ひとこと(2001年1月〜4月)


本当の愛情 2001年4月16日

ショッピングセンター駐車場での車の火事で、中にいた幼児3人が重体(死亡?)のニュース。可哀想でなりません。直接の原因はマッチの火遊びのようですが、だいたい子供3人を車内に置いていくこと自体信じられません。無責任な母親による人災です。

子供にシートベルトを着用させない親も許せません。泣こうが喚こうが子供をシートベルトにくくりつけるのが親の責任、親の愛情です。いったい何を考えているのでしょうか?ぷんぷん!

あーよかった 2001年4月14日

モルガン・スタンレーの元デリバティブ・チーム社員が書いたノン・フィクション「大破局(フィアスコ)」読み始めました。この手の経済小説は専門用語が多く読者が限定されるのですが、なかなか面白いものが多いですよ。高杉良「呪縛 金融腐敗列島II」は映画にもなったので有名ですね。最近のものであれば、まだ読んでいませんが幸田真音「日本国債」はかなり期待しています。

今まで読んだ中ではポール・アードマン「ゼロクーポンを買い戻せ」が読み物としても良くできていて最高、痛快です。一方、ベアリングス証券をぶっ潰したニック・リーソンの「マネートレーダー 銀行崩壊」は読み進むにつれ吐き気をもよおしてくる嫌な1冊です。どうも実話だと生々しすぎる感じがします。

今読んでいる「大破局」も生々しいです。話に出てくる「1年ものタイ・バーツ・バスケット・リンクト・ノート」なんてまさに私が香港支店時代どこかの証券会社からセールスされ、買おうかどうか真剣に検討したデリバティブ商品そのものです。香港支店でありながら東南アジアの国に対する投資額が限定されている地方銀行支店にとっては麻薬のようなデリバティブ商品だったわけです。かなりヤバイ商品との判断から購入はしませんでしたが、「大破局」読んでとんでもない代物であったことがよくわかりました。あー買わなくて良かった。

やっぱ、before it’s too late 2001年4月10日

世間知らずの私は、「不良債権の直接償却」=「当然」、「期限は2年間」=「遅すぎる!」と感じて、事実そのようにあちこちで喋っていました。でも現実はどうやらそんな簡単ではないようです。多くの人がそれを「正論」と認めてはいるのですが、「そんなことしたら、大変だ」「企業がたくさん倒産してしまう」「困った困ったどうしよう」というのが、良識ある優秀な銀行員さんの正しい発言なのだそうです。

確かに「正論」を通すことで、脳死状態の企業だけでなく、ただ風邪で弱っているだけの企業まで殺しかねないリスクはあります。連鎖倒産や雇用不安、治安の悪化など多くの問題も十分予想されます。そんな事態を招いてまで市場主義ルールを通さなければいけないのですか?何も変えないほうが結果幸せじゃないですか?繁栄を築き上げた先人の苦労はどうなるのですか?かくいう私自身も、先輩方が作り上げた擬似資本主義の儲けのおかげで20年近く食べさせていただいているわけで、多少居心地の悪い思いはいたします。

でも、昔のままの経営を続けていればほとんどの企業が体力を消耗してしまいます。突然市場からアウトを宣告されるかもしれません。いずれ来るであろう「その日」に備え、今から柔軟な適応能力と強靭な体力をつけておくことが企業に、そして個人にも求められているのでしょうね。やっぱ before it's too late です。

ごめんなさい 2001年4月9日

昨日ケータイを変えました(番号は変わりませんのでご安心を)。ケータイとはいえiモードでもauでもなくH”、つまりPHS、ピッチです。今時、女子高生も持たないピッチがなぜか大好きで手離せません。音は抜群だし安いし機能やコンテンツはiモードに負けません。(むしろ実験的な新サービスは、まずピッチで試される傾向があります。)今度の機種もなかなか面白く気に入っています。

でも昨日長女泉にしかられました。「どうして、まだ使えるのに、また新しいのを買うの?」おっしゃる通りです。ごめんなさい。

住民サービスの効率化vs継続 2001年4月8日

カリフォルニアの電力ガス最大手が破産申請しました。このところ経営難が続いており先日も停電による経済への悪影響が報じられていたのですが、ついに倒れてしまいました。カリフォルニアでは市場原理導入による電力自由化を進めてきていたわけですが、自由化の悪い面が出てしまったようです。住民サービス中断リスクがある以上ユーティリティ部門に市場原理は馴染みにくいのでしょうか?日本ではNTT対KDDI他による熾烈な価格競争が続いていますが、どちらかが破綻して電話が使えなくなると大変です。

金融自由化もしかり。顧客冷遇の悪しき取引慣行はかなり是正されつつあるし、大手銀行の統合もようやく緒についてきましたが、相次ぐ生保の破綻はもはや「ババ抜き」状態です。金融もサービス中断の許されない、全産業の潤滑材、国策産業であるのだからユーティリティの1種なのでしょうか?

