ひとこと(2002年1月〜3月)


松江北高ここにあり 2002年3月30日

高校同級生の藤井くんから甲子園観戦レポートがきました。同窓として、読んでいて胸があつくなるメールだったので勝手に転載します。

感動した。本当に感動しました。
スコアボードの「松江北」が、にじんで見えました。
校歌は泣き声で歌えませんでした。
野球を見ていて、一球一球すべてに一喜一憂したことは初めてです。

甲子園ボウルのときも同じ想いなのですが、母校の応援というのは本当に心熱くなれます。特に甲子園の暗い階段を昇り、目の前に緑の芝とスタンドの熱気が飛び込んでくると、それだけで涙うるうるです。まして29日は「♪山脈浮かびて♪」を歌ったのですから、素晴らしいことです。藤井くんは懐かしい恩師や同級生にも会えたそうです。良かったね。

だいたい松江北高が甲子園に出場するなんて冗談にもなりませんでした(昔、北高OBコンサートで「トロピカル4」が、北高の学校紹介をネタでやりました)が、実現して本当によかったと思います。春の選抜の場合、特に21世紀枠なんて選抜基準が極めてあいまいですが、決して強豪高でない松江北高が、負けたにせよ堂々とプレイしたことは選手のみならずOBや市民に感動と勇気を与えました。

守る人間関係と作る人間関係 2002年3月28日

お得意様を訪ねての商談中、胸のポケットの携帯がプルプル。むむむ、支店で何かあったのかな?と見ると
「今から『猿の惑星』DVD買いに行きます」
奥さん+娘2人からのメールでした。先日、私がすでに東京で買っていた「ジュラシックパークIII」のDVDを奥さんも松江で買ってしまい、つまらない口げんかになったので、今日はちゃんと事前にメール通知してきたものです。

直接会って会話ができない私達家族にとって携帯メールも大切なコミュニケーションの手段です。離れていっそう強く感じるのですが、家族はかけがえのないパートナー、「守る人間関係」です。

さて今夜は山陰を代表する「前向きな論客」3名との楽しい食事。「地域活性」「産官学の連携」「万引き対策」「癒し空間」と話題は多岐にわたりましたが、全員が納得したのは「人(の関わり)の大切さ」。アライアンスとかいろいろな言葉で表されますが、要は「作る人間関係」です。

税制改革と流動化 2002年3月25日

「抵抗勢力」自民党政調会長麻生太郎氏の講演を聴きました。随所に大蔵(財務省)官僚、そしてその手先(?)である小泉首相に対する根強い反感がにじみ出ていましたが、さすがにそこそこの政治家は話が上手で面白いです。

「GDPの伸びを支えるため政府は莫大な借金をしたが、同時に資産も増加しているのでまったく問題ない」
「いま本当に困っている中小企業を助けてくれるのは政府系金融機関である。整理統合など、もってのほかだ」
「料亭やゴルフ場での官官接待や官民接待を復活させないと、大蔵官僚の情報不足や非常識は治らない」
など、かなりいい加減な論調もありましたが、
「税制改革で土地や金の流動化を生み出し、活力を与えるべし」
の話は説得力ありました。

例えば相続税は最低でも5千万円もの控除が受けられるので、実際に税金を支払う必要のある人は5%程度しかいないのだそうです。一方、生前に贈与する場合、例えば5千万円の場合70%つまり35百万円を税金で持っていかれるので、ばかばかしくて誰も贈与などしません。この贈与税を大幅に減税したらどうなるでしょうか?財務省は「35百万円取りっぱぐれた!」と騒ぐでしょうが、もともと誰も贈与せずに大切にしまっておいたお金なのですから税収が減るわけではありません。むしろ贈与には消費や生産を伴うわけですから、税収増になる可能性があります。お金が流動化することで、不要な助成金などの支出も減るかもしれません。

なぁんだ!国債の大量増発しなくても景気回復させる方法があるじゃないですか。

白熱灯のぬくもり 2002年3月23日

松江景観研究会のHPがお気に入りです。ずいぶん前に公開されているので、現在も同じような提言や活動をしておられるのかどうかわかりませんが、光を上手に使うことで松江の魅力を向上させるヒントをCGプレゼンしています。光、特に「白熱灯」の利用で街はこんなにも表情を変えるものだと感心します。

ニューヨークやシカゴの夜景の美しさは地平線まで続く「広がり」そして「白熱灯のぬくもり」です。(香港の夜景の魅力は少し違っていて、狭い地域での「光の凝縮」と「電飾看板」かと思います。)笹倉鉄平が描く地中海の街の美しさも、ディズニーシーの不思議な郷愁感も「白熱灯のぬくもり」からきているように思います。欧米の家庭における室内灯も白熱灯の間接照明を上手に使っています。

全国どこでもそうですが松江の中心商店街も本当に寂しくなっています。(もともと商売っ気の希薄な松江商人は夕方5時にはシャッターを降ろすことで有名でしたが。)例えば街灯を白熱灯に替えることで、市民や観光客が夜歩きを楽しめる街にすれば少しは活気が戻ってくるのではないでしょうか?映画「白い船」に出ていた「カラコロ広場」の夜景は実物の何十倍も魅力的に撮られていましたが、実は市民が気付いていないだけで観光客の目には魅力的な夜景なのかもしれません。

愛国心とメンツ 2002年3月21日

小泉首相の訪韓やワールドカップが近いこともあって、日韓交流についてのTV番組が多いですね。今日もTV東京で日韓両国の若者同士による本音での意見交換をやっていて興味深く観ました。TV東京って、温泉とグルメとASAYANしか放映しないと思っていましたが、いい番組もありますね。

韓国の若い世代はJ−POPSや漫画、ファッションなど日本の大衆文化がとても気になるのだけど、日本の戦争責任や慰安婦問題が心の重しになっていて、日本人に対してとても複雑な思いがあると思います。愛国心の強いまじめな国民性です。

日韓問題を考えるとき、いつも思い出すのは(前にも書いたかもしれませんが)7年前大宇グループのファクトリーツアーで韓国を訪れたときのことです。ホテル近くの南大門広場にかかっていた横断幕の文句がとても洒落ていたのです。ちょうど竹島(独島)問題が再燃していた微妙な時期なのですが、その横断幕には
「独島は日本に譲りましょう。でも2002年(ワールドカップ)は韓国で!」
とあったのです。
「なぁんだ、韓国人も日本人と同じじゃないか」妙に嬉しくなりました。

国境を意識しないで済む平和ボケの日本人といわれるかもしれませんが、政府が北方領土も含めて領土問題にあれだけ神経質になる理由がわかりません。特に竹島(独島)なんて漁業権の問題はあるかもしれませんが、島そのものはどちらの国が領土にしようと建物はおろか、まともな港さえ作れない荒海の岩場で、まともな韓国人であれば「たいして興味ない」のです。愛国心とメンツは違うものです。

交通安全協会 2002年3月17日

社団法人松江八束交通安全協会のこと。免許更新の時は必ず窓口で入会の勧誘があり、その都度協会について質問するのですが、まともな回答がないのでずっと入会していません。それでも最近のパンフには協会の事業内容が詳しく説明してあり、交通安全の啓蒙や道路の整備などどれも大切な事業であることはわかるのですが、交通安全が国民全員にかかることである以上、事業費はドライバー任意の負担金で行うのでなく税金でまかなうべきだと思います。また組織や財務内容の開示が会員外に対してまったくありません。窓口で詳しい説明を求めても「それでは結構です」とすぐに引かれるので溝がまったく埋まりません。

地方で手に入る「ソレ」 2002年3月17日

ティファニー美術館のミュージアムショップへ立ち寄り、前回購入した若草の香りのルームフレグランスを買いました。前回はお香でしたが今回は同じ香りのエッセンスオイル、香りが長持ちしそうです。午後は家族で島根県立美術館へ。子供達がパソコンで遊んでいる間に奥さんと二人で19世紀ウィーン分離派と呼ばれる画家たちの作品を集めた「ウィーンの春」展を鑑賞しました。これは難解でした。きっと近代美術史においては相当の意味を持つ作品ばかりなのでしょうが、さほど美しくもなく感動もなく退屈な陳列でした。むしろ隣で展示されていた島根大学美術部学生の作品のほうがはるかに稚拙ながらも楽しめました。

今日の松江は他にも「松江レディース・ハーフ・マラソン」や「国暉酒造 春の新酒祭り」などイベント豊富な平和な一日でした。マラソンはTVの中継を見ながら近所の交差点まで走って選手を応援に行きましたし、国暉さんでは、限定の生酒を買いました。いろんな物や事が10分以内の距離で手に入るのは田舎の特権です。地方の豊かさの一面かもしれません。

本当に欲しいものや珍しいものは都会でしか手に入らないでしょう。でも都会で「ソレ」を手に入れることは実は大変なことです。まず「ソレ」がどこで手に入るかがわからない。そして「ソレ」を手に入れるために、時には何時間も電車に揺られなければならない。やっとたどり着いても「ソレ」を手に入れたい人が他にもたくさんいれば我慢強く並ばなければならない。都会であれば「ソレ」は必ず手に入りますが、手に入れるための苦労も並大抵ではないようです。

それでは田舎で手に入る「ソレ」の質が悪いかというと、決してそうではありません。ティファニー美術館の所蔵品の素晴らしさは、ここで何度も触れている通りです。島根県立美術館の企画展は全国どこの美術館と比べても決して負けない内容で(今日はハズレでしたが)観客動員数は堂々の全国3位、ロビーの窓いっぱいに広がる夕陽の美しさは垂涎ものです。松江レディースマラソンはかつて無名時代の高橋尚子や渋井陽子、山口衛里、土佐礼子も走った、日本女子マラソン界では若手登竜門のような大会です。そして国暉酒造の酒の金賞受賞回数は全国第2位です。どうです、すごいでしょう!?

