ひとこと(2001年5月〜8月)



アライアンス 2001年8月31日

最近の証券アナリストという人種は年齢が若く視野も非常に狭いのだそうです。そういえば優秀な銀行員といわれる人だって財務諸表ばかり見ていて会社の真実の姿を見ていないから、取引先が倒産したりして大変なことになるのです。いいビジネスをするにはアライアンスしかありません。自分のわからないこと知らないことを気軽に聞ける仲間をどれだけたくさん持っているかどうかが勝負です。歩く、人に会う、ニーズを探る、情報を提供する、この繰り返しですね。


鳥取ブランド 2001年8月29日

お得意様回りに、前世紀の遺物(?)鳥取名産「二十世紀梨」を持って歩いています。初物なので好評です。

以前も書いたかもしれませんが、香港において鳥取の二十世紀梨はかなり有名なブランドです。中秋節(秋の節句)の食べ物といえば昔はお菓子の「月餅」だったそうですが、最近ではなんと言っても二十世紀梨です。9月になればスーパーの店頭や市場には二十世紀梨が山積みされ、「鳥取」と印刷されたダンボール箱が店の脇に積まれています。そういえばNY時代も日本人駐在員向けに空輸「二十世紀梨」の頒布販売がありました。鳥取県JA果実連の長年の努力は国内だけでなく海外でも見事に花ひらいています。

何年か前に鳥取県主催の会議でそのことを発言したのですが、県庁の方も含めあまりご存じなかったことは意外でした。米子−ソウルの定期便が開設されましたが、二十世紀梨と大山の雪(香港人が日本旅行で一番見たいのはディズニーランドや秋葉原ではなく「雪」なのです)を核とする香港発ツアーを企画すれば、かなり人を呼べるのではないでしょうか?


モーニング娘。 2001年8月27日

モーニング娘。に新メンバーが4人入り、合計13人になりました。昨夜TV東京の特番で見ていたのですが、すごいですね!中学1年や2年の女の子たちが、歌や踊りの才能はもちろんですが、絶対に負けたくないと涙を流しながらも頑張るあのプロ根性!昔もそんな子供はたくさんいたのでしょうが、努力すれば夢がかなえられる「場」のバリエーションが多いいまの子供たちがうらやましいです。

マスコミは「モー娘。増殖」と報じていましたが、まさに言いえて妙。従来のスタイルやメンバーにこだわらず、常に時代にあわせてアメーバのように増殖、いやむしろ時代を先取りして変化し続ける姿は、組織としてプロジェクトとして最強です。番組の中で、現在の9人のメンバーによる「LOVEマシーン」やっていましたが、約2年前の発売当時よりも洗練されカッコいい「LOVEマシーン」でした。早く13人で歌い踊る「ザ☆ピース!」が見たくてしかたありません。

やはり歌謡曲が大好きです。


頑張れベンチャー 2001年8月24日

先日、わが社を退職しベンチャー起業する内藤君を、システムインテグレーション社の多喜さんに引き合わせました。内藤君が目指すビジネスが多喜さんのビジネスにも関係が深く、何か参考になると考えたからです。

お忙しい中1時間だけ時間を頂戴しましたが、いつもながら(1)わかりやすく(2)見事に的を得たアドバイスの数々、何か参考になるどころか、目からウロコ、そしておおいに勇気づけられた内藤君でした。そして多喜さんが最後に部下の若手コンサル3人を部屋に呼んで言いました。「内藤さんは、※ちゃん(※は私の苗字の一部。多喜さんはいつも私を親しみをこめてこう呼びます)の紹介で来てくれた人だから、これからは何でも相談に乗ってあげること。※ちゃん同様、わが社には出入り自由だし、一生懸命応援してあげること。」

うれしいエールじゃないですか。多喜さんは決して「じょうず」とか「デマカセ」をいう人ではないので、内藤君だけでなく私までうれしくなれた、幸せな1時間でした。

そのあと内藤君とは東銀座の居酒屋「傳八」で新会社設立の祝杯をあげました。傳八は、メリット小川さんお勧めのお店で初めて行きましたが、なかなか好店でした。カウンターで飲んだのですが、目の前で次々に焼かれる牛タン塩焼きのボリュームと旨さに圧倒されました。飲んで食べておおいに語り、1人35百円は満足でした。内藤君頑張れ、君の成功は会社に残る我々の夢でもあります。


せっかくだから 2001年8月19日

私の通勤路は地下鉄日比谷線直通−東武鉄道ですが、駅においてある観光パンフを見ると、草加で下車せずにそのままずっと乗っていくと日光とか鬼怒川とか尾瀬とか会津若松などへ続くのだそうです。ここに住んでいない限り絶対に行くことのない場所ばかりです。いい機会だから週末でも使っていろいろ訪ねてみようと思います。島根県と鳥取県の区別がつかない人が多いのと同じで、島根県人のtobyには北関東の県や町の位置関係を正確に言い当てることはできません。

学生時代西宮に住んでいた私は、帰省するたび母親に「せっかく近いのだから京都くらい遊びに行けば?」と言われ、「そりゃあ松江から出かけるよりは近いけどね・・・」なんて応えて、ほとんど京都には行きませんでした。でもtobyも大人になりました。今度は少しずつ行動範囲を広げていこうと思います。せっかくだから。


言葉は奇跡をおこす 2001年8月18日

感動しました。先日のNHKスペシャル。姫路のテクノスジャパン社が開発した、MCTOS(マクトス)という脳波装置を用いての、ALS患者と家族のコミュニケーションを紹介したドキュメンタリー番組。(1)患者さん本人の命(生きること)に対する気持ちの揺らぎ(2)2年間途絶えていたコミュニケーションが再開したときの喜び(3)子供たちの誤解がとけ気持ちの触れ合いが再開したこと(4)患者さんの頑張りが他の患者さんたちに与える勇気と感動(5)「いまが幸せ」と語る患者さんと奥さんの心情・・・もう涙なしには見られませんでした。患者さんが最後に語った「言葉は奇跡を起こす」。なんて重みのある素晴らしい言葉なのでしょうか?


吾々二人は必ず君を択ぶ 2001年8月17日

プレジデント誌の「わが子にも読み聞かせたい五通の手紙」という特集に素晴らしいフレーズがありましたので紹介します。もと慶応義塾大学塾長であった小泉信三氏が息子の出征に際し「心残りなく勤務させてやりたい」と思ってしたためた手紙の一部ですが、こういうことを子供に言ってやれる、あるいはこういう気持ちで子供に接することができる親がひとりでも増えてくれば世の中は明るくなるのではないでしょうか?

