〜〜 投稿の程 よろしくお願いします。 〜〜
2004年1月29日 三崎町三崎で
時間があったので、たしかお地蔵さんがあったはず・・・と少し本三崎の中を歩きました。
そして、再び出会ったのがこの”龍”。これも鏝絵?と思うのだが、他に言いようもないので・・・。
ちょうどいらした家の方に尋ねると、「その向こうが伊達のお殿様がお泊りするときに馬を止めたところらしいです。」とも語ってくださった。
こうやって歩いて見ると、家紋入りの瓦があったり、祠の裏に青石でまるく築いた井戸があったり・・・となかなかおもしろかった。(案内人)
2004年1月25日 伊方町二見地区で・・・
石は溶けるんでしょうか? と最近気になってきました。この写真は今日撮影した「伊方町二見地区」の物。立派な民家を支えている石垣の一部でこのようになっていました。そして、次のこの写真は20日に撮った三崎町名取の物。こちらは溶けるというよりもともと石が柔らかくて風化による傷みが目立つといった感じではあるのですが・・・。
ところで、今日うかがった二見地区のお家で興味深いお話を聞かせていただきました。簡単にまとめると、
明治40年生まれのご主人は、一緒になる前の、戦前9年間ほどオーストラリアへ行って真珠貝の採集に携わっていたとのこと。といっても体の都合で潜って・・・というわけではなく、船から手伝っていたとのこと。そして、戦後の昭和28年ごろにも経験を買われて再びオーストラリアへ3年間行かれたという。そのとき、12歳から3歳までの5人の子どもを抱えてたいへん苦労をなさったという。「”行くほうも行くほう、行かせるほうも行かせるほう”とよく言われました。」としめくくられました。
ときおり、読んだことのあるこの地方の人のオーストラリアでの真珠貝採集のお話。生でうかがったのは初めてでしたから、驚きました。九町の氏神様に「真珠貝の額」を奉納していたけれど、いつのまにかなくなっていたとも語ってくださいました。
それとは関係ないのですが、その方(大正7年生まれ)が昭和14年に嫁いできたときのお家の便所の扉の写真も添えておきます。好きなんですよね、こういった簡単なつくりの中にもデザインふうなものが感じられて・・・。その他にも屋根に煙出しが備わっていたりで、あれこれと気になるお家でもありました。(案内人)
2004年1月23日 わぁ、積もった。
21日夜からの雪がそのまま降り続き、22日は大雪になっていた。日中も、朝の足跡をまた消すくらいには降った。ということで、一日のんびりと過ごす。
23日もそのまま雪は残り、道路のタイヤの跡はしっかりと凍っている。午前中はスコップを持ち、必要に迫られての雪かき。現在は腕が痛い!腰が痛い!足がだるい・・・の状態。それでも、図書館へ本の返却に。すると、玄関の自動ドアの前にちょこんとおりました。ちっちゃな雪だるまさんが・・・。(案内人)
2004年1月20日 久し振りに名取の海岸へ
母が「今日は14日やけん、お墓にまなご石を持って行く日や。」と言う。日にちはともかく、気になることなら・・・と走った。まずはクロチの浜へ。この海岸には、近くではめずらしく丸い白い石がある。それをまなご石といって、お墓に供えるのである。また、出石寺に持って行って、下の地蔵さんに供えるとのこと。そして1個だけ借りて帰り、願いが叶うともどしにまた行くのだと言う。
帰ってから、今日のような日のことをなんと言うのか尋ねると「6日と14日を としのよ といって、神々にも餅を炊いて供えるのよ。」と言う。う〜ん、まるっきり知らなかった。
ところで、この「まなご」が以前から気になっていた。思い切って小学館「日本国語大辞典」(昭和50年発行)で見てみると、「真砂」・・・方言「小石、砂利」〜徳島県海部郡 「愛子」その人がかわいがっている子。最愛の子。いとし子。 あたりが気になるものの、そのものずばり「眼」かもしれないなぁとも思う。ただ、こうして並べるとやはり単純に「小石、砂利」でいいのかな?
