未界テーマ企画より
「脱走」



 ……もう、どれぐらいここに入れられてるのだろうか。俺達の部隊が連中に襲われて、ろくに抵抗できないまま叩きのめされ、気がついたらこんな暗い穴蔵の中にぶち込まれたんだ。あれから、もう何日経ったのか分からない。今日も真っ暗な穴蔵の中で生き恥をさらし続けるのだろうか……。

 俺達の国は領土も広く、経済的にとても恵まれていて、生活水準も高かった。また、経済的豊かさもさることながら、その軍事力で近隣諸国の追随を許さない一大帝国として、繁栄を極めていた。いざ戦争となれば、俺達「泣く子も黙る」陸軍精鋭部隊が、それこそ戦神の化身のように敵軍を震え上がらせたものだった。
 だが、連中には、あいつらには……。

 連中の襲撃は突然に、だが静かに始まった。隣の同盟国からの連絡がある日を境にぱったりと止んでしまったことが、その予兆だった。 いくら軍事的に劣るとはいえ、瞬時にして壊滅してしまうようなそんなヤワな国ではなかったはずだったのだが、ある日を境に往来が途切れてしまったのだ。
 中央に情報が伝えられるその間にも、徐々に連絡の途絶えた国々の数は増加の一途を辿っていった。情報が伝達され、事の重大さを理解した中央の連中はようやく調査隊を派遣した。だが、調査隊の目にしたものは、辺境の土地が「見えない壁」のような物にすっぱり切り取られて、中央と隔てられてしまっているという奇妙な現象だった。しかし、それだけでは終わらなかった。辺境に送られた兵士達はほぼ壊滅状態になり、たった一人残った兵士も全身をズタズタにされた上に、右腕が食いちぎられるという無惨な姿で帰還してきた。
 帰還してきた兵士が言うには「黒い侵略者」に部隊を襲われ、次々と仲間が死んでいく中、右腕と引き替えに命からがら撤退してきたのだと恐怖に打ち震えながら報告を続けた。もちろん、俺達の国に土足で入ってきた「奴ら」を排除するために、軍隊を出動させた。俺達の国を荒らした奴らには高い代償を払わせねばならない。

 戦場に赴いた時、俺達は今まで見たこともない、異形の怪物を目の当たりにした。体全体が異様な黒い光沢を放っており、自在に動く鋭い手足を持った奴らの姿に言い様のない恐怖を覚えた。いかな陸軍精鋭部隊の俺達とはいえ、戦場で恐怖に襲われた状態では赤子にも劣る力しかもっていなかった。……それは戦闘というよりは、一方的な虐殺でしかなかった。逃げまどう俺達の仲間を死ぬまで追い回したあげく、その手足でスタズタに引き裂き、バラバラにして連れ去っていった。引き裂かれて死んでしまうだけ、まだ幸せだったかもしれない。中には生きたまま蹂躙され、そのまま不快な咀嚼音を立てながら奴の栄養となり果ててしまった者もいた。一方的な殺戮の宴は、生きたまま蹂躙されてゆく兵士達の耐え難い絶叫と悲鳴をBGMにして戦場の全ての敵が地に倒れ伏すまで続けられた。
 俺は、目の前に展開されている惨劇に半ば半狂乱となって突っ込んでいった。昨日まで共に訓練を受け、共に戦ってきた、かけがえのない仲間達が次々と「華々しく」という言葉とは全く正反対の死を迎えている光景に、頭の中は真っ白になって、奴らになにがしかの反撃を加えるために、突進していった。
 だが、ちょうど「食事」を終えた奴らの仲間が、突っ込んで来る俺の姿に気づいて足を振り上げた。次の瞬間、衝撃を受けた俺は土の上に叩きつけられたまま、意識を失った。兵士の絶叫は、まだ戦場に響き続いていた。