私個人はそれでも「市場経済至上主義」です。

戦後の復興期における日本的護送船団方式保護主義共産体制があまりにもうまく機能したため真の市場主義経済への移行に対する抵抗が強く自由化が遅れていたのですが、ここにきて社会主義への逆行リスクが台頭してきたように感じます。「健全行として1998年春に公的資本の注入を受けた大銀行が、再び資本不足にあえいでいることは、公的資本なしではすでに実質債務超過になっていることを示している。再度銀行部門に公的資本注入を行うことになれば、大銀行の自己資本を実際上国が保有することを意味し、不良債権問題が大部分の銀行を国有化しないと解決できないほど深刻化したことの証明となろう。銀行部門の大部分を実質国有化し、銀行保有株式を国が買い上げることは、日本経済の社会主義化を示している。(先週の日経新聞コラム「大機小機」)」

結局日本経済の繁栄は幻で、後に残されたものが以前より不透明不公平な社会システムと精神的荒廃だとすると、今までの頑張りは何だったのだろうと考えてしまいます。

ティファニー美術館 2001年3月31日

今春、観光松江に新しい名所ができます。本格的なイングリッシュガーデンを備えたティファニー美術館です。オープンハートのティファニーではなく、美しいステンドグラスを中心にした素晴らしい近代美術のコレクションです。場所は宍道湖の北岸、沈む夕日が美しい抜群のロケーションです。堀川遊覧や県立美術館同様多くの観光客で賑わうことでしょう。

さて、このティファニー美術館、4月28日のオープンを目前に控え、ちょっとしたトラブルがありました。コレクションの持ち主である名古屋の堀内氏が運営する純民営美術館を、市有地に多額の市税を費やして建てたことはまだよいのですが、市民がイングリッシュガーデンだけを楽しもうと思って訪れても、美術館入館料込みの2千円を払わないといけないのです。

市民が安く気軽に楽しめない施設に多額の市税を費やすことは道義的にも法的にも問題があるようです。ただ堀内氏にすれば、訪れた観光客や市民が3百円払ってイングリッシュガーデンだけを見て帰ってしまうのではたまりません。市役所職員にはぜったいできない綿密なマーケティングと収支予測の結果が2千円の一括徴収方式です。(絶対に儲からないどころか、数年後には破綻してさらに多額の税負担が必要になる)官製第3セクターと同じ目にあうわけにはいかないのです。

松江市は松江市民だけでは成り立っていません。年間5百万人のお客様に楽しんでいただいてお金を落としてもらって初めて15万人の松江市民は潤うのです。ティファニー目当てに松江にいらっしゃるお客様を心からもてなし、その結果市民の懐が温かくなったら、その中から2千円払ってティファニー見にいきましょう。

ティファニーのコレクションはNYで何度か見ましたが素晴らしいものです。近隣では仁摩町のサンドミュージアムにも何点かあります。我が家でもノースハンプトンの葡萄園のステンドグラスのポスターをフレームに入れて飾っています。オープンが待ち遠しくてしかたありません。

金融商品販売法 2001年3月22日

天気が良いので、日中は職場を抜け出して投資信託の行商をしてきました。リスク商品にノルマがある、というのはどう考えても無理があるしコンプライアンス上もまずい気がします。とはいえ仕事は仕事。お客様には(もちろん売り手の我々サイドも)ぼちぼちリスク商品に慣れていただかないと近い将来大変なことになります。

そういえば4月2日に金融商品販売法が施行されますが、面白いですよ。リスク商品を売るときは必ずリスクの説明をする必要があるのです。投信や外貨預金や株・債権はもちろん、(一番安全なはずの)預金についてもリスクを説明しなければならないのです。(来年のペイオフ解禁前において)預金のもつ最大のリスクは預ける金融機関の信用リスクです。

お客様「定期預金にしたいのだが・・・」
銀行員「ありがとうございます。お申し込み前に説明させて頂きますが、お客様がいままさにお預けになろうとしている当銀行は倒産する可能性があります。」
窓口でこんなマヌケな会話が交わされるのでしょうか?
シカゴのERにて 2001年3月14日