もう一つ。この白い石の正体は実は「石灰質片岩」。「愛媛県の地質鉱物」(平成15年3月発行 愛媛県教育委員会)によると、「佐田岬半島では、三波川変成岩の層序は下位の塩基性片岩(緑色〜)と上位の泥質片岩(黒色〜)に分けられる。上位の泥質片岩中には、塩基性片岩、珪質片岩、石灰質片岩、砂質片岩が層状もしくはレンズ状に挟まれている。特に、三崎町黒碆の海岸では、石灰質片岩と塩基性片岩の細互層が広く分布している。」とありました。(案内人)
2004年1月16日 保内→三崎までのトンネル
別に今することでもないのですが、いつかきちんと調べておこうと思っていたことなのです。
@大峠A丸岡B中浦C川永田D九町E九町第2F瀬戸G塩成第1H塩成第2I塩成第3J川之浜第1K川之浜第2L川之浜第3M川之浜第4N大久東O大久P名取Q二名津R三崎 です。
これから、メロディラインを走るとき、「どのトンネルとどのトンネルの間で」みたいに記録してもいいかなと思ったりしています。もう一つは橋。トンネルの数よりはるかに多そう。一つ一つに名前があるのかどうかも気になっています。(案内人)
2004年1月16日 通行止め解除
いままで工事中だったので通ることができなかった川東側の宮内川沿い。どうやら工事(都市下水路ポンプ場建設)は順調に進んだらしく14日通りがかると、通行止めは解除になっていた。で、さっそくそこを通って・・・。そして、もうすこし行くと、もと東洋紡績の赤れんが塀のところで、焚き火をしている・・・。♪♪おちばたき〜♪♪というより、蜜柑の木かなにかの枝を焼いているよう。冷たい風の中であたたかい火に手をかざすのはとても懐かしい気がして、そのまま寄らせてもらい、いろいろ話をうかがった。時期的に注連飾りのことを尋ねると、この地域では一ヶ所に集めて焼くことはしないで、みんなめいめい自分の庭で焼くとおっしゃった。「中に餅入れてな。」とも。大正15年生まれよ。とおっしゃったおじさんは「20歳くらいまでは、草履もないよったんで。雨の日にな。」と両手でないかたも実演してくださった。ほんと、今年の暮れには中央公民館あたりで「注連飾り教室」でも「草履教室」でも開けないかしら?(案内人)
2004年1月14日 岡崎直司さんからのメールです。2回分をあわせて
1月10日に 今日(1/10)は、宇和町中町の光教寺(開明学校の上、中世の南予の盟主西園寺の墓があ
る)で、中町を守る会の面々と、作業をしてました。目下修復中(犬伏先生を始め建
築士会の指導で工事中)の末光家(清澤屋)の古瓦(昨年取り除け保存)を使用し
て、その活用事例として、大師堂の側溝を作りました。正面の雨落ち部分、わずか4
mのものですが、古瓦のいい活用例となりました。4時間で完成。砥部の和田設計さ
んに指導してもらい、素人ばかりでの作業にしては上等です。
1月12日に 10日の様子を参考までに送ります。
「宇和・中町を守る会」の作業として、目下修復中の末光邸(清澤屋)から払い下げてもらった古瓦を、4000枚ほど保存していて、その活用例として行った。
末光家の菩提寺でもある光教寺の大師堂前に、雨落ちの側溝を作る作業。砥部の和田設計さんにアドバイス(監督)してもらって、素人6人が4時間余りかけて施工。まずは上出来、結構面白かった。
これまで、中町の修景事業では、古瓦の殆どを産業廃棄物として(金を払って)捨てていたので、これからは少しでも活用するべく、そういう方向に風向きを変えていこうと思っている。
写真では、分かりづらいかも知れないので、参考までに、いつか歴博へ行く機会にでも見ておいてください。 ではまた。 岡崎 拝
参考:愛媛新聞04年1月15日(木)「江戸期の瓦で側溝作り 保存・町並み保全 両得 宇和」
2004年1月12日 12月の花
今さら書くのも恥ずかしいくらい遅くなったのですが、せっかく始めたメロディライン 月ごとの花シリーズ・・・
といっても、よく目にするというわけではなく、特定の場所なのでずるいんですが、瀬戸と三崎の境にある消防署前の「ヤツデ」の群落・・・。ある日 あれっというくらいに見事に一斉に咲いてたように思います。走る車から見るだけでしたが。
先日出会った文章で再び思い出しましたので書きました。
「冬の庭には、つわぶきとやつでしか残っていない。やつでの薄く青みをさした花は、小さいまりのかたまりを見るようだし、かれんで清純である。」(大仏次郎の文章より わたしは国語の問題文として読みました)
