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一般的なイメージとして、メキシコ人の方が、日本人より英語を話すと思われている。しかしそのイメージは、日本人が普通に接触する可能性のあるメキシコ人(観光地の人、ビジネスで接する人、先生や留学生等の高学歴の人等)だけを見た場合のみ成り立つのではないかと気付いた。逆にアメリカ人を食い物にしているロスカボス(南バハカリフォルニア州)、ティファナ(バハカリフォルニア州)などの観光地では、『英語を話せること』が職を得るための最低条件となっているのではないかと思われるくらい、英語を耳にする。支払いもアメリカドルでもとめられることが多々あり、メキシコペソで払うよと逆に損をしてしまうケースがあるほど、アメリカ化してしまっている。
メキシコでは第1外国語は英語である。その教育は小学1年生から始まる。子供達は『スペイン語のアルファベット』を勉強しながら、英語も勉強しているのである。しかし『スペイン語のアルファベッド』を全てマスターすれば、『英語のアルファベッド』も全てカバーできるので(発音は違うが)、同時進行でもそれほどは問題にはなっていないようである。(勉強嫌いのホストブラザー=小学1年生を見ている限は。)
しかし実際に英語を話せるメキシコ人(今まで会った範囲内では)は、大学を卒業した人、英語学校に通っていた人、仕事上でアメリカ人と接する機会の多い人(スペイン語コースの教職員、ホテル従業員、空港タクシーの運転手等)などに限られている。すなわち英語を話せる人は、観光地を除けば、ある程度の教育を受けている人(それだけの余裕のある人とも言える)であり、それなりに社会的に地位の高い職を手にしている。
ある日、グアダラハラの街を歩いている時、1人の『車拭き』の青年に出会った。『車拭き』とは、信号待ちで停車中の車の窓を拭いたり、長時間駐車する車の運転手に頼まれて、その駐車中に洗車したりする職である。元手は、雑巾とバケツ、水、洗剤(使わない人もいる)のみという、リスクが少ない反面、あまり高収入も得られないというローリスク&ローリターンな職業であり、どちらかというと、社会的地位の低い職業である。メキシコではGDPに占める地下経済(=インフォーマルセクター?)の割り合いが12%と言われているが、この『車拭き』もそこに含まれる。
しかしその日出会った青年は『英語を話せた』のである。僕自身の英語もToEFLで500点(世界平均)を少し超える程度なのでたいしたことはないが、彼とは、『どこから来たの?』、『グアダラハラでは何をしているの?』という表面的なことから、『明日、Estadio Jalisco(サッカーの試合)を観に行くの?』ということや、その日僕が着ていた服を『いくらで買ったんだい?売って欲しい。』ということまで、約30分くらい、全て英語であった。(ちなみにその日僕が着ていたのは、地元チーム"Guadalajara"、愛称は"CHIVAS"の少し珍しいバージョンのユニフォームであった。しかし、他のものと同じ値段で買ったもので、僕のお気に入りのユニフォームでもある。モデルがよかったせいか(?)、CHIVASファンの彼も欲しくなったようである。)その会話をしていた約30分間、ほとんど意思疎通に困ることなく、会話をできたと思う。(彼が、『そのユニフォームを売って欲しい。』と言った時はドキッとしたが。)また彼の英語は、他のメキシコ人に比べ、スペイン語訛り(例えば"Say"を"サイ"と発音する。)がなく、リスニングが苦手な僕にとっても、聞きやすい英語であった。
当時はまだ『メキシコ人は英語を話せて当たり前』と信じ込んでいた時期で、『英語を話せるのに、何故車拭きをしているのであろうか?』という疑問を持つようになったのはかなり後のことであった。再び彼に出会った場所に行ってみたが、残念ながら彼には会えなかった。彼が自分の能力の1つである英語を使って、もっといい仕事を見つけられたのだと思いたい。
彼は特殊な1例なのだと思う。しかし『何故?』、という疑問に関しては、それが、社会的な要因なのか、個人的な要因なのか、知りたかった。 (2001年1月1日)
(第1話 終)