昨日の日記に書いた、子供達に残すべきもの3つ「治安」と「教育」と「医療」、実は海外駐在員の居住地を決定するキーワードです。単身赴任ならともかく、家族帯同の場合3つのどれが欠けても安心して生活ができません。

海外の医療について忘れ得ぬ思い出があります。夜中にシカゴ郊外の救急病院(ER!)の待合室で支払いを待っていた時のことです。

病気の女の子を抱いた黒人の父親がいたのですが、いくら看護婦にお願いしても医師に診てもらえません。「あなた方の(診てもらえる)ドクターは今夜非番だから明日の朝もう一度来てください。」これ、実は保険の問題だったのです。我々駐在員が加入している保険であれば、保険料は高いですがカバレッジは十分で、24時間365日全米どこの病院でも必ず医師に診てもらえますが、この親子の加入している保険はそうではなく、病院や医師が限定されるのです。女の子は熱がよほど高いのか、ぐったりと抱かれたままです。あきらめて帰っていく親子の後姿を忘れることができません。

「医療」とは決して技術の高さや良い薬を使うことではありません。お年寄りの無意味な「病院はしご」を容認することでもありません。シカゴの女の子のような、本当に助けが必要な人に対し必要な時に必要な治療をすることです。それができない保険制度や社会の仕組みはどこか変です。いくら国民健康保険や企業の健康保険組合の財政が苦しくとも、最低限のスタンダードを下回ることは決して許せません。

オブリガート・ミニマム 2001年3月13日

日経新聞のコラム「やさしい経済学」に「地方財政の将来」が連載されていました。読んでわかったことは、地方自治体には自由がないこと。一般企業は「売上を伸ばし費用を削ることで収益を生み出す」努力をするわけですが、地方自治体にとっては「税収努力を怠り歳出を伸ばすことで地方交付税を多くもらう」ことが正しい行動だったのです。いまさら自主財源で賄おうと努力したところで地方交付税ぬきで過去の債務を弁済することは不可能です。

NO WAY OUT です。地方自治体の未来はありません。財政破綻する自治体もでてきます。職員も住民もいばらの道です。ろくな自主財源もなく住民の説得もできず合併に踏み切れない無責任な自治体は真っ先に消え行く運命なのでしょう。

でも何があろうと、子供達に「治安」と「教育」と「医療」だけは残してあげましょう。「立派な庁舎」や「フリーゲージトレイン」や「竹島」にこだわっていては子供達は不幸になるばかりです。(今日は問題発言多いなあ。身辺警護が要るかも?)

「やさしい経済学」というコラムはちっともやさしくありません。就職準備で日経新聞をとり始めた大学4年の頃、頑張って切り抜きまでしましたが内容はまったく理解できませんでした。

おばあちゃんの日記 2001年3月10日
亡くなった祖母の文集がでてきました。生前したためていた日記や句を叔父がまとめたものです。懐かしさに時間も忘れてページをめくり、亡くなる1週間前の日記を読む頃には涙ボロボロでした。

その頃私はNY支店に勤務していました。ある日遅くまで飲んで帰宅したところ、いつもは先に休んでいる奥さんが起きていて言いました。「さっき日本から電話で、おばあちゃんが倒れたって。」すぐに日本に電話したところ、倒れた祖母の枕もとにつながりました。案外しっかりした声でゆっくりと「お前は〜だから、〜に気をつけなさい」「頑張るんだよ」・・・流れる涙が止まりませんでした。

祖母はこの7日後に93年の生涯を終えましたが、その間見舞にきた1人1人にきちんと礼を述べ、その人との思い出を語り、激励し、お別れをしたそうです。

ずぼらな私のHP更新が毎日続いているのは、書きものが好きだった祖母の血を引いているのかもしれません。これくらいは負けずに続けないとね。天国でもこのHP見てるといいな、おばあちゃん!

スタイルと本質 2001年3月9日
降りました、降りました、弥生の大雪。降りしきる雪の中、来店客も少なく、心静かに過ごしたかった金曜日でしたが、またまた考えさせられる出来事が・・・。

昨日所管部に送った稟議が差戻しになりました。稟議事項そのものの否決や不備ではありません。内容はまったく問題ないのです。なんと「用紙が違う」という理由で差戻されたのです。専用用紙で稟申すべきところ汎用用紙を使用したのがまずかったのだそうです。

確かに規程をよく読めば専用用紙を使えと書いてあります。経験ある融資係なら専用用紙を使うことは常識なのでしょう。でも汎用用紙を使用したくらいで差戻したりします?所管部の人は、我々現場の担当者が稟議を再作成する手間と時間とコストを考えているのでしょうか?ローカルルールを守ることばかり一生懸命では本質を見失ってしまいます。実は、私自身もわりとスタイルから入るほうですしスタイルの大切さは理解しているつもりですが、スタイルが本質を超えることは決してありません。こんなことが分からない社員が巾を利かすようではわが社の大企業病も重症です。