ここんとこ、走っていてよく目につくのは「キカラスウリ」。葉を落とした木々の枝に、やはり葉を枯らし、つるを枯らしたキカラスウリの実がかかっている。木によっては、飾っているかくらい。季節的に色が少ない時期だけによく目立ちます。
「葉を落とした」というと、瀬戸町の権現山も、新しく建物を建てたの?と思うくらい白い建物が目立つようになったので確認をしに8日に寄ってみました。でも、特別そうでもなさそう。そこで、思い当たったのが、葉が落ち、見通しがよくなったから・・・という結論。瀬戸町にはあと一箇所「ガードレールかなぁ」と思うものが山の稜線に見えるようにもなったところがあります。風車群以降、山の稜線が気になってしようがありません。(案内人)
2004年1月2日 磯崎方面へ。
せっかくの休み、車で走りました。コースは 平家谷→瞽女が峠→林道→磯崎・夢永→帰着。平家谷のダム湖には残念ながら水鳥を見ることはできませんでした。比較的暖かい冬ということなのか、単純に時間帯なのか・・・。それでも、葉を落とし尽くしたイチョウの木々を見るのも冬にふさわしい気がします。標高356mの瞽女が峠から右に曲がって林道へ。ここも時間があれば季節ごとに走りたいところです。今回は時間があまりないこともあって、途中から夢永の全景写真を取るくらいしかできませんでした。棚田もすっかり青石寮に変わってしまいました。そして、その先の整地は駐車場でしょうか?気になるのが途中で見かけた崩落部分。小さいながらも4箇所ほどありました。林道を抜け、国道に出て左へ。磯崎歩きもあきらめて急ぎます。もう一つの目的だった夢永の道路工事の様子を写真に。石積みもなくなり、斜面の木々も切られ、このように・・・・といったところ。もう少し早いうちに写真を撮りに来たかった。(案内人)
2003年12月27日 久し振りに遊歩道「もっきんろーど」へ。
25日 暖かかったので、久し振りに自転車に乗って川之石方面へ。途中、「もっきんろーど」を通りました。もちろん、自転車は降りて押してです。すると、新しいものに気づきました。まずは、
命名者の紹介板。そして、掲示板には以前は佐島精錬所などの古写真だったのが、今回は先日行われた「やんちゃ祭り・冬」の様子の写真に変わっていました。その横には、「整備事業」の紹介を書いた一枚の紙も。*「各種資料」に加えました。
ところで、今回 ここを通った理由は、実は町議会でもすこし話題になった遊歩道対岸の民家についてなのです。どうやら、対岸とはいえ、家の裏側を見られることに抵抗を感じているようなのです。その気持ち、家の人でなくても分かります。でも、個人的には
青石の護岸*これもいつのものなのかすご〜く気になっています。の上に並ぶ家々の様子はどこか海岸の地域の光景にも見えて好きなんです。ひょっとしたら、すでにネットとかボードとかで目隠しをしているおうちがあるのでは?と心配になり、そのことを確かめるためもあったのです。幸いなことに今のところ、そう変わりはありませんでした。でも、今後考える必要があるんでしょうね。(案内人)
2003年12月23日 三崎町大佐田で見かけたお地蔵さん
22日 機会があれば、もう一度・・・と思っていた大佐田へやっと行けた。途中、完成間近(?)の「JAにしうわ三崎選果場」もパチリ!
さて、大佐田のお地蔵さん。よだれかけから見える"それ"にドッキリ・・・。「尾びれ?」「クジラ?」などとドキドキしながら申し訳ないけれどめくってみると・・・。続きは、「石仏探訪」来年1月号に。(案内人)
参考:2003年12月28日愛媛新聞に「完成」の広告掲載
2003年12月23日 青木邸その後・・・
18日 合併協議会がわりと早くに終わったものだから、少し歩いてみた。そして、青木邸近くの歩道でいくつか小石で描かれた蝶を見つけた。前に来たときは建物を見に来たものだから、まるで気づかなかった。そして、青木邸跡。すっかり取り壊され、更地に。まだ、なにがどうだったら、こうならなかったのだろう?と考えたりしている。(案内人)
04年1月11日(日)愛媛新聞「選果場1年遅れで完成 JA西宇和三崎共選 光センサー完備」2002年3月に着工。当初は03年1月からの稼動を予定していたが、周辺斜面の地滑りが続いたことで追加の地盤補強工事が二度にわたって必要になり、完成が一年遅れた。
2003年7月6日愛媛新聞「JA西宇和三崎共選場大幅遅れ 斜面に造成 二度補強後も地滑り」
2003年8月6日愛媛新聞「三崎共選場建設遅れ 地滑り箇所のの補強工事実施へ JA西宇和」
2003年12月15日 ただいま工事中!
