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すべてを爆破する確実性 |1|
THE CERTAINTY THAT BLASTS EVERYTHING
U.G.:
演台に座って、話すなんて、とてもできない。
あまりに人工的なことです。
仮説的、抽象的な言葉で、座って、討論するなんて時間
の無駄です。
怒っている人が座って、怒りについて語ったり、談笑したりはしません。
彼は、あまりに怒っている。
だから、危機にあって、怒っているなんて言わ
ないでください。
何故怒りについて話す?あなた方は、いつか、ともかく、もはや怒ら
ないという願いをもち、生きて死にます。
あなた方は希望で悩んでいる。
そしてこの人生に希望が見えないとすると、次の人生を発明します。
きたる人生はあり
ません。
Q:
ええと。
あなたの話は、たしかに希望を与えるとはいえない。
あなたはなぜ、慰めな
いとか、教えないという条件を話すのですか?
U.G.:
私は、するためにいるんですか?あなたが来て、私が話す。
あなたは、私に自分を批判してほしいの
ですか?石を投げるとか。
あなたがご自身のまわりに、突き通せないような武装をしたので、何も心に響かないなんて無益な
ことです。
あなたは、何も感じない。
自分の境遇も理解できず、思考を通じて反応する。
それは、
あなたの考えであり、精神作用です。
反応は思考です。
そこを通る痛みが、ここでの痛みを経験せずに明瞭に反映
されます。
ここには、経験が全くありません。
それだけです。
この自然状態では、個人的に知っている
、または、見知らぬ他人に、痛みを感じます。
このごろ、私の長男が近くの病院にてガンで死にました。
私は、
その地域にいて、よく彼を訪ねました。
友達は、彼が死ぬまで、私が四六時中強度の痛みにあると言いました。
私は何もできない。
それ(痛み)は生命の表現です。
友達は、私に、息子のガンに何らかの癒しを試みてほしがっ
ていた。
私があの腫瘍に触れたら、大きくなるでしょう。
命を加えるから。
ガンは細胞の増殖であり、
もう一つの生命の表現であり、私がしたかもしれないことは、それに力を与えることだったのです。
Q:
それで、あなたは他者の苦しみを認め。
そのくせ、あなた自身は、それから自由。
そうでしょ?
U.G.:
苦しみは経験です。
そして、ここに経験はありません。
あなたは1つのものではなく、
もう1つの生命です。
それは分割できない動きであり、私がそれについて言うことなんでも、ミスリードであり、混乱です。
あなたは"人"でなく、"物"でなく、"他"のものに囲まれた別個の実体でもありません。
その分割できない動きはあ
なたが経験できるものではありません。
Q:
しかし、経験することなしに生きることを語ることは、私達の精神には不合理に聞こえるのですが。
U.G.:
私が言うことは、あなたの論理的枠組みと葛藤します。
あなたはあの分離的構造を継続するロジック
をつかっている。
それが全てです。
あなたの質問はまた思考です。
ゆえに反発なのです。
全ての思考は反発です。
あなたは、死に物狂いで、このよろいを守っている。
この思考の盾を。
そして
、生命の動きがあなたの限界を粉砕するかもしれないことを恐れている。
生命は、突発的にほとばしる川のようであります。
土手に打ち当たり、その周りに置かれた限界を脅かします。
あなたの思考構造とあなたの実際の心理的枠組みには、
制限されていますが、生命そのものは、そうではありません。
そういうわけで、自由にある生命は、その身体には痛いのです。
ここで起こる、途方も無いエネルギーの噴出はその体には痛いものです。
消えるまで全ての細胞を爆破する。
あなたはどんなものか想像できない。
最高に荒狂った夢の中でも。
こういうわけで、私がどう言おうとミス
リードなのです。
Q:
グルや僧侶は分離する構造はなく、それが、私達の問題の源であるとも言います。
それとあなた
はどのように違うのですか?