従業員組合 2001年3月8日
さっきニュースをみて驚きました。日本の組合の10%がいまだ春闘の方針を決定できずにいるのだそうです。春はすぐそこなのに・・・。

何があろうと賃上げを要求し断固戦うのが組合です。あえて賃上げを要求せず、会社の安定と存続を通して従業員の生活を守るのも組合です。何ひとつ自分で決定できず、従業員を守ろうという気概も責任感もない組合に存在理由はありません。何も考えずに毎年同じ要求を出すだけの組合も考えものですが・・・。

春闘という儀式もそろそろやめたらどうでしょう?相対比較で自らのポジショニングばかりしているようでは組合も経営者も業界も地域もそろって共倒れです。わが社をいい会社にしたい!人よりいい暮らしがしたい!そういう当たり前の感覚があれば春闘なんて不要に思えるのでは?マクロはあくまでも統計であり、偶然の積み重ねの結果でしかないのです。

真実はいつもひとつ! but it's got many faces. 2001年3月4日
子供達にとってクラスに何人かいる茶髪の友達の存在は物事の多様性や多面性を学ぶ良い機会だと思います。「画一が正義だ、均一が美しい」と教えられ育ってきた大人達の誰もが苦労しているのは急速に多様化多面化する世の中についていけないから。「茶髪をやめない子供は転校しろ」発言のおじさん、自分の娘が茶髪にしたらいったいどうするつもりなのでしょうか?

何年か前、某日本企業のニューヨーク駐在員Aさんが本当に遭遇した事件です。彼の小学生の娘はお父さんと一緒に過ごす時間が大好きです。娘はある日学校でアメリカ人の友達に話しました。「ゆうべもお父さんと一緒にお風呂に入ったんだよ!」友達は家に帰って母親にそのことを話しました。驚いた母親はすぐに警察に通報、Aさんはチャイルドアビュース(児童虐待)の罪で逮捕されたのです。すぐに保釈されましたが、コミュニティの「一緒に住ませるのは極めて危険」という判断で娘は強制的に施設に入れられ、しばらく親と離れての生活を強いられたのです。

Aさんにしてみればひどい話です。異文化に対し寛容と思われるアメリカ人にして、これだけの偏見。でも多くの文明国においては父親が女児と一緒に入浴するなんてことは絶対に許されないことなのかもしれません。一方、多くの日本人にとって裸の付き合いは最高のコミュニケーションであり、父親との入浴は子供の頃の大切な思い出です。

物事には必ずいくつもの顔があるのです。茶髪を排除したり、排除する理由を探すことにエネルギーを費やす暇があれば、個性と認めて受け入れる努力をするべきです。もっとも当の子供が茶髪であるがためのいじめに耐えられず悩んでばかりいるようなタイプならば一日も早く黒髪に戻してあげましょう。

NTT 2001年3月1日
最近NTTグループのTV−CMを観るたび腹が立ってなりません。

マイライン契約競争でKDDIと競っているわけですが、そこまでディスカウントできるのなら、何故今までやらなかったのでしょうか?ADSLが安価になり、光ファイバーすら手の届くところにある今なおISDNのCMをガンガン流す(島根県だけ?)のは詐欺です?

「通信業界の雄」の仮面を被りつつ実は日本のIT革命最大の障壁になっているのが、いまだに寡占の果実を享受するNTTグループです。(KDDIもそんなに好きな会社ではありませんが・・・)

そんなCMに平気で出演する西田敏行まで嫌いになってしまいます。(もっとも彼はNHK「おんな太閤記」ですでに終わった俳優です。「見ごろ食べごろ笑いごろ」でカバ大将やっていた頃は最高でした!)

島根VS鳥取 2001年2月27日

今日は島根県議会の代表質問を傍聴。「激しい論争」も「失言」もない、原稿の棒読みを聞くだけの退屈な議会でした。

それにしても澄田県知事をはじめとする執行部の答弁には、納得できないことがたくさん。

例えば出雲空港の国際定期旅客便の問題。お隣鳥取県の米子空港とソウル定期便就航を永年争ってきたのですが、先日とうとうアシアナ航空が週3回ソウル−米子便を飛ばすことを発表しました。山陰の市場規模では週1便の座席を埋めることすら難しいのですから、誰がみたって出雲空港が割り込む余地はありません。島根県の負けです。なのに知事は「現在、韓国政府による調整作業中であり、必ずやソウル−出雲便が実現するものと考えています・・・」の答弁。

なぜ県知事ともあろう人がこのようなピントはずれの答弁をされるのでしょうか?