町議会であちらこちら工事ふうなことを言っていたものだから、気になり、まずは石積みのすてきな水路があった枇杷谷へ。集会所の駐車場に車を止めると、「通常砂防工事」の看板。見ると、9月から来年2月の予定で行なっている。作業中の方に「この石はなんというのですか。」とたずねると「島石」と教えてくださった。山口県の石とのこと。わりと立方体というか、そこそこ縦、横そして奥行きもある。縦がある分、
地元の青石(緑色片岩)とはちがう! それを一個ずつ乗せ、安定させるのに小さな石を間に挟むという感じで作業が進む。上流の方まで目をやると、りっぱな水路にピカピカの柵。安全のためとはいえ、美しいとはいえない。地域の風景がこうも大きく変えられてしまうことに思わずため息・・・。
なお、少し上に行った所には、「防火水槽」設置工事中。水槽とはいえ、まるで大きな浄化槽ふうな円筒形を横にしたもの。これはこれで、ビックリ!!
三崎町名取でも大雨で崩れた石垣が地元の人に修復されることなく、業者がブロックを積んでいくという箇所が昨年、今年と出現した。地元の人たちの高齢化や若い人たちの職場のことなどを考えると、自分たちの手で修復というのはもう無理なのだろうが、なぜ地元の風景にそぐわない形になるのか・・・。「割高になるから・・・」と片付けられてしまうことだろうが、こだわる必要のあることのように思える。(案内人)
2003年12月12日 大本敬久さんから11月23日の講演内容の補足の文章をいただきました。
忙しいなか、本当にありがとうございます。
じっくり読んでほしい文章ですので、別ページに掲載します。また、11月23日の講演会での資料の文章も掲載しましたので、あわせてお読みください。
2003年12月9日 八幡浜市太陽興産 青木邸を撮る
岡崎さんが知らせてくださった見学会には行けなかった。ということもあって、17日月曜日撮影に。着くと私と同じように撮影に来てた方が2名。しばらくすると終えて帰られたので、私も・・・。
正面から撮ったあと、付近をぐるりと回った。そして、もう一度見てみると、あれこれ細かい物にも気づいたのでそれも記念に。住宅部分の石灯籠を何枚か撮影したのだが、できあがったのを見ると小さな窓から見える部分だけではやはり苦しい。ここには、住宅部分からのものと、飾り瓦の一種になるんだろうか、「松」?、そして、昔よく見た「碍子(がいし)」(電線を絶縁し支持するために取り付ける装置)と言ってた磁器を載せておきます。
八幡浜市の洋風建築の建物も気をつけておかないとなくなるかも・・・・。それは、この保内町だって同じことではあるのだけれど・・・。(案内人)
2003年12月9日 佐田岬半島(メロディ・ライン) 11月の花
書こう書こうと思いながら、
とうとう今になってしまったのだが、今 メロディラインを走ると”黄葉”が美しい! こちらから走ると「九町トンネル」を抜けたところの右側に見える山の色とりどりなのにはしばらく車を止めたくなる。ず〜っと走っていても、主にアカメガシワやイヌビワ(たぶん これらだと思っているのだが・・・。)の頼りな〜い黄が多いのだが、ところどころにある櫨(ハゼ)の赤やくぬぎの茶の色がこれまた、なんともいい!!
ところで、毎月2つの花を記録しておこうと思いながら、とうとう記録しないまま12月。せめて11月のものだけでも。まずは、濃い緑のなかに鮮やかな黄の「ツワブキ」。以前はもっと咲いていたのでは?と思う「ノジギク」の白。この「ノジギク」― 斜面いっぱいに咲いていたらいいだろうなぁと思うけれども、なかなか群生していない。もう一つ背高のっぽの「ダンチク」も加えておこう。(案内人)
補足:変種のアシズリノジギクは高知県の足摺岬から愛媛県の佐田岬にかけての海岸に分布する。葉はノジギクより切れ込みがおおまかで、厚みがあるが、やや小さい。葉のふちが白い毛でふちどられているのが特徴。本州の瀬戸内海沿岸と愛媛県の海岸に生えるセトノジギクは、ノジギクより葉が薄くて、先がとがり気味で、花の数が少ない。(山渓ポケット図鑑3「秋の花」p.579より)とありました。写真が、どれかははっきりさせていません。
2003年12月9日 三崎町正野・防風石垣 補修工事中!!