U.G.:
あなたにとっても、彼らにとっても、ただの言葉です。
分割できない生命の動きについての信念は、
確信のない、根拠なしの信念に過ぎません。
グルや神聖な本があなたに教えたこを、あなたは、かしこく合理的説明をした。
あなたの信念は、権威や二番煎じを盲目に受け入れた結果です。
あなたは、自分の信念から分離していない。
あなたの貴重な信念や幻想が終わりに来た時、あなたは終わりになる。
私の話はあなたの痛みへの反応に過ぎませ
ん。
それは、質問、論理的主張、他の精神作用を通して表現されている。
Q:
しかし、間違いなく、ここにあなたが座って、毎時間、話すことは、あなたに哲学があり、与えるメッセージ
があることを示している。
聞き手があまり理解しなくても。
U.G.:
全然違います。
話し、アドバイスを与え、痛みを感ずるものはいません。
いや、何も
経験していないのです。
壁に投げられたボールのように跳ね返ります。
それが全てです。
私の話はあな
たの問いの直接の結果です。
ここに自分のものはない。
見え透いた、また、隠れた議題も。
売るための
商品も。
くだく斧も。
証明するものも。
Q:
しかし、体は束の間のものだ。
そして、私達全ては、なんらかの不滅にあこがれる。
自然に私達はより高い哲学、宗教、霊性に向く。
確かにもし我々が・・
U.G.:
不滅とはその体です。
臨床的死の後、その形態が変わるだけで新しい形で命の流れの中に残ります。
その体は"死後"ともかかわりなく、何らかの永続性とも関係ないです。
それは生き残ろうともがき、今を増殖しま
す。
恐怖以外の思考によって、作り出された偽りの"超越"は、変化した形の中で、実際、同じもの以上の要求です。
同じことを何度もくりかえすという反復への要求は、永続への要求です。
そんな永続性は、体にとって、なじみのないもの
です。
永続への思考の要求は、体を息苦しくさせ、知覚を歪めます。
思考は自分を見るのです、思考それ自身の継
続という安全装置だけでなく、身体の継続ということも。
両方とも、全くの見当違いです。
Q:
革命的変化のようなものが起こるにちがいないと思われるのですが、意志の干渉なく・・
U.G.:
あなたのものである意志力でないものを通して起こるなら、それは終わりです。
止める方法などない
でしょう。
全くの状態の変化を。
それを通らざるをえないのです。
リアリティを問うことは、役に立ちません。
質問、というより、あなたのゴール、あなたの信念、そして仮説。
リアリティでない、自由にならなければならないそこから来ています。
あなたが問う、マトを得ない質問は、自動的なあなたのゴールの断念とともに消え去るでしょう。
それらは相互依存的です。
1つは、他なくして存在できないのです。
Q:
そんな見込みは、本当にあんまりです。
私達は恐れている。
忘却、完全な破壊を。
U.G.:
あなたがおぼれるなら、おぼれます。
あなたは沈まないでしょう。
しかし、私の保証はあなたにとって、どれだけいいことなのか?無用を畏れます。
あなたは、やっていることを続けるでしょう。
; その無意味さ、はあなたに起こりさえしない。
言いましょう。
あなたが、継続のための希望や欲求から事を為すことを止める時、あなたがそれとともに一緒になしていたこと、全てが、止まります。
あなたは空中に浮かんでいるでしょう。
しかし、今だ望みがそこに残っているなら、"何かあるに違いない。
多分、正しくやっていない。
"と。
言い換えるなら、何かに頼る馬鹿らしさを受け入れねばならない。
頼れるものなどないことに直面せねばならないと。
Q:
自分達の問題に何かの解決があるに違いないと考えないではいられないのです。
U.G.:
あなたの問題は続きます。
あなたが発明した偽解決のために。
その答えがなかったら、問いはあるはずがありません。
それらは、相互依存的です。
;あなたの問題と解決はともに進みます。
あなたの問題を終わらせるために、ある答えを使いたいから、それらの問題は続くのです。