「僕は若し生まれ変わって妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。」


娘二人と神の国にて 2001年8月11日

明日東京へ帰ります。今日は娘二人それぞれと素敵な時間を過ごしました。

午前中は次女このみとボートピア4Fで卓球三昧。いつもながらガラガラで(?)気持ち良く汗をかきました。「次に帰省したときはビリヤード教えてね!」このみと約束しました。それにしてもボートピア(舟券売り場)設営時の近隣対策施設とはいえ、あんなに空いていて良いのでしょうか?

ロケーションは松江市寺町。宍道湖や大橋川にも近い旧市街の中心地。もっともっと工夫してお年寄りの定住地域としての充実度を追及してほしい地域ですね。宍道湖もお寺も市民病院も歩いていける寺町は、私たちが70になったら絶対に住みたい町なのです。日本海観光さん、頑張って下さい!

夕方は長女泉と国宝「神魂(かもす)神社」へ行きました。松江市南部の古墳密集地域の中心にある、観光客もめったに訪れないお社ですが、実は出雲大社より4百年も古い、最古の大社造り建造物。大きくて静かで荘厳で、ほんの数十分いるだけで心が洗われる素敵な場所です。境内横の駐車場に佇み360度を見回し、緑の山々を感じ、広く青い空を感じ、木漏れ日を感じ、流れる雲を感じ、蜩の調べを感じ、心地よい風を感じ、そしてそれらすべての中心にいる長女泉と私を感じました。後にも先にもない、今日のこの瞬間そのものを娘と二人で感じました。

この1週間、松江で過ごし本当に心のリフレッシュができました。奥さん、娘たち、ありがとう。これだけ意味のある連続休暇は初めてでした。明日からはまた一人の暮し、でも私にはいつでも帰ることのできる松江があります。今日の神魂神社での光景忘れません。


箱モノの営業努力 2001年8月8日(水)

平田市の旧本陣記念館へ「やなせたかし絵本原画展・アンパンマン伝説」を見に行きました。アンパンマン誕生のいきさつ、やなせたかし不遇時代のエピソードにはおおいに感じるものがありました。

平田市民と旧本陣記念館(平田市立)には大変失礼なのですが、どうしてこれだけいいものを、ほとんど人の来ない平田の旧本陣記念館で見せるのでしょうか?おとなり松江市の島根県立美術館で開催したほうが、より多くの住民や観光客に楽しんでもらう事ができます。島根県立美術館は全国でも数少ない億円単位の入場料収入がある(それでもまだ赤字ですが)人気の高い美術館です。夕陽の美しさなど話題性の高さもあるのですが、収益を確保せんがための知恵と努力には感心します。先般のいわさきちひろ展は単一企画としての収益が出たとのことです。

平田市がアンパンマンを引っ張ってきた営業力は認めますが、初日の人の入り具合、のんびりした事務室の様子を見る限り伝わってくるものはありません。このままでは、やなせたかし氏とアンパンマンに失礼です。


無責任 2001年8月5日

どうにも怒りがおさまりません。

次女このみの出た「よさこい踊り」の最終演は花火大会直前の夜のステージ。長女と私は所用があったので先に松江へ帰り、次女と奥さんは近所のA氏にお願いしてA氏の車に便乗させていただくことにしました。

随分と二人の帰りが遅かったのです。遅くなった直接の原因はA氏が高速道路の入り口を間違えたためであり、それ自体は仕方のないことでまったく問題はないのですが、その遠因としてどうやらA氏が酒気帯び運転をしていた節があるのです。

炎天下待っているだけの運転手の辛さ、一杯のビールの美味さは理解できますが、あまりにも非常識です。あまりにも無責任です。車内のA氏の言動にはおかしなものもあった様子。自宅に着くまでの、奥さんと次女の不安感を思うとやりきれない思いがします。


涙 2001年8月5日(日)

今日も暑い暑い「がいな祭り」。次女このみは連日の「よさこい踊り」、奥さんは多忙なステージママ、私は長女泉と二人で運転手兼応援団。泉とはこの2日間本当にべったりでした。1ヶ月のブランクを感じさせない親子愛(?)です。

このみの「よさこい踊り」を見ている時突然に、本当に突然にうるうるしてきたので驚きました。子供たちの成長ぶりに感激したのでしょうか、その成長ぶりに日々触れることのできない単身赴任生活を憂いたのでしょうか、日々子供達と向き合ってひとり奮闘している奥さんに対する感謝の気持ちでしょうか、それともあまりの暑さにおかしくなったのでしょうか・・・。

この夏休み、たくさん想い出つくります。最高に熱い2001年の夏にします。


社内決裁のエネルギー 2001年8月1日

夜はPFIなどプロジェクトファイナンスのプロの方々とお食事。飲みながらなので、あまり詳しい具体的な話は聞けませんでしたが、十分に刺激的でした。われわれのような伝統的非効率衰退産業である銀行と違うアングロサクソン的金融専門会社が高収益を生み出している秘訣を垣間見た気がしました。ひとつの例として、新規案件や新しい手法のファイナンス実行に対する社内決済を取る場合。彼らの会社でも決裁を得るにはひと苦労ただそうですが、そういう場合においても「過去に例がないから」とか「よくわからないから」というのは、絶対に(否決の)理由になりえず、相手が会長社長であろうが徹底的に論戦するそうです。当然といえば当然ですが、このままいけば両者の体力差はますます離れていきます。


痛みを伴う構造改革 2001年7月29日

今日は参議院議員選挙の投票日、埼玉県では選挙権がないので投票できませんでした。(もっとも、これまでも投票に行ったことは、ほとんどないのですが・・・)

小泉内閣の「痛みを伴う構造改革」はあれだけ大きな世論の支持を受けていたのですが、ここに来て株価の低迷を受け「どうやら痛みは他人事ではなく、うちの会社が(あるいは、家庭が)犠牲になるかもしれない・・・」といった不安感から、あまり評判が良くないようです。でも、ここでくじけてはいけません。「痛み」は今まで無策であったツケであり、今本当の改革を断行しないと、もっともっと恐ろしい事になります。それは倒産や失業といった目に見える問題でなく、子供たちが信じるものを失うという悲劇なのです。

自民党の多くは守旧派と呼ばれる改革反対層なのでしょうが、改革を断行するためには(残念ながら)自民党が絶対多数の与党である必要があります。今日はどうやら自民党が過半数を取りそうな勢いなので、あとは選挙のあとで守旧派が変なことしないように国民世論がしっかり改革支持をしていく必要があります。


