1999年のひとこと


一畑電車のY2K 1999年12月31日

一畑電鉄がY2K対策をしない理由のトップ10

第10位 車両・設備から管理部門にいたるまで、ただの一つもコンピューターが使用されていないから。

第9位  正月三が日くらい家でのんびり休みたいから。

第8位  すべての車両・設備はコンピューター1900年問題を経験しており、安全性は実証されているから。

第7位  「電車が止まる?別に珍しいことではありません。」

第6位  電車が止まってしまえば、路線廃止の格好の理由になるから。

第5位  出雲大社初詣電車チケットの企業へのハメ売りで、元旦の利益はすでに確保されているから。

第4位  Y2K対策費を使うことに沿線住民の同意が得られないから。

第3位  西暦2000年まで会社が存続することは、まったく想定していなかったから。

第2位  「大丈夫。何が起ころうが、私たちには一畑薬師様がついています!」

第1位  「え?Y2Kって何?」


小心者 1999年12月22日

成功するベンチャービジネス経営者の持つステレオタイプは「貪欲」「仕事ずき」「スピード」などではないでしょうか?これらに加え意外と多いのが「小心者」、言い換えれば「臆病」で「石橋を叩いて渡る」タイプが多いようです。米国の一流経営者には超悲観論者が多く、だから好調なときでも危機管理(リスクマネジメント)を怠らないそうです。

史上最高の初値35百万円で株式公開を果たした松江のビー・アイ・ジー・グループの青山社長、30代半ばの若さでその名の通りBIGになりました。今まさに旬の商売であり収益性も高い会社ですが、まだまだスタッフが育っていません。好調な今だからこそリスクマネジメントを強化して、ますますいい会社に育ってほしいものです。

買って良かった! 1999年12月20日

週末家族を置いて一人甲子園ボウルを観にいくには条件があります。家族にしっかりお土産を買って帰ること。

今回の目玉はGAPのフリースとバックパック。GAPはアメリカ駐在当時すでに超人気ショップで、どこのショッピングモールにも必ずありました。どうして日本上陸がこんなに遅れたのか不思議でしかたありません。

さて土曜日に訪れた三ノ宮GAPの接客ポリシーは、いわゆるよくある「爽やか系」若者による感じの良い「ディズニーランド系」の対応で、入り口に立っているお兄さんは「いらっしゃいませ、ようこそGAPへ!」「ありがとうございました、また来て下さいね!」。店内のお姉さんは「こんにちわ、何かお探しですか?」「これとっても軽くていいですよ!」とニッコリ。

と、ここまではよくある話。三ノ宮GAPはここからが違います。レジのお姉さんの対応が実にいいのです。

お姉さんはレジを打ちながら、商品を包みながら、ずっと話しかけてきます。「このフリースは×××(聞き取れなかった)フリースといって繊維がとても細くて軽いんです。あったかいですよ!」「このバックパックとても使いやすいですよ。ほら、ここにもポケットがついていますし、ここを緩めるとたくさん荷物が入りますよ!」

はじめは思わず引いてしまいました。すでに購買の意思を固めたうえで商品をレジに持ち込んだのに、さらに波状のダメ押しセールストーク攻撃か?ところが相づちうって聞いているうちに、なんとも良い気持ちになってくるのです。「そうか、僕はこんなに良いモノを買ったんだ」「これなら奥さん喜ぶぞ」「僕ってとっても買物上手!」「GAPに来て本当に良かった!」

我ながら乗せられやすい単純な性格だとは思いますが、これはスゴイことです。ほとんどの商店においてレジは事務的で無機質な部分であり、まったく期待していない部分でこれだけのリップサービス徹底すれば顧客は喜びますよ。目のつけどころが実に良いと思いました。

それにしても買物上手だなあ、僕は!

