エンタ評インデックスへ | HPトップへ | HeartLand-Cosmosへ


 

「レバレッジ・シンキング」 2007年10月26日

本田直之「レバレッジ・シンキング」(東洋経済新報社)。まだ斜め読みですが、ここ数年読んだ自己改革本の中で、一番「なるほど!」と声を出した一冊です。

冒頭の
「プロスポーツ選手の場合、トレーニングと試合に費やす時間の割合は四対一程度」
であるのに対し、ビジネスパーソンが
「学習研究と仕事に費やす時間の割合は一対六十程度」
であって、
「明らかに練習が足りない状態で試合に臨んでいる」。
しかしながら、
「多くのビジネスパーソンが練習不足なのですから、少しでも練習すれば頭一つどころか、かなり抜け出すことが可能になるのです。」
というくだりは、目からウロコでした。

もっともっと勉強しなくちゃ。そして、小中高校大学+ビジネススクールと19年もかけて勉強してきたことで、まだまだ実際に活用できていないことがたくさんあるわけで、しっかり棚卸しする必要がありそうだと感じています。
 

「ウェブは資本主義を超える」 2007年10月20日

7月にBOOK1st.で「ウェブは資本主義を超える」(日経BP)をジャケ買いするまで、まったく知らなかったのですが、池田信夫さんってすごい人ですね。元NHK職員で大学教授、エコノミストでIT評論家みたいな人らしいのですが、ご本人のブログが凄い!著書「ウェブは〜」も、同氏のブログ集成。筆量も密度もすごくて、まだ半分も読めていませんが、ITやウェブ、メディア、政治経済の世界で起きていることの意味や意義を、きちんと整理して指し示してあり、その問題意識と識見の高さには感服します。

最近では、バンドと飲食の話題中心?のbitlは、足元にも及びません。
 

「ライブエンタテインメント新世紀」 2007年10月8日

コンサートやスポーツイベントといった興行は、「ダフ屋」や「呼び屋」が牛耳る、コンプライアンス欠如状態が長らく続いていましたが、最近はきちんとしたビジネスになりつつあるようです。北谷賢司「ライブエンタテインメント新世紀」(ぴあ総研)は、外タレを呼ぶ場合の、「招聘」「交渉」「契約」「収支」「現場」について著者自身の(東京ドームの呼び屋としての)体験を紹介しています。興行ビジネスの収支構造や、今後のエンタ・ビジネスにおけるカジノの重要性など興味深い点は多かったですが、なかでも「ユダヤ人相手のビジネス攻略法」についての記述は、おそらくすべてのビジネスに通じる基本戦術であり、とても参考になりました。シカゴでみたローリング・ストーンズ「スティール・ホイール」ツアーは、私がこれまで観た中で、最もエキサイティングなステージでしたが、当初メンバーはまったくやる気がなかったそうです。そこへ乗り込んだのが若干41歳のプロモーター、マイケル・コール氏で、
「北米55都市のツアーを実行するなら、7000万ドルのギャラを先払いしてもいい」
の一言で、ツアーを成功させたとのこと。マイケル、ありがとう!
 

「マングローブ」 2007年8月20日

西岡研介「マングローブ」(講談社)

JR東労組が革マル派に支配され、いじめや盗聴、上層部による組合費横領が続き、経営側であるJR東日本や、取り締まるべき警察庁までもが篭絡されているというルポルタージュ。ただそれだけの内容ですが、巻末にあった、学内の革マル派=全学連と正面から闘った早稲田大学総長のインタビューが、実に興味深いものでした。bitlどころか、すでに腐敗しきった状況を変えた勇気と実行力は、並大抵のものではありません。それにしても、政治家や官僚、政府外郭団体や大企業の悪も酷いですが、庶民の味方ヅラした労働組合の悪事は許せません。どれだけ立派な組織でも、その存続自体が目的になったり、同じトップが長く居座り続けると、ろくなことがないようです。

「かくまるは」と打っても正しく漢字変換されないくらいの古語ですが、現代のサンクチュアリとして、しぶとく残っていたようです。キヨスク店頭から、一部週刊誌が締め出された事件を思い出しました。また、改革派の鳴り物入りで道路公団民営化に取り組んだ、元JR東日本社長の松田昌士氏が腰砕けだった理由がよくわかりました。
 

「行きずりの街」 2007年8月15日

志水辰夫「行きずりの街」(新潮文庫)

渋谷のBOOK1st.で「このミステリーがすごい」第1位の帯に挽かれて購入しましたが、最初の10ページで違和感を感じ、帯を見直すと、なんと「このミス」の前に「1991年度」の文字が!

古くても1位は1位と、そのまま読み進めましたが、あまり好きになれないストーリーでした。高橋三千綱の小説に出てくるような、純真さと優しさをもつ主人公が、馳星周の小説級のバイオレンスに対し、ブルース・ウィルス並の不死身の戦いを挑む。しかも登場人物が宮部みゆき「理由」くらい多くて複雑…。その状況で、どうして元・妻とよりを戻せるのか?不思議でなりません。それでも最後までしっかり読ませる、文章の上手い人なので、もっと心の機微に触れる小説を期待します。
 

浅田次郎「憑神」(新潮文庫) 2007年7月20日

いい加減な帯広告さえなければ素直に楽しめる快作といえたでしょう。帯いわく、
「抱腹絶倒にして感涙必至の長編時代小説」

主君思いのまっすぐなドンキホーテ?が、最後まで自分の筋を通して突進するさまは、やたらとおかしく、読後は不思議な爽快感に包まれるのですが、絶対に感涙は落としません。「鉄道員」や「ラブ・レター」「地下鉄(メトロ)に乗って」を期待した読者は拍子抜けしますし、著者にも失礼な話です。

まったく浅田次郎の筆力は安定しており、たとえばJAL機内誌に連載してる旅行記などは面白くて面白くて、これを読むために毎月一回JALに乗りたいと思うほどです。
 

森まゆみ「自主独立農民という仕事」(バジリコ株式会社) 2007年5月14日

2007年「tobyが選ぶ書籍」ナンバー1は、本書で決まりではないでしょうか?地方に暮らす人も、都市に住む人も、食の安全に関心ある人も、コンビニ食ばかりの人も、すべての友人に読んでいただきたい本です。

