2000年のひとこと


風評被害 2000年11月4日

秋も深まってきました。皆様お元気でお過ごしの事と思います。我が家は恒例の「芸能の秋」で、私はPTAコーラスで小学校の音楽会に参加、娘は来年3月行われるミュージカル「Believe in Me」のオーディションに挑戦中、いま1次審査を突破したところです。(私のNHKのど自慢は今年もダメでした。来年はイロもの(?)で挑戦します。)

さて今秋の山陰といえば、なんといっても「鳥取西部地震」。私の住む松江でも震度5弱、生まれて初めての体験でした。阪神大震災を上回るマグニチュード7.3で住宅や産業に大きな被害がでましたが・・・

はっきり言って「たいしたことありません!」

たしかにJR伯備線はまだ不通の区間がありますし、仮設住宅住まいの人もたくさんおられます。でも幸いな事に亡くなられた人はゼロですし、大半の住民は何一つ不自由なく普通の生活を送っています。

いま地元の一番大きな問題は「風評被害」です。観光施設が壊滅的打撃を受けたとの「まちがった報道」で、せっかくの行楽シーズンの観光客が激減しているのです。

震災直後のTV画像でペチャンコになっていた神社を「出雲大社」本殿だと信じていらっしゃる方は多いと思いますが、あれは出雲大社ではありません。被害を受けたのは、全国各地にたくさんある神道出雲大社教のひとつで鳥取県境港市にある上道教会の建物であり、島根県大社町にある出雲大社はまったくの無傷です。(FNNの安藤キャスターも「ご覧の通り、出雲大社にも大変な被害が・・・」なんて言ってましたから。)

松江、米子、鳥取、大山、隠岐などの観光地をはじめ玉造、皆生、三朝などの温泉もほとんど無傷です。例年大勢の観光客でにぎわう今日の松江どう行列もどことなく寂しい人出でした。

皆さん、山陰はだいじょうぶです!ぜひ安心してお出かけ下さい!(今なら宿も安い?)お友達にも、お知合いにも教えてあげて下さい、山陰はだいじょーぶ!

ホットな山陰情報は こちら

WEB同窓会 2000年8月15日

残暑お見舞い申し上げます。お盆は心静かに過ごされましたでしょうか?私は中学校卒業25周年の同窓会の幹事を仰せつかり、とても忙しいお盆でした。

さて今度の同窓会、ちょいと面白い企画をしました。思いつきが遅く案内状を出したのが7月のなかば、当然参加者は少なく卒業生160人のうちわずか50人程度でした。

そこで思いついたのがWEB同窓会。同窓会のHPを開設し、デジカメで撮影した会場のライブ映像を掲載。同時に、参加できない同窓生からのメッセージを掲示板で受付け会場で紹介したわけです。(もちろん私にはそんな芸当はできません。同級生のG君という天才ネット職人のおかげです。)

これぞネット、これぞITです!帰省できない人も、お盆が「かきいれどき」で参加できない人も、容姿が変わり果てて人前にでたくない人も、み〜んなネットで同窓会に参加できるのです。アイデアとしては何年も前の雑誌のインターネット特集記事に載ってたようなことですが、実際にやってみてその素晴らしさを実感。掲示板のメッセージにもオフサイト参加者の喜びや感謝の声があふれています。

ついでながら最新の私の顔がでています。残暑見舞いのメッセージだと思って クリック してみてください。01、20、26、33あたりに写っていますが43が一番大きく写っています。(えっ?見たらよけい暑苦しくなった?・・・失礼致しました。確かに暑苦しい写真です。)


恐れ入りますが・・・ 2000年5月25日

以前うちの銀行では、普通預金(総合口座)やカードローン口座で残高がマイナスになった場合に預金通帳の残高印字を赤字で行っていましたが、お客様の評判が悪くて取りやめました。せっかく2色印字できるようになったので、顧客サービスのつもりで機能追加したのでしょうが、お客様からすれば赤字印字は恥ずかしくまた情けなく、まったく余計なサービスだったわけです。

