2003年の4〜6月に、愛媛新聞(南予版)の「皮てんぷら」に連載された文章です。 今回、筆者:金石 文さんの了解をいただきましたので、掲載させていただきます。(記:04年4月2日)
第1回 <雛飾り>
わが家では、桃の花が咲く旧暦に合わせて雛(ひな)祭りを
する。桜や梅に比べおおぶりで派手な桃の花は、田舎の春によ
く似合う。その色は子供らのほおの色にも似る。
初めて子供を産んだのは九年前。その約二年後に二人目の子
供ができた。二人とも女の子だ。
それまで、意思のあるところに道があると教えられてきた。
がんばれ、がんばれ、と言われてきた。だけど、小さな赤ん妨
の胸の奥の休まぬ鼓動もあふれる乳も、人の意思の外にあった。
季節をたがわず咲く野の花も、沈む夕陽もそれと同じ。人の選
択の外にあるものがいとおしくなった。
小鳥たちが、春の歌を歌いだした。ウグイスはウグイスの、
イソヒヨドリはイソヒヨドリの、姿と声で鳴くあたりまえの
不思議さを思う。来月にはミカンの花が咲くだろう。それはわ
が家の生活の糧となる。第一次の生産者であること、産む性で
あることの幸運を感じる。
先日、子供たちといっしょに雛人形を飾った。雛にどんな願
いを託そうか。「大きくなったら何になる?」の問いに、下の
娘が答えた。「おっぱい大きくなって、赤ちゃん育てるが」。
いずれ、また違うことを言うようになるだろうけれど、これは
彼女の、今の満足の言葉と勝手に受けとり喜んでいる。 (03年4月1日)
第2回 <草刈り>
新学期になり、子供たちの新しい一年が始まった。かんき
つ農家にとっても、春は次の収穫のための始まりの季節に
なる。
枯れ野だった畑にも、今や野の草が背高くはびこる。小さな
ミカンの苗はその勢いに負け、下技に日が当たらなくなる。そ
して、夫は私に苗木の根元の草刈りを命じるのだ。日焼けを気
にしながらそれに従いかまを手にする。ペンペン草やホトケノ
ザも、こんなにも背が高くなるのかというくらいよく伸びてい
る。雑草とさげすまれる彼らも、その勢い故かなかなかの美し
さ。オオイヌノフグリの群落は、昔、母がつくってくれたブロ
ードのブラウスの模様を思わせる。顔を近づけてみる、ミツバ
チの姿も愛らしい。
春の花は再生の約束。荒れ地や河川の護岸を覆う小さな花々
は、宮崎駿の「もののけ姫」のラストシーンを連想させる。そ
して、それらをかまで刈るわが右手。私たちはアシタカの子孫。
文明の象徴ともいえるヒトの右手は、いつかその身を破滅に追
い込むのか。右手ののろいはいまだ解けず。古代より文明の栄
えたかの国々は、既に草の生えぬ土地になりつつあると聞く。
さて、右手を山犬に食いちぎられたエボシは、その後どんな
村をつくったのだろう。 (03年4月8日)
第3回 <ホオタレ>
近所の人が魚の卸しの仕事をしていて、週に一度、安く魚を
届けてもらっている。その日に八幡浜で水揚げされたばかり
の、新鮮な旬の魚が食べられる。見慣れたアジやイワシも、こ
んなに美しい生き物だったかと思う。先日は、きれいなホオタ
レ(カタクチイワシ)が届いた。ホオタレは、私の好きな魚の
一つだ。
私の実家は八幡浜市の川上町で、目の前はすぐ海だった。今
は埋め立てられて道ができ、海は遠くなってしまったが、かつ
ては、ニナ貝が岸壁にはりつくようにして建つ家だった。海の
中を見下ろせば、ホオタレの群れが泳いでいるのがよく見え
た。それを、隣の家の人がすごく簡単そうに大きなてんこ網で
捕って、私たちにも分けてくれた。それを、母がてんぷらや刺
し身にして食べさせてくれた。おいしかった。
うちの子供たちは煮物にして食べるのが好きだ。それではと、