実業vs.虚業 2001年7月24日

午前中は、お取引の某家電メーカーの新製品発表会に参加。なかなか面白かったですよ。

東京に来て驚いたことは、日本を代表する大企業が皆な想像以上に傷ついていること。もうすでに10社以上の財務担当者に会いましたが、出てくる言葉はきまって「リストラ」「コスト削減」「不採算部門からの撤退(儲けの見込みが少ない事業をやめること)」「有利子負債の削減(借金を返済して身軽になること)」など、後ろ向きな発言ばかり。財務担当者にしてみれば「一生懸命リストラしないと銀行に見限られる」みたいな気遣いはあるのでしょうが、私にしてみれば「ところで、お宅はいったい何をする会社でしたっけ?」と聞きたくなる気分です。財務が副業や虚業というつもりはありませんが、その企業の本業・実業である、たとえばモノ造りとか新規事業進出の話も聞きたいものです。そこを支援するのが銀行の仕事なのですから。


IBM戦略? 2001年7月23日

先日購入したPC、IBMのアプティバにはFDドライブがついていません。PCを購入した人はネットで申し込めば無料で「外付けFDドライブ」を送ってくるということなので、IBMのHPから申し込もうとしたところ、年会費2千円のクラブIBMへの入会が条件で、しかも9月にならないと送ってこない(!)とのこと。とても待てないので、PC買った店に買いに行くと、IBM純正は置いてないうえ、他のメーカーのFDドライブだと「うまくドライバーを読み込みできない」苦情が多いとのこと。店の人に言わせると、最近のIBMとSONYに対して同様の苦情・トラブルが多いとか。ちょっと商売のやりかたが嫌らしいと思いません?せっかく買ってもらっても、買ったあとでどんどんユーザーに嫌われていく商品なんて間違ったビジネスプランです。


お行儀 2001年7月22日(日)

田舎もんのオジサンみたいなこと言いますが(「田舎もんのオジサンじゃねえか?」「・・・ごもっとも」)最近は裸みたいな格好で歩いている女の子が多いですねえ。ちょっとドキドキするなんてものではなく、まったく目のやり場に困ってしまいます。今日原宿から代々木までのJRに乗っていた子なんて、胸と、腰から下しか隠していないのですから・・・。可笑しかったのは、その子が自分の腋の下の匂いをチェックしたあと、全身の、露出している箇所すべてにデオドラントを塗りまくっていたこと・・・走っている電車の中で立ったままでですよ!

こういう「お行儀」イベントに対して私は結構無頓着で、たとえば道端で座ることや、歩きながら食べることに対してまったく抵抗がありません。留学していた頃、食事中にメイクを直すブラジル人女性に対しアメリカ人男性が注意したのを見て「へー、そうなんだ」と思ったくらい無知です。他人が何をしてもあまり不快感を感じない鈍感さ(度量の大きさ?)が私の性格を形成しています。こんな男が「しつけ」を語ってはダメですよね?


アンテナショップ 2001年7月22日

表参道に新潟県のアンテナショップがあり、のぞいてみました。都道府県の特産物や観光資源をPRするアンテナショップは、沖縄県が銀座で成功したことをうけあちこちにできていますが、ここはダメ。呼び込みが派手な割に、中では何もやっていない、商品とパンフは山のように積んであるけど伝えたいものが多すぎ不親切で楽しくない・・・銀座なみの高い家賃を払って、新潟県も無駄なことをしています。

悲しかったのは、「魚沼産こしひかり」「越の寒梅」「燕の洋食器」といった有名な新潟特産品はともかく、それ以外の目玉が、島根県とほとんど同じだったこと。都会から見ると日本の田舎って結構同質なんです。誰もが「うちの村ではこんないい物ができるんですよ」と売り込むのですが、「ふうん、それで?」で終わるケースが多いと思います。水族館のパンフを見つけた時はため息がでました。蚕の繭でアートフラワー作っているのを見つけた時はめまいがしそうでした。頑張れ自治体!ここが知恵の絞りどころ!


ベクトル 2001年7月21日

同級生で電通に勤める吉田君とは時々メールで意見交換しています。彼は経済優先・商業主義・打算的な今の日本の風潮に心底嫌気を感じているようです。私もまったく同感で、特に東京に出てきてからは(たった2週間ですが)松江では経験したことのない貧しく荒廃した人々の心を強く感じつつあります。社会や文化のベクトルがおかしな方向に向かっているようです。

多くの良識ある人々がこのベクトルの方向を変えようと努力しているのですが、その良識ある人々もまた現代社会の利便性や快楽を享受しているのですから、あまり多くは期待できません。

大きなことはできませんが、自分の家族やまわりの人たちと話を重ねていく中で、自分たちの信じる良識を保ち、少しずつでも広げていきたいものです。HPもそんな気持ちで立ち上げました。皆なで考えてみましょう。


日比谷線の車中にて 2001年7月10日

帰りの電車で嫌な思いをしました。同僚2人と一緒だったのですが、偶然正面の席に東京支店の女子行員が座っていました。本店の研修を終えて東京に帰ってきたところらしく、お疲れでウトウト中。起こしちゃ悪いので、時々覗き込んでは3人でニコニコしていました。

すると突然、私の後ろにいたお兄さんが「いったいどっち(の女性)を見ているんだ?」と睨んでくるではないですか?女子行員の右となりでも若い女性が1人寝ています。「なんでそんなこと聞くのですか?」と逆に問うと、「(右がわは)俺の女なんだよ!」とのこと。ああなるほど、それは変な誤解を招いて悪かったかな?と思い、「左側の女性です。うちの会社の人だから」と言いました。

これで誤解も解けた、と思ったら、そのお兄さん「だったら、起こせばいいじゃないか?すけべ!」と一言。「いやいや(彼女は)研修帰りで疲れているんですよ」と言いましたが、むかついた。そこまで言う?純真な田舎もの(?)にはきつすぎます。


単身赴任前夜 2001年7月1日

昨夜はマンションの仲良し14家族による送別会。いつもの楽しい大宴会でした。最後にお礼の言葉を述べたとき、自分で考えていた以上に、残していく家族・子供達の話になってしまいました。毎朝長女泉と歩く駅までの時間、次女このみの小学校の音楽会で演奏したり歌ったりしたこと、それもこれもすべて本当に子供達が大好きで大好きで頑張ってこれたのだと気づきました。そして恐らくいずれ別々に暮らすことがわかっていたので、なおのこと一生懸命できたように思えます。