同じケースかな?と考えさせられる苦情がひとつ。「ATMでトラブった時『恐れ入りますが、もう一度はじめからやり直して下さい』の女性アナウンスは、とても恥ずかしいからやめてほしい。ヨソの銀行は画面表示だけで声はでない。」

なるほどなるほど。我々銀行員はATMでまちがえることは滅多にないし、一般のお客様がいらっしゃる時にATMを利用することがないので、こういう思いをしたことはないけど、これも案外余計なお世話ですね。

なまじっか他社にない技術とか権利を持っているとこういう勘違いを起こすのなのでしょうね。


「しなぞろえ」と「よこならび」 2000年5月8日

ゴールデンウィーク前に本店から送られてきたポスターをみて驚きました。

「当行のキャッシュコーナーは5月3日〜5日の3日間全店休業させていただきます」

うちの店は県庁内にある職域店舗だからATM閉めてもほとんど影響ないけど、お客様が一番お金を使う3日間になぜ繁華街の無人店舗を稼動させないのでしょうか?早くもコンビニバンクやネットバンクに白旗をあげてしまったのでしょうか?

ポスターには続いて「なお、この期間はデビットカードサービスもご利用できません」と。ゴールデンウィークって鳴り物入りでスタートしたデビットカードの普及には最適だと思うのですが・・・。何のための新商品、誰のための新サービスなのでしょう?よそがするからうちもする、戦略もビジョンもない単なる「しなぞろえ」商品ならしないほうがマシです。

さて三連休は一家で大阪神戸方面へ遊びに行ったのですが、三和銀行は立派でしたねえ。梅田でも三ノ宮でもほとんどの銀行がATMを閉めているなかで、唯一ATMを開けていました。他行カードでの利用はできないでしょうが、三和カードのホルダーにとっては最高の顧客サービス、抜群のプレゼンスです。コストがどのくらい必要なのかわかりませんが効果は莫大です。「よこならび」を1歩脱した三和銀行の勇気に拍手!

脱皮 2000年4月29日

親ばか話にお付き合い下さい。長女の泉(中学2年)の話です。小学3年生の妹とケンカばかりして家の手伝いもめったにしない子だったのですが最近すごく良いです。

きっかけは3月31日曾祖母100歳の大往生でした。気の抜けた祖父母を横目に弔問客へのお茶だし、洗い物を一生懸命こなしました。その日以来泉はお手伝い好き、きれい好きに大変身したのです。

散らかし放題だった勉強机やベッドまわりはいつもきれい、洗濯物のとりこみや食後の食器洗いは誰に言われないでも自分から。「お父さんパソコンのまわりが汚いよ!」「もう、どうして男は何にもしないの?」には思わず苦笑です。

先週のある朝、一緒に駅まで歩く途中の地下横断道が汚れていたので「今度休みの日に掃除でもしようか?」と何気にいったら即座に「うん」。今日は朝から二人でゴミ拾い。燃えるゴミ、燃えないゴミそれぞれ1袋が一杯になりました。途中同級生が通っても、照れることなく「へへ、ボランティアだよ」とにっこり。

どうです!自慢したくなるキモチわかります?どうかこのまま育って欲しいと心から願います。いったい女性って、こういう変化を遂げる瞬間があるのでしょうか?

黎明期の市場経済 2000年4月28日

キューバの日本大使館に勤務する友人から「キューバ人に説明する日本の金融機関の強みとは何か」と聞かれて...

キューバンをはじめ外国人の持っている日本の金融に対する悪いイメージは残念ながらほぼ正しいと言わざるを得ません。金融ビッグバンを通して国際的に通用する金融機関育成をめざした政府施策も、保護行政になれきった頭の固い金融マンには到底対応できず、肝心の産業(特に中小企業)育成がおろそかになっているのが現状です。

すべての産業においてそうですが、政府の厚い保護のもと、良い事も悪いことも仲間内で上手にやってきたことが戦後の急成長を支え、そして今足かせになっています。どこの会社でもコンプライアンスとか一生懸命やってますが、裏技寝技で自分の土俵に引き込むことが商売だと身に染み付いた年寄りには理解できないでしょう。