島根県木次(きすき)乳業の佐藤忠吉翁の言葉や暮らし、その想いをまとめた本書は、中山間地の戦中戦後史であり、農業の手引きであり、起業の記録であり、親子の情愛と友情の物語であり、食育の指南書であり、道徳の教科書であり、すぐれた哲学書でもあります。その広範に渡る知識と、高い識見、そして一言ひとことの力強さに圧倒されます。5年くらい前に(おそらく八幡垣睦子さんのキルト展記念パーティー席上で)ご挨拶したとき頂いた名刺には「百姓」という肩書きがあり、変わりもののお爺さんという印象しかありませんでしたが、これほどの方とは驚きました。

低い生産性、地方の我侭、農林族、そういうものへの漠然とした忌避意識が、一読で吹っ飛んでしまいます。この大量消費の時代に、誰もに佐藤さんのような生き方ができるはずもないのですが、暮らしと食のあるべき姿として、誰もが心の片隅に留めておくべきだと思います。

「町づくりだの村おこし、地域の活性化とさわいどりますが、地域は活性化する必要はない。むしろ鎮静化すべきだと思うとります。」
冷水を浴びせられた気がします。
 

高橋三千綱 2007年4月22日

久しぶりに高橋三千綱の小説「挑戦の世代」「雪のドレス」2冊を一気に読みました。私自身は、登場する大場支店長や杉本課長のように仕事もできなければ、若い女性にもてることもありませんが、二人のもつ「青臭い正義感」「誠実さ」に、心から共感を覚えます。これらとて、既にどこかへ置き忘れてきているかもしれませんが、時々読み返すことで、自らの軌道が大きくずれないように修正し続けているような気がします。
 

「となり町戦争」 2006年12月18日

三崎亜記「となり町戦争」(集英社文庫)を読みました。来年2月には、映画も公開されるそうです。まるで筒井康隆や星新一SFのような、淡白なアイロニーの世界をテンポよく読み進めていたのですが、途中から妙にミステリーぽくなり、最後は安っぽい恋慕ストーリーになってしまいました。そういう小説が悪いとはいいませんが、強引で、安易で、あきらかに筆力不足です。それでも、
「戦争というものが、日常の延長」
にあって、実は誰もが
「知らず知らずに、戦争に加担している」
という、著者のメッセージは十分理解できます。

たぶん映画は観ない(山陰では公開されない)と思いますが、原田知世演じる、地方公務員姿だけは観てみたい気がします。
 

「きっこの日記」2006年11月8日

きっこ「きっこの日記」(白夜書房)読みました。超有名ブログのベスト・セレクション本で、「しょこたん☆ブログ」と、どちらを買おうか?迷いました。

きっこの筆力+情報量は紙ベースで読んでも圧巻で、文句なしに面白いのですが、ブログが「コイズミ」「イノシシ」「村上ファン怒」「ナンミョー・タレント」「総研内河」らに対するアグレッシブな糾弾で惹きつけているのに対し、本は、妙に「俳句」「母親愛」に傾いているように感じました。媒体に合わせてトーンを変えたのでしょうか?たまたま、私がアクセスした日のブログがアグレッシブだったのでしょうか?

いずれにしても、きっこのブログの面白さの秘密が、俳句や日本語に対する愛着であり、人を思う真摯でやさしい気持ちであることは、十分に理解できました。あれだけの文章は、浮ついた人には書けません。私には無理です。
 

井上尚登「T.R.Y.北京詐劇」(角川書店) 2006年10月10日

一作目ほどの痛快感がありません。井沢修による詐欺の手口(井上尚登の語り口)に慣れきってしまったのでしょうか?井沢修がうまく相手を騙したつもりでも、井上尚登が、中国近代史に疎い読者を喜ばせることができなかったのかもしれません。それでも、江燕の料理が醸しだす芳香と味覚、殷遺跡の土埃、愛鈴の美しさといった、五感に訴える筆力はさすがです。もっともっと、多作になってほしい人です。
 

西川美和「ゆれる」 2006年8月15日

オダギリ・ジョー主演で映画化され、カンヌ映画祭にも出品された作品の原作。登場人物のモノローグを重ねていく手法は宮部さんの「理由」のようで、はじめは面白かったのですが、どこまで読んでも、肝心のストーリーが見えてきません。著者は脚本家であり、はじめから映像化を意識した文章なのでしょうが、読者にはきわめて不親切です。すぐれた小説であれば、読者が想像力を働かせ、行間を楽しむこともできるのでしょうが、この著者にはそこまでのテクニックもありません。はたして、映画は面白いのでしょうか?
 

藤原新也「渋谷」 2006年7月30日 

藤原新也「渋谷」(東京書籍)。東京メトロのフリー・ペーパーに「撮りながら話そう」を連載しているカメラマン/エッセイストの最新著書。おそらく、ほとんどが実話、とても痛い実話です。登場するのは、
「本当の自分がそこにいない」
「自分がいったい誰なのか、あるときわからなくなった」
「普通の自分の生活の中で見えるものも焦点が合わなくなり、色もなくなった」
と、家出したり、風俗で働いたり、ヤマンバになった女の子たち。中流以上の家庭の生まれで、成績もよく、親や周囲の期待通りに育っていた子供たちですが、ある時突然に、自分に対する親の期待の基準が世間体に傾いていて、実は自分を見ていないのでは?愛していないのでは?ネグレクトされているのでは?と、悩みだし、シブヤ的な街暮らしを始めます。

実に痛いです。私たち親は、あなたたちを産み育て、躾け、教育していますが、その経験は実に乏しく、悩み迷いながら、試行錯誤を重ねながら、恐る恐るしているのです。私たちは、子供生活のベテランで先輩ですが、親としてのキャリアは若葉マークです。自分の子供を橋から突き落としたり、ろくに食事を与えなかったり、パチンコ店駐車場の車内に何時間も放置したりすることがいけないくらいはわかりますが、躾の基準を世間体においたり、模擬試験の偏差値に敏感になることは、日常ままあることです。不慣れだから。