マンションの皆さん、本当にありがとうございました。そして奥さんと子供達のこと、どうかくれぐれもよろしくお願いします。


電話 2001年6月25日

今日は思いがけない二人から嬉しいお礼の電話。

まずは江津・都錦酒造の森脇社長。先日mickさんの代取就任祝いに同社の銘酒「徳」を送ったのですが、伝票で私の名前を見つけわざわざお礼の電話。こちらが恐縮します。それにしても社長自らすべての伝票に目を通し、こういう気配りができる会社ってスゴイですね。都錦酒造は全国的には「横浜(ハマ)の大魔人」「清酒・野人」など奇抜な商標マーケティングで有名ですが、常に真面目にいいお酒を造り、細やかな顧客管理も怠らず、実に愛すべき中小企業なのです。(そういえば先日は国暉酒造の常務よりHPで取り上げた御礼のメールを頂きました。こういう真面目さが大切なのでしょうね。)

その直後に電話をくれたのが、東京の大庭君。現在は総務省の外郭で頑張っている附中同窓の出世頭ですが、先日来ふるさときゃらばん劇団の松江公演を応援していたのは大庭君の頼みがあったからです。キーパーソンや地元メディアを紹介しただけでしたが、これもわざわざお礼の電話でした。喜んでもらえこちらも嬉しいです。いろんな人を知っていて情報の引出しが多いというのは幸せなことです。以前多喜さんが言っていましたが、情報は「ギブ&テイクではなく、ギブ・ギブ・ギブ」です。発信します、これからも。

しつけ 2001年6月23日

7月7日私はパネラー・デビューします。「松江明るい社会づくりの会」主催のシンポジウムで、テーマは「今、しつけを考える」

今日はパネラーの顔合わせと打ち合わせ会。役員さんやコーディネーターの話を聞いていて気づいたのですが、どうやら私の当日の役割は「しつけの苦手な若いお父さん」であって、ディスカッションの結論は「お年寄りの意見をもっと聞きなさい」のようなのです。

とんでもない話です。「若いお父さんがしつけが苦手。お年寄りの意見はすべて正しい」なんて発想は私がもっとも嫌悪するタイプの「くくり」です。始めから「しつけ上手」のお父さんなんてどこにいます?お年寄りの経験や知恵は貴重ですが、それらを押しつけることが本当のしつけでしょうか?こんな大切なテーマのシンポジウムにおいて、役員やコーディネーターが期待するような予定調和の内容ではオーディエンスに対して失礼です。

田舎の特権 2001年6月17日

午後は家族で島根県立美術館へ出かけ「いわさきちひろ展」鑑賞。想像していた以上の人出でした。春の「松平不昧公展」に続くタイムリーな企画展で、県民にも観光客にも美術館人気は定着したような気がします。気軽にアートに触れることができますし、(どんなに高名なアーティストの作品より素晴らしい)きれいな夕陽を見ることができるロケーションなのですから人気もでます。「いわさきちひろ」は柔らかい色づかいの水彩画のイメージが強かったのですが、原画にふれ、鉛筆での非常に確かなデッサンに驚かされました。日本共産党員としての静かな、それでいて確かなメッセージも感じられる気がしました。

ギャラリーでは地元の商業イラストレーター倉敷敦子・俊の作品展もやっていました。こいつもなかなか楽しめました。我が家から歩いて行ける近くの美術館で世界的なアートから身近なものまで「一ヶ所」で楽しめる。これは田舎の特権です。食事だって買い物だって東京や大阪のような幅広いバリエーションや品質は期待できないかもしれないけど、歩いていける距離で、それも結構安く、用事が済ませ、楽しめることは良いことです。ナンダカンダ言っても田舎も便利になったものです。

開かれた教育 2001年6月16日

朝、長女泉を学校まで送っていくと正門に「学校にご用のある方は事務室まで」の張り紙。例の事件への対応でしょうが、おかげで「子供が忘れた弁当を後から親がこっそり下駄箱に入れておく」ことができなくなったそうです。とはいえ「すみません、今から10人ばかり無差別に刺しますので」なんて事務室に届け出る人が居ないことを考えると、まったく意味のない危機管理ですね。

例の事件以来「開かれた」学校にすべきかどうかの議論がありますが、こういう時代だからこそ、より「開かれた」学校にすべきではないでしょうか?誰でも出入り自由という意味ではありません。例えば学校の警備も含め、もっと親が学校のいろいろな機能に積極的に関与すべきだと思うのです。

NY郊外のポートワシントンに住んでいたとき、長女泉を現地の小学校に通わせていましたが、関心したのは毎日のように誰かのお父さんやお母さんがボランティアでクラスに来ていたことです。読み聞かせなど授業の手伝いをしたり、翌日使用する教材を手作りしたり、お金のない公立学校ですからやることは山のようにあります。別に学校に強制されるわけでもなく、PTAの持ちまわりでもなく、参加できる人が参加できるときに出かけてお手伝いするわけです。仕事が忙しい人はまったく参加しなくても問題ありません。親も教師も生徒も、そういう状況をごく自然に受入れており、まさに「開かれた」学校だなあと関心しました。

教師も親も究極の目的は子供を育てることであり、妙に自分達をくくったり距離を置いたりせずに「開かれた」関係に進むべきだと考えます。

企業誘致その2 2001年6月11日

宍道湖の西岸に広がる斐川町は富士通や島津製作所の誘致に成功し、安来市(日立金属の企業城下町)を抜いて、島根県第一の工業出荷額を誇る町になりました。ところが町内に工業団地はありません。斐川町は工業団地を造成することなく大企業を誘致し、豊かな町作りの成果をあげているのです。

町役場の誘致担当者は、町中が見渡せる場所に、進出を考えている企業の重役を連れて行き、言います。「さあ、どこがいいですか?」

できあがった工業団地に来てくださいと懇願するのではなく、誘致企業に操業したい場所を選ばせ、その土地を造成するオーダーメイド型の誘致なのです。

先日「島根県の工業団地がなかなか売れない」という新聞記事がありました。他の自治体も悩みは同じでしょう。島根県澄田知事は「ソフトビジネスパークの設備は西日本一にする」と豪語しているらしいですが、それがいくら「西日本一」であっても進出しようとする企業にとって必要のない設備であれば、まったく無駄な投資です。来てくれそうな企業のニーズを聞き出して、その企業が必要とする設備をオーダーメイドで揃える方がよほど気が利いています。第一「西日本一」の設備なんて、半年もすれば時代遅れの陳腐な設備になります。