頭を手でもぎ取ると、内臓もついてくる。見れば、オレンジ色
の卵。小さな魚の小さな卵。それらは、私の手で次々とむなし
くなる。
生きることは、食べること。食べることは、他の生き物の命
をもらうこと。その残酷さと、悲しさと、ありがたさを、この
子たちにも知ってほしい。切り身の魚じゃ難しい。そして、せ
めて唱えたい。
合掌、いただきます。 (03年4月15日)
第4回 <草だんご>
ヨモギが新芽を吹くころになると、祖母を思い出す。祖母は
気丈な人だった。
私の父は早くに死に、母は外で働いていたので、祖母が一人
でミカン山をきりもりしていた。既にトラックが当たり前の
時代に、リヤカーを引いてミカン箱を運んでいた。幼かった私
たち姉妹の面倒をみていてくれたのも祖母だったが、働き者の
年寄りが時にそうであるように、祖母は小さな子供の機嫌取
りが苦手だった。私も母が恋しかったので、祖母と私はそれほ
ど親密な間柄とは言えなかった。
しかし、そんな祖母が作ってくれた草だんごは大好きだっ
た。祖母の草だんごは少し特殊だ。だんご粉などは使わず小麦
粉で生地を作る。それにヨモギの新芽をゆでてつぶしたものを
混ぜ、あんを包んで大きな鍋でゆで、仕上げにきな粉をまぶす。
直径五aのまんまるのだんごは、小麦粉だんごにもかかわら
ず、何日間もやわらかくおいしかった。春のある日、学校から
帰るとこのだんごが皿の上に山盛りになっているのだ。
祖母は山でかなりのケガをすることもあったが、決して病院
へ行こうとしなかった。祖母が傷口にはったのは、やはリヨモ
ギをもんだものだった。そして、あるときのケガがもとで長い
入院生活に入り、そのまま亡くなってしまった。
母も私も何度か祖母のだんごをまねてみたが、決してうまく
いかない。ヨモギの季節は少し切ない。 (03年4月22日)
第5回 <小さな冒険>
友人に誘われ、子ども連れで保内町磯崎の夢永海岸にでかけ
た。瀬戸内海の波で丸く平たく削られた青石の浜で、子どもた
ちは飽くことなく遊ぶ。浜で弁当を食べた後、喜木津に移動す
る。この海岸の延長には佐田岬半島があり、入りくんだ浦々の
それぞれに集落があり、人の生活があると思うと、いとおしい
ような切ないような気持ちになる。この喜木津も磯崎も、前が
海、背には山。その間に人が住み、田畑を耕し魚をとる。「食
うに困らぬ生活」で人が満足している間は、この集落も活気が
あったのだろう。昨年で閉園になった海辺の保育園が寂しい。
喜木津の集落を散策してみた。八坂神社で手を合わせ、裏
の細い山道を登る。石積みの階段、コケむした小さなお寺、畑
の横の細い下り道。葉桜も、もう終わり。道端には野イチゴの
花が咲く。子どもたちは誘われるように先を進む。行き先も知
らない、目的もない。つまり、きっとこれは小さな冒険なの
だ。
冒険には危険がつきものだが、一方、日本は世界でも類を
見ないほどの安全な国と言われる。人間の意志と目的に沿った
ものだけで構成された都市社会。そこでは現実は予定の後を
追うだけのものになる。「日本人は今を生きていない」と言っ
たのは誰だっけ。だから子どもには冒険してほしい。
その時、小さな茶色いものが道の脇の溝を走った。子どもた
ちが追いかける。多分イタチだろう。ほらね、冒険には「思わ
ぬ発見」があるでしょう。 (03年4月29日)
第6回 <神様の木>
私の家の裏はなだらかな山で、そこにエノキの木がある。
かつては幹回り四b、高さは三十b近くあったと思う。その木
に幹回リニbもあるフジの木が寄り添っていた。根元には小さ
なほこらがあり、地主さんがおまつりしていた。初夏にはフジ
