第2章 理由

奪われた左足

 膝の前面にある太い靭帯から切り出した靭帯をの一部分を前十字靭帯としてつなぎなおすという手術だった。手術は一瞬だった。いや、正確には一瞬であるように感じたと書くべきであろう。全身麻酔で眠らされてからから8時間たっていたのだから。腕に刺された注射針から冷たい液体が入ってきたと思った瞬間、目の前を白い幕が覆っていった。そう思っていたらなんとなく真っ暗な感じがして、横から声が聞こえた。目を開けると看護婦に呼びかけられていた。

「もう終わったんかいな、早いな。」

おかやんがそう言うと看護婦は、

「もうって8時間たったんですよ。寝てたから知らないだろうけど。」

と苦笑しながら答えた。ぼうっとする頭の奥でおかやんは思った。これが全身麻酔か・・・。そして看護婦は全身麻酔というものを知らないのだろうと思った。寝ているのとはまったく違う感覚だった。無というものを初めて経験した。「無」を経験するというのは、それ自身すでに矛盾であるから、正確には、限りなく無に近いけれども無ではないところにある何かを経験したということになるだろう。

 手術から一週間たち、抜糸し、リハビリが始まった。足は自分の足ではなかった。ケガから半年。常にギプスに巻かれ、運動することがなかった足は、枯れ枝のように細くなっていた。そして固定され続けていた間接は微動だにしなかった。毎日毎日、曲がらない膝を曲げるためだけに時間が使われた。車椅子を見るたびにケガの重さを感じた。退院までの1ヵ月は、ただひたすら間接を曲げることと、失われた筋力の回復にあてられた。

 膝は曲げようとするたびに激痛を生んだ。それでも痛みを堪えながら曲げようとしなければ曲がることはないと言われ、今日は10度曲がった、今週は20度曲がるようになったとというふうに、少しずつ曲がる角度を大きくしていくしかなかった。ただ膝を曲げるという行為に必死になる姿は自分でも不思議だった。

 退院してからもほぼ毎日。リハビリのために通院し、2ヵ月たった頃、そろそろ運動してもいいよと医者に言われ、意外に早く運動ができるようになったことに驚いていた。膝にはゴテゴテとしたプロテクターをつけなくてはならなかったけれども、約10ヶ月ぶりに走ることができた。

「やっと戻ってきた。」

 それが久しぶりに足を踏み入れた体育館で発した最初の言葉だった。

「久しぶりやな。」

 ちょこちょこと声をかけてくれる人がいた。

 それでもバスケをするには辛い足の状態だった。他人との接触は極端に恐ろしかった。ケガをしたときの感覚がよみがえって怖かったから、ほとんどジャンプはできなかった。おかやんは右利きだからランニングシュートの踏み切りは左足だった。踏み切るとこけそうになった。足にまったく力が入らなかった。足を地面についたままボールを放った。おかやんの脳裏に、ケンシロウに秘孔を突かれてジャンプできなくなった聖帝サウザーの姿がよぎった。それとほぼ同時に、紅の豚のポルコ・ロッソの声で「飛べない素人はただの素人だ」と聞こえたらしい。

 だが今回は、前とは違う。コートに立つことができる。

 30分間バスケをしただけで、左ひざには激痛が走った。ケガのせいではなく筋力が足りないせいだった。左右のバランスを欠いたままのバスケは辛かった。女の子としかまともにバスケができなかった。長い闘いはまだ始まったばかりだった。

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