同じ島根県内の斐川町がこれだけ見事な企業誘致ノウハウと実績を誇っているのに、同じ事を島根県がやろうとしないのは理解に苦しみます。

財政支出の功罪 2001年6月9日

(朝日ニュースター「パックインJ」をみて)紺谷典子さん、あなた間違っています!確かにブームとしての小泉政権に対する冷静なウォッチは必要だけど「破綻寸前であった日本経済をここまで引き戻してくれたのは小渕政権と森政権」という意見には、その5%くらいしか賛成できません。日本が現在でも財政破綻に近い状況が続いているのは確かでしょうし、あの巨額の公共投資(アナウンス効果?)がなければ国債のデフォルトが起こったかもしれません。でも、安易な財政支出は(1)構造改革をまたもや先送りし、(2)新たな国民の借金をつくりだし、(3)市場による一層の反感を買いました。

数次にわたる財政支出が末端でどのように使われていたか、いったいエコノミスト氏はご存知なのでしょうか?私の回りで起こった事は、自治体や外郭団体の借金返済でした。バランスシートの改善が悪いとはいいませんが、市場の信用残高を収縮させて何が財政支出ですか!同時に、破綻寸前の(本当ならとうに市場から退場していなければならない)法人の延命を図ったことが、どれだけ市場をゆがめたことでしょうか?

それにしても小泉−田中ラインは最近「上滑り」が目立ちます。野党はしょせん野党、身内もオール野党で、辛い状況であることはわかりますが、ここらで今一度足元を固め、改革断行してください。今回こけたらマジやばいです。

ふるさと島根定住財団 2001年6月8日

交流サロンが籍を置く「ふるさと島根定住財団」というのは、存立目的が明確で、目的のためなら手段を選ばない、自治体の外郭団体にしてはフレキシブルで面白い組織ですが、定住の「数」ばかりに縛られないよう注意が必要です。全国的に少子化が進み人口が減少するなかで島根県だけ人口増加することはありません。定住人口を増やす努力をするよりは定住者の生活を快適で楽しいものにするプロジェクトを実行しましょう。ポイントは定住の「数」でなく「質」です。

B級グルメ 2001年6月7日

少し前のDIMEで、最近流行りの中華メニューとして炒飯(またはおこげ)に上湯をかけて食べる、俗にいう「ぶっかけ飯」を特集していました。周富徳さんの高級レストランでも高速道路SAでも大人気メニューとか。

香港駐在時も、一番多くいただいた昼ご飯はぶっかけ飯。テイクアウトのファストフードで、麻婆豆腐とかとろみ肉野菜炒めとかを硬いご飯にぶっかけたプレートランチに滋味たっぷりのスープがセットで約200円。旨いし安いしスプーンひとつで食べられるので、モニターから目が離せないディーラーには最適でした。

日本のビジネス街でも結構いけるのでは?と一時期真剣にビジネスプランを立てていたのですが、松江では市場規模が小さくて儲からないの判断から、どこかに放ってしまいました。

B級グルメとはよく言ったもので、香港で本当に美味しかったのは接待に使う高級レストランやホテルではなく、こうしたぶっかけ飯や、お粥、飲茶、あるいは雀荘でいただいた「まながつお」でした(麻雀はしませんが、図々しく食事だけさせていただいたのです)。すでに支店撤退したので香港で仕事することはないでしょうが、食べものとショッピングの楽しさは世界一です。仁川トランジットで行けるいい便がないかなあ?

企業誘致その1 2001年6月4日

今日はこの秋松江にオープンするソフトビジネスパーク島根を見学しました。松江市の北、島根大学後背の丘陵地に広がる研究開発型企業を誘致するためのファクトリーパーク。従来型の工業団地と違って大量の水や電気が必要ないので、その分環境に対して十分配慮とお金を使った、それはそれは美しい素晴らしいファクトリーパークです。あとは入居する企業だけです。

以前、ある自治体職員に聞いたのですが、いざ企業が進出しようと考えたときに適当な土地や施設がないと恥ずかしいので、工業団地のストックは常に用意しておく必要があるのだそうです。その理屈わからなくもないですが、団地を開発して保有するコストはどうなるのでしょうか?ソフトビジネスパークの開発造成費用は数百億円と聞きます。入居企業が大儲けして同額の税金を払ってくれるのはいったいいつのことでしょうか?

私は決して自治体の企業誘致活動や工業団地の造成に反対しているわけではありません。ただ、あまりにも戦略性や採算性に欠ける気がしてならないのは私一人でしょうか?

どうか某自治体職員の考える戦略が功を奏することを心より祈っています。要はいい企業が入居すればいいのです。入居した企業の研究開発が実を結び、地元企業に夢を与え住民の暮らしが豊かになればいいのです。地元金融機関は精一杯支援します。

曇った鏡 2001年6月1日(金)

松井証券の松井社長のメルマガ、最近はネタ切れなのか、やや冗長な感じを受けますが、時々「はっ!」とするコメントが。

5月18日松井社長曰く「これまでは株価という鏡が曇っていた」
「株価は本当の姿を映す「鏡」だ。企業が伝統やブランドなどで、どれほど着 飾っていても、投資家は本当の姿を見通し、クールに判断する。経営破綻した 山一証券、日債銀、長銀、彼らに引導を渡したのは株価の下落である。これまで行政・企業・証券会社・機関投資家たちの思惑やなれ合いによって、この鏡が役に立たないほど曇っていた。個人投資家がいくらその鏡をのぞき込んでも、企業の本当の姿が見えてこない。そのため誰も鏡を見ることをしなくなっていた。ところが、金融ビックバン以降、この鏡が少しずつ晴れてきた。晴れるにしたがって、鏡が本来の機能を果たし始め、株価を正しく移すようになりつつある。昨今の株価の低迷はその結果といえる。政府、自民党が画策しようとしている株価対策などは、せっかくきれいになり始めた鏡の上から,口紅を塗りたくるような愚行であり、何の意味もない。鏡はありのままの姿を映す道具なのだから。そして、この鏡の透明度は今後、ますます高まっていく。なぜならインターネットの株取引によって個人投資家がマーケットのメインプレヤーになるからだ。日本の証券市場にとって、バイアスのかかっていない個人が主役になるということはかつてないことであり、根元的な構造変化が起きる。いま、それが始まっているのだが、既存の証券会社は危機感が少なく、なかなか体質を変えることができない。」(無断転載御免!)

