「私がですか? しかし……」
「まぁ、気が進まないというのは分かる。ただな、うちの研究員で参加できるのは君ぐらいしかいないからね」
一年前のある日、私は所長に呼び出されていた。大学・大学院では生物学を専攻し、その時の教授からここの研究所を紹介してもらった。その時の論文のテーマは、分かり易く言うと「生物の掛け合わせ」である。農業、とりわけ稲の栽培などでよく目にするあれだと思っていいだろう。事実、ここも傍流として、そういう研究は行っていた。
「確かに私は修士論文でそのテーマは扱いました。ただ、そんな事が実際に出来るかどうかは……」
「それを研究してみるっていうのが目的だと思わないか?」
その言葉に、私は黙って頷く他無かった。
あの時から私は通い慣れた研究所を離れ、今はこの研究機関に来ている。前にいた所よりは建物や研究員数の規模が大きいので、栄転と言えば栄転なのかもしれないが、私自身はどうも気が晴れない毎日が続いていた。
「どうだい? 進んでる?」
私はその声でふと我に返り振り返る。そこには同僚の西沢が微笑みながら立っていた。「西沢か……ようやく植物は基礎理論が役立つようにはなってきているが……」
ため息混じりに答える。正直言って私は今の仕事に満足してはいない。私にはもっと私にしかできないことがあるはずだ、と思っているからだ。
「ふふー、お前やる気無いだろう。そんなお前に一つ、企画を持ってきてやったんだよ」
西沢の言葉に半ば怒りを覚えながらも、とりあえず耳だけは傾けることにした。どうせまたろくなものではないだろう。こないだなんかは「炭酸入りの緑茶」を商品化しようと思うんだがなどと言っていたが……。
「どうだ、植物ばかりで飽きてきただろうと思ってな。今度は動物でやろうと思うのだがどうだろうか?」
西沢の言葉に私は動きを止めた。視線を彼の方にゆっくりと向ける。西沢の表情は依然として笑顔のままだったが、その目はどうも嘘を言っているようには見えなかった。
「そう、動物さ。それで何をするかはこれを見てもらおうかな」
そう言って西沢が机に差し出したのは分厚い企画書だった。表紙には「新たなる『種』を探る」というタイトルがふられている。
私は企画書のページをめくりながら、信じられないことが始まろうとしているという事に絶句した。動物同士の融合。動物の掛け合わせを行おうと彼はしていた。確かに、私はこの手の研究に昔から興味はあった。だが。
「この企画な、どうも俺一人では難しくてね。だからお前に助太刀願おうかと思ってさ」
外見は飄々とした西沢だったが、この時は妙にその感じが不気味にさえ感じられた。
「企画の趣旨は分かる。理論的にも不可能じゃない。だが、これは……」
「理論的には可能だ。俺達の研究に確実にプラスになるし、研究費も増額できる」
西沢の目は真剣だった。あれは研究者の目。一つの物事をいつまでも追い続けることの出来る目だった。
「しかし、しかし……いくらなんでも『人間』はまずい……倫理的に不可能だ!」
私が引っかかっていたのはその点だ。「人間」を研究材料として扱うこと。その一点だ。
「……高崎、お前、俺達の、いや自分の研究に自信がないのか?」
西沢の一言が深く胸に突き刺さる。確かに、理論的には不可能ではない。私や西沢の知識と技術をもってすれば企画の目的を達成することも出来るだろう。
「俺達は正しい。間違ってなんかない。だが、理論には根拠が必要だ!」
「合成種を創る」それが私達の目標だった。それも「人間」と「蝶」の合成種を。童話やおとぎ話に出てくるような「妖精」を現代に生み出すというのが西沢企画書の内容だった。当初、研究所の所長は一笑に付したものだが、私と西沢が半ば強引に企画を認めさせる形で研究は進んでいった。
……そして、私達の努力は様々な紆余曲折を経て、ようやく実を結んだ。蝶と人間の合成種が誕生したのだ。蝶の美しい羽根と触角を持っているが、その他の外見は正に人間そのもの、というもの。彼や彼女らはその羽根で飛ぶことも可能だという事も私や西沢を大いに喜ばせることだった。私達の研究は成功した。
……そう、思っていた。
彼らには繁殖能力が無かった。同種の雌雄で受精し、繁殖しないのだった。私達は様々な側面から追究し、原因を探ったが一向にそれは分からずじまいであった。
「何故だ、何故繁殖できない? 何か原因があるはずだろう、西沢!」
「……高崎、もう終わりにしよう。生まれても繁殖できないのなら生物として失敗だ。この種は破棄だ。これ以上の飼育は無駄だしな」
「西沢! お前……」
大声を張り上げた私だって、その事は十分に承知していた。西沢が言い出さなかったら、私が先にこの事を口にしていただろう。
七十一%が孵化前に死亡、二十五%が孵化後に死亡、残った個体も繁殖しないことが判明している。その場限りの合成物でしかなかった。神様ごっこは、失敗だった。
その「合成物」の最後の生き残りが目の前にいる。清楚ですっきりとした顔立ちの少女だった。人間で言えば十六、七といった所だろうか。短く切りそろえた紺色の髪が印象的だった。
何故、この娘が私の前にいるか?