神聖な人々、心理学者、政治家によって、提供された、あまたの解決は、解決でもなんでもないのです。
それは、明らかです。
適切な答えがあるなら、問題はないでしょう。
彼らは、あなたにもっと懸命にやるよう、言うしかできないんです。
瞑想練習をもっと、謙遜を養い、あなたの頭の上に立ち、同じことをもっと。
もっと。
と。
それが、彼らができる全てです。
解決を与える教師、グル、指導者も嘘つきです。
いわゆる答えがある。
彼はどのような誠実な仕事もしていない。
市場にある安くて、見掛け倒しの日用品を売りつけるだけです。
あなたが、期待、怖れ、(文字化け解読不能)を払いのけ、こんな奴らをビジネスマンのように扱うなら、彼らは、商品を送りつけず、する気もないことがわかるでしょうが。
しかし、専門家が提供すればするほど、あなたは、このような模造品を買いに通い続けるのです。
Q:
でも、全ての分野は、あまりに複雑で、そのため、注意深く研究し、自分の人生を自己覚醒と英知に捧げた人達に頼るのは、私達に必要なことと思えます。
U.G.:
彼らの全哲学は、身体そのものの、なまの英知と比較にならない。
彼らがいう、精神の活動、情緒的活動、感情は、分割できないプロセスです。
この体は高度に知的で、生存や繁殖のために、科学的、神学的教えなど必要としません。
生命、死、自由についての全ての空想を取り除きなさい。
そうすれば、体は無傷のままとなり、調和的に機能するのです。
体はあなたや私の助けなど必要としない。
何かする必要などありません。
馬鹿で間抜けな質問を繰り返さないでください。
不滅やら死後やら死など。
体が不滅なのです。
Q:
あなたは、無慈悲にリハビリテーションのあらゆる可能性を切り捨て、この不幸から逃れるかすかな希望さえ、抹消する。
自己―破壊以外、残されていないようです。
自殺は何故いけないんですか?
U.G.自殺すれば、体はitその状況をどんな方法によっても、援助しません。
自殺した瞬間、体は腐り始め、別なものに帰り、違う命の形態に組織化され、無を阻止します。
命に、始めも終わりもありません。
死んだ体、死んでいく体は、墓の中で、空腹の蟻を養い、腐っていく死体は、土を肥やす化学物質を出します。
変わって、他の命の形態を養うのです。
自分の人生を阻止することなどできません。
不可能です。
体は不滅です。
"不滅はあるのですか?"などと、馬鹿な質問をしないでください。
身体Itは、特有な形で終わりになることを知っています。
他の中で続くことだけを。
死後の人生についての質問は、いつも、恐怖から問われるものです。
あなたの"霊的生活"を導くだろうリーダー達は、これらのことについて正直であるはずがないのです。
彼らは、恐怖、未来の人生についての憶測、死の"ミステリー"で生計を立てているのだから。
そして、あなた、従者達は、人間の未来になど本当は興味がないのです。
あるのは自分のつまらないちっぽけな運命です。
あなたが、人類、思いやり、残りについて、何時間も話して時間を過ごすのは、まさに、お決まりのことです。
あなたが興味をもっているのは、あなたなのです。
さもなければ、あなたの未来の生や、あなたの今にも起ころうとする死への子供じみた興味などあるはずがないのです。
Q:
しかし、私達の多くにとって、人生とは神聖なものなのです。
私たちは、子供、環境を守り、戦争の繰り返しを避けようとあがいている・・
U.G.:
あなたがた全て神経症の人たちです。
産児制限反対を語り、人生の貴さについて退屈な話をし続ける。
そして、爆弾と大虐殺。
あまりにばかげています。
あなた方は生まれない命を熟考し、その一方で何千の人を殺しています。
爆弾投下、飢餓、困窮、テロで何千の人々を。
あなたの人生についての"関心"は、そこから、政治的な発行をしているだけです。
ちょうど、アカデミックな討論です。
私は興味がありません。
Q:
そうですが、私達の多くはこの全てを見、それでもやはり、変化する事柄に興味をもつ。
それは、私達の部分部分にあるエゴイズムだけじゃない。
It is not just egoism on our parts.