卒業 2002年3月16日

今日は島根大学教育学部付属中学校の卒業式。163名の若者が義務教育を終え巣立って行きました。

式そのものは何十年たっても相変わらずつまらないもので「起立!」「着席!」の連続、やたらと長い「間合い」、校長先生や来賓のつまらない話の1時間でした。それでも生徒同士による自分たちの言葉での「送辞」「答辞」はなかなか聞きごたえがありましたし、松江ポップスオーケストラ今岡先生アレンジによる校歌は「あいと地球と競売人」バージョン(?)でとても新鮮でした。

教室へ戻り、担任の持田先生最後の授業。もう始めから涙ぼろぼろの先生の、本当に良い話をうかがいながら、この2年間長女Iみは本当に良い先生と友達に恵まれたのだなぁと感激しました。また寄せ書きを見て、学校においてIみがどんな子であったかあらためて知ることができました。Iみ、三年間ご苦労さま。卒業心からおめでとう。

教育改革で国立大学教育学部の統廃合が進められる中、付属中学校や付属小学校の存続も議論されているようです。母校が無くなってしまうことはとても寂しいことですが、母校や思い出、友情といったものは、実は一人ひとりの心の中にあります。友達とならば、卒業から何十年たっても思い出は一つ、友情は変わりません。むしろ、どんどん深まりっていきます。

地方の豊かさ 2002年3月14日

松江から出張のサロンおかみプラス早稲田商店会ボランティアの久保さんと両国でちゃんこ鍋。お二人は今日一日、墨田区下町の小さな博物館や工房を見学して歩いたそうで、全員で街づくりの話題で盛上がりました。話をしながら、あらためて地方の豊かさというものを再認識しました。都会にはない素晴らしい資源があることに加え、それを愛で、盛り上げ、応援し、楽しもうとするおかみのような人がいる限り、地方の優位性は揺るぎません。

鈴木宗男の功績 2002年3月12日

細かな喚問の内容、与野党の対応や鈴木氏の去就はたいして興味もありませんが、一番のポイントは、喚問の中で鈴木氏が「国会議員の、地元に対する利益誘導を公に認めた」ことではないでしょうか?ある程度の「利益誘導」は、誰もが気づいていながらずっと黙認してきたことですし、日本社会のシステムや日本人のDNAを考えれば、十分許容範囲なのかもしれません。ただこれを機会に、国政を預かる国会議員のあり方や、選挙民の国会議員に期待する内容、といったことが全国民を巻き込んだ議論に発展するのであれば、日本にとって幸せなことですし、鈴木議員最大の功績になるのではないでしょうか。

綺麗さび 2002年3月9日

木場にある東京都現代美術館で「八幡垣睦子パッチワーク展」を観ました。以前掲示板に内藤君が書き込んでいましたが、島根県加茂町(銅鐸の加茂岩倉遺跡で有名)在住のアーティストで、古布を活かした独特の作品を生み出しておられる方です。パッチワーク・キルトと侮るなかれ、素晴らしい芸術です。

以前うちの奥さんがパッチワーク小品を作るところを横で見ていたのでわかるのですが、あれは実に大変な作業です。展示されていた中で最大の(そして最も有名な)作品「雅紅(がこう)」などは230×320の大きなもので、なんと5,000枚もの六角形の布で構成されるという、気の遠くなるような労力の賜物なのです。

八幡垣さんの作品の特徴は、古布を使用しているので独特の風合いがあること。「綺麗さび」という作品がありましたが、枯れたような老木から美しいしだれ桜が乱れ咲く様子など、普通の布と感性では表現できません。「寒紅」という作品の椿が映えるのも背景の古布がしっかりと引き締めているからでしょう。

作品の見せ方にも並々ならぬこだわりがありました。光や音楽の使い方はもちろんですが、砂利を敷き詰めたり、巨大な古木を作品の傍らに配したり、通常美術館では許されないであろう演出が凝らしてありました。レセプションの席上、日本ヴォーグ社編集女史がいみじくもおっしゃいましたが、パッチワークが芸術と認められだしたのは極最近のことで、わけても八幡垣さんの功績は大きいのだそうです。

レセプションは地元加茂町の皆さん、八幡垣さんの信奉者、日本エアシステムを始めとするスポンサー、東京在住の島根県応援団など、たくさんの方で大賑わいでした。たくさんの方に支えられている八幡垣さんは幸せなのでしょうが、同時に、応援のし甲斐のある、他所の人に自慢できる対象を見つけた応援団にとっても実に嬉しいことなのです。島根のように「枯れてしまった(?)」ところにも美しい桜は咲きます。花開いたひとつの「綺麗さび」を皆なで応援していきましょう。

「民」の罪 2002年3月3日

誰も書かないので鈴木宗男についてひとこと。いまさら彼について良いも悪いもないのですが、典型的なトップダウン利益誘導型の古いタイプの政治家なのでしょう。(もっともリーダーシップとしてのトップダウンや地域の代表としての利益誘導がまったく悪いとも思いませんが・・・。)私が言いたいのは、彼の罪状をひとつひとつ暴き出して政界から追放するだけでなく、あわせて地元の有権者および業者に猛省を促したいということです。恫喝されたとか、鈴木氏に頼まなければ仕事が取れなかったとか、献金を強要された、とかいろいろ言っておられますが、要はグルになって不公正なことを続けてきたのです。そしてこれは北海道だけでなく全国どこでも起きていることなのです。政や官にはいろいろと悪しき慣習があるようですが、彼らにたかり、ぶらさがる民も同じだけ悪いのです。

宿命 2002年2月24日

映画漬けの週末でした。最も好きな邦画「砂の器」DVDが発売されたので早速購入、朝からじっくり観ました。感動しました。泣きました。

松本清張の原作も素晴らしいのですが、映画ならではの演出、特に後半の
 「交響曲『宿命』演奏シーン」
 「特別捜査本部での謎解きシーン」
 「本浦父子の旅の回想シーン」
の3つが絡まって終局へなだれこむ展開は見事です。加えて(これも原作にないのですが)本浦千代吉が生きていて、我が子の写真を見て嗚咽するシーンは何度観ても涙が止まりません。個人的には若き頃の島田洋子様のヌードもたまりません。(島田様には、昔NYのクラブtというお店で何度かお会いしましたが、本当に美しい方です。)
狂気 2002年2月23日

「地獄の黙示録(特別完全版)」観ました。もう頭の中が真っ白です。当初公開時にはカットされていた53分を加えた大長編でしたが、畳み掛けるような狂気の連続であっという間の3時間半でした。23年前のオリジナル版はいったい何だったのだろう?と思うくらい今回の「特別版」は強烈な体験でしたが、現実の戦争はそれをはるかに上回る狂気なのかもしれません。
 「アメリカ軍は最初に徹底的に攻撃しておいてその後で救援活動をする。」
 「人を殺すあなたと、人を愛するあなた。あなたは二人いる。」
追加された部分に、考えさせられるセリフがありました。

未来の始まり 2002年2月22日

来月は、いよいよ長女Iみの卒業式です。シカゴ郊外の美しい自然のなか、よちよち歩きをしていたあの娘が義務教育を終えるなんて信じられません。いまはまだ受験勉強で忙しく、また少々早いですが、父親からのIみへのメッセージ送ります。

お父さんもお母さんも同じ中学校の卒業で、それぞれに青春時代を過ごしたわけだけど、卒業というのは決してそれで「終わり」ではなくて、卒業後何年、あるいは何十年たってから、この日誌にもあるような「奇跡」のような出来事が、今お父さんやお母さんのまわりでたくさん起きていることを知って欲しいと思います。友達は何年たっても、何があろうと友達です。(ナオキはナオキだ!?)きっと同じように感動的なことが君の将来にもきっと起きます。どうか最後の一ヶ月を元気で、そして有意義に過ごしてください。素敵な未来の「始まり」に乾杯!