逆に過去の産業復興の場面では、日本の銀行のシステムはうまく機能していたと思います。興長銀・都銀・信託・地銀・信金・信組・郵便局、それぞれ住み分けがきちんときまっていて、箸の上げ下ろしまで管理されつつも、規制金利という美味しい環境で、しかも外部からの参入はまったくない。金融を受ける企業側も預金をする一般大衆も同じで、政府の言う通り我慢していれば、安心して、そこそこのレベルの業績なり生活が保証される。日本的社会主義の仕組みの中で銀行はまさに国策セクターであったわけです。

そういうなか、日本の金融の良い点をあえて探すのであれば、まず安全性でしょう。預金はまだ全額保証されているし、ご承知の通り内国為替の正確さは簡単にまねできるものではないと思います。ATMのネット網、多機能性も世界のトップクラスだと思います。

今の日本は銀行を中心として大きな痛みを伴う変革の真っ只中です。上でも書いたように、これまでのシステムは閉ざされ保護された社会の中では見事に機能していましたが、開かれた競争社会のもとでは悲しいくらいひ弱です。

キューバの人達には、現在進みつつある変革そのものを見ていただいたほうが良いと思います。過去の強みは特殊な環境のもとでのみ機能していたわけであり、もうどこの国でも通用しません。現在日本の金融がどの方向に進もうとしているのか?将来ヨーカドー銀行やSONY銀行がシステムの中でどう事業展開していくか?金融当局や旧来の銀行がこれにどう対応してくか?金融論にとどまらないケーススタディとしては最高に面白いと思います。

キューバの人達が誤解されると困るのですが日本の繁栄は保護主義と官僚主導社会主義によってもたらされたものであり決して市場主義の賜物ではありません。まだまだ日本の(真の意味での)市場経済は黎明期です。

ケータイ 2000年4月9日

あったかい週末で松江城の桜も満開です。1年中で一番好きな季節がやってきました。

さて、私のケータイの番号が変わりましたのでお知らせします。前のケータイは飲み屋のトイレで落としたのだろう、と悪い冗談をいう人がいますが残念ながらそれは事実です。

新しい番号は、×××−××××−××××です。最近の機能は大したもので、短い文章であればメールも送受信できます。アドレスは××@pdx.ne.jp です。合わせてご利用下さい。

ケータイ購入にかかる費用は今回もゼロでした。販売業者に対するリベートが電話会社の財務に与える深刻な影響が報じられていたので、いまだにタダだとは驚きです。消費者としてはとても嬉しいのですが、多少不安も感じます。せっかく急速に整備されてきた日本の個人通信インフラ、持続的に発展して欲しいものです。

ところで前のケータイが濡れてしまって、電話帳メモリーが呼び出せません。これを機会にリストをアップデイトしたいと思いますので、お差し支えなければ皆さんのケータイ番号等連絡先をメール返信ねがいます。


一家団結 2000年3月30日

昨日の、私の誕生日のできごと。

昼間から長女が何度となく電話してくるので何か「サプラーズ!」があるのだな、と期待しつつ8時過ぎに帰宅しました。全員が見守る中玄関に入ると足に糸が引っかかり、見事に頭上から紙ふぶきが!

プレゼントは長女次女それぞれが手作りのバースデーカード、そして奥さんからは特大のプリン(プリンは私の大好物。昔一人暮らしを始めた頃鍋で作って冷やしておいたハウスプリンLを直接鍋から食した時は感激したものです)。近年にない最高の贈り物です。

聞いてみると、紙ふぶきの仕掛けは昼過ぎから子供達二人が一生懸命準備し、そのうえ私が帰宅する直前に長女が自分で引っかけて壊してしまい、急遽泣きながら修復する、といったドラマまであったようです。

いつもケンカの絶えない二人が今日は父のために一致団結、私は果報ものです。

まだまだこれから! 2000年3月29日

私の住む松江市には昨年オープンした島根県立美術館があります。全国あちこちに乱立するこの手の施設にしては驚異的な集客力で、いまや堀川遊覧と並び年間500万人の松江観光の大きな目玉になっています。