(A)とにかく鳥取県にだけは負けたくないから。
(B)永年にわたるエアポートセールスに多額の税金をつぎ込んでおり、簡単に負けを認めるようでは納税者に会わせる顔がないから。中海干拓本庄工区のように何十年か引っ張れば世論もあきらめてくれるだろう、との読み。
(C)今からでもひっくり返せるだけの強力な極秘情報(アシアナ航空の経営危機、米子空港の致命的な欠陥、鳥取県知事が実はキムチ嫌い、etc)を握っている。
(D)澄田知事がおバカだから。

ファイナルアンサー?

県境くくり 2001年2月24日

県職員さんと話していていつも思うのは、「くくり」の呪縛の重たさ。個人レベルでは松江−米子、浜田−広島など県境を超えた商圏、文化圏を享受しているくせに仕事上は「県境くくり」が絶対にはずれません。「いや、県の事業は県民のため、納税者のためだから・・・」なんていうけど、県税による収入は予算の3割にも満たないわずかなもの。残りのほとんどが地方交付税や国庫補助金、あるいは借入金なのですから、サービスの対象を自県民のみに「くくる」意味はあまりないように思います。

岡山県の某地方銀行は地場企業の株式公開支援が嫌いです。取引先が株式公開してしまえば銀行借入をしなくなり本社も都会に移転して取引が消滅するからです。でも、はっきり言ってアホです。地元企業を育てずにいて何が地方銀行ですか?一昨年、松江のビーアイジー・グループが初値35百万円で公開を果たし、予定通り地場銀行のわが社との取引は薄くなりましたが、支援した我々は大満足です。うちの行員には公開企業を育てたという自信と経験が、そして地元の若者には「自分たちも何かできるかも?」という大きな夢ができたからです。優良企業を地元に「くくりつける」なんて自殺行為です。

松江のゼータビッツは本社を渋谷のビットバレーに移しましたが研究開発部門は松江に置いたままです。残念ながら法人税は東京都に落ちますが、優秀なIT人材の雇用の場は島根県に残るのです。こうした中小企業支援に限らず、自治体も地方銀行も「県境くくり」の呪縛から早く脱してほしいものです。

アメリカの地図を見ていて気がついたことがあります。特に中西部のだだっぴろい州に多いようですが、どこの自治体(市町村)にも属さない土地があるのです。あれだけ広い国土ですし、電気や水道はおろか道路1本ない地域なんていくらでもありますが、とにかくどこにも属していないのです。誰も住んでいない、何も産み出さない不毛な土地を抱えていても管理しきれないし、コストばかりかかるという理由で、近隣の市町村に見放されたのでしょうか?アメリカらしい合理性ですが、こういうことが許される状況が羨ましく思えます。

これから日本では市町村合併や広域連携が急速に進むわけですが、都市部における論点が利害関係調整であるのに対し、中山間地域における論点はまさに集落の存続です。

世界一の社会主義国である日本では(1)不便で(2)貧しくて(3)住民の平均年齢が高くて(4)閉塞感漂う中山間地域や離島に対し集中的に税金を投入してきました。それはそれで人道的に見ても正しかったわけで、永遠にそういう状況が許されれば良かったのでしょうが、すでに政府はお金を使い果たしました。(見通しが甘かったのか不親切なのか、歴代の政府は「いつかは(不公平な助成が)終わる」ことを住民に説明してきませんでした。)

国土が狭くいまだに土地本位制度の日本において、アメリカのように誰も管理しなくていい土地など無いのかもしれません。しかしお金の無くなった自治体が、域内すべてのエリアに偏り無く税金を投入することはすでに不可能です。ろくなビジョンもなく「うちは合併しない」と発言したり、いつまでも地方交付税がもらえるつもりで施策を立案したり、住民にキレイごとしか言えないような首長や議員はもう要りません。「まずは相手の動き待ち」の島根方式(?)も世間には通用しません。

同業他社比較 2001年2月14日

今日は仕事のあとで組合の職場集会。相変わらず従業員に対してろくに情報を開示しない経営陣にも呆れますが、組合執行部のありかたも考えものですね。なにしろ、いまだに判断基準に「同業他社比較」を使うのですから。「すでに業界64社中3/4が導入していないから、わが社での採用は時季尚早」なんて発想は、どう考えても無理があります。(3/4が導入済みであれば、どんな劣悪な制度でも導入する気なのでしょうか?)ちょっと前までは、その発想で従業員を守ることができたのでしょうが、今となってはかえって危険に思えます。