 気がついたら、俺はこんな暗い穴蔵の中に叩き込まれていた。土で作られた壁で囲まれた部屋には奇妙な白っぽい物体がある他には俺一人しかそこには存在していなかった。
 ……頭が痛い。地面に叩きつけられた時、強く打ち付けたんだろうか。痛む頭の中で、俺は状況を整理しようと必死になっていた。 部屋の出口から見える廊下を、何度も連中は通り過ぎていく。奴らの姿を見た途端、頭の中にさっきまでの惨劇が繰り返される。廊下を通り抜ける風の音が、虫の息となった兵士の声のように聞こえてくる。俺は戦場にいた時よりもさらに巨大な恐怖に襲われていた。 戦場の中で聞いた咀嚼音が途切れ途切れに聞こえてきた。俺は襲い来る恐怖心に思わず悲鳴を上げそうになった。だが、最後の一線で思いとどまった。声をあげたら最後、俺もあのように生きながら噛み砕かれてしまうと思ったからだった。土で出来た床にへたりこんで、己の不運をつくづく恨んだ。
 暗闇の中で床にへたりこんでいたところで全く状況は好転しない。それどころか、遅かれ早かれ戦場の兵士達と同じように奴らの食糧になってしまうだろう。ならば、このまま奴らの栄養分になってやる義理はない。ここを抜け出して、中央にこの惨劇を伝えねばならない。奴らはいずれやってくる。その前に迎撃準備を整えておくか、最悪の場合でも街を捨ててどこかへ逃げ出すという選択肢がある。どちらにせよ、このまま情報が届かないことはあまりに危険すぎる。ここから脱走しなければならない。

 見張りのように目の前を通り過ぎてゆく奴らの隙をついて、俺は捕らわれていた部屋を抜け出した。廊下や部屋の作りからいって、どうやら地中に作られた巣に似た構造をしているようだった。生き残らねば。俺はそのことだけを考えて通路をひたすら走り抜けた。
 もう、あれからどれぐらい走り続けたのだろう。廊下を走り抜け、いくつもの角を曲がりながら、ようやく、この暗闇の出口が見えてきた。こんな所にいるのはまっぴらだ。早いとこ、こんな所から逃げ出したい。その思いだけが、この脱出行を続けていられる力になっていた。
 あまりに長い時間走り続けていたせいか足の感覚が麻痺し始めた頃、目の前にうっすらと、だが確実な光が目に飛び込んできた。
「出口だ!」
 俺は心の中でそう叫ぶと、麻痺しつつある足をおして光の見える方へと体を進ませていく。実質的に光を見ていない時間はごく僅かだと思うが、俺自身にはものすごく長い、永遠の時間のように感じられた。光までの長く傾斜の厳しい斜面を登り、俺は光の中に身を投じる。外の世界の光は、短い間であったが、囚われの身であった俺に自由と言うものの素晴らしさをを感じさせてくれた。
 中央に奴らの情報を伝えるため、俺は走った。俺がどこに連れ去られたのか全く見当もつかなかったが、とにかく俺は走った。

 走り続けて数日、俺は平原の中をさまよっていた。どこにも町らしい物は見えない。脱出時の喜びと幸福感はどこへ行ったのか、再び俺は絶望に打ちひしがれながら歩き続ける。 突然、俺の体が何かにぶつかって前に進まなくなった。周りには俺の足跡以外何も存在しない。まるで透明な壁が俺を阻んでいるような……。
「ま、まさか、これが辺境に現れた見えない壁って奴なのか?」
 これがもし本当に見えない壁ならば、俺は予期していた方向と全く逆へ進んでいたことになる。ここ数日信じていた物が音を立てて崩れていくという、精神的に追い打ちをかけるような事実に俺は全ての力を使い果たしてその場に倒れ込んでしまった。
 かすみ始めた目には、奴ら「黒い侵略者」の姿が映っていた。もうじき俺も戦場の兵士達と同じように奴らの食糧となり果てるのだろう。どのみち逃げられっこない。中央の奴らも、やがて来る俺の未来と運命を共にするに違いない。一度囚われの身となった俺に、自由なんてものは存在しなかったのだ。
 こんな状況なのに、心のどこからか笑いが生まれてきた。力のない自嘲の笑い。今の俺にはその程度のことしかできなかった。なぁ、せめて最期は笑ったままにしてくれよな……。

「あっ、ほら、食べてる食べてる。へぇ、こんな風になってるんだぁ」
 目の前の光景に、好奇心をそそられた少年が興味を示す。
「八月二七日、巣が出来た。中は思ったよりも入り組んでて……」
 隣の少年が内容を復唱しながら、ノートへと書き込んでいく。
「よし、夏休みの自由研究、何とかなりそう」
 ノートを書き終えた少年が満足げに笑みをこぼす。
「ずるいよなぁ、高広は。アリの巣の観察なんてすぐに出来そうなテーマ選んでさ」
「いいじゃないかよ、ギリギリになって思いついたのがこれしか無かったんだからな」
 二人はそんな事を言い合いながら缶ジュースを手に自由研究の続きに入る。
「でも、お前の昆虫採集より……あっ、まだ食べてるよ。虫が好きなのかな、このアリ」
 プラスチックで囲まれた容器の向こう側で展開されている捕食風景を、二人は好奇心に彩られた瞳で見つめていた。「見えない壁」の向こう側で何が起きていたのか、知る者はいない。