橿原市・植山古墳は TOPに戻る
写真は2000年8月26日(土)現地説明会より
継体天皇の孫になる推古天皇(554〜628年)は日本最初の女帝であり、甥の聖徳太子や叔父の蘇我馬子らの力も得て仏教を中心にした治世を行い冠位十二階の制定、遣隋使、17条憲法を制定するなど飛鳥時代に活躍した人である。この時代、何人かの女性が天皇に即位しているのは前天皇が亡くなったときにその皇后が若い皇子に代わって即位したためではないかと考えられている。
2000年5月区画整理事業に伴って橿原市五条野町の植山古墳を調査中に推古天皇と長男の竹田皇子のものと思われる墳墓が発見された。
東石室からは石棺が発見されたが、西石室では見つからなかった。それは、推古天皇は先に亡くなった竹田皇子と合葬するように遺言したと古事記と日本書紀は伝えるが、その後推古天皇が河内に改葬されたためとされる(下の写真)。西石室(推古天皇)は全長13mで、棺を置く玄室(げんしつ)と通路の間に扉を支える直径20cmの穴がある閾石(しきみいし)が配置されている。
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| 西石室(推古天皇) | 東石室(竹田皇子) | 太子町にある改葬された推古天皇陵(方墳) |
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植山古墳から西を望むと、右手向こうに見えるのが橿原神宮と神武天皇稜のある畝傍山(うねびやま)。左手はるか向こうに見えるのが有能な故に謀反の罪で粛清された悲劇の王子・大津皇子が葬られている二上山。 |
| 植山古墳から西に二上山を望む | |