空の翼 1999年12月20日

甲子園ボウル応援に行ってきました。我らが関西学院ファイターズが52対13の大差で法制トマホークスを下して2年ぶりの大学日本一。寒空のもとで歌う校歌「空の翼」、最高に気持ち良かったです。

感動を呼んだのは、試合中何度もスタンドから湧き起こった「太田」コール。太田というのは現役の選手ではありません。2年前の関西リーグ戦でMVPを取った名キッカーで現在は社会人。そんな太田の名前が連呼されたのには理由があります。

2年前の甲子園ボウルも昨日と同じ「関学−法政」戦。静かだった前半戦がうそのように後半は激しい点の取り合い。第4クォーター、法政がランで6点差をつけて逆転した時点で試合時間は残りたったの58秒。ところがここから関学オフェンス陣の猛チャージ。残り4秒を残してクォーターバックが放った最後のパスを見事にタッチダウン、ついに同点に追いついたのです。

ここで登場したのが太田。キックが決まれば1点差で逆転。リーグ戦を勝ち進み、チームを甲子園ボウルまで導いた原動力であるMVP太田のキックであり、スタンドの誰もが関学の勝利を確信しました。

ところが無情にもボールは左側ポールのわずか外側を通過・・・。規定により引き分け両校優勝という、関学にとっても法政にとっても何とも煮え切らない結果に終わったのです。そして何よりもTVで大写しになった太田の呆然とした表情は多くの関学ファンの胸に焼き付きました。その日以来、太田の苦しみは我々ファンの苦しみでもあったわけです。

そういう意味で昨日の試合はまさにリベンジでした、今度こそ決着を!すっきり試合に勝ち、太田と一緒に喜びたい!それが甲子園に集まった関学ファン全員の気持ちであったわけです。

試合後太田コールに応えてスタンドからグラウンドにおりた太田は後輩達による胴上げの洗礼を受けました。スタンドで見ていた我々も流れる涙が止まりませんでした。

校歌「空の翼」にもうたわれている関西学院のポリシーは「Mastery for Service」。「奉仕のための練達」と訳されますが、昨日はまさに在学生、OB、ファンが一つになって母校のため、太田のために集まり、祈り、声をからして応援して、祝福した素晴らしい奉仕の瞬間でした。

「Number」誌の特集記事みたいですね(?)

「NHKのど自慢」合格のためのTIPS 1999年12月5日

本日島根県江津市で開催、全国に生放映されたNHKのど自慢に挑戦しました。(ブラウン管から皆様にご挨拶と目論んでいましたが、残念ながら予選落ちでした)

応募はがき総数は約600通、その中から抽選で250組が選ばれて昨日予選会が開かれました。私のはがきも運良く選ばれ江津まで出かけましたが、なにせ250組のうち本選に進めるのは20組だけ。涙を飲みました。

私が感じたNHKのど自慢合格のためのTIPSを紹介します。

(1) まずは忍耐力。250組すべてが歌い終わるまで約5時間!寒い体育館で待ち続けるのは本当に苦痛でした。

(2)曲名は重要なポイント。実は予選で歌う順番は曲名のアイウエオ順です。私の挑戦曲はチューブのMelodies & Memoriesで220番目でした。バンドも審査員もスタッフも人間です。前半の審査と後半の審査の精度がまったく同じとは思えません。歌う本人も待ちくたびれました。「か〜さ」行くらいで始まるタイトルの曲がちょうどいいのかな、と思います。

(3)当日のゲストの持ち歌やヒット曲がある程度有利なのはわかりますが、必ず同じ歌でかち合います。本日のゲストは美川憲一と鳥羽一郎でしたから「さそり座の女」や「兄弟船」はそれぞれ10人以上が挑戦、連続して歌うので簡単に比較されます。よほど自信がないとかえって辛いです。

(4)予選の日はまだバンドもへたです。そのうえ音合わせも練習も何もなく、順番がきたら「さあ歌え!」ですから歌い出しが合わない事もしばしば。もっともそれは審査に折込済み、歌い出しで失敗しても本選に選ばれた人は何人もいました。

(5)一人の持ち時間はせいぜい40〜50秒。したがって序々に盛り上がって行くようなバラードはぜったいに損です。聞かせどころまでいかないうちに「ありがとうございました!」の声。理想的なのは、いきなりサビがくる構成(例「大都会」)。

