メキシコで思ったこと。。。(第2話)
−『メキシコの精神病院』
     日本では精神病院というものにはなじみがなかった。知っていることというと、精神科医の作家北杜夫氏の本に出てくる描写くらいである。また最近読んだ、精神科医、帚木蓬生氏の『ヒトラーの防具』という小説の中で、ナチスドイツの精神病患者の扱いについても描かれていた。そのようなわけで、日本の精神病院を訪れたことがないため、比較することはできないが、精神病院訪問は、自分にとって、驚くべき事実ばかりであった。

5月30日、授業の実習として、精神病院の見学に行く。市の中心部からバスで40分くらい、郊外の飛行場の側を通り、さらに進み、周囲になにもない開けた土地に公立の精神病院はあった。塀に囲まれていたが、警備はそんなに厳しくもない。(ただし内部は、何重にも鍵のかかったドアがある)ただ、すぐ側に滑走路があるため、飛行機の騒音に最初驚かされた。

入院患者の病棟(エリア)は3つに(子供、男性、女性)に分けられていた。まず子供のためのエリアへ。患者はどちらかというと先天的な心体障害を持った子供が多かったように思える。次に男性用のエリアへ。建物と塀に囲まれた中のコンクリートの地面のところに、患者達は押し込められている。またもう1つの男性用のエリアは、柵に囲まれた土の広場に。女性用は、男性用と同じような建物と塀に囲まれた世界。患者達は、タバコを欲しいとせがみ、我々もあらかじめ用意しておいたたばこを渡す。患者達の指をよく見ると、ヤケドの後が。彼らにとってタバコは貴重品なのだ。彼らの中には、一見、病気を煩っているようには見えない患者もおり、外国人である自分に英語で話しかけてくるものもいた。

子供のためのエリアを見た後、クラスメートの一人が泣き出した。どうやら、『同じ人間として、生まれたのに。どうして?かわいそう』という感情で泣き出してしまったようだ。メキシコは、意外と閉鎖的な社会(あくまでも主観)で、『身内(家族、友達、知り合い)』と『その他』のギャップが大きいと思われる。(『身内』にはおせっかいなくらい、暖かく、『その他』には恐ろしく冷たい。)そのため、彼女は今までそのような障害を持った子に接する機会がなかったようだ。彼女以外のクラスメートも、『怖い』といった感情を持っているクラスメートも多かったらしい。(確かに突然抱きつかれたりしたらビックリするが。)自分はというと、通っていた公立の小学校に軽度の障害の子供のための養護学級があり、交流する機会もあり、どう接するべきかも自分なりに結論が出ていた。(たとえ相手が障害を持った人であれ、外国人であれ、路上生活者であれ、普段通りに接することにしている。ただし酔っ払いと、自分に害を与えうる同性愛者に対してはその限りではない。)その点日本の教育制度は良かったと思う。

自分にとって一番の衝撃だったのがやはり成人のエリアであった。さまざまな程度の障害を持った患者が、塀と建物に囲まれたちょっと大きめの中庭と、柵に囲まれた公園(木が植わってて、全部地面は土)のようなところに押し込められていた。前者はまるで刑務所、後者はまるで動物園と錯覚するような、施設の作り方であった。(建物のハードのことを言っているのであって、患者が、囚人、動物と言っているわけではない。)ほとんどの精神病に対しては直接的な治療法がないと言われているなら、なおさら環境をもっと人間的にするべきではなかろうか。案内してくれた医師は、『成人のエリアでは、14歳以上の患者が死ぬまで入院する』と説明していたが、その『死ぬまで』という言葉が自分の中で、さみしく耳に残った。社会保障が中途半端なメキシコでは、家庭で患者を世話するのは現実的に厳しい。そのため無料の(あまり環境のいいとは言えない)公立の病院に預けざるをえないのが、いたしかたない現実であろう。

日本の病院もこれよりはまともであろう(あって欲しい)が、今後、さらに『事件を起こす可能性があるから隔離するため』に入院させられる患者が増えていきそうな世論である。確かに無実の人が事件に巻き込まれるのは、黙認できないが、マスコミの報道のされかた(インターネット)を見ると、まるで『精神病患者だから犯罪を犯す』というようなイメージを起こさせるような書き方がなされている。(そう思うのは自分だけ?)ちょうど3年前にツクバのとある事件に関して『外国人だから犯罪を犯す』という印象を与える報道がなされたように。(これは、主観ではなく、『事実』です。)

(第2話 終)