U.G.:
本当に興味がありますか?人類の将来に興味がありますか?あなたの怒り、正義、親切さの表現に、私は、興味ないのです。
まさにお決まりです。
あなたは、座って、話す。
全然、怒っていない。
この瞬間、怒っているなら、こんな問いかけなどしないのに。
ご自身にさえも。
あなたは座って、怒りについて、延々と話す。
怒りは、それについて、話などしないでしょうね。
あの怒りについて、体は、それを吸い込み、すでに作動していたのです。
怒りは燃え、すぐさま終わります。
あなたは何もしない。
;体がそれを吸い込むだけです。
それだけです。
この全てが、あなたにとって、かなわないものなら、あなたを憂鬱にするなら、永久に神聖な人間たちのもとには行ってはなりません。
錠剤をのむなり、なんなりしなさい。
しかし、神聖産業があなたを助けるなどと期待してはなりません。
時間の浪費です。
Q:
あなたは、私に全ての事柄を投げ出したくさせる。
放棄のため・・・
U.G.:
あなたが、放棄するものを持っていると考える限り、あなたは、見失っている。
金や生活に必要な物を考えないことは、病気です。
あなた自身、生活の基礎的な必要性を否定するのは、倒錯です。
自ら課した苦行を通して、自分の気づきを増し、幸福になるために気づきをつかえると考えている。
チャンスはない。
あなたの気づきについての全ての考えが落ちて、コンピュータのように機能しはじめる時、平和になるでしょう。
あなたは、機械に違いなく、この世界で、自動的に機能する、それらが起こる前、(起こっている)間、(起こった)後、あなたの行動を問いたりはしないのです。
Q:
あなたは、ヨーガ実践、宗教的放棄、道徳的教育の重要性を否定するのですか?人は機械以上のものです。
確かに。
U.G.:
全ての道徳的、霊的、倫理的価値は嘘です。
心理学者は、実用的な方法を無くなるまで探し、今や、限界です。
答えを求めて、スピリチュアルな人々のほうを向いてさえいます。
彼らは見失っています。
ですが、答えは彼らから来るに違いないのです。
覆われて、使い物にならない神聖産業という伝統からではないのです。
Q:
そのことは、私達への、全く救い無きものにします。
人々がメシア、マハトマ、預言者に頼るのも不思議ではない。
U.G.:
いわゆるメシアは、この世に、惨めさ以外、残さなかった。
現代のメシアがあなたの前に来るなら、彼はあなたを全く援助できないでしょう。
そして、彼ができないなら、誰もできないのです。
Q:
もし、聖別された人、例えば、救い手、または、賢者は役に立たないなら、ひょっとして、聖典が言うようなこと。
私達は、"真実を知るべきであり、真実は私達を自由にするだろう。
"
U.G.:
真実Truthは動きです。
あなたは、それを捕まえられない、保有することも、表現することも、あなたの興味を進めるためにそれを使うことも。
それを捕まえた瞬間、それは終わり、真実になります。
私にとって、真実とは、何なのでしょうか。
どんな状況でも、あなたに伝えられないものです。
ここで確かなものは、他に伝えられないのです。
こういうわけで、全グル産業は、絶対的無意味なのです。
これが、昔から、実情だった。
今だけではないのです。
あなたの自己−否認は、僧侶を豊かにすることです。
あなたは、自身をあなたの基本的必要を否定し、その一方で、あの男は、ロールスロイスで旅行し、王のように食べ、大有力者のように遇されます。
神聖産業の彼も、他も、他人の愚鈍と騙されやすさで栄えるんです。
政治家も、同じように、人のかつがれやすさで、栄えます。
いたるところ、同じです。
Q :
あなたは、いつも否定的側面を強調します。
古典的"neti neti"(そうではない そうではないV≧Vだったけ? )アプローチです。
全部の行き過ぎた荷物、聖典、グル、権威を落とす必要を指摘しないのですか?もし、あなたが指摘する状態を見出すことが私達の自然な生得権なら。
U.G.:
いいえ。
自由のための処方箋として、グル、寺、神聖な本を一掃することは、おかしなことです。
あなたは、答えを自分の問題への救済策としてだけ、探すのです。
痛みを避けるために。
生まれること全ては痛いのです。
なぜ、そうなのか、聞いても無駄です。
それは、そうなんです。
グルや権威を断念することで、あなたは何か神聖な忍耐に苦しむだろうと考えています。
;痛みに耐えることはあなたを霊的に援助などしない。
方法はないのです。
Q:
でも、私達は、あなたが、宿命論者や皮肉屋以上のものであると知っています。
あなたは、人間の違った運命を指摘している。
今の苦境を批判するだけじゃないでしょう?