(6)歌唱力はないよりあったほうがいいです。でも番組の構成上「鐘ひとつ」向けの人も必ず選ばれます。また曲はロックやポップスと演歌が半々、年齢や男女の比率もバランスを考えて選ばれます。(落ちたヒガミもありますが、「なんでこの人が?」という人も何人か選ばれました。案の定、そういう人達は生放送でも失敗が目立ちました。それを見て「ほら見ろ」とほくそえむ私は家族中に白い目で見られました。)要はアイデアと個性さえあれば選ばれる可能性は十分あります。正攻法で行くなら人並みの歌唱力では無理です。

日曜日お昼45分間の「NHKのど自慢」もいいですが、土曜日の予選会というのは(見る分には)本当に楽しいものです。ご近所に来たら、ぜひご家族でお弁当お茶持ってお出かけ下さい。最高のエンタテイメントを保証します。

スーパースター 1999年11月17日

劇団四季のミュージカル「ジーザスクライスト・スーパースター」を観てきました。子供達は退屈そうでしたが、いやあプロですねえ。単調な中にもジーザスを裏切ったユダの悩み葛藤の深まりは胸を打ち、激しいむち打ちの場面から思いのほか静かな張付けの場面にいたるまでの展開には思わずはまりこんでしまいました。

考えてみると、当時のキリスト教の立場って、いまのオウムとか「ミイラは死んでない。定説です!」と言いきる何とかと、同じ様なものですね。

その後2000年にわたって数多くの迫害を経験して現在の認知と厚く広い信仰を得たキリスト教が素晴らしい事はもちろんだけど、ひょっとして今から2000年後オウムが広く世界で信仰され、ブロードウェイで「ショウコウアサハラ・スーパースター」が大ヒットし、サカモト弁護士やエガワさんが憎き敵役で演じられる事だってあるかもしれません。社会的立場もそれなりである多くの人達が今でも信奉しているオウム、決して地下鉄サリン事件に象徴される極悪教団の一面だけではないような気もします。女子高生らち事件も狂言でしたし・・・。要は物事は見る角度によって全然違って見えるということ。

ちなみに私はアサハラが嫌いです。

物言い 1999年11月12日 その2

日本チャチャチャの続きです。

相撲の「物言い」というシステムもすごく日本的ですね。

一番近くで勝負を見ていた行司(審判)が勝敗を言い渡しているのに、「ちょーっと待ったぁー!」で審判団が協議、ひどい時には「行司差し違え」で判定が覆る!。行司の責任と威厳はいったいどこにあるのでしょうか?(見ているファンは大喜びですが・・・)

スポーツにおいては審判の判定は「絶対」でないといけないと思います。仮に間違っていたとしても、一度おりた判定は判定、簡単に覆ってはいけません。同時に簡単に判定を覆すような無責任な審判に審判の資格はありません。一生懸命戦ったプレイヤーや応援したファンに失礼です。

2年くらい前セ・リーグにアメリカ人の審判員がいて、どこかの監督がその審判の判定に不服で手を出したため怒って帰国した事件がありました。単なる選手同士のケンカと違い審判の尊厳に関わる問題なのですから当然だと思います。こういう監督や故意で相手や審判に危険球を放ったガルベスやメイはスポーツの世界から永久に追放されるべきでしょうね。

以前NFLではインスタントリプレイという制度があって、判定に不服がある時は審判がその場でビデオテープを精査して白黒つけたものですが、試合時間がいたずらに長くなるという理由で、同制度は廃止されました。ビデオなんか観なくたって審判の判定は絶対なのです。

実はNFLでは今シーズンからインスタントリプレイを復活させたのですが、リプレイを要求した(=物言いをつけた)チームは、ビデオで精査しても判定を覆す事ができなかった場合に、タイムアウトの回数を1回減らされるというペナルティを課せられます。したがってこの制度容易には使えません。やっぱり審判による判定は最優先なわけです。

行司の判定よりも審判団の合議や判官びいきファンの心情を優先させる大相撲。これはやはり「スポーツ」でなく「日本文化」なのでしょうか?