「高崎、こいつを預かってみないか?」
「……どういうことだ?」
「高崎……独身の一人暮らしなんてお前ぐらいしかいないだろう?」
西沢の口元が不器用に歪む。
「……ああ、そういうことか……」
本当はさっさと殺してしまった方が良かったかもしれない。本物の蝶でも飼っていた方がよっぽどマシだったと今でも思う。
「喋れないのは分かっているが、少しは笑顔の一つでも見せたらどうなんだ?」
彼女から何も返答はない。妙に苛立つ。彼女の赤い瞳がじっと私の目を見つめているだけ。苛立つ理由、そんなものは分かっている。
「ふん、ご主人様のお帰りだというのに」
私はスーツを脱ぎながら、悪態をつく。その間も彼女はくすりともせずにじっと私の方を見つめていた。
「先にベッドに行ってろよ。どうせお前のできる『生物らしい』ことなんてそれぐらいしかないからな」
早めに処分してしまった方が良かったかもしれないと何度も思った。だが、そう簡単に殺すわけにもいかない。なにしろ半分は人間だからだ。だから、私は彼女を私のために利用しようと考えていたのだ。
数分後私は、彼女をベッドの中で抱いていた。彼女を「利用する」とはこういうことだった。同種間で受精しないのなら、彼女を抱いたとしても何ら問題はない。少なくとも私はそう考えていたし、西沢ら同僚連もそう考えているのだろう。さしずめ「無料の娼婦」そういった感じだった。
一通り情事を終えて、私と彼女はシーツにくるまっていた。恋人同士なら甘い一時でも、この時は別にそんな気になれなかった。横には裸になった彼女の姿、私は自分の性欲処理の為だけに彼女を抱いているようなものだった。しかし、「消せない失敗」である彼女がいつまでも目の前にいることは私にとって重い苦痛となって残っていた。
「なぁ、お前……」
私は彼女の方を向く。こいつに苛立つ原因は彼女自身……「失敗作」が目の前に存在し続けているからだ。ならば……。
「生まれてこなかった方がよかったとか、思わないか?」
私は彼女の首に手を掛け、一気に締め上げた。ギリギリと手に力を込める。彼女の喉元からかすかに息が漏れ出す。見開かれた目は真っ直ぐに私の方を向き続けている。このまま締め続ければ、彼女を殺せる。失敗作を葬り去ることが出来る。
だが、私には出来なかった。私は手を緩め、ふと我に返る。彼女は激しく咳き込みながら振り返った私の背中を見つめていた。
「すまない、悪かった」
絞り出すように言う。謝ったところでどうにでもなるようなものでもなかったのだが。
「何も言わないでくれ。分かってるんだ」
彼女は何も言わずに私の背中にそっと抱きついてきた。彼女の柔らかな肌が心地よい。
ああ、そういえば、彼女は喋れないんだったな。すっかり、忘れていた……。
あれから数ヶ月。私と西沢は普段の研究に戻っていった。各々の研究に勤しんでいたが、この日私は体調が悪く、早退することにしていた。
「どうした? 最近顔色も悪いし、どこか悪いのか?」
「ああ、最近どうも腹が痛い。日増しにひどくなってくるんだ」
「そうか……どころで、あいつは一体どうしてる? 元気か?」
「ああ……家に来て四ヶ月になるが、最近妙に大人しい。死ぬのかもしれんな。よく保った方だと思う」
私はそれだけ言い残し、研究所を後にした。腹は相変わらず激しく痛んでいた。まるで、内側からえぐられるような、そんな痛みだった。
数十分後、玄関のドアを開けた私は一層激しい痛みに襲われた。思わずうずくまって、腹の方に手をやると、生暖かいぬるりとした液体が私の手を濡らしていた。
「あ、あ、うわああぁっ!」
手にはべっとりと生々しい血がついていた。その衝撃と痛みで私は床に倒れ込んだ。
ふと見上げると、そこには「彼女」が今まで見せたことのない微笑みを浮かべて立っていた。
顔を上げると、そこにはもう一体、彼女とほぼ同じような格好の少女がその美しい羽根を徐々に伸ばし、誕生の喜びを全身で表していた。彼女もまた、私の方を見ながら微笑みを浮かべている。
「ああ……そうか、これはお前の『子供』か……」
私は彼女の子供を見た瞬間、全てを理解した。生きている他種の体内に卵を産み、そして繁殖していく、ということを。
いや、それでいいんだ。
それを、私は求めていたんだ。
その姿、美しいじゃないか……。
「なに、高崎が死んだ? それで、あの実験体は……?」
西沢ら研究員の必死の捜索も空しく、彼女とその子孫は未だに発見されていない。
終