U.G.:
あなたの問題の解決があります。
−死です。
あなたが興味をもっている自由は、死の瞬間だけ、生じ得ます。
誰でも、ついに、モクシャ(涅槃)に到達するんです。
モクシャ(涅槃)は、常に、死の前兆となります。
そして、皆、死にます。
Q:
しかし、あなたは、詩的でも空想的な感覚でもない死を言っていると推量します。
あなたが、言い表しているのは、心理的、ロマンティックな抽象的な死ではなく、本当の、実際の、肉体的死でしょう?
U.G.:
そうです。
その通り。
あなたが、死ぬと、体は、長々と横たわった姿勢で、機能を止めます。
そして、それが、体の最後です。
しかし、このケースでは、体が、どういうわけか、回復するのです。
今も当然のこととして、日常的に起こっています。
全プロセスが安定するまで、数年かかりました。
私にとって、生死は1つのことです。
2つの区別されるものではない。
あなたに警告させてください。
あなたの目指す――モクシャ(涅槃)――が本当に起こるなら、あなたは死にます。
身体的死でしょう。
あの状態になるには身体的死がなくてはならないから。
ちょうど、楽しいから、息をコントロールして、遊びまわっているようなものです。
しかし、息を充分長く抑えていれば、窒息して、死にます。
Q:
それで、私達は、死に、気づくようならねばならない。
私達の瞑想の対象として、そのようなロマンティックな神秘的方法で取り扱う。
そうでしょ?
U.G.:
あの状態を、瞑想にふけった状態の最高の気づきと表現するのは、ロマンティックなゴミです。
気づき!自分達や他人を馬鹿にしてきた、なんて素晴らしいインチキなのか。
あなた方が、あらゆるステップを理解できるはずがないのです。
自意識過剰になって、ぎこちなくなるだけです。
やるならば。
私は、かつて、港の舵手である男と知り合いでした。
彼は、"受動的凝視"を読んでいて、実践しようとしました。
最初、進めていた船をあやうく、難破させるところでした。
歩くのは、自動的です。
そして、ステップにいちいち、気づいていようとするならば、気が狂うでしょう。
だから。
瞑想的ステップなど発明してはいけないのです。
物事は充分悪いのです。
瞑想的ステップはもっと悪いのです。
Q:
しかし、あなたは、容易に払いのけることは、できない・・・あなたが尊いと思う全てのことを?
U.G.:
もちろん。
できます。
:
全ては、まさにロマンティックなガラクタです。
私が、あなたに提供する、どんな救済策も、あなたの探求の一部になってしまいます。
;それは、ロマンティックなガラクタ以上のものです。
こういうわけで、いくら言っても、飽きないわけです。
私は、売る商品はないと。
まして、あなたに新しくて、より良い方法も提供しないと。
それで、あなたが探求を続けられるような。
そんな探求の正当性など全面的に否定しますよ。
ここでは、何も得られませんよ。
どこかよそで、のるかそるかでやってみてください。
Q:
しかし、確かにあなたは人間で、人類の助けになりたがっている?たとえ、同情がなくても。
U.G.:
誰が、私を救い主に選んだのですか?あなたには、仕えることを望む、おびただしい聖者、預言者、救い主がいるでしょう。
イエスは言いました。
"叩け、開かれるだろう。
きたれ、私の元にCome all ye unto me." 私は、訳あって、そうはできません。
私達は、たくさんの理由に蓋をします。
この話の続きは、明日がよいのではないかと。
Q:
それでは、明日。
U.G.:
ありがとう。
Q:
昨日、あなたが言ったことを考えてみるに、人が、あなたがしたことをやるならば、完全な正気でなければならないのは明らかなようだ。
それは、死ぬこと。
昨日、私達が立ち去ろうとした時、もし人が、自由やモクシャ(涅槃)を発見するつもりなら、実際に死ななければならないと、あなたは言っていた。
このような革新的ステップは、ロマンティックで神経症的人物によって、取られるはずがない。
それは、自己陶酔、神経症的エピソード、自己憐憫から自由な人間の行動だ。
人々は正気になるよう教育できますか?
