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退社後のパワー 2004年12月19日

お正月には、当HPも開設4周年を迎えます。管理人にしてみれば、ネットを介した素晴らしい出会いの連続で、一向に苦にならないのですが、それでも毎日の更新が大変であることには違いありません。このとてつもない労力のことを、糸井重里は「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(講談社文庫)の中で「放課後のパワー」「退社後のパワー」あるいは「素晴らしいタダ働き」と評しています。

インターネットの世界には無限のビジネスチャンスがあるといわれながら、多くのネットビジネスが失敗しています。この理由を考えるに、ネット参加者のほとんどが、「タダ働き」をまったく苦にせず、同時に欲しい情報を「タダ」で得るという、そんな物々交換的な(プリミティブな?)コミュニティーの存在がネットを動かす大きな力になっているわけで、お金を媒介とした経済原則が通用しないからではないでしょうか?私も、5年目に突入する「 before it’s too late 」に、さらなる「退社後のパワー」を注ぎます。

私の父親は、退官後数年間は民間企業で勤めましたが、あとは自治会のお世話をしたり、俳句を詠んだりの毎日です。
「たまには、お金になる仕事でもしたら?」
時々母親は愚痴りますが、父はにこにこしています。どうやら、私の「タダ働き」好きは、父親譲りのようです。
 

鴎 2004年12月15日

帰宅する途中、ホームで電車を待ちながら同じポーズで携帯(メールなのか?ゲームなのか?わかりませんが)している、たくさんの人を見て、強風の海岸で、同じ方向をむいて固まっている鴎の群れを思い出しました。自分から動かない(動けない?)、受身でしかない集団という点で共通しています。
 

組織の善行 2004年11月27日

虎ノ門ニッショーホールで開催された「『小さな親切』運動全国フォーラム」に行ってきました。

「小さな親切」を組織的に行ったり、「善行」をわざわざ表彰したりする行為に対しては、少なからず胡散臭さを持っていますが、本日の会場を埋めていたのは、日本中から集まった正真正銘の「善人」集団でした。表彰者に対する拍手は常に暖かでしたし、朗読された作文も素晴らしいものでした。アトラクションの観客参加型紙芝居では、会場中の人が松井エイコさんの呼びかけに応えて「おおきく、おおきく、おおきくなあれ!」と叫んでいました。照れもなく大きな声で、しかも一回目から!

普段であれば「なにか変だ!」と感じるところですが、善人集団の中では素直に受け入れることができます。残念だったのは、会場の善人のほとんどが中学生までの子供と高齢者であったことです。忙しい社会人が「親切」や「善行」をし易くするためには、やはり会社などの組織できっかけを作ってあげることも、ひとつの方策かもしれません。

うちの会社が「小さな親切」運動に関わりはじめたきっかけは、山陰海岸の清掃ボランティアです。地域振興課が、島根大学生と一緒に山陰海岸の漂着物調査を始めたところ、あれだけ美しく見える山陰海岸にも実は相当量のゴミがあることがわかり、シーズン前の日曜日早朝に社員有志がボランティア清掃をはじめたのです。今では多くの企業が参加し、全山陰の主要海水浴場で一斉に行っています。在東京のため3年ばかり不参加ですが、行くときは娘たちも一緒で、すっかり我が家のファミリー・イベントとして定着しています。
 

終わりなき疾走 2004年11月26日

中学1年生の次女Kが、漢検3級に合格しました。おめでとう!

何かにつけて感じるのですが、今我が家の娘たちは輝いています。私たちが若かった頃に比べて、輝けるステージが多く用意されているのか?親や周囲が期待する価値観が以前と違うのか?それとも本当に人並みはずれて輝いているのか?よくわかりません。ただ、あなたたち二人は、輝けるうちにどこまでも輝いて、自分だけのスピード感をつかんでください。

私自身は、バンドに夢中だった学生時代から、シカゴ留学時代(16歳〜30歳くらい)までが最も輝いていたと思うし、その時代の疾走経験があるからこそ、現在の私があるし、まだこれからも頑張っていこうと思えるのです。

「東京でそんなに頑張って感性を高めても、島根に帰ってから(その感性を活かす機会がなくて)がっかりするよ。」
親しいお客様に言われると、半分「そうなのかな?」と思う気持ちもあります。でも、これが私のスピード感です。確かに島根に帰ってから同じパフォーマンスをしろと言われても無理な話です。ただ、自らの輝き(あるいはスピード)のピークをしっかりと知覚していることで、初めてピークと現状のギャップを埋めるための匙加減がわかるのです。
 

少子化ビジネス 2004年11月12日

先日お会いした方に「少子化の嘘」という話を聞きました。

確かに子供の数は減少していますし、それに起因する様々な問題が指摘されていることは事実です。ところが、子供がいない世帯の比率、子供が一人だけいる世帯の比率、子供が二人だけいる世帯の比率、子供が三人だけいる世帯の比率を、私が生まれた1960年頃と比較すると、ほとんど変わっておらず、子供が四人以上いる世帯の比率だけが劇的に減っているのだそうです。少子化の原因は、子だくさんの家庭が少なくなったためであって、子供がいる家庭そのものは減っていないのです。