ペイオフ解禁と公金の保護 2002年2月20日

島根県庁がペイオフ解禁対策を決定、公表しました。内容は、
(1)預金の代わりに国債や地方債を購入する。
(2)預金は、借入との相殺が可能な金融機関にだけ預ける。
(3)金融機関の信用力をしっかりモニターする。
の3つ。公金預金まで預金保険制度の対象に組み入れられているのですから、いずれの対策も(問題はありますが)仕方ないものだと思います。

このニュースについて次の3つの意見があります。

その1.「官」発の風評対策

最近はペイオフは言葉だけが一人歩きしている気がします。仮に4月以降どこかの金融機関が破綻した場合、すぐにペイオフ発動されることは考えにくいです。まずは国有化され、金融庁は当該金融機関の事業を承継する適当な買い手を捜します。事業承継が行われれば、預金はそれまで通り預け入れたり払い出すことができるわけで、ペイオフ発動されることはありません。また最近取付け騒ぎのあったいくつかの地域金融機関では、自治体や地元経済界が増資に応じ無事に事業継続しています。こうした救済がまったく行われない場合、初めてペイオフは発動されます。公金の保全は大切なことですがペイオフ対策基準を明確にし、ディスクローズもしっかり行わないと、風評被害が地域経済に悪影響を与えます。

その2.本気で運用

一昨日の日記にも書きましたが、多くの自治体・外郭団体において公金の運用基準はむちゃくちゃです。ペイオフ対策も大切ですが、本質的な部分で県民の税金の責任ある保管運用をお願いします。

その3.不完全競争からの脱却

昔の公金取引は指定金融機関一行にほとんど集中していました。指定金融機関は、貸出(縁故債引受)と預金(基金や歳計現金)の金利差による利益を十分確保できていたため、行員を役場内に派遣して公金収納事務を代行したり為替手数料を無料にすることができたわけです。これが現在では、競争入札で一番高金利を呈示する金融機関に預金をする一方で、貸出(縁故債)だけは以前同様指定金融機関を中心とする複数行のシェア割かつ全金融機関同一金利というアンバランスは競争原則になっています。自治体は低利安定調達と高利資金運用の両方を享受しているわけです。今後ペイオフ対策で預金と借入のバランスを操作する必要がでてくるため、この不完全競争の仕組みも変わるのでしょうが、これは自治体も資金調達において競争社会に取り込まれることを示し、今まで以上にコストや事業性を重視する必要が出てくると考えます。

公金の責任ある運用 2002年2月18日

ひどいニュースを見つけました。毎日新聞さんのサイトの無断転載です。ごめんなさい。

<アルゼンチン債>青森の教職員互助団体も33億円購入

青森県内の教職員の互助団体である財団法人・青森県教育厚生会(小笠原美徳理事長)が債務不履行(デフォルト)の恐れが強いアルゼンチン国債33億6000万円を保有していることが分かった。
厚生会は96〜01年にアルゼンチン国債を購入した。当時は年3・5〜7・4%と高利だったうえ、円建てだったため、為替の動きに影響を受けないと判断していたという。年間約1億8000万円の収入を見込んでいた。
県教育厚生会は、教職員の福利厚生事業を目的に1932年に「県教職員互助会」として設立。47年に「県教育厚生会」と改組した。会員は約1万6000人で、毎月、給料の1%を会費として徴収。会員への貸し付けや、奨学、貯蓄、保険などの事業を展開している。


そういえば、昨年も島根県教職員互助会がマイカル債を購入していたことが判明して地元で話題になりました。どちらの債券も発行当時はそこそこの銘柄だったかもしれませんが、最近では金融のプロでもめったに手を出さない、いわゆるジャンク債でした。誰も買わないから利回りが高いのは当然だし、いくら為替リスクが少ないとはいえ、格付が超低くて発行体の信用力がゼロに等しい債券をなぜ購入したのか理解できません。どちらのケースも(幸い)住民の税金ではありませんでしたが、教職員さんの大切なお金が返ってこないわけで、気の毒で仕方ありません。

ほとんどの自治体(あるいは外郭団体)において、基金や歳計現金の運用方法には「有利かつ安全な方法で」程度の取り決めしかなく、具体的な運用商品の選定方法やロスカットルールは明文化されていないようです。ペイオフ解禁対策をいろいろと検討しておられますが、まずは内部の運用体制をきちんと固めるべきだと思います。金融市場に精通した外部の人間を雇い、厳格な運用ルールを制定し、ブルンバーグやロイターの1台くらいは装備しておかないと、同じような悲劇は何度でも起こります。

アメリカ人がきらい 2002年2月15日

ミニ同窓会の帰りの電車で、けんが何度も「お前はアメリカ人が好きだろうが、俺はアメリカ人が嫌いだ」と力説していました。勤務する保険会社が外資と提携するため、アメリカ人相手の交渉ごとに日々苦労しているのだそうです。

気持ちはよくわかります。今外資が日本に仕掛けていることはまさに略奪です。アメリカが世界に押し付けて我々が取り入れようとしているグローバル・スタンダードと呼ばれるルールですら(アーザー・アンダーセンによるエンロン社の監査がいい加減であった事件でもわかるように)不完全で不安定な代物です。ただ問題なのは組織としての外資であり、集団としてのアメリカ人であって、個人一人ひとりを見れば素晴らしい人間が多いことも事実です。日本人だって同じで、一人ひとりは決して悪くないのですが、太平洋戦争を引き起こしたり経済戦争を仕掛けたのは日本軍であり、日本企業であり、そして集団としての日本人でした。やはり今まで以上に一人ひとりがしっかりと自分の考えや判断・行動の基準を持たなければいけませんね。

ミュージカル「ビリーブ・イン・ミー」秘話

○ 開演前夜 2002年2月8日

「ビリーブ・イン・ミー」のリハーサルを観にいきました。昨年にくらべキャスト1人ひとりの演技力が数段向上しており、フィナーレの1シーンを見ただけで涙ウルウルものです。次女Kみは歌やダンスもですが、ステージ上の笑顔が最高に可愛くて驚かされました。いよいよ明日から本番です。楽しみでしかたありません。

○ 公演初日 2002年2月9日

本当に大変な、でも最高に感動的な一日でした。

18時30分からの本番を前に最終の通しリハーサルがあり、キャスト関係者は特別に許されて会場でビデオ撮影をしました。ところがリハーサル直前の小学生たちが大変だったのです。まず、女の子一人が貧血で倒れました。それを見ていた子供たち5人が次々と身体の不調を訴え始め、うちのKみに至っては腹痛に加え38度も熱がでて救護室で手当てを受ける始末。子供たちなりに一生懸命押さえつけていた本番当日の緊張感が一気に噴出したのです。

Kみの出番は「明日から夏休み」「むじな」「雪の精」「ビリーブ・イン・ミー〜カーテンコール」の計4回。はじめの2つはKみ抜きでのリハーサル。Kみアップのズームインもなく、むなしくビデオが回っていました。Kみには奥さんがずっと付いていたのですが、私は救護室に楽屋にも入ることができないので、心配で心配でなりません。
 身体は大丈夫だろうか?
 せっかくあんなに練習したのにもし出られなかったら可哀想
 スタッフや他のキャストにも迷惑かけちゃうな・・・

そんな不安のなかKみが「雪の精」として出てきてソロで歌うのを見たときはもう涙がとまりませんでした。そのままカーテンコールまでこなしてリハは無事終了。本番までの時間は再度救護室でしっかり静養、本番は全員揃っての素晴らしいステージでした。

聞いてみるとうちの子以外にも、熱のあった子、ひざに水がたまってとても踊れる状態ではなかった子、痛み止めスプレー塗りながら熱演した子、いろいろいたそうです。皆なプロです。

我が子の姿ばかり追いかけていて肝心のミュージカルを楽しめませんでした。Kみは熱も下がり元気になったようです。明日の最終公演は一観客として「ビリーブ・イン・ミー」を楽しみたいです。