の花がエノキの木に咲き、秋には赤くて甘い実を辺りに降らし
た。渡り鳥はその枝に羽を休めた。フクロウやアオバズクも鳴
いた。
ところが昨年の夏、突然、西向きの一枝を残して他の四本の
大枝が裂けるようにして折れた。痛々しい姿を夏の日にさら
した。数日後、神の許しを請う祝詞が唱えられ、残りの一枝に
チェーンソーの刃が入れられた。エノキは半分くらいの高さ
になった。ひどくバランスを欠いた格好になったが、木が倒れ
るのを恐れての、やむを得ずのことだった。
エノキの根元には今もほこらがあり、さらに下手には小さな
墓が二つ立っている。「源兵エ、三七、宝暦、文政」の文字が読
める。宝暦は十八世紀中ころ。文政は十九世紀初め。源兵、三
七もこの木を見上げ、エノキは彼らを見送ったのだろうか。こ
のエノキの樹齢がどのくらいなのか、私には見当もつかないけ
れど、人の齢(よわい)をはるかに超えるいのちを思う。この
春先、残った枝から出た新芽が、今は若葉となっている。これか
らさらに枝を伸ばし、かつての姿をとり戻すことがあるのだろ
うか。もしあるとしたら、そのころには私も多分土の中。 (03年5月7日)
第7回 <戦場のピアニスト>
二カ月前のことになるが、映画「戦場のピアニスト」を見た。
ポーランドのユダヤ人ピアニスト、シエビルマンの自伝を映画
化したものだ。この作品で、エイドリアン・ブロディは本年度
のアカデミー賞の主演男優賞を受賞した。
戦場でピアニストがピアノを弾いたのはドイツ人将校に聞か
せたときだけ。あとは逃げて食べ物を求めることに終始する。
バケツの水を飲み、芽の出たジャガイモを食べる。髪の毛やひ
げが伸び放題の姿は、先史の人を連想させる。そして、すさま
じいまでの命への執着。それは、皮肉なことに平和なこの国で忘
れられがちなことかもしれない。唐突に思われるかもしれな
いが、手塚治虫の漫画「ブラックジャック」が、なぜ患者から
高額の治療費を請求するのかが分かった。極限状態をつくって
いるのだ。言葉にすればひどく陳腐に響く。「お金より命が大
事」
ところでシエビルマンの家族はどうなったのか。狂人となっ
て夫を捜していた女はどうなったのか。ドイツ人将校はどんな
最期を迎えたのか。彼らはせいぜいただの数字としてしか歴史
に残らない。彼らの物語が知りたい。
義父はビルマから帰還した後、義母と結婚した。そして、
夫を含む四人の子供が生まれた。義父があの戦争で死んでい
たら、夫も私の子供二人も生まれていなかった。今の私たちの
命も奇跡のようなものだ。 (03年5月13日)
第8回 <潮干狩り>
子供たちにせがまれて潮干狩りにでかけた。場所は八幡浜の
実家近くの海。佐田岬半島の青石と違って、ここの石は黒くて
ごつごつしている。その石の下には小さなカニ、それから足が
なかったり、多過ぎたりする生き物がいる。岩には動物とも植
物ともつかない生き物がはりついている。「何これー。気持ち
わるー」と、子供が言う。見れば、クモヒトデの足が石の下か
ら二本のぞいていた。
分類学上の位置付けが素人の目に難しく、人の形態から遠
いこの手の生き物は、一般に嫌われる。人は目の前からなる
べく締め出す努力をしてきた。私だってそうだ。だけどこう
やって磯で多様な生き物を見ていると、人の世の外にも世界
があることをあらためて思う。私たち人間もきっとこんな所か
ら来て、こんな所へ帰るのだろう。そして、一皮むいた体の
中に、彼らに似たようなものを私たちはもっている。不気
味という言葉は、時にいのちそのものに投げかけられるように
思う。そう言えば、映画「千と千尋の神隠し」の湯屋の従業員