先日仕事帰りに立ち寄ると「ロー・コレクション西洋絵画展」という企画展。絵画そのものには好き嫌いがあるので、感想はまあまあかな?という程度。このローというのは収集家の名前だそうですが、経歴がすごい!もともとは大企業社長の御曹司でずっと経営を学んでいたそうですが、40才の時医者になる決意を固め40代後半で医師免許を取得。現在は大病院を運営する傍ら毎日世界の数千人の恵まれない子供達に食料を送りつづけるという篤志家の鏡のような素晴らしい人生。

40でもまだまだ遅くない!大きく勇気つけられた(単純な)私でした。

〜大台に一歩足を踏み出した夜に〜


生まれ変わっても 2000年3月2日

今日マクドで読んでいた情報誌に載っていたコピー

「生まれ変わっても今の相手と結婚したい・・・
女性9.0% 男性52.0%」

寂しい、寂しすぎる・・・。そうか世の女どもは、こんなこと考えているんだ!それにひきかえ男どもの何と健気で心優しきことか・・・。

皆さんどう思います?ちなみに私は48%の男性です^^;

バックコーラス 2000年2月19日

山上ジュンってアーティストご存知ですか?まだまだメジャーとはいえないけど、ソニーから何枚かCDも出しているとっても元気な松江出身の歌手です。

今日2月19日は、彼の最新マキシシングル「つむじかぜ c/w Wonderful World」の発売日ですが、なんと私もしろうとバックコーラス隊74名のうち1名として参加しました。(ライナーにも名前がクレジットされました!)文句無しにいい曲です。興味とお金の余裕があるかたはぜひ聞いてみて下さい。

昨日は松江市内のイベントに山上が参加、われわれバックコーラス隊も20人ほど共演しました。私にとっては昨年のNHKのど自慢予選(落選)以来のステージでしたが、やはり楽しいですね。またバンドやりたくなってきました。

山上ジュンのHP 

 

年賀状(2000) 2000年1月1日

2000年です。40才です。しがらみや責任やいろいろなものがだんだんと全身にかさぶたのように貼りついてきました。でも負けません。本年も世のため、人のため、自分のためにハッピーな人生を心がけます。皆様にとりましても生涯記憶に残る素晴らしい1年になりますよう心からお祈り申し上げます。

私的ニュースTOP3(1999年版)

第1位 県庁支店へ転勤 なんと12年ぶりの現場復帰。浦島太郎がモバイルするようなもので毎日が珍事の連続。お客様や部下に笑われながらも何とかサマになってきました。とはいうものの、現場の仕事は現場のベテランさんには勝てっこありません。僕は僕のドメインで勝負できそうな、例えば「情報発信」を極める事で皆さんに「やるな!」と思われるそんな私になってみせます。

今回の転勤は18年間で初めての「転居を伴わない」もので家族は大喜びでした。

第2位 長女・泉の中学進学 食欲だけは2人前、色気はまだまだないけれど泉も立派な中学生。バス通学や部活動といった未知のことをどんどん吸収し、自信をつけていく様子はとても頼もしく思えます。親父的には、毎朝駅まで一緒に歩く15分間が楽しくてしかたありません。期末試験や妹とのケンカ、ストレスも多いだろうけど、頑張れ、泉!

第3位 次女・このみがミュージカル「あいと地球と競売人」出演 親ばかネタ。劇団四季の山田卓プロデュース、松江ではもう6年も続いている名作ミュージカルにこのみが「雨だれ」役で出演しました。はっきり言ってその他大勢の「チョイ役」ですが父親譲りの舞台度胸で見事に演じきりました。アイドルへのレールは敷かれました! 

NHKのど自慢挑戦(予選落ち)、アカペラユニットでのゲリラライブ、PTAコーラスへのギター伴奏参加など僕の芸能関連ニュースが目だった1年でもありました。一方、主婦のヨシコさんにとっては昨年もまた刺激やイベントの少ない奴隷のような1年でした。子供達や私が輝いていられたのはすべて彼女の献身のおかげ、感謝感謝感謝です。

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