○ 公演二日目 2002年2月10日

2年目のミュージカル「ビリーブ・イン・ミー」は最高の出来映えでした。

技術的なはなしをすれば、昨年のまずかった部分はかなり手直しされ、ダンスよりもストーリーに重きをおくことで筋の流れが自然になりました。キャスト一人ひとりの力も向上しました。何もかも手探りであった1年目より向上することは当然かもしれませんが、スタッフ・キャスト全員の気持ちが観客席にびんびん伝わってくる名演でした。

カーテンコールで大泣きしているキャストには思わずこちらももらい泣き。最後は作曲の宮川泰がお約束のタクトを振り、会場全員で「ビリーブ・イン・ミー」の大合唱でしたが情けない涙声になってしまいました。
 「ともだち」
 「信じる」
 「約束」
そんな当たり前の言葉がもつ素晴らしい意味を子供達に教えられた気がします。

心配しましたが、おかげさまで次女Kみも元気で2日間のステージをこなすことができました。何ヶ月もの間、学校や行事をこなす中での厳しい練習に耐え、最後の最後に最高の笑顔を見せてくれました。君のおかげで家族全員がまたひとつ大きくなりました。本当にご苦労様、心からありがとう。

○ 後日談 2002年2月11日

「ビリーブ・イン・ミー」終演後の楽屋は、大人も中学生も小学生も涙々の洪水で大変だったようです。観客の我々ですらあれだけ泣けたのですから、苦労して練習して、緊張と不安の中で一生懸命演じたキャスト、ならびにスタッフの皆さんの感激は言葉で語り尽くせるものではないでしょう。

終演後の打ち上げでは、宮川先生のピアノ生伴奏で「ビリーブ・イン・ミー」を大合唱。アンコールに応え、これも生伴奏で「宇宙戦艦ヤマト」・・・もっともこれは小中学生よりも保護者にうけたようですが、大盛上がり大会だったようです。

一夜明けて次女Kみはまだ少し熱がありましたが、約束していたご褒美のおもちゃを一緒に買いに行きました。残念ながら目当てのものはありませんでしたが、替わりに買ったのはたった数百円のアクセサリー。昨夜、大人たちと対等にステージをこなした娘はあっというまに普通の小学4年生に戻っていました。お昼も回転すし弁慶の「いくら」で大喜び、なんだか「むじな」にだまされているような気分です。

次なる我が家のイベントは長女Iみの高校受験です。昨日までミュージカル騒ぎで申し訳なかったけど、今日からは君を中心に我が家がまわります。全力を尽くしてください。

午後の飛行機で東京へ戻りました。今回の4日間の帰省はとても忙しかったのですが、家族やまわりの皆さんとの中身の濃い瞬間の連続でした。何だか里心がついてしまい、後ろ髪引かれる思いで我が家を後にしました。大学に入って一人暮らしを始めたころはその自由さがたまらなく好きでしたが、今はまったく逆です。一日一日違う表情を見せ成長していく家族と時間を共有できないのは本当に辛いことです。

「みっともなくてもいい! ナオキはナオキだ」(「ビリーブ・イン・ミー」より)の気持ちです。

「白い船」と「ゴリラの鼻くそ」 2002年2月7日

映画「白い船」の試写会に出かけました。島根県平田市にある日本海を見下ろす小さな小学校と沖合いを航行するフェリーの交流を描いた、予想以上に爽やかな佳作でした。実話に基づくよくできた脚本、大滝秀治の名演、美しい山陰の風景をみごとにインテグレートさせた錦織良成監督の手腕は確かです。角松敏生の音楽もナイスで、ミュージカル「あいと地球と競売人」「ビリーブ・イン・ミー」に続く、島根発の、胸を張って紹介できる良質文化です。ロードショーはもう一度お金を払って観に行きます。松江・平田があんなに美しいところだなんて驚きです。

平田つながりでもう一件。「ゴリラの鼻くそ」平田の岡さんに初めて会いました。奇抜な発想の商品開発、島根県人には珍しいフットワークと押しの強さで、きっと大変な変わり者だろうと勝手に想像していたのですが、実際にお会いしてびっくりしました。変わり者どころか、悩んで悩んで、一生懸命ビジネスのことを考えておられる真面目な方でした。今後の展開が楽しみです。

簡易郵便局 2002年2月4日

中山間地域の簡易郵便局では、配達人さんが、毎日独居老人を訪ねて健康状態をチェックしたり物を届けたり一生懸命やっていらっしゃいます。立派なことです。素敵なことです。でもその様子をTVで解説していた某郵政族議員氏が
「どうですか?素晴らしいでしょ!郵便局の人はこれを『タダ』でやっているんだ!郵貯民営化するなんて、とんでもない!」
と豪語しておられ、開いた口がふさがりませんでした。

タダじゃありません。郵便局員さんのお給料は税金で賄っているんですよ。むしろ簡易郵便局は、郵便事業も行う地方公務員として、独居老人訪問を「業」として行えばいいのではないでしょうか?郵便局員の身分でするから、せっかくの素晴らしい住民サービスが郵貯問題とごちゃ混ぜで議論されてしまうのです。

あまりの寂しさから、わざと自分宛のハガキを書き、郵便局員が配達してくるのを楽しみにしている独居老人がたくさんいる、というドラマみたいな話を聞くとせつなくなってしまいます。

ホームシック 2002年2月3日

1人で過ごす日曜日の午後、突然情緒が乱れました。何だかわからないけど、もの凄く不安になって、何かにすがりつきたいような気分が沸々と沸きあがってきました。きっと突発性のホームシックです。来週は帰省します。それまで頑張って我慢します。これって昨日高校の学園祭を思い出したせいでしょうか?きっとこういう状態が続くと、人はおかしくなるのでしょうね?

久しぶりにケニー・ロギンスの Celebrate Me Home を聞いたことも影響したのでしょうか?昔大阪フェスの二階席でケニーにあわせて大声で歌った名曲です。いつでも帰ることができる場所、いつ帰っても暖かく迎えてくれる場所を持っていることって、すごく大切なことですよね。

私の「台風クラブ」 2002年2月2日

TVが面白くないので、先日買ったDVD「台風クラブ」をもう一度観ました。前回観たときの日記には若者の狂気と書きましたが、正確にいえば純粋な正義感みたいなものでしょうか?何回観ても共感を覚えます。

「台風クラブ」観ながら思い出したのは私が高校三年生の秋、学園祭最終日のファイヤストームのエピソードです。夏休みから準備を始め、クラスの出し物、部活動の発表、コンサートなどを通して学校中がひとつになって3日間にわたって盛り上がる学園祭の、最後を飾るイベントが校庭のど真ん中でのファイヤストームです。「ソーダ節」で笑い、全員で大声で歌って、まさに青春そのものでした。

実は私が卒業すると同時に古い校舎を取り壊して現在の校舎に移転することに決まっており、その年の学園祭は同校舎での最後の学園祭でした。ファイヤストームは感動的に進み、いよいよ最後に全員で校歌を歌ってフィナーレというところで、何かあったのでしょうか突然生徒指導部の先生の制止があり、ファイヤストームは終了させられました。皆なぶつぶつ文句をいいながらも散会してしまったのですが、私はどうにも納まりがつかず「佐藤のだらくそーっ!(佐藤というのは生徒指導の先生、「だらくそ」というのは出雲地方の方言で「あほんだら」の意)」と叫んでいました。翌春には壊されるオンボロ校舎に校歌を聞かせずに帰れるか!という青い正義感もしくは狂気だったのでしょうか?当然先生が血相変えて私のところにやってきました。佐藤先生だけならばきっと殴りつけていたでしょうが、一緒に駆けつけてきたのが地学の三島欣二先生。大変な人格者で心から尊敬していた人なので「なぜ校歌を歌わないのですか?」と一言抗議しただけで、あとはすぐにあやまりました。

その後2階の部室に1人残り窓の外を見下ろして、三々五々自転車で帰宅する同級生を見ているうちに妙に心が静まっていったことを覚えています。
「ああ、終わったんだ」
みたいな充実感があったように記憶しています。

before it's too late の気持ちを忘れずに残りの人生を走りぬけ、死ぬ間際に同じような充実感を感じることができれば素晴らしいことですね。

松江北高野球部 2002年1月31日

おめでとう!松江北高。今春の甲子園全国高校野球大会に「21世紀枠」の1校として参加することに決まりました。

典型的な地方の受験校で、在学中も「いったい誰が監督なの?」というくらい弱小校だったのですが、ここ数年県大会ではいい成績だったし、21世紀枠という新しい制度のおかげで、晴れの舞台に出ることができました。

毎年社内でカンパ袋回ってきて、甲子園常連の浜田高校とか八頭高校には随分と寄付しました。
「いつか松江北高が出るときはしっかりカンパしてくださいね」
「あと100年はないよね?」
なんて言っていたのが夢のようです。

1回戦を突破できるとは思えませんが、先輩に恥をかかさぬよう、堂々と試合に臨んでください。3月は甲子園に行こうかな?

