織田町 劔神社   TOPに戻る

  織田家の名が歴史に現れてくるのはこの織田町(おたちょうと読む)が始めてである。織田家の先祖はこの劔神社(つるぎじんじゃ)の神官を務めた忌部家(いんべ)であり、尾張の国に出てから忌部常昌が故郷の地名をとって初代織田を名乗ったとされる。
  織田信長は祖先にゆかりのある越前の土地獲得に執念を燃やして幾度も越前攻略を企てこの劔神社で戦勝祈願や報告をした。しかし、その際献上した品々の多くは散逸している。織田町には今も忌部姓や伊部(いべ)姓が何軒も見られる。
                                               
             福井県織田町・劔神社      織田一族発祥地の碑(劔神社)                                          京都市・本能寺

  信長は1582年、明智光秀の謀反により当時五条坊門にあった本能寺で自刃して果て、その時30もの宿坊を持つ大伽藍も灰燼と化した。1589年に豊臣秀吉の都市計画により現在地に移された。奥に信長の大きな供養塔がある。2001年の本能寺寺宝展では信長や森蘭丸らの刀が公開展示された。(ホームページに載せるための写真撮影を申し出たが許可を得られなかった。)暗殺された歴史上の著名人には蘇我馬子の手にかかった崇峻天皇、大化改新(645年)の蘇我入鹿、嘉吉の乱(1441年)の足利義教、5・15事件(1932年)の犬養毅らが挙げられるが歴史上これ程大きく位置づけられる人は少ない。