日本チャチャチャ 1999年11月12日

バレーのワールドカップなかなか面白いですね。日本も弱いながら一生懸命ついていってます。

観ていて気になるのが益子さんの解説。あれが解説やコメンテーターではなく「ファン代表」としての出演なら我慢できるのだけど・・・

たとえば画面では明らかに鈴木のスパイクアウトなのに益子さんは常に「ワンターッチ!」と絶叫。何の事はない「今のがワンタッチだといいな→ワンタッチであって欲しい→きっとワンタッチだよね♪」というファンの気持ちが益子さんに「ワンターッチ!」と言わせているわけであって、現場から視聴者にゲームの流れを正確に伝える解説者としてはまことにお粗末。「審判の判定は絶対」というスポーツの最低限のマナーすら破ってしまいそうでヒヤヒヤします。

もっとも観客・視聴者の99%が日本チームのファンだから身びいきになるのも仕方ないのかな?「ワンターッチ!」は視聴者の心の叫びなのだから。

日本人のスポーツとのかかわりっていろんな意味ですごく日本的でまさに日本文化を象徴していると思います。たとえば大相撲。「小が大を飲みこむ」「悲願達成」「有終の美」親方や弟子の人間関係、稽古、協会や横審の関わりかた、そういう予定調和の世界は何も歌舞伎や文楽の人情話やフーテンの寅さんだけの世界でなく、相撲界でも重要なファクター。日本人として見ていてとても安心できるのだけど、これらが昂じて「ごっつぁん」や注射は当たり前、ガチンコ力士は何かと異端者扱い、というのはどういうものでしょうか?

ある時期まで、この日本文化の世界はビジネスにそのまま持ち込んでも十分通用しました。しかしこの1年間に起きた日本企業の不祥事、政界官界のスキャンダル、海外勢の日本叩きは、すべて日本文化と実社会とのギャップに端を発しているわけで、みんな気付いているのになぜ変われないのか、変わろうとしないのか不思議でしかたありません。ひょっとしたら、日本人の深層心理にインプットされている日本文化の最も美しいところへ一団となって向かいつつあるのではないでしょうか?・・・心中。

週末は久々に小松左京の「日本沈没」読んで考えてみようと思います。日本人ってなんだろう?

借り手責任 1999年11月2日

日栄のはなし。

臓器で弁償しろ!だなんて、ついに日本にもベニスの商人登場。嫌な話です。 でもこの手のニュースでいつもうんざりするのは、あまりにも報道の視点が偏っているように感じること。

確かにこの日栄社員の督促トークはやりすぎだし、人の道を大きく踏み外しています。でも「組織ぐるみで督促」だの「毎日、督促状況を本部役員が厳しくチェック」なんて金融機関にしてみれば当たり前のこと。うちでも毎日やってます。こんなことまですべて「けしからん」と視聴者に思わせるような報道はいかがなものでしょう?

いわゆる商工ローンや、武富士アコムなどの消費者金融業は確かに人騒がせではあるけど、脳みそにカビの生えた銀行業が融資したがらない、例えばハイリスク層に対する金融という非常に重要な使命を背負っているわけで、現在の日本の金融システムの中では、必要悪どころか不可欠な存在です。

だいたい日栄社員に脅迫された人(=借りた金や保証した金を返せない人)の問題や責任はどうなるのでしょう?契約時に説明不足のケースもあったようですが、まともな大人なら借入あるいは保証のハンコをつくことの意味くらいわかりそうなものです。ベニスの商人が逮捕されても脅迫された人の債務は消えません。

ニュースや報道は鵜呑みにしないこと!自分の常識や判断基準をしっかり持ちましょう。

無自覚の差別 1999年10月29日

私たちが子供の頃から差別やいじめは存在したし、それらを乗り越えて大人になってきたように思います。大事にきれいに育てられたいまの子供たちの多くは、それをうまく乗り越えることができなくてキレたり自殺したりするのかも知れません。