怠けてはいけない。もっと子供たちの目を見なくてはと、教えられる一冊でした。シブヤ的なものは、生き方の選択肢のひとつであり、否定するつもりはありませんが、子供たちをそこへ追い込んでしまうことは、親にとっても子供にとっても、不幸なことです。

私より先に読んでいた次女Kは、星野夏「あおぞら」のほうが面白かったと、言っていました。でも「あおぞら」が、後半の「こうちゃん」の挿話がなければ、やはり救われない「痛い」話であることに変わりありません。
 

小松左京+谷甲州「日本沈没 第二部」 2006年7月16日

小松左京+谷甲州「日本沈没 第二部」(小学館)を完読しました。

33年前に書かれた「第一部」が、国土を失うという未曾有の惨事に際しての退避計画(D1)と、実際の退避行動(D2)を通して日本人を描いた小説であったのに対し、本作は、列島消失の25年後に判明する、地球規模の新たな災難を通じて、米中のバランス・オブ・パワーの狭間で翻弄される日本人を描いた小説。「国境線の外側は、常に夷狄に侵略されている」と考える中国人と、「アメリカン・ウェイにしたがうかぎりは、フレンドリー(実は、狭量な愛国心の塊)」である米国人の間で、帰るべき故郷を持たず、世界中に難民として散っていた日本人は、あまりにも無力な存在として描かれています。

ちょうどこの一週間続いた、国連安全保障理事会の北朝鮮制裁決議に至るプロセスも、結局は、金正日体制崩壊後の朝鮮半島における権益保持を競う、米中のバランス・オブ・パワーがすべてであって、現実の外交においても、日本は無力で、翻弄され続けているように感じます。そういう意味で本作は、ちょうど村上龍や日高義樹を読んでいるようなリアリティに溢れています。読み手の、地球科学やコンピューター全般に対する知識が深まったためでしょうか?異変や災難のメカニズムも、前作よりわかりやすく、よりリアルに感じました。

当然ながら「第二部」は「第一部」を読んでからでないと、理解できません。二冊続けて読んでも、面白さは半分だと思います。D1やD2におけるエピソードや人物が登場するたびに感慨深く、何度も息を呑み、310ページと467ページでは涙が流れました。33年ぶりに読んだからこそ得られた、大きな感動です。小松左京の偉業達成に、心から感謝します。

「第二部」で、最後に決断をくだすリーダーは、日本という「くくり」に拘らないコスモポリタン。このリーダー氏、意外にも、ほとんど海外に出た経験がないからこそ、「日本を愛するように、他の国を愛することができる」という設定でした。むしろ海外の経験が長い人ほど、日本の素晴らしさを実感することで、ナショナリズムやパトリオティズムに染まるという設定は、新鮮で興味深いものでした。私自身、8年も海外で、18年も県外で暮らしていたわけで、だからこそ、平均的松江人に比べると、やや「リベラルで」「合理的で」「コスモポリタンで」「くくらない」発想ができると考えていたのですが、違っているのでしょうか?そもそも、そう思い込んでいたことが、偏った、自分をくくった発想なのかもしれません。
 

田中陽「セブン・イレブン 覇者の奥義」 2006年6月4日

田中陽「セブン・イレブン 覇者の奥義」(日本経済新聞社)を読みました。POSマーケティングや配送、店内レイアウトや売れ筋商品の選定など、以前から知っていた「奥義」もいくらかありましたが、2006年春時点におけるセブン・イレブンの「売るための仕組み」を総括するには最適の一冊です。現在も進化しつつあるわけで、半年後にはありきたりの内容に見えてしまうのでしょうが。

地方の流通は、大型スーパー、コンビニ、ドラッグストアなどの小売業、メーカー系列の卸売業などに駆逐されつつあり、消費者にとっての安さや便利さといったメリットの裏側に隠れた様々なリスクに晒されているわけですが、本書に記されたセブン・イレブンの取組・理念・こだわり・労苦・事業規模を前に、互角に戦える流通業者は日本中探したって見つかりません。中山間地では、消費者のため毎日宅配(!)までする店舗があるのだそうです。
 

梅田望夫「ウェブ進化論」 2006年5月18日

梅田望夫「ウェブ進化論」(ちくま新書)が面白いです。ネットでいま何がおきているのか?グーグルとは?ブログとは?コトの本質が見えてきます。
「ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。ブログを通じて自分が学習した最大のことは『自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料放出することで(無形の)大きな利益を得られる』ということに尽きる」
まったく同感です。

普段「yahoo!」を多用している私にとって「グーグル」は、単なる後発検索エンジンのひとつでしかなかったのですが、どうやら今後訪れるネット社会(あるいは社会そのもの)の大変革は「グーグル」抜きでは語れないほどの、大きな存在であるようです。

ちなみに「グーグル・アース」に初めてアクセスしてみたのですが、以前シカゴやNYで住んでいた家の空撮写真が、住所を入力するだけで瞬時に見ることができ、驚きました。自分の日常や映画評を公開したり、仲間内の連絡にしかネットを活用していませんでした(それだけでも、とても便利なことではあります)が、まさにパラダイム・シフト(死語?)が起きているのですね!「グーグル」から目が離せません。
 

PUFFY「あゆみ」 2006年5月10日

PUFFY「あゆみ」(ソニー・マガジン)。デビュー10周年記念のインタビュー+グラビア集。帯の「今まで言ってたこと半分くらい嘘でした…」は期待を抱かせましたが、やはり半分くらいは嘘っぽかったです。活動を振り返ってのインタビューは、ディープなファンでないと理解できない内容が多かったですが、まるで若い頃のミック・ジャガーやジョニー・ロットンを想起させるパンクな生き様は刺激的です。それも、嘘が相当含まれているのでしょうが…。

養老孟司・テリー伊藤「日本人の正体」(宝島社新書)に「世間はダマされたがっている」という章がありました。PUFFYの言葉に嘘が多いと知りつつ楽しんでいる私は、普通なのでしょうか?不健全なのでしょうか?
 