はカエル男とナメクジ女だった。
アサリもさがせばいるのだろうけれど、今回の目当てばニ
ナ貝。私が子供のころは、潮が引くと祖母といっしょに採り
に行った。かつての私のように子供たちも夢中で貝をさがす。
「あんまり小さいがは採ったらいけん。海に帰してあげな
はい」と私が言う。これは祖母に習った言葉。 (03年5月20日)
第9回 <歯の寿命>
歯医者通いが続いている。次々に見つかる虫歯に、情けない
気持ちになる。特に歯と歯の間がよろしくない。加齢で歯茎が
下がって、歯間に虫歯ができやすくなっているのだと歯科衛生
士さんに言われた。歯茎も年を取っているのだ。少しがっくり、
三十七歳。もっとも物心がついたころから歯医者さんにはお世
話になりどうしだ。
うちで飼っている猫は歯磨きはしないが虫歯なんてない。野
生の動物も、私の遠い先祖もそうだった。これは食習慣の違い
によるものだと言われる。炭水化物や砂糖の多量摂取と軟らか
い食べ物へのし好が元凶だ。しかし、ならばと縄文以前の食生
活に戻るには、私はあまりにわがままだし、文明病としての虫
歯の歴史もあまりに長い。
夫に「このままでは五十歳になるまでに総入れ歯になる」と
嘆いてみせたところ、もともと人間の歯は五十年か六十年の寿
命だと教えてくれた。夫の表現が正確かどうかよくわからない
が、なるほど厚生省の歯科疾患実態調査報告によれば、五十歳
をすぎたあたりから、人は急激に歯の数を減らすらしい。こう
言っていいのだろうか。「かっては歯の寿命は人の寿命だっ
た。生きるために食べ、食べるために欠くべからざる歯だっ
た」
現代人の歯は退化傾向だともいう。歯とともに人が失おうと
しているのは・・・。 (03年5月27日)
第10回 <蟷螂の斧>
さっき玄関で「行ってきます」を言った小学生の子供が、大声
で私を呼ぶ。見ると、庭のツツジに、何匹もの小さなカマキリ
の子供が群れている。生まれたばかりだ。卵も見つけた。三角
形の頗は親とそっくり。ちゃんと小さなかまも持っている。
実は昨年末、大きな腹のオオカマキリが、このツツジにいる
のを子供と見つけていたのだ。だから本当にうれしい。子供も
同じ気持ちだといいと思う。夏、オオカマキリにつかまえられた
セミが、断末魔の声を上げているのに出くわすことがある。こ
の幼子たちは、まだひ弱いけれど、このうちの強運の何匹かは、
夏の野に君臨するかもしれない。
解剖学者の三木成夫は、その著書「ヒトのからだ」(うぶす
な書院)を、次の一句で結んでいる。
蟷螂(とうろう)の尋常に死ぬ枯野かな 其角
蟷螂とはカマキリの異称である。夏威勢がよかったカマキリ
が冬という季節に死ぬ。それを 「尋常」と詠んだ。この子らの
母親と思われるあのオオカマキリも、同じ運命をたどったのだ
ろう。
「蟷螂の斧(おの)」という言葉は、弱者の無謀な抵抗の愚の意
に使われると知った。しかし、この愚以外にカマキリの生き方は
なく、その抵抗は生と死という尋常に対するものに思える。そ
して、それは人の姿にも重なる。
夕方、カマキリの子の一匹が、緑色の小さなクモに捕まってい
るのを見た。この死もまた「尋常」というのだろう。 (03年6月3日)
第11回 <小さな獣>
私の住む地区を流れる宮内川は、平凡な二級河川だ。今の季
節になって、この川で遊ぶ子供たちの姿を見ることが多くなっ
た。男の子も女の子も。あるときは川の石で堰(せき)をつく
る子供がおり、あるときはバケツにカニを捕る子供がいる。傍
らには、ランドセルが投げ置いてあることもある。もちろん、
網を手にハヤを追いかける子供の姿もよく見かける。ひざから