U.G.:
教育なんて信じません。
あなた方は、技術は教えられます。
――数学やオート・メカニクス、だが、正直さは無理だ。
狂気的に貪欲で、野心的社会で、どやって、貪欲でないことや野心的でないことについて教えることができるのですか?彼らをより神経症的にするのに成功するだけです。
見なさい。
;あなたはペテン師です。
あなたの宗教的野心は、ちょうど、ビジネスマンのそれです。
騙せないなら、悪い事があるのです。
金持ちは巨万の富を手にいれました。
それをどう考えるのですか?貪欲でないことや利己的でないことの講義を通じてですか?全然違います。
彼は、誰かを騙して得ました。
騙しは、不道徳。
騙さないことは、道徳と言う社会は、最初から、不道徳なのです。
違いが分かりません。
あなたが、つかまるなら、牢獄に入れられます。
すると、食事と住処が提供されます。
何故、悩む?一方で、あなたは、貪欲な生活を送り、あなたに貪欲で無いことを話させるのは、あなたの中にある罪です。
あなたの無欲は、貪欲しかないという事実を直視させないという思考の発明です。
しかし、あなたは、そのようなことで満足しません。
それ以上、何も無かったら、あなたは、どうするのでしょうか?それがあるもの全てです。
あなたは、まさに、それと共に生きなくてはなりません。
逃げられない。
思考ができる全ては、自身を何度も繰り返すことなのです。
それが、思考のできること全てです。
そして、反復的なものは、老人ボケsenileです。
Q:
通常の思考より、瞑想は反復性が少なく、深いと思えます。
しかし、満足の行くものではありません。
U.G.:
あなたの瞑想、サーダナ(霊性修行)、方法、テクニックが何か意味のあるものなら、あなたは、ここで、
このような質問をしないでしょう。
それらは、あなたにとって、変化を起こすための、全手段です。
変化や変容のためのものはないと、私は、主張します。
あなたは、信条faithの条件articleとして、変化のための何かがあるということを受け入れます。
あなたは、けして、これから変えられるone who is to be changed人間の存在は問いません。
エンライトメントについての、全神秘性とは、あなた自身を変容するという観念に基づいています。
あなたと、何世紀にもわたる全ての権威は嘘だという私の確信を、私は、伝達したり、伝えたりできません。
彼らと彼らの売り歩く霊的商品は、全くの嘘です。
この確信をあなたに伝えられません。
だから、演台に上がって、長々と話すのは、無益で、人工的でしょう。
インフォーマルに話す方が好きです。
;ただ話すだけです。
「はじめまして」と。
Q:
それで、いったい、どうして話すのですか?
U.G.:
反社会的であることに特に魅力はないです。
人々が欲するものを私は与えません。
ここで、欲しいものは得られないと気づく時、いつも決まって去っていきます。
彼らが立ち去る最後に補足を付け足すのが好きです。
「どこでも手に入らないよ。
」と。
人々が話に来て、彼らは、沈黙そのものに直面する自分を見出します。
そういうわけで、その後、来る者は皆、自動的に無言になります。
沈黙に我慢できず、話やディスカッションをすることをせがむなら、その人は、口論を余儀なくされ、出て行きます。
しかし、あなたが長くいるなら、あなたは沈黙するでしょう。
過度に説得的で、あなたに比べ、ずっと理性的だからというのではなく、それは、その動きを静める静寂そのものだからです。
その沈黙は、ここにあるもの全てを燃やします。
全ての経験は燃焼されます。
そういうわけで、人々に話しかけることで、私は疲れません。
それは、私にとって、エネルギーです。
そういうわけで、私は、疲れを見せることもなく、丸一日、話すことができるんです。
何年にも渡って、とても多くの人々と話をしても、私には何の影響impactもありません。
私や彼らが言ったこと全てはここで、燃やされます。
何の跡も残さずに。
これは、あいにく、あなたの場合には当てはまりません。
Q:
知性は、この全てにどう適合するのですか?あなたは、知識や技術の蓄積とは無関係である生まれながらの知性があると言っているようです。
U.G.:
限界を受け入れることが知性です。
あなたは、これらの自然な限界から自由になろうとして、それがあなたの悲しみと痛みの原因になっています。
あなたの行動は、1つの行動が次の行動を制限するようなものです。
