蒼ざめたけええ
更新:2001年05月28日
コンサートやCDを聴いた感想コーナーです。
題通り、蒼ざめた時のみ書きますので、更新は不定期です。
怒っても蒼ざめるし、感動しても蒼ざめるし・・・。
第3回:小林研一郎の特性
2001年5月27日:
小林研一郎指揮 名古屋フィルハーモニー交響楽団
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ハ短調(独奏:梯剛之)
ベルリオーズ:「幻想交響曲」
於:愛知県芸術劇場コンサートホール
幻想交響曲というのは、ホントに悪趣味な曲だと思う。絵画でいえば、ギトギトの原色で彩られた油絵。料理で言えば様々な調味料で彩られたファミリーレストランのハンバーグ。大音響や劇的な表現に慣れ切ったわたしがそう思うのだから、作曲された当時のフランス人はどう思ったのだろう。・・・おそらく、ストラヴィンスキーの「春の祭典」と同じような感触を持ったのではないだろうか。
そして、悪趣味な曲を悪趣味にやるというのは難しいことだ。誰がやってもどうしてもどこかで格好をつけてしまう。つまりこの曲には、人間の感情の原色がでているということ。失恋して自殺しかけたベルリオーズが見た夢だっていうんだから、憎しみ、哀しみ、恨み、怒り、その他様々な思いつく限りの感情が含まれているということだ。
そこで小林研一郎である。彼はいつものように低弦をえぐり、金管を強調し、ティンパニを激しく打たせる。それがマーラーやベートーヴェンでは裏目に出てしまうことが多いのだが、ベルリオーズではそれが嵌る。ことに第1楽章のえぐり方は常に凄まじい。恋人のテーマを変形させるところなど鳥肌が立つほどだ。あるいは、第5楽章の”Dies Irae”の力感。まさに悪趣味の極致である。
音をえぐっても、内面までえぐらせたとわたしに思わせない小林研一郎は、極めて色彩的で表層的な「幻想交響曲」での勝利を確実なものにしたといえると思うが、だからといって感動したとかいうほどでもない。ただ、大きな音を聴いたってだけの話ですからね。
<文中敬称略>