これだけパラダイムが変わったのだから、経営も組合も真剣に変わらなきゃ。いくら待っていてもチーズは増えません。

いま一番重要なのは、経営と組合がビジョンを共有すること。どうすれば従業員が幸せになれるか?そのためには経営・組合それぞれが何をすれば良いのか?そして、そのビジョンや方策を従業員に知らせる努力を怠らないこと。

県庁舎に貼ってある県職労のビラを見ても情けなくなってしまいます。「再任用」や「正職員確保」なんて、やる気のある県職員(および県民!)の神経を逆撫でする主義主張だと思います。私の知っている県職員さんは皆さん本当に優秀で一生懸命なので彼らが誤解されることは避けたいのですが、一納税者として本当に情けなく思います。

地元オンリー? 2001年2月10日

昨夜の「酒の会」のメニューを紹介します。

お酒は、まさこさんが利き酒会の商品でGETしたというお酒(メンバーの評価は「まずくもないが、特別うまくもない、普通のお酒」で一致。)、日本で製造された韓国マッコリ「白」、そして極上の、抜群に美味しいにごり酒の3種類。720ml×3本÷5人だから1人あたり2.4合。でも、飲んだ量以上に中身が濃かったなあ。

おつまみはメンバーそれぞれが考えて持参。面白かったのは、マッコリにはキムチがぴったりだし、日本酒にはわさび(しょうゆ漬け)が最高にあうのを発見したこと。まさに長い歴史と文化が作り出す組み合わせですね。「ストかまぼこ」と「巻寿司」は日韓どちらにもGOODでした。

キューバ土産にいただいた葉巻もおいしかったです。普段はノンスモーカーですが極上のパルタガスを頂いて吸わない手はありません。きざなようですが、葉巻とシャンパンは「ハレ」の気分に最高にマッチしますね。ブルズがチャンピオンになった時マイケル・ジョーダンはコートの真ん中で葉巻吸ってたし、映画インディペンデンス・デイでウィル・スミスが勝利の瞬間に吸ったのも葉巻でした。吸わない人からすれば紙巻以上に臭くて迷惑なのでしょうけど・・・。

島根県日原町のわさびは最高です。松江のストかまぼこも本当においしいです。でも美味しいマッコリやキムチは韓国産に限ります。葉巻やシャンパンは絶対に島根県では作れません。「町おこし」の人が地元産品にこだわる気持ちはわかりますが地元オンリーでは限界があります。やはり外の世界の一流品や違った文化・考え方を入れて刺激を与えないと、本当の「町おこし」なんてできません。地元に対する過剰な補助金や地域外産品に対する関税障壁は、逆に地域の力を弱めます。

若者よ! 2001年3月1日

会社のキャンペーン商品推進のため支店同士、担当者同士で日夜熾烈な獲得競争を続けています。

競争原理はうまく働けば市場拡大につながって皆なハッピーになれるはずなのですが、数字ばかり追いかけて本質を見失うと大変なことになります。

身内の恥になるので詳しくは書けませんが、不必要で煩雑な事務を増やしたりお客様の意向を無視したり、そうまでして数字が欲しいのか?と情けなくなる事例がいくつもあります。

もっと悲しいのは意外と若い社員がこういう勘違いをしていることです。本質を見失うのは年寄りの特権(?)。純粋な眼で物事を見据え、正しいことは正しい、悪いものは悪い、とはっきり言えるのが若者であるはず。(少なくとも私はそう信じています・・・おっと、くくっちゃった!?)

「炭カル」ミステリー 2001年2月7日

松江市の指定ゴミ袋が「炭酸カルシウム10%入り」ということで会社のシュレッダー袋も炭カル入りに変えることになりました。炭カル入りって高いのです。現在会社では1枚18円くらいのポリ袋使ってますが、シュレッダー専用の炭カル袋(東京都指定、炭カル30%入り)だと1枚110円!一生懸命探してもらいASKULのカタログにのっていた28円の(30%入り)を買うことにしました。

普通の(炭カルの入っていない)ポリ袋では炉が傷んだり、ダイオキシンが発生したり、環境に良くないので、いま全国の自治体が競って炭カル入りの袋を導入指定しているのだそうです。

ところが、なんとなんと炭酸カルシウムのゴミ袋がそれら問題点を解決する科学的な根拠は何ひとつないのだそうです。燃やすと灰はでるし、固くて使いにくいし、値段は高いしで、むしろスーパーの袋でも使ったほうがリサイクルできてメリットがありそうです。