差別をなくすことは絶対不可能だし、資本主義の世の中がある程度の差別を前提になりたっている以上差別の絶無を期すること自体自己矛盾に満ちています。差別をバネに成長することは生き物の宿命かもしれません。

私の父親は昔でいう士族の出身で京都大学まで出ているのだけど、島根県には縁もゆかりもない鹿児島出身です。一方母親の実家は代々名医を生み出している安来市の旧家。決して多くは語りませんが、この2人の結婚は双方の親戚になかなか理解されず苦労が多かったようです。私が結婚した時、父は鹿児島から親戚を何人も招待し、母方の親戚と酒宴を催しました。その時の両親をみて「ああ、この2人は結婚から27年たって初めて本当に親戚みんなに祝福され、ようやく結婚が完結したのかな?」なんて勝手に想像したものです。でもある種の地域差別意識と戦って頑張ってきたからこそ、夫婦の今日があることは間違いありません。

世の中の差別すべてがこういう目に見える差別ならわかりやすいのだけど、本当に困るのは、長い間に私たちの暮らしの中に自然に入りこんでしまっている、差別している本人が差別していることをまったく自覚していないケースだと思います。

たとえば最近でこそ言わなくなったけど「ばかちょんカメラ」。「ばか」でも「ちょん」でも扱える操作の簡単なカメラだから「ばかちょん」だけど、「ちょん」が朝鮮人の蔑称だとはかなり後まで気付きませんでした。

高校の社会の授業で先生が珍名さんの例として大きく黒板に書いた名前は「高麗木ヽ三」。これで「こうろぎちょんぞう」と読むらしい。本当にそういう名前の人がいたのか、また先生がどういう気持ちでこの名前を持ち出したのかまったくわからないけど、今から考えれば私たち生徒の心に無意識・無自覚の差別が一つ埋め込まれた事件だったと思います。

いのちの電話 1999年10月26日

昨夜、長女の学校の先生から電話があった。どこの学校の誰なのかわからないけど自殺予告の電話があったので、手分けして無事の確認をしているとのこと。

私自身「自殺」なんて考えたこともないから、そこまで追い詰められた子供がかわいそうでならない。同時にそこまで子供たちを追い詰める大人や社会に憎しみを感じる。もっとも悲しいのは私もそういう大人や社会の一員であり、子供たちを追い詰めている犯人予備軍の1人であること。

毎朝長女と駅まで歩き、はた目にはとても仲の良い親子にみえても、家に帰ればお互い嫌な思いをすることもしばしば。子供たちが学校や友達から覚えてくる言葉や考え方にはまったくついていけないことも。そして「自信がないから」「忙しいから」「今日は疲れているから」いろんな理由で子供たちを突き放したり、あるいは逆にとことん甘やかしたりする。親だって自分が育ってきたあやふやな経験や尺度しかないのです。

本当にどうして良いのかわからないけど、きっと鍵になるのは会話だと思う。長女はどんない機嫌が悪くても毎朝駅までの15分は楽しく話しかけてくるし、次女も叱られると貝のように黙り込むけど、一緒にお風呂に入って同じ目線で話し続けることで心を開いてくれます。もう単身赴任したくないなあ(無理だろうけど・・・)毎日少しづつでも子供たちと話したい。

自殺予告の子供、無事だといいけど。

ノーブランド 1999年10月20日

東本町にSという日本酒バーがあります。最近は味も落ち親爺もひねくれちゃって行く気がしませんが、以前はそれはそれは美味しい日本酒を飲ませてくれたものです。

Sのポリシーは日本酒の銘柄(ブランド)をいっさい客に明かさないこと。日本酒ブーム以降、やれ「越の寒梅」が最高だの「久保田の萬寿」が旨いだの、飲み手がブランドで酒を買うようになりました。そして賢い(?)造り手は本当に良い酒を造る努力を怠って名前を売る努力ばかりするようになったのです。そんな風潮に嫌気がさした親爺が全国の蔵元を歩き回り、美味しい酒を買い集め、あえて名前を伏せて客に供するようにしたのです。