星野夏「あおぞら」 2006年4月22日

次女Kに借りた、星野夏「あおぞら」(ポプラ社)を読みました。次女Kが「まじ泣いた!」と大絶賛の一冊。大好きな人との死別という「泣かせの王道」にはついつい感情移入、私も泣かされました。

「セカチュー」がよく出来たフィクションであるのに対し、あまりに汚くて辛い現実を、稚拙な文章で綴ったリアルな手記。レイプ、裏切り、リストカット、援交、ブルセラ…、物語前半の、目を覆いたくなるようなことごとを、「日記」「千羽鶴」という、驚くほどトラディショナルなアイテムがきれいにカバーしています。だからといって、著者のとった過去の行動のすべてが正当化されるとは思いません。ただ、この本を読む若い人たちには、好きな人がいる、あるいは信じることがある「安心感」や「強さ」を感じ取ってほしいものだと思います。

こぅちゃんとの別れの描写よりも、心の荒んだ人々の描写が悲しかったです。著者をはじめ、心に傷を負ったたくさんの若い人たちが、どうか前向きに生きていけるよう、心から祈っています。
 

小泉今日子「小泉今日子の半径100m」 2006年4月1日

小泉今日子「小泉今日子の半径100m」(宝島社)を読み終えました。読みかけのまま放っておいた本を、休日に読み返す余裕が出てきました。

いわゆる「タレント本」「フォトエッセイ」で、あっという間に読めるのですが、行間や写真から伝わってくる飾らない雰囲気が心地よく、何度も読み返してしまいます。飛び切り美人というわけでもなく、歌も演技もそれほど上手くないのですが、その自然ぽい存在感がとても魅力的です。エッセイ前作「パンダのanan」(マガジンハウス)も読みましたし、CDも結構聴いています。長女Iも、「すいか」での馬場ちゃん、「マンハッタンラブストーリー」の赤羽さんにはまってしまいました。
 

「シャングリ・ラ」2006年3月31日

池上永一「シャングリ・ラ」(角川書店)を読み終えました。大友克洋「AKIRA」と、村上龍「半島を出よ」を合わせたような、近未来SF小説。炭素経済という設定が興味深く、コンピューターやハイテク素材といった「未来」と、呪術や三種の神器といった「古代」の組み合わせも面白く、1600枚の大作もすらすら読めました。登場する女性たちは誰もが強く、魅力的に描かれていますが、何度殺されても死なない展開は、まるで人生を何度でもリセットできる、安易なRPGのようで、違和感を感じました。
 

「夜市」2006年1月10日

今年の3冊目は、恒川光太郎「夜市」(角川書店)。昨年の「日本ホラー大賞」受賞作ということで、あちこちの書評で絶賛された一冊。巻末においても、荒俣宏、高橋克彦、林真理子が手放しに褒めているのですが、私はずいぶんと違和感を感じました。

私にとってホラーとは、鈴木光司「リング」「らせん」であり、横溝正史「八墓村」であり、ブラム・ストーカー「ドラキュラ」であり、「エクソシスト」であり、「エルム街の悪夢」(これはコメディでした…)であり、観てはいませんが「呪怨」や「着信アリ」であるのです。どうしても本作「夜市」をホラー小説と思えないのです。

異次元の世界、物の怪、流血といった、ホラーの要素は散りばめられているのですが、全体に流れる「静けさ」と「妙な懐かしさ」のせいでしょうか?どうにも「怖さ」を感じられないのです。子供の頃、毎年夏休みになると、母の里である大塚へ行ったものです。夏祭りの間だけは本当ににぎやかな本通りですが、8月に入ると誰も通らなくなり、きつい照り返しの中、乾いた土ぼこりだけが舞っていました。そのときの静けさを、「夜市」を読んで思い出しました。映画「千と千尋と神隠し」の冒頭で、千尋が湯屋にたどり着くまでのシーンも、同じような雰囲気ですね。やはり「夜市」はホラーではありません。先入観を取り払って読むと、楽しめる一冊です。

もう一話「風の古道」という中編が収められていますが、個人的には、こちらのほうが好きです。
 

「流星ワゴン」2006年1月8日

新春2冊目の小説を読み終えました。映画も舞台もライブもしばらくお休みで、読書を楽しんでします。重松清「流星ワゴン」(講談社文庫)。「ビタミンF」以降、そして「その日のまえに」以前に書かれた、ずっしりと重たいファンタジーです。特に物語前半において、家族が崩壊していく様子を見せつけられる部分は、もうやめてくれと言いたくなるくらい辛くて、主人公の
「もう、死んだっていいや」
の気持ちに同情してしまいます。それに比べて後半部分は、妙に全てがうまくいくので読み手として気持ちのバランスを取るのに苦労しますが、健太君が戻ってくる場面では涙が流れ、奥さんと再び手をつなぐ場面では静かで爽やかな感動が胸いっぱいに広がります。映画「天国から来たチャンピオン」のラストシーンを思い出しました。

「流星ワゴン」は親子愛の物語です。誰しも、自分が親になって初めて気がつくことはありますし、ずっと知らないままでいることも多いと思います。ただ、「知る」ことができなくても「信じる」ことはできるという、本書のメッセージは素直に心に響きます。わが子の幸せを望まない親はいないのですから。

「凸凹デイズ」でも「流星ワゴン」でも、写真が、粋なアイテムとして登場します。年末に観たミュージカル「プレイバック パートII」でも、古いアルバムが舞台になっていました。最近は、携帯電話写メ便りで、簡便ではありますが、長く残りにくい写真ばかりです。もう一度、松江北高写真部OBらしく、写真に凝ってみようかな?
 