カウンター5000HIT御礼 2002年1月30日

びっくりしました!昨夜更新の段階で、カウンター5000にはまだ4〜50あったので大台突破は週末あたりだろうと思っていたら、もう一気に5019!掲示板で高速道路ディベートが盛り上がっているせいもあるのでしょうが、素直に嬉しいです。本当に有難いことです。商用サイトでもありませんし、何度もいうように一切公知していないのですが、毎日たくさんの人にクリックして頂いています。HPを通しての出会いや広がりも続いています。これからも before it's too late の気持ちを忘れずに頑張ります。どうぞよろしく。

心の政治 2002年1月30日

田中真紀子、野上次官、鈴木宗男の件はいろいろな意味で残念です。残された官邸と外務省それぞれに頑張っていただきたいものです。いろいろなご意見があるのでしょうが、小泉首相と田中真紀子が大衆に支持されている理由は、大衆が正しいと思うことを正しいと、気持ちいいことを気持ちいいと、許せないことを許せないと、認める「わかりやすさ」だと思います。個別の政策の良し悪しを超脱した、いい意味のアマチュアリズムです。国防や外交に長けたプロの政治家からみれば危なっかしくて仕方ないかもしれません。大衆迎合はとても無責任なことかもしれません。でも、今までのやり方では「心」が失われてしまうと心配する大衆の発したSOSに応えて登場したのが小泉−田中だと思います。

HPあらたな展開 その3 2002年1月26日

今日は嬉しいメールが2通。ひとつは高校の後輩3人(としや、たけぶ、よしたか)から。昔一緒に北高OBコンサートで盛り上がった仲間です。何人かは東京在住の様子、ぜひ会って飲んで旧交を温めたいです。いまでも音楽やっているなら一緒にやってみたいですね。20年近く会ったことのない、ましてメールアドレスすら知らない友人からのメールは素敵な驚きです。もう一通は地元のある有名企業経営者から。最近お仕事を通して交流があるのですが、このHPをご覧になってぜひRK内藤くんを紹介頂きたいとの依頼でした。とても前向きなお二人ですから、きっと面白い出会いになると思います。私のHPがそういう出会いに役立っているなんて本当に嬉しいことです。HP開設1年を過ぎましたが、今年に入ってから急速にHPやメールを通した人的ネットワークが広がりつつあります。1年間 before it's too late の想いを継続したことで、次に何をしたらよいのか少しずつ見えてきつつあります。

心の援助 2002年1月26日

アフガニスタンに対する日本政府の援助額が5億ドル。財政破綻寸前の国とは思えない大盤振る舞いですが、彼の国の状況を考えればまだまだ日本は幸せな国ですから当然のことでしょう。

ただ日本政府の海外に対する資金援助、あるいは国内の自治体に対する補助金といったもののあり方には常々疑問を感じています。例えば、世界で唯一爆発的な経済成長を続けている中国に対するODAはまだまだ継続しなければいけないのでしょうか?無償援助のかなりの部分が中国の軍事増強に費やされているとの話もありますし、いざ日本が援助を絞ろうとするとすぐに南京大虐殺とか持ち出して駄々をこねているという印象が強いです。だいたい中国国民の皆さんには実態が伝わっているのでしょうか?

国内も似たような状況です。例えば沖縄返還以来いままでに政府が沖縄復興のために投じた金額は莫大です。さすがに経済効果は大きく、当時46位の島根県の三分の一程度しかなかった一人当たり県民所得はすでに全国レベルに肩を並べていますし、沖縄発有名人が増えたことも手伝って不当差別は激減しました。そんな沖縄で引き続き立ち遅れているのは心の問題、あるいは教育を大切にする気持ちなのだそうです。高校中退はワーストワン、離婚率の高さや未婚の母の数をみても全国平均よりかなり悪いそうです。

要はお金じゃないのです。心のともなわない援助には限界があるのだと思います。アフガニスタンに対する5億ドルはもちろんいいのですが、国土の復興だとか教育・医療など日本人が直接かかわっての援助も並行して行うべきだと思うのです。私みたいなものでも現地で、あるいは日本でお手伝いできることはないのでしょうか?鈴木宗男が怒鳴りつけたNPOに連絡してみようかしら?

ダイエー 2002年1月23日

最近何かと話題のダイエーについて調べてみましたが、なかなかどうして意外にも頑張っている会社でした。やたらと事業を拡張し、2兆3千億円という莫大な借金を抱え、金融機関や株主に多大な迷惑をかけ、仕入先や消費者を不安に落としいれた罪は大きいのですが、実は98年以降ここに至るまでに並々ならぬリストラ努力をしていたのです。

 ○ 当時の借金は約3兆円!
 ○ 閉鎖した店舗は88ヶ店
 ○ 希望退職や転籍により4,300名の人員削減
 ○ 人件費6億7千万円減を含む経費削減が約21億円
 ○ 計画通り、ほっかほっか亭など事業売却、ローソンなど株式売却
 ○ デフレの厳しい環境下、売上高は前年対比99.5%
その結果、2001年度の経常利益は180億円と堂々の黒字。ようやくリストラ効果がでてきたところであり、無理に構造改革のスケープゴートにならず、とりあえず良かったのかな?

めがね 2002年1月20日

原宿は竹下通りに出かけ(tobyには似合い街ですが・・・)めがねを買いました。若い人がよくかけている小さなセルフレームのめがねで、スガシカオを狙っていたのですが、変身途中のウルトラセブンになりました。

カジュアルなめがねが欲しかったこともあるのですが、最近の「安い」めがねの実態を知りたくて、わざわざ原宿の有名店を狙って出かけたのです。

ショップの名前はHatch。全国8ヶ所にチェーン展開しているのですが、ここの売りは5千円、7千円、9千円の3プライス、つまり一番安いめがねであれば、フレーム+レンズ+ケース=5千円(プラス消費税)のシンプルかつ安い価格設定。しかも極薄レンズなど特殊なオーダーでない限り、たったの30分で受取る便利さ・・・なんだか宣伝みたいになってしまいましたが、私が店内にいる間だけでも結構売れていたし、「めがねを購入する」という行為が人生における一大イベント(ちょっと大げさ?)から、とても手軽な日常的なものに変わりつつある印象を受けました。

同じ原宿の韓国系のお店では全部4千円で売っていましたし、そういえば社宅近所の東急ストア内にも激安めがねショップが入居しました。実はめがねの原価は驚くほど安いということを聞いたことがあります。既存のめがねショップはビジネスとして成り立ちにくくなってきているようです。

それにしても竹下通りというところは、人間ウォッチングするには面白いところですね。とんがった人やカッコいい外国人も多いですが、いかにも田舎から出てきましたみたいな中学生もたくさんいます。「修学旅行生割引」なんてPOPには笑ってしまいました。

データ 2002年1月19日

いまNHKで経済問題の討論会をやっています。塩川財務大臣が「中小企業は政府に頼らずにもっと一生懸命自分でやれ!」と、相変わらずかなり過激なこと言っていますが、人徳でしょうか?無視されているのでしょうか?あまり問題発言扱いされません。叩かれ放しの石原行政改革担当相にすれば、羨ましい(?)限りでしょう。

同じ番組で大阪府の大田知事が関西の厳しい経済状況を訴えていたのですが、生活保護を受けている人数が3割増えて、同じ時期に中小企業による不況対策資金の借入が6倍増えたとのことです。この数字(6倍)って本当でしょうか?景気が悪いことには間違いないのですが、大企業の多くが借金を減らそうとしていて、地方においても新規設備投資がほとんどなく信用保証協会利用額が減少している中で、なぜ大阪だけ借入がそれだけ伸びるのでしょうか?意地悪な見方をすれば、それは大阪府が「倒産先送り資金」を大量に投入しているからではないでしょうか?もちろんその資金を使って現在の危機を乗り切って見事に再生する企業も多いと思いますが、あきらかに再生不可能あるいは放漫経営である企業に対する無意味な資金投入は犠牲者を増やすだけです。

このデータ本当かな?って感じることは他にもあります。例えば、先日NHKで放送した地方再生についての討論番組、映画監督の山田洋二さんや鳥取県の片山知事が出演していました。番組内で何度も使用された日本地図は市町村ごとに色分けされていましたが、そのデータによれば個人所得の伸びは全般的に都市部よりも地方のほうが大きく、だからこそ地域ごとの特色ある農産物などをこれまで以上に大事にしよう、というのが主旨だったようです。もちろんデータは本当でしょう。そして確かに頑張っている自治体もたくさんあるわけですが、地方で個人所得が伸びている最大の原因は、地方交付税・各種補助金・助成金に代表される(都市部に比べると)手厚い保護行政の結果だと思うのです。