いったい日本に本当の繁栄なんてあったのでしょうか?バブルは明らかに「曇った鏡」だし、官−官、官−民、民−民の馴れ合いも「汚れた鏡」、もともと市場もニーズもないところで無理やり数字を作ることも「鏡」の存在をわざと無視する行為です。

誰もが「曇った鏡」に映っている世界を現実の世界と誤解して過ごしてきたのです。それが本当は現実ではないことを知っていた人も多いでしょう。どうか我々だけでも、国や地域、会社や組合、そんな「くくり」や呪縛は置いといて、自分の鏡を磨きましょう。世の中が思った通りに進むとは思わないけど、少なくとも自分の鏡に映らない、納得いかないことに対して「NO」が言えないのは寂しいです。
アカツキその3 2001年5月27日(日)

アカツキ(私がNY支店長になったらやりたいこと)その3
「定点観測レポート」

昨日の日記とは若干矛盾するのですが、NY情報は瞬時に、そして大量に日本に入ってきます。大きなニュースなら、駐在員が翻訳して日本に報告する頃にはTVで誰もが知っている、なんてザラです。我々が発信する情報は、国内顧客が欲しがるニュース、それも日本でまだ報じられていない、あるいは日本では報じられないであろうニュースである必要があります。

そんな都合の良い情報を入手するには
(1)日頃から情報源にコンタクトし
(2)入手した情報を発信し続けることで国内の情報ニーズを喚起する
ことが重要です。

私はまず支店行員全員にテーマを与えます。例えば、
○ 企業ファイナンス
○ 個人ファイナンス
○ 自治体ファイナンス
○ 企業経営
○ 文化・メディア、等々です。
各人はテーマに沿ってコンタクトパーソンや情報源を探し、簡単でもよいから週に一度はレポートを作成、発信します。

発信はもちろんインターネットです。支店のHPに掲載し、所管部だけでなく興味ある行員誰もが情報にアクセスできるようにします。ただし掲載後一定期間は、行員以外がアクセスできないような仕掛けをしておきます。一生懸命情報の更新をしなければ国内行員に飽きられますし、国内行員もきちんとNY支店発の情報を追いかけていないとせっかくの情報が行外に流出してしまうのです。こういう国内とリンクした緊張感こそがNY支店のプレゼンスを高めていくわけで、一昨日(その1)で書いた成功事例に結びつくのです。

毎週1回は健康維持も兼ねて、WTCのオフィスからブロ−ドウェイをミッドタウンまで歩いて商店のディスプレイを見ながら帰る、なんていうのも立派な定点観測です。消費トレンドがわかるし、GOING OUT OF BUSINESS SALE (閉店セール)やっている店の軒数を毎週数えておけば米国景気の指標を自分で作ることだってできます。(証券会社が高給で雇っている訳のわからんアナリストの景気予測よりよっぽどマシな指標ができます。)

HPでの定点観測情報発信=「タイムマシンのスイッチ」なのです。

アカツキその2 2001年5月26日(土)

アカツキ(私がNY支店長になったらやりたいこと)その2
「タイムマシンを有効活用する。」

「(NYで起きたことは必ず2年後に東京で起こり、同じことがその2年後に松江で起こる)タイムマシン現象」というのは、これだけ情報化の進んだ21世紀においても真理です。事実、91年からの数年間私がNYで経験し本店に宛ててレポートしたことの多くが最近の日本で起こっているのです。

当時の金融界における話題の中心は米銀の経営不安で、CITIやチェースマンハッタンですら不安視され、実際にBCCIのように破綻した銀行もありました。いま日本においては破綻や統合を通して金融機関が淘汰されつつあります。当時アメリカ人の個人資産の受け皿として人気だったのはミューチュラルファンド(投資信託)です。まだ日本では大人気とはいえませんがかなり浸透してきました。当時連邦準備銀行やNY州銀行局の市中銀行に対する検査基準はリスク管理でした。日本のように現物有高の正確さや貸出に対する不動産担保の多さを検査することはありませんでした。(もっともうちのNY支店には現金など現物や不動産担保融資などありませんでしたが・・・)金融監督庁(いまの金融庁)が数年前にまとめた金融検査マニュアルは、まさにリスク管理対策本であり、細分化されたリスクの種類も当時NYで見たものとほとんど同じです。

当時われわれが一生懸命収集して翻訳して国際部に送りつづけたこれらの情報は何だったのでしょうか?「へー、アメリカって凄いね!」「NY支店はご苦労さん」の話題だけで終わっていたとすれば空しいです。あの情報のうちひとつでも当時の経営に活かしておけば、今ごろわが社は変化に強いユニークな銀行になっていたことでしょう。きっと「感度の高い誰かが、われわれの情報に気がついて当行でも採用しようと奔走したものの当時は規制が厳しく何もできなかった」であったと信じたいです。

「タイムマシン現象」は今でも真理です。監督官庁や業界団体が動いてからでは遅すぎます。いまNYで起きていることを、いまの経営に生かすことが重要なのです。私自身30前後であった当時にくらべ、うちの組織の強さや弱さ、ニーズやシーズ、意思決定のプロセス、そういったものがよくわかっているつもりです。情報活用のノウハウは業務渉外部時代に勉強しました。自分自身の感度が鈍くならないうちに、もう一度NYで暮らし、タイムマシンのスイッチを押したい、これが私の夢です。

そのアカツキには新しいHP立ち上げて皆さんにも情報発信します。HPのタイトルはもちろん「タイムマシンにお願い」です。


アカツキその1 2001年5月25日(金)

アカツキ(私がNY支店長になったらやりたいこと)その1
「本邦顧客との関わりの中で、何でも良い、成功事例を作ること」

国内から見ればいつまでたっても特殊店舗で、存立意義は十分あるのに、行員のほとんどが「撤収すればいい」と思っているNY支店。インターバンクで資金取り入れて米国債など債権運用で儲ける支店形態に対する馴染みがないのは当然で、それならば馴染みの顧客のビジネスの延長線上でプレゼンスを高めていけば良いのです。貿易でもいいし、海外進出のお手伝いでもいいし、情報提供でもいいし、今までの国際部のように腰の引けた、リスク回避ばかり考えた対応ではなくフットワークを活かした顧客支援が必要です。ぼちぼちそのくらいできなけりゃ「撤収」やむなしです。


パンピーの常識 2001年5月23日(水)