「凸凹デイズ」2006年1月4日

山本幸久の小説「凸凹デイズ」(文芸春秋)。帯にある「恋愛じゃなく、友情じゃなく、仕事仲間。彼らがいつも、そばにいた」というコピーそのままのストーリー。「あばれはっちゃく」山中恒に大人の世界を書かせたら、ちょうどこんな感じになるのでしょうか?誰も死なない、タイムスリップしたり憑依したりもない、政府を転覆させない…、日常どこにでもあるストーリーが本当に面白くて、一気に読みました。2006年の一冊目は「あたり☆」

登場人物は、デザインやマーケティングなど才能をもちながら、どこかバランスが悪く、大きな組織の中ではうまくやっていけない大人たち。誰もが、自分に正直でマイペースです。でもよく考えたら、現実世界にも、バランス抜群の人間なんて、そう多くはいません。私自身は、大きな組織の中で必死でバランスを保とうと努力している、典型的なサラリーマンですが、アンバランスでマイペースな集団によるムーブメントが、ツボにはまった時の力強さが痛快です。
 

市川拓司「世界中が雨だったら」 2005年10月8日

市川拓司「世界中が雨だったら」(新潮社)は、「いま会いにいきます」「そのときは彼によろしく」の市川ワールドを期待していただけに、ハズレ。市川拓司らしさは、タイトルの意味付けくらい。ミステリー好きには、そこそこ楽しめるのでしょうか?やたらと性描写やら死体やらが出てくるリアルな小説よりは、「ありえねー」ファンタジーのほうが楽しめます。
 

「その日のまえに」2005年9月20日

やられました。完璧にやられました。重松清「その日のまえに」(文芸春秋)は読み進むに連れ涙が止まらなくなり、最後のエピソードでは思わず声が出ました。

若くして永遠を断ち切られた人々が、その日にむけて考え、思い出に触れ、人を思いやる、素敵なストーリーの連作。周囲の人々も優しすぎます。

浅田次郎を超える作家が出てきたかもしれません。

「古代出雲への旅」2005年8月15日

関和彦「古代出雲への旅」(中公新書)を読み終えましたが、実に興味深い本でした。なかでも面白かったのが、幕末慶応年間当時の人間関係。車も携帯電話もない、現代では考えられない寒いコミュニケーション環境でありながら、例えば、見ず知らずの旅人を家にあげ酒食でもてなすような、熱い人間関係が当たり前に存在しているのです。次に面白かったのが、古代出雲の神社や神様の名前。千家(せんげ)や別火(べっか)のように、出雲大社に近い名家だけでなく、宮廻(みやざこ)安食(あじき)生馬(いくま)といった島根県でポピュラーな名前は、それぞれ神様に縁の深い家のようです。
 

藤原新也 2005年7月25日

前にも書きましたが、藤原新也氏のエッセイがすばらしいです。東京メトロのフリーペーパー「 Metro Min. 」の連載「撮りながら話そう」を愛読しています。いったいこれはフィクションなのでしょうか?それとも実体験に基づくストーリーなのでしょうか?いつ読んでも心揺さぶられます。最新号の「あじさいのころ」。出会いの場面は、多少「できすぎ」っぽかったですが、なによりも
「才能ある者のみが表現に携わることができるという考えはいささか傲慢だ。人それぞれにその人の器に応じて表現するものがあり、それはそれで尊重すべき」
というコメントに感心しました。
 

村上龍「半島を出よ」(幻冬舎) 2005年4月30日

上巻は、危機に対応できない日本政府、そして下巻は、平和や安心、豊かさに戸惑い、崩壊していく高麗遠征軍が中心テーマ。頁密度の濃い、読み応えのある近未来小説でした。ただ、ストーリー展開上仕方ないのですが、凄惨な殺戮や拷問シーンだけは苦痛でした。どうも私は血が苦手で、「JSA」「シュリ」も最初の10分間で断念しました。

日本国土に対する侵略が現実の出来事になる時、日本国政府は、本書で村上龍が予測している悪夢のようなシナリオ以上の対応をタイムリーに行うことができるのでしょうか?日米安全保障条約の堅持および国連常任理事国入りは、日本の安全保障にとって有効ですが、まずは中途半端なままの近隣諸国との距離を縮めていく努力が必要だと思います。今のままでは、「半島を出よ」で結果的に日本を救った、パンク連中以下になっていまいます。

高麗遠征軍の兵士たちは、柔らかい衣服、軽いスニーカー、美味しいタバコ、女性の奔放さや激情などに象徴される平和と安心と豊かさ、そういった日本では「当たり前」のことに触れて、急速に信念や自己を崩壊させていきます。第二次世界大戦の敗戦以来、両親の世代が努力してきたおかげで、私たちはそれを「当たり前」のものとして享受しています。それはとても幸せなことですが、同時に感謝の念や謙虚さが薄れ、政府もメディアも国民も危機管理能力の低い「平和ボケ」集団に成り下がってしまいました。そんな堕落した側に、強靭な肉体と精神に守られた高麗遠征軍が簡単に堕ちてしまう様子が実に暗示的です。もしかして私たちは「 dark side of FORCE 」に住んでいるのでしょうか?

外圧の結果、真の地方自治が生まれ行く様子も暗示的です。村上龍のもつ問題意識および構想力、筆力の高さに脱帽です。
 

角田光代「対岸の彼女」(文芸春秋)2005年4月14日

昨年直木賞を受賞した角田光代「対岸の彼女」(文芸春秋)を読み終えました。内容の深さと頁密度のバランスがとても良い作品でした。頁密度というのは、先ほど電車の中で思いついた、私の造語ですが、例えば、綿矢りさの作品は、内容は良いのでしょうが、あの「スカスカ」頁の本を、お金を払って読もうという気にはなれません(なんて私は貧乏性なのでしょうか?)。逆に志茂田カゲキの作品に共通する、無駄に多い文字数と頁数は、手にとるだけで疲れてしまうのです。

人付き合いの苦手な女性が、両親や、冷たい級友、理解のない夫らの束縛を断ち切って自立していくみたいなストーリー。凄惨な殺人事件も、涙を誘う挿話も出てきませんが、飽きさせずに最後まで読ませる筆力はさすがです。対岸にいるように思えた彼女は、実は自分の中にもいるのです。「そのときは彼によろしく」の父親ほどではありませんが、葵の父親の葛藤と善行が良いですね。

会社のイクマイヅミも言っていましたが、帯に書かれた著者コメント
「おとなになったら、友達をつくるのはとたんにむずかしくなる・・・」
には考えさせられます。自分の高校時代はどうだったかな?
 