ところで地方の特産品っておいしいものが多いですよね。今夜はお土産にいただいた島根の「めのは(板わかめ)」を食べました。何てことないわかめなのですけど、あぶって食べると最高です。魚もお酒も山葵もお蕎麦も・・・、美味しいものがたくさんある地方って実は都会にくらべ優位にあるのです。こんないいものを都会の人に安くわけてあげる必要ないのです。どうです、羨ましいでしょ?欲しかったら高い値段でわけてあげますから、時間かけて交通不便な地方まで買いに来てください!決して都市と地方の喧嘩をあおっているのではありません。都市を追いかけることをやめた時、地方はとても魅力的になるのです。

オウム病と松江市役所 その2 2002年1月18日

残念で残念でしかたありません。

一昨日の日記に書いた松江フォーゲルパークのオウム病感染事件。山陰中央新報HPによれば、感染の発生を松江市と運営企業が確認したのは、昨年末(!)であったとのこと。書き入れ時であるお正月前であり事実を公表せず営業を続け、結局閉鎖を決定したのは、入園者にも感染していることが判明した14日になってから、というひどい対応ぶり。狂牛病、薬害エイズ、ハンセン氏病、雪印牛乳事件、などとまったく同根の人災です。自治体、企業の経営姿勢としてはまったくお粗末で市民の一人として情けないです。

ここで断ち切ってください。多少時間をかけても構いません。徹底的に安全対策を講じ、松江市民および観光客の信頼を回復する努力を継続してください。

高速道路論争 2002年1月18日

先日予告した「高速道路」についての論争メール抜粋を掲載します。かなり長いですが、地方自治体職員である highway star さんと地方銀行に勤める toby の二人が各々の立場から自説を展開、われながら面白いディベートになっています。じっくりお読みいただき、読者の皆様のご意見をぜひ掲示板に記していってください。(ちなみに、highway star 氏は、昨年12月27日の日記に登場したガチガチ守旧派の地方公務員さんとは別人です。)


(highway star)
トップが、ここへきて高速道路整備に関して、極めて「正論」を発言されているのですが、国(というか、首都圏の人)は、その「正論」をツブしにきているので、見せしめになりそうな懸念があります。
やり方が少しパ○正直な気がしてます。

(toby)
タウンミーティングの際の知事コメントのことでしょうか?
確かに「正論」ではありますが、正論が正論であったのは、景気の良かった時代の話。カネの論理だけが大手を振ってまかり通ってはならないと思いますが、すでにわが国の財政は国も地方もアルゼンチン並みの危うい状況です。いま仮に指定金融機関が破綻したら縁故債の調達金利は一気に高騰し、県庁はもちろん市町村の財政は大変なことになります。
予算の獲得しやすさ、とかいろいろ事情はあるのでしょうが、同じお金を使うのであれば、対向車とにまったく出会わない浜田道や、どん詰まりのマリン大橋よりも、邇摩郡内の国道9号線整備とか他に使い道があると思うのです。それほど高速道路にこだわる理由がわかりません。

(highway star)
私は高速道路を必要と思っています。きちんとつないで、ネットワーク化してこそ真価がでるものであると。
いずれ、市町村合併が終わった段階では、道州制の論議になると思いますが、合併した地域が並列てある方がよいと思います。今の東京一極集中の是正が 必要です。そのためには、人、モノが動けるだけの交通ネットワークが必要だと。

また、高速道路は、その利用目的が県道・市町村道とは違います。
広域の人・モノの交流であり、主たる目的はそれを利用した産業振興にあると思っています。
また、人命に関わる3次医療体制も念頭にあります。人口100万人に1つ設置される救命救急センターを県内各地につくることはありえません。現在では患者の搬送体制が悪すぎます。東京都と島根県の3次救急患者の残命率(こういう言い方があるかは知りませんが)を比較すると、同じ国民として軽く扱われている気になります。

ここでいう「高速道路」は、高規格道路であり、一般にいう高速道路と国道のバイパス(自動車専用道)の意です。松江道路とかですね。すでに松江道路で、高速道路に従来の国道バイパスを組み合わせる手法、即ち安くあげる手法を島根県では実践しています。

これまでに道路公団の恩恵を受けていた地域が、恩恵を受けていない地域の整備に対して「無駄」というのは納得がいきません。ムダというなら、東京湾の下をくぐる道路がよっぽどムダでしょう。・・・などといっても意味がない(笑)

と、書き並べてみたものの、財政面ではよくわかります。
要は、基盤整備がある意味済んだ地域から、基盤整備が途上である地域に対して、一方的な言い方にハラがたってます。基盤整備のお金よりも、もっとムダなものは多いので、そっちを先にしてほしい気はあります。

(toby)
高速道路や高規格道路、そりゃあ、ないよりあったほうがいいに決まっています。基盤整備先進地から後進地域に対する一方的な物言いに腹が立つのは私も同じです。ご指摘の通り、東京にだって無駄な公共投資は山とあります。

ただ、彼の地に先に高速道路ができたのは理由があるわけで、お金さえあればいずれ島根にだってできたはずです。ただただ今はお金がありません。

それに仮に高速道路網が整備されても税金投資がペイする可能性は都会地にくらべあまりにも低いです。浜田道を作って旭工業団地に一社でも企業が進出してきましたか?深夜の関西−九州トラック便が中国縦貫道を走らずに9号線を爆走するのは何故でしょう?

そういう投資をすることは本当の住民の幸せにつながるのでしょうか?税金の使い道は他にもっとないのでしょうか?

(highway star)
彼の地にできた理由と、島根(地方)に作る理由は違うのでは?
極端に言うと、首都圏は国力増強、地方は地域振興だと思います。(明治維新以後の富国強兵の流れ?)
結果として、できるモノは同じ”道”なんですが、だからこそ国策としてやる意義がある。国全体のネットワーク化などを描くことができるのでは?

今の高速道整備は、最低限の社会基盤整備だと思っています。(たぶんねこのあたりに意見の違いがあるかも?)その上で、国内各地域が特色を出して競争すればいい。

また、石原のぶてるは、「お金がない」としか言いません。「では、地方を今後どうするか?」というビジョンをセットで示さない限り、納得ができないです。ビジョンの内容にもよりますが。

tobyさんと意見が違うので、その対話を楽しんでいます。高速道反対者の中で、初めてまともな意見を聞いているように思います。

HPあらたな展開 その2 2002年1月17日

島根県平田市の岡さんから電話を頂きました。岡さんという方は、昨年5月の日記に書いた「ゴリラの鼻くそ」という素敵なネーミングの甘納豆菓子を作って全国に向けて販売しておられる方。まったく面識ない方なのですが、私のHPを見つけて連絡してこられました。「文章のキレが素晴らしい」「ぜひ一度会いたい」「ビジネスに助言してほしい」大変なお褒めをいただき恐縮したのですが、それよりも何よりも検索エンジンのパワーに驚き、同時にネットの恐ろしさを感じた、というのが率直な印象です。

先週の「あい地球」検索もそうですが、私自身Yahoo登録も何もせずにいて、まったく予想だにしていない相手に対して知らないうちに情報発信していたわけです。やはりネットというものは、使い方さえ間違えなければ最高のツールになります。無責任なこと(?)は書けません。

オウム病と松江市役所 その1 2002年1月15日

とんでもないニュースが飛び込んできました。このHPでも取り上げたことのある松江市の新しい観光集客施設「松江フォーゲルパーク」の従業員や来客がオウム病に感染、7人が入院したそうです。感染源とされる、園内で直接オウムに餌をやるアトラクションは同パークの目玉のひとつであるだけに残念です。松江市役所はここが頑張りどころ、トラブル対応ひとつ間違えると狂牛病や薬害エイズと同じように大問題に発展するリスクがあります。しっかり原因を特定、万全の対策を講じた上で、一日も早く安全なパークを再開してください。頑張れ、松江市役所!