そんな炭カル袋をなぜ全国の自治体が指定するのでしょうか?「ダイオキシンが出ないらしい」「東京都も採用したらしい」「それなら間違いないだろう」「とりあえず環境がキーワードだと理解が得られそうだし」・・・

住民はいい迷惑です。どうして高いお金を払って何の効果も期待できない袋を使う必要があるのでしょうか?「不勉強」で「横並び」で「無責任」な役人に掻き回されるのはたまりません。今からでも遅くありません。本当に必要な施策をタイムリーに施行してください。

両替 2001年2月3日

銀行員が窓口でもっともやりたくない仕事のひとつに両替があります。なぜかというと(1)煩雑で(2)儲からないからです。

(1)は両替機にまかせれば楽なように見えて、実は結構手間をかけています。特に現在は2千円札未対応の機種が多く、お客様に両替票の記入をいただいて窓口で対応する必要があります。また(2)について言えば、金利差で儲ける預金や貸出、手数料で儲ける為替などと違い、何件両替を受けつけても両替業務自体からは何の収益ももたらさないのです。

「そのくらい当然の顧客サービスだろうが!」とのお叱り、ごもっともです。でも銀行の窓口で両替を依頼されるお客様の全員がうちのお客様でしょうか?上得意様もいらっしゃれば一見客もいらっしゃいます。両替機を使えないお年寄りもいらっしゃれば面倒くさがりの若者もいるのです。そう、両替業務の真の問題点は上記(1)(2)ではなく、両替顧客の差別化を行っていないことなのです。

会社にとっての大事なお客様や、お年寄りなど弱者に対して無料でサービスするのは当然のことですが、まったく取引がなく将来の深耕も見込めないお客様からはサービスに見合った手数料を頂くべきです。一見客に対し手間ひまコストをかけて両替なんかしているようでは本当のお客様に失礼です。

要するにお客様の取引度合が簡単にわかれば良いのです。実はこの問題を見事に解決する素晴らしいアイデア(?)を持っていますが他所の銀行の人も読んでいるとまずいので今日は公開しません。社内で提案し採用されなければ後日「日記」に笑い話として掲載します。お楽しみ(?)に。

人材不足 2001年1月26日

一日中頭痛がひどくて、飲み会をキャンセルしました。夕方5時からさっきまで熟睡したら少しすっきりしました。俗に「けんびき」と呼ばれる山陰地方特有の風土病(?)かと思っていましたが単なる寝不足だったのかもしれません。平野さん、近藤さん、中村君、ごめんなさい。次回は必ず顔を出します。

中村君というのは、もと同僚で大変優秀な銀行マンだったのですが、30代前半で退職、奥さんの実家の製造業を手伝っています。規模は小さいですが世界に誇る技術と商品力を備えた素晴らしい会社で、ぜひ中村君の銀行時代の実績とセンスで一層会社を盛り上げてほしいものです。

以前法人営業課で山陰の中小企業をつぶさに見て歩いた時感じたことですが、やる気のある中小企業最大の問題は人材不足です。地域の優秀な人材はほとんど県庁か銀行に吸い取られているのです。社長がどんなに素晴らしい製品を作っても営業する人材がいなくて芽が出ない、あるいは社長のフットワークが軽く製品を全国で売りまくっても帳簿をつける人がいなくていつのまにか倒産していた、なんて事例がいっぱいです。

中小企業が儲かって、たくさん納税してくれての県庁、たくさんお金を使ってくれての地方銀行です。中村君のような勇気ある転身が地域を活性化させるのだと思います。

じゃあtobyが転職しろよ!・・・ごもっとも。

失われた10年 2001年1月17日

最近「失われた10年」ってよく聞きますね。「バブルが弾けてしまい『何とかしなきゃ』と頑張ったものの、戦後ずっと日本の発展を支えてきたシステムが邪魔して何一つよくならなかった1990年代」という意味じゃないかと思います。

本当に「失われた」のかどうかは別として、もし逆にこの10年間が失われずにバブルの延長のまま繁栄しつづけていたら、一体どんな2001年になっていたのでしょうか?きっと恥じらいもたしなみも反省もない恐ろしい時代でしょう。スタイルだけが先走り、中身や本質が軽視される世の中でしょう。そう考えると「失われた10年」は我々に素晴らしい示唆を与えてくれた事になります。

私は会社員生活19年のうち8年間を海外で過ごしました。同期入社の誰よりも(国内の)銀行実務を知りません。今からどんなに努力したところで彼らに追いつく頃は定年退職です。