吾妻ひでお「失踪日記」(イーストプレス)2005年4月4日

吾妻ひでおの漫画単行本「失踪日記」(イーストプレス)が素晴らしいです。人の精神がこんなにも脆く、反対に肉体は案外と強靭であるという事実は、日々自らをコントロールしながら社会生活を送っている普通人には驚きです。失踪ホームレス、ガテン、アルコール中毒と続く、とことん暗くて悲惨なはずのストーリーが、淡々と明るく語られており、逆にじわじわと恐ろしさが伝わってきます。ロマン・ポランスキーは、この手法で「戦場のピアニスト」を監督すべきでした。
 

市川拓司「そのときは彼によろしく」2004年11月24日

前作「いま、会いにゆきます」もそうでしたが、今「泣ける」ファンタジーを書かせたら日本一の作家ですね。私は、本作のテーマが恋愛ではなく親子愛であったことが明かされたシーンと、ラストシーンの二ヶ所で泣きました。

どことなく控えめでまじめな登場人物たちの、過去、現在、そして少しだけ未来のエピソードが、実に丁寧な文章で語られており、本来なら「ありえねー」と感じてしまう奇跡でさえ、読者に自然に受け入れさせる巧みさです。

本物の悪人が一人も登場しないところがファンタジー、何十年離れていても、最後は一番好きな相手と結ばれるところがファンタジー、ケーキバイキングやお洒落なお店が出てくるところがファンタジー、老いた父親までもがカッコ良すぎるところがファンタジー、こんな書き方をすると、まるで女性誌の読者たち(しまった!括ってしまった)の趣味に迎合した安っぽい小説のように思えるかもしれませんが、読者の一人ひとりに、思春期の熱い思いや忘れられないエピソード、例えば夢中になれたことや実らなかった恋、そんなことを思い起こさせてくれる、まるで「読者全員プレゼント」のような(?)本作は、極めて良質な一品といえます。

読後は、奥さんや娘たち、そして両親に無性に会いたくなります。
 

江口寿史「素顔〜美少女のいる風景」 2004年9月24日

涼しくなってくると、通勤やお得意先まわりが楽になることに加えて、女性の肌の露出が少なくなるので助かります。決してウブでもオクテでもカマトトでも聖人でもありません。学生時代、女性のブラウスに透けて映る下着のレースにドキドキした世代です。今でも、満員電車の隣に立っている女性のブラジャーの肩紐が見えただけで、こちらが恥ずかしくなってしまいます。まして最近の若い人(という「くくり」自体が「おっさん」ですが・・・)の、胸やお尻が半分露出しているスタイルに至っては、どこに目線をやってよいやら、困惑してしまうのです。

そんな私も、江口寿史の描く美少女イラストの世界にはぞっこんです。イラスト集「素顔〜美少女のいる風景」(双葉社)は素晴らしい出来栄えです。

大空ひばりのような、フィクションなるがゆえ完璧なる美少女は一人も描かれていません。街角であり、駅のホームであり、職場であり、そういう景色の中に、ごく普通の、少し硬めの表情をした若い女性が、自然に描かれているだけなのですが、一人ひとりが実に魅力的なのです。表情良し、たたずまい良し、背景良し、そして、イラストのモデルの子の写真やコメントが載っているのも、リアルで良し。一度、我が家の娘たちを描いてもらえないかなぁ?
 

「NANA」2004年7月28日

矢沢あい「NANA」が面白い!(時には、漫画評)

まちかさんHPのエッセイでみつけ、気になっていました。いったい強いのか?弱いのか?大人なのか?ガキなのか?ぜんぜんわからないけど、とにかく一生懸命な女の子の姿が、とても魅力的です。桜沢エリカや安野モヨコの作品に出てくる彼女たちにも共通する魅力です。
 

最近読んだ小説あれこれ 2004年7月1日

法月綸太郎「法月綸太郎の功績」(講談社)
肩に力入りまくりの処女作「密閉学園」とはうって変わって、落ち着いた本格推理ミステリー短編集。なるほどねと唸らせる謎解きと、平易な文体で気軽に楽しめます。江戸川コナンが登場しても違和感がありません。推理ミステリー好きにはたまらないでしょうが、そうでない私にとっては、どうでもいい一冊です。

東野圭吾「宿命」(講談社文庫)
これも読みやすい長編推理。設定は見事だし、文章が巧いのですいすい読めますが、展開が軽快すぎます。途中で心に引っかかるものが何ひとつない小説では寂しすぎます。設定が思い切り嘘っぽくたって、ぼろぼろ泣けてしまった「秘密」を超える作品など、一生のうち、そう何冊も書けるものではないのでしょうね。

浅倉卓弥「四日間の奇跡」(宝島社文庫)
その「秘密」と同じ仕掛けを恥ずかしげもなく使った作品ですが、ストーリーも文章も抜群に上手く、とても新人とは思えない素晴らしい作品です。礼拝堂散歩の場面ではディズニー「ファンタジア」のラストシーンが、ヘリコプタークラッシュの場面では「野生の証明」の1シーンが目に浮かびました。この作品なら、トム・ハンクス主演で、映画にしてほしい気がします。自らの心の傷を見ないように、見ないようにしている多くの人にとって、心揺さぶられる作品ではないでしょうか。

佐藤正午「Y」(角川春樹事務所)
反対にこれは酷い・・・。タイムスリップ前後の設定は興味深いし、何十年にわたって思いを遂げる展開も面白いのですが、文章が致命的に下手くそ!ビレッジ・バンガード店頭POPではベタ褒めしてあった本書ですが、日本語の未熟な若い人にはあまり読ませたくない一冊です。

クリストファー・ライク著、土屋京子訳「匿名口座」(講談社文庫)
元々よくできている原作を、言葉と文章のプロである翻訳家が訳したのですから、面白いに決まっています。スイスのメガ・バンクで行われているマネー・ローンダリングに、軍隊帰りの若いアメリカ人銀行家がたった一人で立ち向かうという、いかにもアメリカ人が喜びそうな展開です。アメリカの投資銀行の傲慢さと横暴さを指摘した小説は多いですが、ヨーロッパの伝統的銀行業も、どろどろしているのでしょうね。

ロアルド・ダール著、田村隆一訳「チョコレート工場の秘密」(評論社)
今回の6冊の中では、間違いなくベストの1冊。児童書ですが、子供たちだけに読ませるなんてもったいない、最高のファンタジーです。どうやらティム・バートンの次回作!らしいです。
 