客にしてみればこれはとっても不便なことです。名前がわからないので、前回と同じ酒を飲みたくても親爺にうまく伝わらない。「さらっとしているけど飲むとズドーンとくる」だの「香りがよくて辛口で」だの「ほら、可愛いグラスに入っていた」だのホント表現に苦労します。

ところがやってみると、この会話が実に楽しいのです。もともと日本酒の味をあらわす日本語なんて「甘口・辛口」「級別」くらいしかありませんでした。最近でこそ「大吟醸」「純米酒」「淡麗」「蔵出し原酒」「ふねしぼり」・・・と増えてきましたが、これらもしょせんはブランドの一部を構成する言葉に過ぎず、その程度のボキャブラリーでは簡単に好みの酒にたどりつけません。ただ注文した酒を飲むだけの店では味わえない付加価値といえます。

服でも鞄でもブランド品の品質は安定しており安心して買えますが、必ずしもベストチョイスとは限りません。手間や時間がかかっても、自分の言葉で本当に自分の欲しいものを手に入れる努力はもっとしてもいいのでは?

東本町の石原酒店では、通い瓶に樽から直接酒を詰めて売ってくれます。先日も通い瓶に県内某酒蔵の純米酒を詰めてもらい宴会に持参して「銘柄当てごっこ」して遊びました。これって結構面白いし、お洒落じゃない?大好きなお酒をラベルのないボトルに詰めて人に贈る。そこには会話が生まれ、酒も食もはずみます。ブランド・パワーだけに頼った贈り物よりもよっぽど気がきいていると思う。

ALS 1999年10月7日

ALSって知ってますか?

正式な名前は忘れましたが、原因不明の難病で、全身の筋肉が少しづつ萎縮していき数年で死にいたる恐ろしい病気です。日本でも数百人の患者さんがいて、確か最近県内にもALS患者の会が発足しました。

最近ようやくマスコミでも取り上げられるようになったけど、患者本人はもちろん家族や回りの人たちの苦労は並大抵のものではありません。発病後数年で寝たきり状態になり、食事や排泄が自分で出来なくなり、意識や意思はあってもしゃべることすらできなくなるのです。そして数年で呼吸や心拍も停止してしまいます。

私がこの病気のことを知ったのは兵庫県のテクノスジャパンという企業とのお付き合いから。同社は、言葉がしゃべれず意思伝達のできない患者が脳波(β波)を介して意思表示できるMCTOS(マクトス)というディバイスを開発しました。私も試してみましたが、わずかの練習で、念じるだけで、いっさい手を触れることなしに電灯を点けたり消したりできました。

MCTOSは、あるレベルまで病状の進行した患者とその家族にとってはまさに魔法の道具です。米コロラド州で行ったデモのレポートがインターネットで公開されていましたが、読むだけで感動ものです。それまで何を考えているのか?何をしたいのか?あるいは意識があるのかないのかすら分からなかった患者とコミュニケートできるのです。まさに感動を売るこのビジネス、なんとか成功してほしいものです。

ところでこういう新しいビジネスに対する日本の当局(この場合は通産省や厚生省でしょうか?)のフットワークは非常に鈍いですね。値段の高い機械なので病院や患者は政府の補助金を使いたい、でも当局がなかなかMCTOSを医療器具として認定してくれないから補助金の対象にならない、というジレンマがあるのです。

MCTOSの商品化はまずアメリカから。現地法人を設立し製造販売を始めるようです。これがうまくいけば、外圧に弱い日本の当局がいっきに認可し、国内での普及もスムースにいくことでしょう。

がんばれMCTOS!ALS患者と家族の福音たれ!

