案内人紹介

*住まい* 生まれは佐田岬半島の先っぽに位置する三崎町の名取。
そして、現在は、半島の付け根に位置する保内町の宮内地区に住んでいます。

*いきさつ* 2000年からの3年間「ほない町並み学習会」(仮称)として、年に10回ペースで「スライド上映」や「現地を歩く」などの学習会を開き、その結果を会報として発行してきました。
(「ほない町並み通信」0号から9号まで、「ほない 見・聞・録」1号から18号まで)

このホームページにはその会報からの文章を中心に載せていく予定です。また、回数は減り、会報という形で発行することもしなくなったのですが、学習会は今年度(2003年)も行なっています。その様子なども載せていきたいと思っています。(2003年8月17日記)


なぜ「九里四里」?
・・・ただ、この3年間を経た今、自分の中で もう少し範囲を広げたい という思いが強くなってきたのです。つまり、歩いた「ほない」がそうであるように、他の地域だって・・・や、とにかく住んでいるここのことならなんでも知りたい と思うようになってきたのです。 ですから、できれば「佐田岬半島」を意識しながら、活動していきたい。そして、どうやら会独自の学習会を設定するよりも、他の活動と連携しながらの方が講師や会員の方々の負担も少なくてすみそう・・・と思うようになってきました。そこで、勝手なのですが、会の名称を「九里四里会」(仮称)とし、主な活動は「さまざまな学習会への参加およびその報告」ということにしたいと思います。・・・ ・・・(会報の作成は今のところ、今までの方法では自信がないので、予定はたてないでおきます。)・・・
以上 2003年5月28日作成の会員向けの文章から転載(2003年9月8日記 としておきます)


--わたしが「まちなみ」に関心を持つきっかけとなったシンポジウムのメモ--
平成11年9月19日(日) 午後1時30分〜  ところ:保内町中央公民館 主催:保内町商工会 町並活性化委員会
犬伏武彦さん・・・25年前 遊びから始めた。古い建物、家の写真にとっては老人たちの話を聞いていた。

建物を文化財として残そう・・・建物の価値をどう決めるか?形、歴史だけでなく、人、物を出した、作ったというところまで広げよう。
町並みを残すことはその土地の歴史を残すこと。
昔の方が材料、生活に統一性があったろう。今は雑然としている。
永見進夫さん・・・内子での活動は17年前。稲見さんからは10年前に。建物は約120年前のもの。古い材料を生かして修復する。失ったものはとりもどせない。
一番に、自分たちの町を知ることが大事。水、光、青石、レンガ、緑。保内は自然に恵まれている。必要なものだけを残していこう。
 以上、紙に書いてあったものから一部。(2003年11月24日記)


--「丸山国夫先生追悼文」(保内町社会教育課)で、わたしが書いたものの末尾--
  「小さいときはここ(柳谷銅山)でよく遊んだものですから・・・」と笑顔で話された先生。
「(疑問を)持ち続けていれば、そのうち必ず(解答に)出会います。」とアドバイスもいただきました。また、「それでは町の財産にならないから。」と自分を語ってもくださいました。
 これからも先生に出会えるよう歩みたいと思います。そのときはまたお話お聞かせください。ありがとうございました。(2004年1月14日記)
*丸山国夫先生・・・2003年8月17日、長年保内町の歴史研究分野において多大な功績を残された〜逝去されました。(追悼文寄稿についての依頼文から転載)
補足:私が丸山先生に初めてお会いしたのは、Yさんの紹介でした。先生からいただいた「今出銅山の発祥 片河銅山 平成六年日土史談会」の最終ページに「2000/4.29(土) Yさんと先生のお宅に伺う。いろいろな話を聞かせていただいた。」とメモしてあります。そのとき、この本の中の「八組探遊記」についてさっと解説してくださったのです。