明るい日本 渡部昇一氏講演より 2002年1月15日

渡部昇一氏の講演を拝聴。最近ではあの分厚いベストセラー「国民の教育」で有名な方で、私の印象では「つくる会」の西尾幹二氏や「ゴーマニズム」の小林よしのり氏の一味。案の定、講演の前半は(私のようなノンポリお気楽平和ボケ人間にとっては)驚くほど右傾化した内容でした。いわく、
 「ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃よりも前に日本攻撃命令にサインしていた」
 「戦後マッカーサーは米国上院本会議で『日本にとって先の大戦は主として Security 目的であった』と証言した」
 「日華事変は中国が最初にしかけた」
 「南京大虐殺は、市街戦に持ち込んだ蒋介石の責任が大きい」
などなど。永年言い続けている渡部氏が葬り去られないのは、それらがほぼ史実なのだからでしょうが、ひとつ扱いを間違えるとまた不毛なアジア外交停滞を招きかねない過激な内容です。

もっとも渡部氏が敢えて経済人相手のセミナーでこれらを強調したのは、従来の「日本人だけが悪い」という認識を日本人自身が改めることで、日本に元気になってもらいたいから。戦争責任の問題は「自分から敢えて言い出す必要はないが、言われたら反論すればよい」のだそうです。

もう一点、日本が明るく元気になるようにと、渡部氏が提言したのは「私有財産の対する尊厳の回復」ということ。

私有財産を制限するとうまくいかないことは、社会主義の失敗で歴史的に証明されているわけで、われわれは財産を私有することに対して後ろめたさを抱く必要はまったくない。むしろ私有財産を自由に使えるようにしないと、資産の海外流出や資産の破壊や滅失が進んでしまう。具体的には、
 「相続税率をゼロにする」
 「相続にかかる遺留分を廃止(遺言状を100%尊重)する」
 「所得税率の上限を10%程度にする」
の3点を提言。なるほどなるほど。

確かにこのまま放っていたら、日本経済や文化だって(優秀な選手が全員MLBでプレーする)日本のつまんないプロ野球みたいになってしまうわけですね。逆に日本国内の私有財産に対する自由さが高まれば、国内の富や優秀な頭脳才能が国内で大きく花ひらくだけでなく、海外からも流入してきて日本が賑やかになるわけです。これはこれは元気の出るセミナーでした。

シンジケートローン その2 2002年1月11日

某巨大銀行のシンジケート部長によれば、「2002年は、いよいよシンジケートローンの時代」とのこと。

これまでは都銀などが地方銀行を誘ってシンジケートを組むことでリスク分散を図っていたのですが、これからはシンジケートに参加した地方銀行が再度そのシンジケートローン債権を別の投資家に譲渡したり、クレジット・デリバティブを購入することで、自身のポートフォリオを積極的に改善していく動きがでてくるのだそうです。恥ずかしながら、シンジケートローンを譲渡(転売)できることを私は知りませんでした。本当にローン(融資)とボンド(債券)の垣根は低くなっているのですね。

シンジケートローン その1 2002年1月10日

東京で営業している地方銀行次席者の集まり。飲んで地元の特産を自慢しているうちは良かったのですが、途中からシンジケートローンに対する取組状況の情報交換、うんざりしました。

シンジケート・ローンというのは、都市銀行などが、地方銀行などに声をかけ、シンジケートを組成し企業に資金を貸し出しする仕組みのこと。都市銀行にしてみれば、自行だけで過大に貸出残高を増やす必要がないこと、手数料収入が入ること、地方銀行にしてみれば単独ではなかなか取引させてもらえない優良企業と取引できること、企業にしても安い金利でまとまった額の資金調達できること、とメリットの大きい商品です。

ちょうどいま某都市銀行が地方銀行各行に声かけしているシンジケートローンがあるのですが、当然ながら各行スタンスはまちまちです。融資に積極的な銀行もあれば、まったくシンジケートに参加する気のない銀行もあります。スタンスまちまちで当然なのです。

ところが、
「御行は、どうされます?」
「え!そんないい会社なの?」
「それなら当行ももう一回検討しようかな?」
・・・
ばかみたいだと思いません?

シンジケートの一員とはいえ何億円もお金を貸すのです。しかもそのお金は、もとをただせば、地元のお客様からお預かりした大切な預金です。他所の銀行が何をどうしようが、関係ないでしょう?自分でしっかり勉強して自分で決めたらどうなのでしょうか?

あんまりばかばかしくて、思わず「うちは100億円やります!」とふっかけておきました。

HPあらたな展開その1 2002年1月10日

昨夜、島根県川本町の見知らぬ方から、大変丁寧なメールを頂戴しました。

どうやら昨年9月、同町で公演のミュージカル「愛と地球と競売人」関係者の方のようです。私が家族で観に行ったことを当HPの日記に書いていたのですが、これが何とYahooのページ検索に引っかかり、私までたどり着かれたようです。当HPは公開してますが、友達以外には一切公知していませんので驚きました。そういえば以前「回帰性リウマチ」でYahoo検索して紛れ込んできた方がいらっしゃいました。(掲示板に暖かいカキコミまでいただきました。)ネットの恐さと素晴らしさを実感します。

出会いや刺激を求めるのであれば、もっと積極的に公知することでカウントを何倍にも増やすことは容易ですが、それは決して私の本意ではありません。開設以来1年間で約4,500カウント、多すぎもせず少なすぎもせず、本当に大切なコアの読者の皆さんに恵まれ感謝しています。いずれ別の形の情報発信も試みると思いますが、Before it's too late は、こんなHPであり続けたいと考えています。

財政支出 2002年1月9日

リチャード・クーという著名なエコノミストがいます。最近は日曜日朝の討論番組にもよく出演して竹中経済財政担当相と激論を戦わせています。

クー氏いわく、いまの不況はバランスシート不況、すなわち企業が傷んだバランスシートを修復することによって引き起こされている不況なのです。バランスシートを修復することというのは、例えば、
(1)有利子負債を圧縮する(=借金を返済する)
(2)余分な設備を売却し、人員を整理する
(3)不採算事業はやめて、新たな投資や事業展開を差し控える
ことを指します。したがってバランスシート不況のもとでは、どんなに金利を引き下げても、どれだけ日銀が資金を用意しても、企業が借入を増やすことは無く、したがって景気回復にはつながらないのです。

私もそこまではまったく賛成なのですが、クー氏は小泉内閣が来年度の国債発行額を30兆円以内に押さえることに反対し、財政支出による景気拡大を図るべきだと主張しています。でもそれではまた甘えん坊の政府と企業と個人に戻ってしまいます。どこまで国の借金を増やせば気が済むのでしょうか?アルゼンチンみたいにデフォルトに陥ってからでは遅すぎます。目先を繕うだけではいつまでたっても本当の幸せは来ないように思えます。

ところが今日聴きにいったセミナーの講師が「2002年の日本経済は何一つ明るい話題がない。もしあるとすれば、それは小泉内閣が財政支出拡大に踏み切ることだ!」と言い放ち、数百名の聴衆がうんうんとうなづくのを見て複雑な気持ちになりました。確かに小泉改革は企業倒産や失業といった痛みを確実に伴い、ひとつ間違えばスタグフレーション、国債暴落、ひいては預金封鎖や統制経済まで引き起こしかねない大きなリスクを内包しています。そこまでいかないにしても、今日の聴衆を含む国民のほとんどが、なにがしかの損失を被ります。構造改革の必要性は認めながらも、自分の生活は守りたいのが人間です・・・。だけども・・・。

んーむ、今日は少し難し過ぎました。自分でも結論がだせません。

ウィルス感染! 2002年1月7日

管理人より大切なお知らせです。

どうやらウィルス・メールを受信したようです。といってもあわててログアウトしないで読んでください。このHP読んだからといって感染するわけではないのですから。

1月2日に会社の後輩E藤くんからタイトル文字化けのメールがきました。早速開けようとクリックしたのですが、アウトルックエキスプレス(以下OE)強制終了画面が出てしまいました。何度か試みたのですが、やはり強制終了です。その時ピンとくれば良かったのですが、すっかりお屠蘇気分だったのでE藤くんに「メールが開かないよ!」というメールだけ送ってそのまま忘れていたのです。

ところが昨夜、E藤くんから再度メール。「僕はメールを送っていません。それは恐らく僕のPCが11月末に感染したウィルスでは?」

E藤くんによると、このウィルス、名前も何もわかっていないけど、感染しても
(1)インターネットエクスプローラー(以下IE)の終了ができなくなる
(2)勝手にメールを送りつける
の症状がでる程度で、被害は比較的軽微なようです。ただE藤くんが感染後すみやかにウィルス除去をしたにもかかわらず、元旦に私から受信した年始メールに反応して再活性化したことが想定されるわけで、実は意外としつこいウィルスかもしれません。ちなみに私のPCでは、まだIEの不具合も何のトラブルも発生していません。先ほど自宅の長女に頼んでウィルスチェックしましたが、感染はしていないようです。