写真の受け取りが遅かったものだから、
今になってしまったのですが、先に書いた11月20日には、ついでにということで、正野にも寄ってみました。そして、出会ったのはあの「防風石垣」の補修(?)工事。仕事中の方にうかがうと、県の発注とのこと。一部とはいえ、驚きました。(案内人)
参考:2004年1月23日愛媛新聞に「吉田町 石垣遺構コンクリ補強 県工事で変形 地元関係者ら批判
」の記事がありました。
2003年11月20日 三崎町の登録有形文化財を訪ねる
学習会の下見ということで、小雨が降るなか三崎町へ走った。
まずは、童子鼻の「三崎製錬所*1」。井野浦の阿弥陀池をぐるっと回ったところで車を止め、山道・みかん畑を歩いて15分弱。ほんとに林の中にひっそりとたたずむ、端正な石積みは美しい。といっても歴史的にそこでの作業や煙害のことを思うと、こういう言い方は不適切だろうけど。海岸まで降りると、製錬したあとの”゚(からみ)”が波に洗われていたり、層をなしていたり・・・。
いったん三崎にもどり、さらに正野へと走ること21分。正野谷へ。比較的広い所で車を止め、道路から見るとダンチクが繁り、道なんて・・・と思うところをだらだらと下っていくと、7,8分で海岸へ。湾の中央に突き出ているのが ”軍用桟橋”*2。波消し用?穴を空けてあったり、波がぶつかるところは丸くしてあったり・・・。かなり傷んだ桟橋だが、ここから武器や食料が運び込まれた?と思うと、この静かな海の、穏やかではない歴史を感じた。帰りには砲台跡にも寄った。砲台あとが4箇所、迷彩色を施した弾薬庫?が2箇所。この半島に、これだけのものがあるなんて、ほんとに最近まで知らなかった。灯台付近のものと合わせ、これら戦時遺産を正しく伝える方法を考えるべきかもしれない。(案内人)
参考*1:「明治中期・・・ 建設され、・・農作物に被害・・・明治末年には・・・休止」(広報みさき2003年9月号より)
参考*2:「佐田岬の先端部が要塞地として整備された昭和5年頃に旧日本軍により建設されたもの」「幅は5メートル、長さは50メートルもある」(広報みさき2003年10月号より)
2003年11月15日 大本さんからお知らせいただきました。ありがとうございます。
大本です。
11月23日に以下のような講演会が予定されています。
日時:11月23日(祝)13:00〜
会場:八幡浜市民会館大ホール
講演:大本敬久「伝承文化を見直すー郷土・民俗・伝統の再発見ー」
主催:西予文化協会
対象:西予地域の各市町村文化協会会員・市町村文化行政担当者・一般市民
内容は、西予の通過儀礼を題材に、民俗(伝承文化)に息づく知恵を再認識するものです。「郷土」において「民俗」を見つめなおす大切さを一般市民にお話するものです。
2003年11月10日 岡崎さんからいただいていたものです。記録として載せておきます。
またまた残念な知らせです。八幡浜からまた一つ、建物が消えます。
【一部転載】この度、旧青木石油本社ビルが取り壊される事になり見学会を企画しましたのでご
案内致します。
なお、請け負われた八幡浜建設さんによると、外部足場を11月13日(木)くらいか
ら準備し始めるそうです。
八幡浜の名建築の一つが、また姿を消すことになりました。フェリー港近くの沖
新田に在る旧青木石油の本社ビルです。(株)太陽産業のご好意で名残を惜しむ方に
一般開放していただく事になりました。
士会会員の方にまた一般の方々にも声をかけて見学会に参加して下さい。
日 時:平成15年11月14日(金)
午後3時より 場 所:現地集合
(社)愛媛県建築士会八幡浜支部 八幡浜市役所建設課内 事務局 原 政治
参考:愛媛新聞(03年11月16日付)「姿消す昭和の名建築 八幡浜・旧青木石油 老朽化で取り壊し」
参考:愛媛新聞(03年11月21日付)「取材最前線−歴史的建造物」<八幡浜支社 多田良介>
2003年11月10日
三崎町釜木で
初めて歩く釜木地区で、水の音。
ひょっとして共同の水場?と期待して石段を登ってみると、鯉がゆうゆうと泳いでいる。つまり、人家の庭。ちょっとバツの悪さにどぎまぎ・・・。ところが、そこの人に尋ねると、なんとなんと 戦争中に防空壕として掘っていたものとのこと。途中で戦争が終わり、完成しなかったもののこうして手前に石を積み、山からパイプで水をひいて池にしたとのこと。「私が嫁いできたときには小さかった鯉もこんなに大きくなって・・・」とも話してくださった。(案内人)
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