下を水につけ、真剣な表情で水中を見つめる。それは、生まれ
ながらの狩猟の動物。
私にも覚えがある。残念ながら川遊びじゃないけれど。子供
のころ、家の庭に小さな池があって、金魚を飼っていた。私は金
魚に触りたくて、一匹の赤い金魚に狙いをつけ、毎日のように
その金魚を追いかけまねした。何日かして、金魚は弱って死ん
でしまった。私の胸は痛んだ。でも、あのころ私は、金魚の思いが
けなく強い筋肉の動きを確かめることに、魅了されていた。それ
は「いのち」を感じることだったし、自らの生まれ持つ「残酷さ」
を知ることだった。
あと一カ月もしたら、本当の夏になる。日焼けした小さな肩
に、金色の産毛を光らせた"小獣″に会えるだろう。「船跡の
宮(三島神社のこと)」「出石の峰」とともに、娘たちの通う
宮内小学較の校歌に歌われる宮内川。近所の男の子が、ミズカ
マキリがいると教えてくれた。今も子供たちをはぐくむ川であ
ってほしい。 (03年6月10日)
第12回 <星に願いを>
真夜中に目を覚ます。時刻は午前二時。二階の窓から外を見
る。家の明かりは消え、国道を走る車も少ない。いとしい人た
ちは夢の中。この世で一人きりになった気持ちで空を見る。月
もなく、雲もなく、今夜は星が美しい。星々に誘われ、こっそ
り外に出る。この時間になると、もう夏の星座が見られる。はく
ちょう座、こと座、わし座は天頂に近い。こと座とわし座はそ
れぞれおりひめ星、けんぎゅう星の名でよく知られた星をも
つ。南の空にはさそり座が、赤い星、アンタレスを胸に光らせ
ながら横たわる。私の知ったかぶりもここまで。他の小さな星
々の名前も呼びたくて、星図をとりだし夜空と見比べる。
夜空に星座を描き見た最初の人は、五千年前も昔のカルデア
人と知る。文明もあけぼのの時代。宗教も素朴なものだった。
人の社会も正義も、その時代から幾度ものむなしい変遷を経て
きた。星のいのちも永遠ではないのだろうけれど、今、私が見
ている星々は、古代の人が見たそれとほぼ同じ。人為のもろさ
に比べれば、その美しさは普遍に近い。
さて、この星々にどんな願いをしよう。やはり、かの国に住
む人々の幸せか。カルデア人はメソポタミアの遊牧民で、その
地は今のイラクにあたる。 (03年6月17日)
第13回 <巡るもの>
子供たちと伊方の豊の浦の浜で遊んだ。国道197号から海
岸へ下りる道へ車を入れる。途中、この地方で時々見られる、
大男伝説にまつわる大わらじが奉納されていた。浜に下りると、
子供たちは貝がらやきれいな石、シーグラス(波で丸く削ら
れたガラスのかけら)などを拾う。二羽のトビが砂浜に影を落
としながら飛ぶ。潮だまりには小さなハゼが泳いでいる。子供
たちはそれを捕まえようとするが、なかなかうまくいかない。
ようやく捕まえた一匹は手の内でもがき、指の間をすり抜けて
水の中に落ち、素早く石の下に隠れた。子供たちは夢中になっ
た。波の音は穏やかに響く。
波を「いのち」のありように例えた人がいた。打ち返す波は、
いつも同じようであって、違う波である(今日の私は昨日の私
と同じようであって違う。細胞が絶えず入れ替わっている)。
そして波打ちながら少しずつ満ち干をし、それを繰り返す(そ
うしながら私は少しずつ長じて老い、いつか死んでしまうが、
後には次の世代が続く)。
私に似た、そして私も知らない多くの人の面影を残している
であろう二人の娘は、今や砂地に素足を下ろし、砂と波の感触
に歓声を上げている。今度来るときは水着を持ってくることを
約束して海を後にした。佐田岬の山々は緑にあふれていた。季
節が巡ろうとしている。何かに感謝したくなる。 (03年6月24日)
|