときと同じような感覚を伴った、実生活の現象に近いもの、筋感覚的なイメージで動作とともに周りの情報も変化していく。 実際の技術の向上を図るためには、「見る」イメージより「する」イメージの方が有効である。初期の段階では「見る」イメージが描かれやすく訓練が進むにつれて、「する」イメージも描けるようになる。 イメージトレーニングは次のような手順を踏む。 まず、その動作について熟知し、また理想像についても把握しておく。そして、イメージの中で十分に鍛練する。イメージを何度も何度も繰り返すことによって、「こうやって次は....」といった言葉を介在させずに、スムーズにできるようにするのである。言葉を介在させているうちは、動作がギクシャクしているので、その動作を身に付けたとは言えない。 初めのうちは、実地の練習がないとイメージがつかみにくい。つまり、感覚がつかめないので、なかなかリアルにイメージできない。したがって、実地とあわせて行うとイメージも鮮明になり、より効果を発揮することができる。 訓練が進むにつれて、だんだん見るイメージから、するイメージが優位になってくる。単なる絵的なイメージでは、効果は低い。イメージが単なる視覚像を超えて運動感覚を伴ったイメージとなり、身体感覚を含んでそのイメージを修正するというプロセスを経ることによって、技術は向上していく。ある選手の話では、イメージの中で最高の競技を行っている自分に、自分自身が同化していくフィーリングが得られるまで続けることが、競技を成功させる一つのポイントだという。 また、シャドーアクションといって、頭の中で描いたイメージを実際に体を動かしながら確認するのもいい。この方がイメージよりも実感としてつかみやすい。 【イメージの鮮明さと効果の関係】 ただ、実際にはイメージが理想像通りにいかなかったり、イメージが理想通りにできても実地では実行できないことが多い。これについてはイメージ力の優劣、身体的条件、集中力がポイントとなる。この場合は、現実とイメージの差を考え、自分に合った方法を新たにイメージ化し、再び実行して検証していくというプロセスをたどることになる。 実験では、イメージ能力が高いほどイメージトレーニングの効果が高いという結果が出ている。イメージ能力とはコントロールする力と鮮明度である。コントロールする力とは、描かれたイメージを操作したり変換したりする能力で、失敗イメージが浮かんできた時にそれを成功イメージに切り替えられるなどのメリットがある。 心理学者リチャードソンの研究によると、イメージの内容に従った生理的反応は、イメージが鮮明であるほど強い。そして、イメージを鮮明に描き、コントロールできるとき、行動を修正するのに最も効果的であるといわれている。 【イメージ力の応用】 イメージトレーニングの重要性は、主にスポーツの世界で語られるが、日常生活にも応用できる。例えば、非行の治療において、万引きの場面と抑制的反応とを同時にイメージすることによって、実際の場面でもそうなるような条件付けがなされる。 例えば、自分がセールスマンならば、客との交渉過程や客の反応、そして自分の行動、交渉成立というゴールまでハッキリとイメージする。もしあなたが、不動心を得たいのなら、あらゆるシチュエーションを想定して、そのイメージの中で、一切動じないようにする訓練を何度も繰り返すと良い。そしてそれを現実に投影させる。 イメージの中で訓練することは、現実上で行動するのに比較して、時間・費用・労働力がかからないこと、環境を容易に整えられること、リハーサルが効く、といった点で有利である。もちろん、イメージ力も必要である。 私の知人は、大型の免許をとる時に、一回乗っただけでイメージができて、訓練回数が少なくて免許を取得できたり、人前で話さなければならない状況でも家族の前で話をするのと同じように話ができるなどといった形で、日常生活の中でイメージの力を活用している。 また、イメージトレーニングを行う上で、いいモデルを見つけることは必須条件である。わたしたちは、他の偉大な人物を観察し、それをまねることによって、自分自身のの行動を変えていくことができる。他人にできることは自分にもできる。そう思いイメージ通りになると信じて取り組めば、必ず自分のものとすることができるだろう。 そして、自分のイメージを確定したら、それを現象化させるべく、イメージ通りに現実生活において「演技」を行うようになる。そしてその演技が根付いた時、そのフォームは自分のものになったといえる。 【イメージが目標に導く】 身体イメージのところで述べたように、イメージを持てば、それに見合った行動が無意識のうちに起こる。戸棚にある本を取ることをイメージしただけで、あとは勝手に体が動く。つまり目的を遂行した状態をイメージするだけで、その目的を遂行するべく行動が起きるのである。 同じ原理を、あらゆる目標に対しても適用できないだろうか。サイコサバネティックスという原理を打ち立てた整形外科医のマクセル・マルツは、人が目標を設定すると、目標に向かって舵をとっていく自動誘導装置が働くという理論を展開している。自己イメージが肯定的な場合は、成功規則が自動的に働き、目標達成を可能にする。逆に自己イメージが否定的な場合は、失敗規則が自動的に働いて、失敗に導くというものである。 現実の自分は描いたイメージ通りに行動しようとする。その結果現実はそのイメージそのものとなる。ただ現象化させようという意志がなければ、イメージを描いても、行動が起こらないため、現象化しない。これは単なる空想と同じである。 人間の思考は、目標を意識すると、それを達成するために様々な情報をサーチし始める。その行動が未経験の場合はすぐには道が見つからないが、目標を強く描いているなら、そこへ至る道を検索するようになるという。 