密閉教室 2004年6月17日

法月綸太郎「密閉教室」を、ようやく読みました。

謎解きはそれほどではありませんでしたが、生徒一人ひとりのドラマが微妙に絡み合って、面白いストーリーでした。パラグラフごとにタイトルがついていて、テンポの早いTVドラマのような展開が、ストーリーにマッチしています。

主人公は、やたらと難しい言葉や表現を使いたがる高校生探偵。事件を解決したつもりだったのですが、真実は何ひとつわかっておらず、格好悪いことこのうえなし。この年頃に共通する「一生懸命の背伸び」が、なんとも懐かしく、微笑ましいです。

舞台は、法月氏(そして私の)母校である島根県立松江北高校。私が卒業したと同時に、西川津校舎から現在の(そして本編舞台の)赤山校舎に移転したため、校舎内のディテールはよくわかりませんが、体育館ピロティや起雲館はOB面さげて遊びに行っていたので、情景は目に浮かびます。女子トイレ事件は、本当にあったことです。
 

「となりの寝室」 2004年5月29日

東京松江会で、久しぶりに二松まゆみさんに会いました。主婦ネットワーク組織のエムネットジャパンを主宰、現在は同社の第一線から退いて執筆生活の彼女。相変わらず、髪は黒く薄化粧で飾りっ気なく、振る舞いも自然体で、いつまでも田舎の高校生みたいな人ですが、天性のマーケッターです。

さっそく帰りに、彼女の処女作である、夫婦仲と性の相談所編「となりの寝室」(講談社)を買って読みました。これは面白いです。はじめは、清水ちなみの「女子便所の落書き」もの?あるいは、女性週刊誌連載のセックス相談室みたいなものか?と読み始めましたが、ぜんぜん違います。アンケート集計結果自体は、それほど興味をひきませんでしたが、夫婦仲と性についての主婦インタビューの量と内容に圧倒されました。恋愛−結婚−セックスというものは、世界中すべての人にとって「ドラマ」なのですね。彼女があとがきに書いているとおり、大切なことは「夫婦間の会話」コミュニケーション。

「となりの寝室」日本中すべてのご夫婦に推薦します。
 

「地下鉄(メトロ)に乗って」2004年4月16日

営団地下鉄が東京メトロに生まれ変わったから、というわけではありませんが、浅田次郎「地下鉄(メトロ)に乗って」を読みました。

「鉄道員(ぽっぽや)」「ラブレター」といった名作短編でもそうなのですが、この作家に「せつない別離」を描かせたら天下一品ですね。ぐっときます。

銀座線神田駅地下鉄ストアや、上野駅のスロープなど、馴染みの光景がでてくるところも気に入っています。普段、何気なく通り過ぎている地下鉄構内では、何十年もの間、毎日数え切れないほどのドラマが繰り返されてきているのです。いずれ松江に帰る私ですが、何十年かのちに日比谷線に乗ったときに、いったいどんなエピソードを思い出すことでしょう?

本作ではタイムトラベルを通して過去を垣間見、真実に触れるのですが、巻末の解説にもあるように、決して映画「 Back to the future 」のような痛快なものではありません。例えば、映画「 Once upon a time in America 」でヌードルスの回想を通して感じる郷愁と悔恨、あるいは、NHK少年ドラマシリーズ「タイムトラベラー」最終回でケン・ソゴルに関する記憶が消されたあと、芳山和子がラベンダーの香りを嗅いだときに視聴者が感じるせつなさに通じるものがあります。
 

プチ哲学 2004年4月5日

佐藤雅彦著「プチ哲学」中公文庫がすごく良いです。仕事でも、人間関係でも、お金でも・・・プチ?悩みのある人は、ぜひ読みましょう。

「あ!なるほど」
心がスッキリします。小学生でもわかります。
2004年4月5日21時40分

オピニオン誌「テーミス」 2003年9月12日

初めてTHEMISテーミスという月刊誌を買いました。電車の中吊り広告などで気にはなっていた雑誌でしたが、政治家や企業・マスコミなどを非難するだけの、がっかりさせられる内容が多かったようです。

例えば、巻頭言「既成の図式を破る報道を」。これは、マスコミの怠慢・ダブルスタンダード・ステレオタイプを戒める、なかなか辛口の論評でした。中村修二氏が、青色発色ダイオードの特許権帰属や発明の対価を求めて、日亜化学と争った裁判についての論評で、他のマスコミが「強くて悪い企業vs.弱いけど正しい個人」という視座オンリーで、中村氏の「虚言」「うさんくささ」にまったく焦点をあてていないことを痛烈に批判しています。果たして中村氏がどういう人なのか私は知りませんが、この裁判の本質は、実は本件特許や対価の問題ではなく、ましてや中村氏の人間性の問題ではなく、いままであまりにも低く扱われていた、企業内開発や発明に関する知的財産権とその対価をクローズアップすることで、若い開発者に夢を与え、技術に強い日本を再生させることなのです。私自身、マスコミの無責任な報道姿勢には日々憤りを感じていますが、こと本件については、枝葉末節にこだわるテーミス巻頭言よりも、一般報道のほうが正しいと思うのです。

テーミス9月号に掲載されている膨大な批判記事のすべてに目を通したわけではありません。世の中の問題点を発見する感性は高い(例えば、日本政策投資銀行の不良債権に目をつけたのはさすが!)と認めますが、その取材内容や論旨展開は、多少幼稚に思えます。私には「選択」「フォーサイト」のほうが、しっくりきます。

三枝克之「恋ノウタ」2003年7月28日

三枝克之「恋ノウタ」(角川文庫)を読んでいます。

「万葉集」の中から恋愛の歌を選んで、現代語訳したもの。例えば、
「真薦(まこも)刈る 大野川原の 水隠(みごも)りに
  恋ひ来し妹が 紐解くわれは」
という歌は、
「胸の奥でずっと 愛し続けてきた君の
  背中のホックをいま 僕は外そうとしている」
といったぐあい。試みとしては非常に面白いですが、現代語訳に、三代目魚武濱田成夫なみのセンスが欲しいところです。妙にリアルで印象的な写真に頼ってしまったのも×。

片山恭一「世界の中心で、愛を叫ぶ」2003年5月4日

Happy Birthday to my dear sisters KAORI & HIKARI !
Are you one ? Are you two ? Are you ...???