小泉内閣がハンセン病訴訟判決に対し控訴を行わない決定をしました。小泉さんという人は、本当に一般人の常識を持ち、その常識にしたがって行動することができる人ですね。福田官房長官の会見を聞いていて目頭が熱くなりました。こんな経験初めてです。国は国民のものです。国民を代表していないダメ政治家やアホ官僚のものではありません。賠償コストの財源がなければ道路特定財源を使ってください。島根も鳥取も当面道路は十分です。


主役は患者 2001年5月20日(日)

以前システムインテグレーション多喜さんのもとでビジネスプロデューサー修行(?)をしていた関係で産業技術に興味を抱き、いまだにTRIGGER誌(日刊工業新聞社刊)を愛読しています。「光触媒」「ナノテクノロジー」「超電導」「リサイクル」「失敗学」等、興味深い特集が多いです。(肝心の技術の中身については、私立文系の私には???ですが・・・)

少し前の同誌で平岩正樹という外科医の取組みを特集していました。週刊現代「手術室の独り言」連載やTV番組等で有名な平岩先生の専門は副作用のない抗がん剤治療。ところが医療の世界は規制やらマスコミなど一筋縄でいかぬ問題が多いようです。中でも先生が問題視するのは医者まかせの「物言わぬ患者」。

日本にはヤクルトが発明したイリノテカンという世界に誇る抗がん剤があるのだそうです。欧米では凄い売れ行きですが、日本では数年前44人が亡くなったという記事がでて以来ヤクルトの不買運動まで始まり、国内での販売は中止され、医者も使わなくなったそうです。日本でイリノテカンが使えないのは日本人が望んだ結果。「亡くなった人は気の毒だが、その薬があれば死なずにすんだはずの人は気の毒ではないのか?」もしガンにかかったら、どういう治療がして欲しいか?どう生きたいか?「お任せします」と医者に命を預ける時代は終わりつつあります。ガン治療は「患者主役」というのが平岩先生の主張です。

医療や技術の社会も実社会の仕組みと似ていますね。主役が国民や顧客や消費者や株主に替わりつつあります。ひとりひとりがQOL(生活の質)を大事にする時代であり、その実現の妨げになる政府や議会、業界団体や企業、組合や上司は、かなりドラスティックな自己変革を迫られます。


トラブルさん、いらっしゃ〜い! 2001年5月19日(土) 

山陰中央新報がルイスCティファニー美術館のスキャンダル記事をスクープしました。市場性に疑問を持ち計画を断念しようとした堀内氏に対し、当時の松江市幹部が議会の承認もないのに「年間50万人の入館を保証する」「周辺整備に松江市が100億円支出する」などの文書で引きとめたのだそうです。

うむむ、確かに無理あるなあ。細かい行政手続きはよくわかりませんが債務負担行為の議決なしに将来の支出を確約したのであれば問題でしょうね。でも50万人くらい人が来なければ堀内氏も松江市も潤いません。これからは入館人数目標達成にむけて、官民が知恵を出し汗を流さねばなりません。すでにあれだけ立派なものができているのですから、過去の手続きの不手際を掘り返すだけではなく、市民全員で美術館を盛り上げていくよう世論喚起していくことこそ地元マスコミの責任だと思います。ね?引野君。

先般わが社の投資信託システムでトラブルがありました。お客様に送った残高通知DMにミスがあり、残高があるのに「お預かり明細はありません」なんて通知が送られてしまったのです。リスク商品だけに、あってはならないトラブルです。

ところが担当部の対応は素早かったです。即日正当分の残高通知をお詫び状とともに速達で再送付。あわせて全店に該当顧客のリストを還元しお詫びの電話を指示、トラブルの拡大は回避できました。我々営業店も、販売した後ほとんどのお客様にコンタクトとっていなかったので良いタイミングで顧客フォローができたと思います。

トラブルを100%回避することは絶対不可能です。要は事後フォローがどれだけできるかどうかです。うまくいけばトラブル前以上にお客様の心をつかめます。松江市民がんばろー。トラブル転じて福となせ!


プロのプロスポーツ 2001年5月14日(月)

NBAファイナルが近いのですが、イチローや新庄の活躍で毎日大リーグ中継ばかり。NHK−BSにおけるNBAのエクスポージャーもずいぶん少なくなりました。でも日本のプロ野球見るよりはイチローや新庄、佐々木や野茂の活躍、そしてそのチームメイトやスタンドのファンを見ているほうがよっぽど面白いです。

個人的には阪神ファンなので悔しいのですが、日本のプロ野球チームの中で本気で野球のことを、本気で「勝つ」ことを、本気でスポーツビジネスを、本気でファンのことを、考えているのは巨人だけです。だからといって毎年優勝できるわけではないのですが、他の11チームとの差は歴然です。巨人以外のチームがもう少し本気にならないと、やる気のある選手はMLBに逃げ出し、ファンもNHK−BSばっかり観るようになるでしょう。

さてNBA、西はレイカーズかスパーズ、東はどんぐりの背比べだけどアイバーソンのフィラデルフィア出て来ないかな?


育てよう!”市民の宝ティファニー 2001年5月13日(日)

感動です!ついに行ってきました、ルイスCティファニー庭園美術館。

建物、収蔵品、空間、宍道湖沿いのロケーション、どれをとっても一級品です。よくぞこれだけの施設を残していただきました、いまは亡き宮岡前松江市長ありがとう。そして、よくぞこれだけのコレクションを松江に持ってきていただきました、堀内武雄さんありがとう。

ステンドグラスとランプは垂涎モノです。あまりの美しさに自然と口元が緩みました。(変な表現ですが、本当に嬉しくてついニコニコしてしまうのです。)寄木細工のサイドボードの見事さには言葉を失いました。グリーントルマリンとムーンストーンの美しさはティファニーの色調に見事にマッチしていました。(どうもうまく表現できません。私は美術記者には不向きなようです。)

mickさんのカキコミにもありましたが入館料2千円は安いです。ニューヨークでもあれだけのコレクションは見たことがありません。松江近辺にお住まいの方は、必ず一度お出かけ下さい。遠方の方にもお奨めします。すでにルイスCティファニー庭園美術館は、あなたの次の休暇の行き先を松江に決める最大の理由です。(またまた変な日本語だなあ・・・)ただし庭園はまだまだです。私が大好きなニューヨーク郊外のオールドウェストバリー庭園には遥かに及びませんし、ハウステンボスの美術館裏にあるイングリッシュガーデンと比べてもずいぶん見劣りします。一括徴収方式(3月のオピニオン参照)やめたところで、300円払ってこの庭園を見に来る人はいません。でも、きっと10年もすればキングサリーのアーチも薔薇のあずま屋も見事なものになることでしょう。季節ごとに違う表情を見せる宍道湖に映える、素晴らしい庭園になるでしょう。妙にピカピカしている大理石の壁面も、枯れたいい風合いになることでしょう。多くの人の夢と努力でできあがった最高の施設です。大事に育てて残していくのは我々市民の義務です。