だからこそ、教育産業だとか、高価な子供向けアパレルだとか、食育ビジネスといった分野が急成長するわけであって、例えば
「少子化の時代だから、子供向けビジネスはダメ!」
なんて先入観に捉われて、ドアをノックすらしない経営者を見るにつけ
「もったいないなぁ・・・」
とため息をついてしまいます。銀行業としては、ある程度安定したキャッシュフローを生み出せる事業でないと融資しにくいのは事実ですが、
「こんな田舎じゃ、とてもとても・・・」
という周囲の声や先入観を超えようと、情熱的にドアをたたき続けている人と、真面目に向き合うことができなくては地域金融機関は務まりません。例えばベンチャーキャピタルと協業するとか、販路開拓をお手伝いするとか、知恵と工夫と情熱で応えましょう。これもリレーションシップ・バンキングです。
 

ぶらさがり 2004年11月7日

日本TV「バンキシャ」の特集で、ライブドア証券・堀江社長による再建を心待ちにする、高崎競馬の関係者が、
「民間で十分出来るんだよ。県の連中は頭が固くてだめだ!」
と言っているのをみて、一人で激怒しています。同競馬場は、来月廃止になることが決まっていたのですが、ライブドアが支援の手をあげました。廃止の決まった地方競馬のことですから、ずっと長らく赤字で大変な状況だったのを、ここまで我慢して行政が支えていたはずです。その間、ぶらさがっているだけで、自立に向けての努力はおろか、状況の把握すら怠ってきた関係者に、行政の悪口を言う資格はありません。「官」の動きが悪いのはある程度の想像がつきますが、実はこういう無責任な「民」も多いのです。うちの業界もずっとそうです。

とはいえ、高崎の人は立ち上がりました。次は私たちの番です。
 

島根の環境基準 2004年10月19日

半導体関連企業の経営者氏に聞いたのですが、この業界における「排水」の環境基準は大変厳しいのだそうです。島根県の斐川町に、富士通、村田製作所、島津製作所といった企業が進出してきたことを話すと、
「それは、地元自治体の環境基準が甘いので(進出しやすいので)はないだろうか?」
とのコメントでした。よもやそういうことは無いと思いますが、何年か前に宍道湖でコノシロが大量死したなんて事件もあったので心配です。島根県庁もしくは、斐川町役場担当者の方、住民が安心できる説明をお願いします。
 

浩宮さま 2004年10月18日

週刊AERA(2004年10月25日号)の記事「浩宮さま世代の家族愛」は、実に興味深いものでした。浩宮さまは1960年2月23日生まれ、そして私は同じ1960年3月29日生まれ。記事は、この60年生まれの同世代男性に共通する家族観を紹介しているのですが、私自身も深く共感できる考え方が多いことに驚きました。

皇太子自身による
「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」
の発言は、皇室の特殊性の問題はともかく、夫として父親として浩宮さまも同じような苦労をしているのだなあという共感を覚えました。これこそ60年生まれの男性特有の感情なのだそうです。

「家族を犠牲にして、会社に尽くすという考え方が、極端に退行している。」
「家族と会社を対立でなく、互いが補強しあう関係としてとらえている。」
「60年は、団塊の世代と、団塊ジュニアのちょうど中間の年。」
「つまり、団塊世代の年功序列や終身雇用、会社至上主義という価値観に共感できる最後の世代であり、同時に団塊ジュニアの実力至上主義、個人第一主義といった考え方が萌芽した世代でもある。」
「外国にコンプレックスや永遠の憧れを持たなくなった世代」
「妻を人前で公然とほめる。」
「戦後を作ってきた団塊世代の後始末をする、損な役回りの世代。」

一つひとつ「なるほど」と納得しながら、読み進めました。同級生の男性諸君、どう思います?
   

超「怠け者」の超「整理術」 2004年10月15日

最近東京営業所を開設された地元のお客様G氏が、東京在住で得られる情報量が、出張で上京していた時とは比較にならないほど多く、考え方の整理がつかなくて、戸惑っておられるようです。いずれ、心のフィルターの目を狭めることで、器用に情報の取捨選択ができるようになるのでしょうが、今はただ良いことも悪いことも、捨ててしまうにはもったいないように感じられるのかもしれません。

その話を聞いて思い出したのですが、91年夏にNY支店開設準備で渡米したその日から、私はファイロファクスのシステム手帳に日記を書き始めました。地方銀行の行員で、海外で勤務するチャンスなんて、めったに無いのですから、見ること聞くことすべてが新鮮に感じられました。日記なんて、本当に3日以上続いたことのない超怠け者でしたが、今のG氏同様「捨ててしまうにはもったいない」ことを書き留めておきたいと思ったのです。この習慣は現在でも続いています。すばらしいデータベースであり、感性の記録であり、あとから読み直すことで「使える」宝物です。「海外拠点開設」→「中小企業支援専担」→「東京支店マネジメント」に加えて、充実した私生活を通じて経験したこと、感じたことが、これからどのような形で活かせていけるか、実に楽しみです。
 