帯状疱疹 1999年9月13日

先週から左のまゆの辺りが腫れ、土曜日にはリンパ腺まで腫れてきたので医者に診せたところ「初期の帯状疱疹(どうまき)ではないか」との診断。ついに昨日から顔の左側全体が腫れてきて、左目などウィラポンと12ラウンド戦った直後の辰吉丈一郎みたいに垂れ下がっています。

他人に感染する心配はないし、いたって元気なので出勤していますが、眼帯というものは本当にうっとうしく左半分が見えないものだから今日は振替検印もしていません。

薬のせいか午後になってだんだんしんどくなってきました。「明日は眼帯にまゆと目を描いて出勤しようか?」と店中の笑いをとっていたら「アホなこと言わずに早く帰れ!」と支店長にしかられたので、今から病院に行きます。

大宇ショック 1999年8月18日

韓国の大宇財閥が崩壊しました。以前から東欧や南米向けの派手な海外進出や金会長のワンマン経営で何かと話題には上っていましたが、いざ倒れてしまうと感慨深いものがあります。

以前香港支店で大宇の香港現地法人に融資していた関係で、韓国全土に散らばるグループ各社の工場を視察するツアーに参加したことがあります。よく整備された近代的な工場ばかりで、情報開示に対する前向きな姿勢や素晴らしい応対が強く印象に残っています。捲土重来、いつかは立ち直って再度「アジアの虎」になってほしいものです。

そういえば上記融資のアレンジは今はなき長銀でした。ひとつの時代の終わりを感じさせます。

リバウンド 1999年6月25日

うちの人事部も味なことをします。

営業店に転勤しても事務がわからないし、わかったらわかったで「んーっ!」なので(?)半分真剣に転職を考えていたけど、県庁支店勤務という、予想すらしてなかった、まったく新しいチャレンジを与えられてしまいました。

最近ボブ・グリーンの「マイケル・ジョーダン リバウンド」にはまっています。ジョーダンは史上最高のバスケットボールプレーヤーであり、稀代のスーパースターだけれど、ハイスクール時代はレギュラーにもなれない並の選手だったそうです。レギュラーになりたいという強い気持ちが彼のスキルを磨き、やがて花開いたわけです。一度引退して大リーガーを目指していた時期も、NBAにカムバックした時も、常に目標は高く、強い気持ちが彼をあのレベルまで導いたのです。

ぼくの中で今いる法人営業課は3ピートを達成したシカゴブルズと同じ。来年もう一度4連覇を目指し達成しても人からは当然のことのように思われるだけ。今ぼくはバスケットボールをバットに持ち換えて、まずは1塁ベースにたどり着けるよう挑戦する。県庁支店でのお役人相手の商売がぼくのキャリアパスにどんな意味を持つのかわからないけど、まったく未知のことだから強い気持ちで取り組める。

転勤の内報が出た日の素直な気持ちです。

ユダヤ人のおかあさん 1999年2月15日

毎朝子供を送り出す時、日本人のお母さんが「先生の言うことをよーく聞いておいで」というのに対し、ユダヤ人のお母さんは「たくさん質問しておいで」というのだそうです。

確かに日本人は質問べたで、セミナーや講演会の質疑応答でもろくな質問がでません。主催者が気をきかせて(?)質問の「さくら」を用意するなんて情けない話です。

ユダヤ人のお母さんに育ててもらわなかった(?)不幸もあるのですが、これだけ日本人が質問べたなのは、反対意見を言われると人格まで否定されたような錯覚に陥ることも原因のひとつでしょうね。反対意見はあくまでも意見に対する反対、意見が出れば出るほど議論は活性化して良い結果が導かれるはずです。

年賀状(1999) 1999年1月1日

武田テツヤが予定調和のお涙を誘い、アムロとワダのふたりだけで一気に大逆転を演じ、98年も無事に終わりました。(それにしても西田ひかるは、史上最強のハーフタイムショー・タレントだなあ...)というわけで、「あけおめ」「ことよろ」

昨年もいろいろありましたが、ここで私的98年3大ニュースを送ります。

1.生まれてはじめての入院
病名は、急性扁桃炎、子供がよくかかるやつです。ほかにも背筋痛で鍼あんまに通いはじめたり、長年の友である関節痛の発作でキャンプを中断したり、例年になく健康面に問題のあった1年でした。(普段はピンピンしています。ご安心ください)