私のPCの状況をもう少し詳しく説明しますと、メルアドはひとつですが、松江の自宅と草加の社宅の両方のPCで送受信を行っています。私がE藤くんから最初にウィルスと思われるメールを受信したのは(帰省中のことであり)松江のPC、普段私が使用している草加のPCは無傷でまったくの健康体です。したがって、私が松江でウィルスを受信した1月2日17時11分以降1月3日の午後までのあいだ私とメールをやりとりした人のみ感染の可能性が高いわけです。

いずれにしても Toby さんから文字化けメールを受信したら、すみやかに除去して私に連絡ください。ご心配ならびにご迷惑おかけして申し訳ありません。

ちなみに、今夜長女が自宅PCにあるE藤くんからのメールを削除しようとすると「ファイルをダウンロードしますか?」なんて恐ろしいメッセージが出るようで、まだ受信トレイに入ったままです。どなたかウィルス除去や除霊に詳しい方、助けてください。

儀礼 2002年1月4日

仕事始め。まずは支店長に随行して、信濃町にある某巨大宗教法人へお年始。9時過ぎに到着したのですが、すでに黒塗りの車で大渋滞。年始客全員が一列になって建物に入り、まずは晴れ着のきれいなお姉さんによるお出迎え。奥に進むと、さすがにI田大作氏はいませんでしたが、偉い方2名にご挨拶。隣室で、またまたきれいなお姉さんにお酒を頂戴して帰りました。まったくの儀礼ですが、なかなか面白い体験でした。

帰店してからは、年始来客の応対。1日で30社近くのお客様がお越しになりましたが、全員応接室にお通しして山陰の地酒を召し上がっていただく、これまた大変な儀礼。例年やっていることのようで「くだらないから止めよう」と提案もしたのですが、驚いたことにお客様全員が当然のことのようにお酒を飲んでいかれるのです。

東京というところは、地方以上にこうした接待贈答の儀礼慣習が残っていて驚かされます。これはきっと文化なのです。慣れてしまうときっと「いいものだなぁ」と感じるのでしょうが、そんな暇があるならこの経済危機を乗り切る知恵でも出してほしいものです。儀礼に費やすコストとエネルギーは研究開発や販売促進に使うべきです。もうのんびりしている暇はないですよ!なんて考える私はあまりにも無粋なのでしょうか?

松本七恵その2 2002年1月4日

12月の日記に登場した、留学時代の親友七恵から新年メールが届きました。休暇中のイギリスからでした。ご主人と二人で神戸にある外資系企業で活躍していたのですが、ご主人は退職して現在は環境アセスメントの修士号を取得するためマンチェスター大学に在籍。七恵ひとり会社に残ってそれぞれが奮闘中とのこと。彼女たちの中には会社というくくりも国境もなく、自分達の夢や目的のため一番合理的な方法を自由に選択し実践しているのです。本当に勇気づけられます。

ライスボウル 2002年1月3日

学生代表であるわが関西学院ファイターズが、クラブチーム代表であるアサヒ飲料チャレンジャーズを破り、初のアメリカンフットボウル日本一に輝きました。

最終スコアこそ30−27の僅差ですが、力の差は歴然としていました。試合開始直後の数シリーズこそギクシャクしていて簡単に先制されましたが、榊原の4th.ダウン・ギャンブル成功で波に乗り、あとは天才QB尾崎を中心に目のさめるプレーの連続で大差をつけて前半終了。後半はじりじり追い上げられながらもLB石田力哉を中心に見事なディフェンスの連続。時計の使い方も見事で、社会人相手に最高のゲームを見せてくれました。アサヒ飲料のRB中村多聞と関西学院LB石田力哉の対決はこれが日本のアメリカンか?と思うくらいレベルの高い素晴らしいものでした。ああ、観にいけばよかった。

新年のメッセージ(日記版) 2002年1月1日

不覚にも紅白の途中でウトウトしてしまいヒロミGO・松田聖子・ドリフターズを見逃してしまいました。森昌子のレイドバックした歌唱は抜群でした。でも何と言っても番組を盛り上げたのは河島英伍です。涙なしには観られませんでした。一緒になって泣いてたNHKの阿部渉アナウンサーって、なかなかいい奴ですね!

さて恒例(?)の、2001年の出来事TOP3です。

1番目は、なんといっても9月11日の同時多発テロです。世界史的には米国主導自由主義経済凋落のきっかけとなったであろう大きな出来事であり、世界中の人々の心の中にも様々な形で深く刻まれた事件です。3ヶ月以上経った今でも私の心の傷は癒えません。ただただ悲しいです。昭和20年8月終戦を迎えたとき私達の父母が感じた空虚さは案外こんなものだったのではないかな?と感じています。

日本の景気後退をこの事件に関連付けるマスコミがいますが基本的にまったく関係ありません。テロがなくても日経平均は1万円を割り込んだでしょうし、今後米国経済が回復しても日本経済がマクロとして追随する事はありえません。だいたい景気も政治も教育も、いまの日本がかかえる諸問題は、過去のモデルが機能しなくなっているのに人々が既得権益を守ろうとするギャップがすべての根っこになっているのです。こうしたギャップをひとつひとつ埋めていくことで自分の心の中の9月11日を乗り越えていけるといいのですが・・・。

2番目は、私事ですが7月の東京転勤・単身赴任生活の開始です。フィジカル面および生活習慣としては慣れましたが、メンタル面はまったくダメです。いずれこういう事態が訪れることを予想して、年前半は従来以上に家族や地域コミュニティとの距離を縮める努力をして備えてきたつもりなのですが、やはり離れているのはキツイものです。事実は電話やメールで伝わりますが、行間が読めないもどかしさだけはどうにもなりません。

それでも東京で自分の時間がたっぷりあるということは、使い方によってはとても有意義な事です。情報発信は私の仕事であり趣味であり、求めればいくらでも手に入る環境にいるということは素晴らしいことです。あと何年かの東京生活で今以上に人脈をひろげ、自らを高め、頼られる人間に近づくよう精進します。

3番目も私事ですが、1月6日に始めた当HPの更新をほぼ毎日続け1年も「もった」ことです。以前は日記も大河ドラマも1ヶ月もったことのない私ですから、これは驚異的なできごとです。この1年は毎日更新することが目的みたいなところはありましたが、それでもその中から自分なりに問題提起や考え方の整理ができたように思います。1年間、本当にたくさんの方にお越し頂き、掲示板やメールでご意見を頂戴し心から感謝しています。HPに替わる自己啓発ツールが見つかるまでは継続していく所存です。引き続き応援お願いします。

長女Iみは3月の高校受験を控え(いまひとつ緊張感が足りませんが・・・)、次女Kみは2月のミュージカル「ビリーブ・イン・ミー」に向けて休日返上で練習、奥さんは私の留守を1人で一生懸命切り盛りしています。2002年もtoby一家は大変です。

大晦日の夜6時ごろ、仲の良いご近所からSOSの電話。お父さんが日赤で手術中、O型の血液が不足しそうなので誰か協力して欲しいとのこと。すぐに近所中連絡とって4人ほど連れて行きました。無事だといいのですが・・・。明日は何があるかわからない世の中です。今日を一生懸命生きないといけないのですね。

最後になりましたが、2002年が皆様にとりまして有意義な1年となりますよう祈念して、長い長い新年メッセージを締めさせていただきます。

新年のメッセージ(メール版) 2002年1月1日

こんにちは。恒例の年賀メールを贈ります。

2001年は、同時多発テロ、戦争、不況、倒産、狂牛病、無差別殺人事件など、嫌な事件が多かったですね。残念ながら2002年も状況が大きく改善するとは思えず、素直に「おめでとう!」と祝う気持ちになれない新年です。

toby個人の出来事としては、昨年7月に東京支店へ転勤、家族を松江に残し単身赴任生活を開始しました。1人はつらいです。長女は高校受験、次女はミュージカルに挑戦、奥さんは留守宅を一生懸命切り盛りしています。

明日が見えないこの時代に何をしたらよいか?何をすべきか?ヒントが欲しくて、HPでの情報発信を始めて約1年になります。世の中を変えたり、立派な人物になったりすることはできないけど、自分のまわりにある小さなギャップをひとつひとつ埋めていく努力を続けたいと考えています。

「今朝、目が覚めたとき、今日という日にわくわくし、今夜、眠るとき、今日という日に満足し、今いるところが、こよなく大切だと思える(マガジンハウス「世界がもし100人の村だったら」より)」・・・・2002年が皆様にとりまして、こんな毎日の連続でありますよう、記念します。

お正月休み、お暇な方は弊HPのぞいてみてください。

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