少し前の小説、片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」小学館を読みました。
「泣きながら一気に読みました。私もこんな恋愛をしてみたいなって思いました。」(柴咲コウ)
の帯につられて、ついつい買ったのですが・・・。

決して悪くはありません。文章も構成も確かで、主人公2人の言葉は深遠で哲学的で、もう一度じっくりと意味を噛みしめながら読みたいと思います。でも、泣けませんでした。これを読んで泣ける人は、主人公が白血病で死ぬ小説も、マンガも、ドラマも、生まれてから今まで一度も見たことのない人だけです。

(翌日、2回目を読みました。昨日よりはかなり感情移入できました。真面目な登場人物に好感が持てます。「人を好きになること」の意味を考えさせられます。今度持って帰って、長女Iにも読ませてやろうっと。)

貫井徳郎「慟哭」2003年3月9日

最近どこの書店でも平積みされている、貫井徳郎「慟哭」を読みました。暗く重たいストーリーを我慢しながら読み進みましたが、とうとう最後まで気は晴れませんでした。確かに最後の部分では「あ!」と驚かされましたが、それとて、なんだか作者に騙されていたみたいで、どっしりと疲れる驚きでした。

井上尚登「キャピタルダンス」2002年11月11日

井上尚登の「キャピタルダンス」読み始めました。「T.R.Y」「C.H.E」同様革命がテーマですが、辛亥革命前夜や、南米の反政府ゲリラといった、非日常的な革命ではなく、つい数年前のネットバブル時代のベンチャー革命がモチーフ。かなり生臭いストーリー展開ですが、読み進む先が楽しみです。

文中、あるベンチャー起業家の
「アメリカの現在は日本の未来だ。だからアメリカのネットビジネスをそのまま日本に持ってくるってのが大正解なんですよ。タイムマシンです。タイムマシン経営をしていれば、成功は間違いない。」
という発言に対し、主人公が
「タイムマシン経営なんて、いつの時代にもあったものだ。外国で成功したビジネスを導入する。ありふれた手だ。そして成功率はかなり高い。だが、今回はそれが危うい面を持っていることをこの秀才はわかっていない。」
と論評する段を読んで、思わずドッキリ。私自身が、今年6月頃の日記に
「〜将来私がNY支店長になったら、タイムマシン経営する〜」
なんて書いていたからです。

「ありふれた手」ですみません。でも実際ビジネスのヒントは山ほどあります。日本の土壌にあわせた調整は必要ですが、アメリカであろうが中国であろうが、「いいもの」「面白いもの」は貪欲に採り入れるべきだと思います。

思うに、竹中大臣もアメリカ製の「いいもの」を、ほとんど日本の土壌にあった調整をせずにストレートに導入しようとするから、必要以上に苦戦しているような気がします。それでも竹中氏の良い点は、密室で決めずに議論を表舞台に引き出していることです。論点や決定のプロセスが国民の目に明らかです。仮に竹中氏が守旧派に押し切られたにせよ、それは国民が自分の目で見、自分の頭で考え、(納得はしないかもしれませんが)了解した結果であり、従来よりはずっと民主的であります。

井上尚登「C.H.E」2002年11月1日

井上尚登の「C.H.E.」読みました。「T.R.Y」同様、映像を意識したストーリーがテンポよく進み、一気に読み終えました。「T.R.Y」が辛亥革命前夜のアジアが舞台であったのに対し、「C.H.E.」の舞台はリベルタという架空のラテンアメリカの国。そしてテーマはやはり革命。ラテンアメリカの「貧しさ」「行き場のない憤り」「人々の明るさとエーカゲンさ」がだんだんと絡まりあっていき、最後はちょっと悲しい結末。この作家なかなかです。

井上尚登「T.R.Y」2002年10月27日

今秋、織田裕二主演で映画化される作品。予告編見ただけでは、「インディ・ジョーンズ二作目『 Temple of Doom 』を安易に模した角川映画」という印象でしたが、この原作が予想以上に面白い!面白い!最後の武器取引場面なんて、何重にもどんでん返しが待っていて、まるで、クロードのミルクレープを一枚一枚剥がしていくような興奮(?)を感じました。

映像を想起させる高い文章力なのか?それとも、最初から映画化を意識していたのでしょうか?久しぶりに、面白く痛快な小説でした。考えてみますと、最近は例えば「ゴクセン」「リモート」など人気漫画がドラマ化されたり、浜崎あゆみ「 Voyage 」が映画「月に沈む」になったり、媒体間の垣根が低くなっているような気がします。「小説」「漫画」「音楽」「TV」「映画」「演劇」・・・。

「冷静と情熱のあいだ」2001年10月11日

辻仁成版に続き、江国香織版の「冷静と情熱のあいだ」も読み終わりました。順正・あおいそれぞれの「過去」への接し方、十分幸せなのだけど決して満たされない「現在」との訣別、来るはずのなかった「未来」の出現に対するとまどいと勇気・・・。1冊ずつでも佳作なのですが、2冊両方を読んで初めて感じられる不安感や高まりがあって、最後の数ページは本当にドキドキしながら読みました。

恋愛小説なんてめったに読まないのですが、この2冊は良かったです。toby自身は絶対に順正になれませんし、あおいみたいなタイプの女性を愛することはできないのですが、感情移入は容易でした。そうか、あおいはこんなこと考えてたんだ。早く映画が観たいです。
浅田次郎「聖夜の肖像」2001年10月4日

浅田次郎「鉄道員(ぽっぽや)」は大好きな話で、他にもしみじみと「いいなぁ」と思える佳作が多いのですが、先日読んだ「聖夜の肖像」は浅田次郎っぽくない設定がよかったです。辛い過去を引きずった善い人の話であることには違いないのですが、妙におしゃれでユーミンの歌が似合いそうな雰囲気でした。最後にほろりときたことは言うまでもありません。