常識と非常識 2004年10月5日

お取引先の財務担当者から借入れ金利引下げの打診がありました。業績絶好調の先なので、利下げそのものはやむをえないことですが、あろうことか、その打診はファックス一枚で来ました。あまりにも非常識な話です。取引のある金融機関数が多い企業ですから、ファックスやメールが便利で合理的だということはわかります。とはいえ、金利といえば双方にとって大切な相談事です。一行ずつ訪問し、直接きちんと話しをするのが礼儀です。不特定多数の投資家が相手の市場取引や直接金融ではありません。まして、昨日今日のお付き合いではないのです。

シンジケートローンに参加して、新しいお取引先に融資することが決まった時は、必ずそのお取引先の財務部を訪問することにしています。シンジケートローン参加をきっかけに、更なるお取引の深耕をお願いしたい気持ちもありますが、まずは取引開始の挨拶とお礼を述べることが目的です。ところが、訪問のアポを入れようと電話をしても、断られることが時々あります。企業財務部にしてみれば、取引金融機関が増えたことが鬱陶しいのです。電話であからさまに
「地方銀行さんにはお会いしないことにしております。」
「そういうこと(わずらわしい関係)を避けるために、シンジケートローンで調達しました。」
なんて言われると、情けなくなってしまいます。シンジケートローンという商品に、ある程度そういうドライな部分があることは認めます。とはいえ、取引から表敬や会話や礼儀といった要素を排除することに違和感を感じずにいられません。これもやっぱり非常識です。

常識と非常識のボーダーライン。世代によって、所属する環境によって、個人によって、微妙に違うのは仕方ありません。自分のボーダーラインを他人に押し付ける気もありません。ただ、言葉を発する前に、行動を起こす前に、それが相手にとっての非常識になりはしないか?一歩止まって考えるくらいのことは励行しないといけませんよね。

そういえば、土曜日の鍋パーティー参加者のなかで、いまだに
「土曜日は、お邪魔しました」
の一言すら言わない部下がいます。これも非常識だなあ。お客様に失礼な態度をとったり、恥をかいたりする前に、しっかり教えてあげないと。
 

一流 2004年9月30日

松井とイチローから目が離せません。ド根性と気合しか前面に出さなかった(出せなかった?)、かつての選手たちに比べ、最近の一流アスリートたちは、言動、ファッション、そして何よりもスポーツに対する気構えが素晴らしいと思います。アメリカでいえばマイケル・ジョーダン以降、日本でいえば中田ヒデ以降のアスリートを見ていて、特にそう感じます。アテネ・オリンピックで活躍した選手たちのインタビューなんて、どれもこれも素晴らしいものでした。

企業のCMには出ても、国や所属団体の広告塔になる気はない。
一見生意気な言動は、理論に基づく十分な練習に裏付けられている。
勝利に対して貪欲であり、同時に高潔でもある。
そんな、若いアスリートたちの姿が実にまぶしいです。
 

911 2004年9月11日

早いもので、911から3年が経ちました。

あの日の東京は土砂降りで、湾岸の企業を訪問した帰り、スーツがびしょびしょになったことを覚えています。同じ日、ハナエモリのファッションショーが開催され、支店長と安部さんの2人が出かけました。夜は、副支店長と篠原君がお客様と懇親麻雀をしました。夜10時のニュースを見るまでは、ごくごく普通の1日だったのです。

あの夜の衝撃と悲しみを思い出す回数こそ、だんだんと少なくなってきましたが、ツインタワーと、そこにいた人々、そしてすべての失われたものに対する思いは変わりません。その一方で、この3年間に世界と人類が得られた教訓の、あまりの少なさに、愕然とします。テロは毎日どこかで起きており、憎しみと悲劇はますます増えています。テロ撲滅に立ちあがったジョージWブッシュは、いまや極悪人扱いです。

今は、経験や想いを語るくらいしかできないのですが、自分のできる範囲で、911の大きな犠牲を少しでも埋めていく努力を続けていくことは、WTCを愛した私にとって、生涯最大のミッションです。合掌。
 
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いまどきの北高生 2004年9月5日

松江北高学園祭の最終日、ページェント(ミュージカル仕立ての仮装行列?)を観に行きました。長女Iはもちろん、3年生全員が今日まで一生懸命準備してきた出し物です。午前中の雨があがり、嘘のように良い天気になったのは何よりでした。

予想以上に真面目なテーマ、良く練られた脚本と演出、一人ひとりの真剣なまなざし・・・各ルームの出し物は、実に素晴らしい出来映えでした。加えて、ページェントが始まるまでの間、広い校庭に溜まった雨水を、一生懸命に掻き出す生徒たちの姿は感動的でした。汗と土の匂い、泥だらけの体操服、一生懸命な不器用さ、すべてが懐かしく、27年前に一気にタイムスリップできました。あの夜、川津校舎の板壁に映ったファイヤストームの影が忘れられません。