それぞれの責任感 2001年5月12日(土)

今朝の朝日ニュースター「愛川欽也のパックインJ」は勉強になりました。例の「田中真紀子外相vs外務省」問題なのですが、驚いたことに今までの外務省の「政策」「外交」「人事」といった重要な事柄はすべて事務次官以下の官僚が決定しており、外交はおろか英語すらわからない歴代の大臣は官僚の決めた通りに日程をこなすのが精一杯、権限など何もなかったのだそうです。そこへ英語はペラペラ、外交にも(多少傾いてはいるが)明るい、真紀子さんがやってきたのですから大変です。既得権益を守りたい、外交機密費の問題もうやむやにしたい官僚があの手この手で抵抗しているのが今の状況なのだそうです。

何が言いたいのかというと、国民の代表である政治家は皆なもっとしっかりしてほしいのです。昨日の日記に書いたような非常識な代議士に任せていては官僚の思うツボです。官僚が100%悪いとはいいませんが、現在問題になっていることの多くが、強すぎる官僚制度の弊害なのです。

国民だってそうです。「変だ」と思ったことをうやむやにしない責任感を一人一人が持たないといけないと思います。私はまだまだ自分のHPに向かって「王様の耳はロバの耳」と喚いているだけですが、before it's too late のポリシーだけは決して忘れません。

日経トレンディ最新号によると「ウェブ日記」によるプライバシー公開が大流行なのだそうです。「さるさる日記」という日記レンタルサイトも人気で、その匿名性をいいことに相当過激な日記もあるようです。自分の書いたものを他人に読んで欲しい、自分をより広く認めてもらいたい社会的欲求なのだそうで、私もきっとそういう一人なのでしょうが、無責任な言いっぱなしに終わりたくはありません。できる限り前向きなHPを目指していますので、遠慮なくご意見下さいませ。有紀子さん、mickさん、いつもホントにありがとう。


非常識のキワミ 2001年5月11日(金)

久しぶりに「チョーむかつく」出来事がありました。

先日某代議士が来店し、自分が会長を務める団体が全国から選手を集めてスポーツイベントを開催するので寄付をお願いしたいと頭を下げていきました。経費削減の折り新たな寄付金の支出は難しいのですが、代議士直々の依頼でもあり総務部を口説いて社内承認を取り付け、本日「寄付をさせていただく」旨代議士に伝えたのです。

ところが代議士の口から出たのはお礼の言葉ではありませんでした。「何だ、その金額は?」「私に恥をかかせる気か?」「(わが社の)役員はこのことを知っているのか?」等々、たいそうお怒りの言葉・・・。

どうやら期待していた金額の半分にも満たなかったのがお怒りの原因。でも、この寄付金を捻出するためにうちの支店は同額の経費(備品費や光熱費やコピー代)を削られているのです。ぎりぎりの支出であることを説明するのですが話はまったくの平行線。だいたい資金の集まりが悪ければ、それに合わせて経費を削るとか事業規模を縮小するなどの努力や工夫をしようという気がないのでしょうか?

よっぽど「金額がお気に召さないようでしたら、寄付は最初から無かったことにさせていただきます。」と席を立ちたいところでしたが、それでは大人気ないのでいったん冷却期間をおくことにしました。

これほど常識のない人物が代議士であることは有権者(私は選挙区が別ですが)の恥です。今回は多少寄付金を増額することで解決せざるをえないのでしょうが、こんな代議士の頼みなど二度と聞きません。ぷんぷん。


さよならドゥービーズ 2001年5月6日(日)

今夜、伊勢宮スピリタスでのライブでドゥービーズがその活動に終止符を打ちます。ドゥービーズというのは島根大学のOB・現役によるアカペラ・ボーカル・グループで、1995年結成といいますから6年間も山陰のアマチュア音楽シーンをリードしていたことになります。ちょうど私も会社の若い連中とアカペラの真似事やっていたので彼らのライブはよく聞きに行っていましたし、メンバーの何人かとメールで情報のやりとりをしていたこともあります。

バンドにせよコーラスにせよ音楽ユニットには共通する面白さがあって、技術レベルが高い個人の寄せ集めだけでは決して上手に聞こえないのです。会社のアカペラ・ユニットも一人一人はカラオケ歌わせると抜群に上手いのですが、練習嫌い(?)で結局ユニットとしての上達は限定されたものでした。一方、私が学生時代にやっていたバンドやアコースティック・ユニット「くわいやぼーいず」は、その当時は「なんでこんなに上達しないのだろう?」と常に悩んでいましたが、いま当時のテープを聞きかえすとうまいうまい。暇さえあれば練習してましたから当然です。

ドゥービーズはメンバー全員が卓越したボーカリストであり、音楽の理解者であることに加え、本当によく練習していたようです。(以前はHPで練習日程公開してました。)最近はステージングも安定してき本当にいいユニットになっていただけに解散はとても残念です。昨日メンバーの大月くんから頂いたメールによると「メンバーの一人が実家に帰るのを機会に、それぞれの音楽を見直す」ため活動休止するのだとか。じっくり見直したら、また何か始めて下さい。若くて才能があって練習好きな君達なら何でもできます。6年間ご苦労様、そして楽しませて頂き、ありがとう。


メディアの姿勢 2001年5月1日(火)

最近NHK松江放送局の番組をみていて思うことがあります。毎日お昼前と夕方のニュースで交通機関の空席情報を流しているのですが、どうにも納得いかないのです。

何かというと、県内にある出雲、石見、隠岐の三空港の発着便に続いて、隣県米子空港の発着便についても空席情報を流しているのですが、なぜか米子−ソウル便の情報だけは流さないのです。鳴り物入りでスタートした山陰初の国際定期便、海外渡航はもちろん海外からの観光客受入れや貨物需要の可能性など地域の関心は非常に高いのです。地域の活性化、国際化のために、この米子−ソウル便の成功は不可欠です。ぜひとも毎日情報を流して地元の関心をいま以上に喚起していただきたいものです。

あんまり報道に偏りがあると、いまだに出雲−ソウル便就航に燃えている島根県庁のNHKに対する横ヤリではないかと、疑ってしまいます。
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