逆に8年間の駐在生活で得たものは「(日本の)常識に囚われない自由な発想」「素晴らしい友達」「くそ度胸」等いろいろあります。「失われた8年」と嘆くよりは「蓄えた8年」と考えるべきなのでしょうね。

ところで「失われた10年」から日本経済全体が復興することはもうありえないと思います。自民党が株価対策いろいろ考えてますが恩恵を受ける企業や業界はあっても市場全体へのインパクとなんて絶対ありません。統計的な意義を除けば「マクロ経済」なんて「くくり」は無意味に思えます。

普通のひと 2001年1月7日

お正月休み、会社の部下の人事考課をしました。私のような「不完全良心回路」人間に人事考課などできるのだろうか?と思いつつえんぴつなめなめ行いました。

業績評価は数字がすべてなので簡単ですが、人物評価はとても難しいです。人間性をあぶりだすための項目がいくつもあって、例えば<外向的−どちらともいえない−内向的>とか<冷静−どちらともいえない−感情的>とか<異性に対して節度ある−どちらともいえない−だらしない>などの項目それぞれに○印をつけていくのです。別に「外向的」で「冷静」で「節度ある」人物のほうが評価が高くて給料をたくさんもらえるわけではないのでしょうが、選択には本当に迷います。人事部からは「なるべく評価が中心に偏らないように」と指示があるのですが、迷った挙句「どちらともいえない」を選択してしまうこともあります。

よく「普通のひと」という言い方をするけど、「普通」「普通っぽいひと」というのは人物評価において「どちらともいえない」により多く○印のつくひとのことではないでしょうか?だとすれば評価される本人が「普通」である以前に、未熟で無責任な考課者の手で「普通」にくくられているだけかもしれません。人間はひとりひとり違った個性の持ち主であって、なかには本当にすべての項目において「どちらともいえない」があてはまる人もいるでしょうが、それは「普通」なのでなく、そういうひとつの個性なのです。

「普通」というのは実はマイノリティなんですね。少し前のホームドラマによく出てくるような家庭は「普通の家庭」とは呼べなくなっています。教室で先生が超優等生と問題児以外の子供たちを「普通の子」とくくってしまえばロクな教育は期待できません。「普通」の顧客をターゲットにしたマーケティングというのは極めて危険なことにすら思えます。

年賀状(2001) 2001年1月1日

みなさーん、あけましておめでとうございます!恒例(?)の年賀メールです。

我が家の2000年は、子供たちの成長や個性の発現の目だった1年でした。

長女の泉(中学2年)はついに母親より背が高くなり、小食だった次女このみ(小学3年)も本当にたくさん食べるようになりました。100歳だった曾祖母の死を通し、泉が精神的にちょっぴり強くなったことは前にも書きましたが、このみも負けていません。以前チョイ役で出演したミュージカル 「あいと地球と競売人」 の次作「ビリーブ・イン・ミー」のオーディションに挑戦、惜しくも最終予選で落ちたのですが、なんと翌日には「わたしダンス習いに行く!」。それから週一回のレッスンに驚異的な集中力で挑んでいます。小さな身体にこれだけ負けず嫌いの気性が隠されていたとは驚きです。

もう「子育て」なんて偉そうなこと言えません。子供たちとは常に対等、真剣勝負です。すぐに見破られる見せかけの言葉や態度でなく、「tobyにしかできないtobyを極める」ことで共に育っていけたら、と思います。

ところで最近「くくること」の限界や無意味さが妙に気になります。

鳴り物入りでスタートした「介護保険」は要介護者の状態や現場のニーズがあまりにも多種多様で市場を「くくること」ができず民間業者もNPO法人もパっとしません。「17歳」という言葉で「くくられる」大多数の善良な17歳は報道や大人の目に対していったいどう感じているのでしょうか。地域エゴで市町村合併が進まないのはそれが「くくりかた」パターンの修正にすぎないからのように思えます。

国家や地域、民族、宗教、政党、市場、業界団体、会社、資格や許認可制度・・・。確かに何でも「くくる」と便利ですし効率の良さは抜群で否定する気はさらさらありません。ただ世の中のニーズが「少量・多品種・異型・不定期・低頻度」に変わりつつある今、「くくらないこと」で見えてくることのほうが多いように思います。「くくり」に惑わされない素直な感性を持ちたいと思う21世紀の夜明けです。

正月早々、小難しいメール送ってごめんなさい。今年も元気で、仲良く、楽しい1年にいたしましょう。

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