【どのような自己イメージを持つか】 人間は、自分について様々なイメージを持っている。社会的地位や役割、身体的特性、性格、などである。一般に自己イメージは、こうあるべき、あるいはこうありたい、と思っている自己像と、現実の自分とが渾然一体となっているものである。そして、自己イメージを現実を照らし合わせながら、修正し、行動を選択している。自己イメージが人を成長させることもあれば、失望させることもある。 しかし、この自己イメージ、つまり自分の能力や性格、存在価値など、自分自身をどのようにとらえているかということが、最終的にどのような人間となり、何ができ、何があるのか、という私たちの現実を決定するのだから、自己イメージの選択は慎重に行わなければならない。 普通、なにか大きな達成をしたとき、大物と評価されるようになると考えているが実際はそうではない。自己を大物であると思い描いた者が大物になるのである。つまり、大物としての自己イメージは、そうなる前にすでに出来上がっていなければならない。 孟子も言う。「人必ず自ら侮りて、然る後に人之を侮る」。自己評価が先に合って後に他の評価がある。自分を低く見積もっている人間は、本当に小さくまとまってしまう。高校の時は精鋭であったものが三流大学に進むことによって、凡庸になってしまう例がある。これは「自分は三流である」という思いが、その人の能力を制限してしまったのだろう。事実がその人を規定するのではなく、自分が何であるかと思うことによって自分を規定するのである。 したがって、自分に対して肯定的なイメージを持つようにして、否定的なイメージは除去するように努めなければならない。 【どんな自己を作ることも可能】 人は思春期になると、アイデンティティを模索するようになり、様々な自己イメージの試みがなされる。ありのままの自己イメージを探したり、他人や社会に受け入れられやすい自己イメージを探したりする。 しかし、自分自身をどうとらえるかは自分が決定することであって、他人が決めることではない。自己の本質とは真っ白なものである。そこにいかなる色を塗ることもできる。ただ、過去の行為によって、思い通りではない自分が形成されてしまっている。しかし、今形成されている自分は固定されたものではない。もし、これを固定されたものと思ったり、もっと悪いものだと思ったら、向上することができなくなる。自分を変えていこうという思いによって、自分の構成要素は変わってくるものである。そしていずれ目標としている姿に到達できる。 もちろん今まで負けてばかりいる人が、いきなり「わたしは強い」とイメージしたのでは、否定的な事実に負けてしまう。だから、強くなる、強くなりつつあると考えるのが良いだろう。現実を正確に認識しないとダメということである。 【慢を伴った自己イメージ】 自己イメージを持つ上で、注意しなければならないのは、そのイメージが現実のものとして達成されていないのに、達成したものと思い込むと、進歩がなくなってしまう。これは「慢(プライド)」と結びついた自己像であり、苦の原因となるだけである。人は現実が自己イメージ以下である時、落胆し、苦しむ。例えば「わたしは美しい」と思っているところに、「お前はブスだ」と言われたら、自分のイメージが傷つき、苦しむことになるだろう。現実は固定されないから、常に自己イメージ通りになるとは限らないのである。不当な期待を持つことは苦しみの原因としかならない。 しかし自己イメージが「目標」であるときはどうか。その現実の自分がイメージ通りとは考えていないので、ズレがあっても苦しまない。むしろそれを謙虚に受け止めて反省材料とすることができる。それは自己イメージが現状ではなく目標であるという割り切りがあるからである。目標と結びついた自己イメージは、目標をハッキリわきまえているから、現象と自己を目標に合わせていくことができる。 しかし、慢と結びついたものは、今ある状況に目標を合わせていくから、現状は向上しない。例えば、自分は一流のゴルフプレーヤーになるんだ、と思い、自分のフォームをそれに合わせていくか、それとも自分の今のフォームを肯定して、自分は一流なんだと思い込むかである。 また、目標に到達したとしても、慢を生じさせれば落下する。現実は無常であるから継続させるためには常にメンテナンスを怠らないことだ。目標へ到達する意志は大切だが、それをすでに達成してしまったと思い込んでしまってはダメである。確かにイメージをするときは目標をすでに達成した形で行うが、しかし自分の現状は正しく認識する必要がある。そして目標とのズレを認識した上で、そこを埋めていくように努力する。常に現状をありのままに認識し、意識および振る舞いを理想像に合わせていくのである。 イメージが現実のものとなるまでには時間がかかる。だから、即日そうなれなかったと言って落胆してはいけない。仮に結果が出なかったとしても、結果が出るだけの条件が整わなかっただけなのだから、落胆する必要はない。次にチャレンジすればいい。積極的に行動したことは、自己を高めたことになるのだから、決してマイナスにはならない。今の現象に対しては無頓着になり、目標に対して集中していることが理想だ。 「なりたい者には何にでもなれる」というようなことが能力開発の関係の本でよく書かれているが、これは誤解を受ける表現である。必ずしもそうとは限らない。それは、現実は常に動いていて一定ではないということ。あるいは、努力や集中力の有無によって達成できなかったり、維持できなかったりするからである。 これまで見てきたように、人間はイメージに従って行動し、またイメージに従って現象を解釈する。だから、正しく物事を見る目が大事だし、また正しい自己像を持つことが大事である。イメージは言葉と並んで人間の精神活動において重要な役割を果たしているので、その特徴をつかむなら自己の向上に役立てることがきるだろう。 |