皆さんのいいたい事はわかります。そうなんです、歳のせいなんですよ、トシ!会社で「若い者」だけで集まって飲みにいくと、いつも僕が最長老。乾杯の挨拶はお手の物です。「若い者」で誘ってもらえるのも時間の問題かと思います。何にせよ、健康だけは気をつけたいものです。厄年もまだ2年後ですし。

2.アカペラユニット結成
会社の、それこそ「若い者」4人と結成しました。名称は「RHM with t」、まだまだへただし、レパートリーも少ないし、本格的な活動はこれからです。悩みの種はなかなか全員そろっての練習ができないこと。社会人ユニット共通の辛さです。それでもハーモニーをひとつひとつ作り上げていく作業は、学生時代に一生懸命築き上げたノウハウの再生であり、最高に楽しく心踊ります。しっかり練習を積んで、今年中には皆さんの前で胸をはってご披露したいものです。

3.システムインテグレーション多喜氏との出会い
ここだけ仕事の話で恐縮ですが、多喜さんというのは東京の経営コンサルで、大企業の開放特許の活用などで有名な方です。中国通産局の事業の関係で山陰地方での仕事も多く、よくご一緒するのですが、この人がすごい。もともと技術屋・開発屋さんで、専門的なアドバイスやコンサル能力の高さも素晴らしいのだけど、ビジネスとしてマッチングさせ、成功させるための感覚、気構えみたいなものが大変参考になります。

僕も帰国して3年目。「海外勤務帰り=ごくつぶし」といわれないためにも、多喜さんのような気構えを身につけ常に高いものを目指していきたいものです。

3大ニュースの番外として、6月のハードディスクぶっ飛び事件がありました。ドキュメンツはあまり保存してなかったので助かりましたが、電子メールをやり取りしていた皆さんのアドレスが全部消えてしまったのです。またサーバーの都合で私のメールアドレス自体が若干変わっており、皆さんに多大なご迷惑をおかけしております。

僕の今年の目標は、「仕事に関係のない本」を年間50冊読破することです。いままでもわき目をふって歩んできた人生ですが、これからは、もっともっとわき目をふって変化に対応できる力強い人間に成長したいと考えます。自分勝手なわがまま者ですが、皆さんの力を貸してください。 末筆になりましたが、1999年が皆さんにとっても最高の1年となりますよう心からお祈り申し上げます。正月早々長文メールにお付き合いいただきありがとうございました。

香港支店廃止 1998年12月22日

来年春,うちの香港支店が廃止されることになりました。

以前のように支店の設立・廃止に対して大蔵省が口をはさむことがないので、拠点のスクラップ・アンド・ビルトは自由に積極的にすべき、と頭ではわかっていても、実際に開店業務に携わった1人として寂しい気持ちは隠せません。

一番嫌なことは、5年で廃止することで「香港支店は不要だった」だとか「やはり失敗だった」といった口調でそのすべてを否定されがちなことです。

地方銀行の海外支店の存在意義は、次の3点に集約されます。
1 海外進出顧客の支援
2 海外情報・市場情報の収集
3 海外・市場に強い行員の教育

うちの香港支店の実態もこれら存在意義に合致しています。香港には地元の有力企業が多く進出しており、支店では各社に対する融資や為替取引のみならず従業員取引も行っていました。情報収集については言うまでもなく市場情報や海外企業情報、あるいは海外の金融監督に関する動向は、生きた情報として国内で活用されました。また海外での生活体験、ものの見方や考え方を身につけた行員が1人でも多く国内で活躍することが地域におけるわが社の差別化に大きく役立っています。

残念なことに、この1年は東南アジア市場の混乱で収益があがらず、顧客支援も十分できない状況だったようです。また、中国国内の大連事務所開設のステップとしての重責は十分果たしたため廃止はやむを得ないと思います。だけど「香港支店もちゃーんと意味があったんだよ!」

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