この瞬間のあなたの行動が次の行動を制限するのです。
この行動が反応なんです。
行動からの自由という質問は起こりさえしません。
ゆえに、運命的な哲学は必要とされません。
"カルマ"という言葉は、反応の無い行動を意味します。
あなたのどのような行動も次に起こる行動を制限します。
あなたの思考する存在の意識的レベルで起こるどのような行動も反応なのです。
純粋で、先行する全ての行動から自由な自然発生的行動は、意味がありません。
1つの、ただ1つの行動は、周囲の刺激に対する、この生きる有機体の反応です。
その刺激−反応プロセスは分割できない現象です。
思考が干渉し、人工的にそれらを分割する場合を除けば、行動と反応の間に分離はありません。
さもなければ、それは自動的な分割できないプロセスであり、それを止めるために、し得ることは無いのです。
それを止める必要はありません。
リアリティにおいて、行動と反応の分離が無いように、物事の自然な仕組みにおいて、宗教的人物の(入る)余地はありません。
生命の生き生きした動きは、力と名声というその人の源を脅かします。
彼は、依然として廃業したくないのです。
彼は、放り出されなければならない。
宗教は契約で保証された取り決めではありません。
公的にも、私的にも。
社会組織やそのマネージメントとも関係がない。
宗教的権威は、人々への支配力をもちつづけたいのですが、宗教は、もっぱら、個人的な事柄です。
聖者も救い主も、痛みと惨めさと人生で行うもっと意味のある、もっと興味深い何かがあるに違いないという落ち着かない感情とを伴う人生。
そこで、あなたを迷わせることに成功しただけです。
存在は、重要なことの全てです。
いかに生きるかではありません。
私達は、"どう"生きるかを作り出しました。
それは、反動として、私達にこのジレンマを作り出しました。
あなたの思考は問題を作り出します。
――何を食べる、何を着る、どう振舞う――体は、気にかけません。
私は、単にこの会話の馬鹿らしさを指摘しているだけです。
そのコツを呑みこめば、出発するgoだけです。
私に人類に与えるメッセージなどありません。
私達は、抗し難い力を始動させてしまった。
私達は、空、水、全てを汚染してきました。
自然の法には、報酬だけでなく、罰もあります。
報酬は、あなたが自然と調和するということだけです。
全ての問題は、人が、全世界を自分の独占的な楽しみに向けて作られたものと決めた時に始まりました。
私達は、自然の上に、進化と向上という概念を重ね合わせてきました。
私達のマインド――個人的なマインドなどありません。
ただ1つのマインド―― それは、人間の知識、経験の全体という蓄積です。
それは、プシケと進化という概念を創り出しました。
私達は、1つの類raceとして、私達自身と世界の完全かつ全体的な破壊に動いています。
人間の意識にある全てのことが、全世界に無理強いをし続けている。
それは、自然が、とても苦労して創ってきたものであり、破壊に向かっているのです。
人間が考えることに質的な変化はありません。
私達は隣人について、ちょうど、ぎょっとした(石器時代の)穴居人が、隣人に感じたように感じます。
;ただ1つ変わったことは、隣人とその資産を破壊する、私達の能力です。
暴力は、進化のプロセスに不可欠の部分です。
あの暴力は生きている有機体の生存に欠かせないものなのです。
あなたは、水素爆弾を非難することはできません。
というのは、それが、そこにいる警官と守られたあなたの欲望の拡張だからです。
あなたは、何処に線を引くのですか?できません。
裏返しにする方法などないんです。
Q:
人道主義の人は、人が愛に向けての受容力をもつと主張し、愛が相互破壊の唯一の解決だろうと主張します。
これに対し、何かありますか?
U.G.愛と憎しみは全く同じです。
それらは、ともに、大虐殺、殺人、暗殺、戦争に帰着します。
これは、歴史的な事柄です。
私の意見ではありません。
仏教は、日本で戦慄となりました。
それは、何処でも同じです。
私達の全ての政治的システムは、あの宗教的考えから、生み出されました。
東洋であろうが西洋であろうが。
これらの事実から、あなたは、宗教にどんな信頼がもてるというのですか?全ての過去、むなしい過去を裏返す良さとは何ですか。
生きることが無意味なので、あなたは過去をくよくよ考えるdwell onのです。
あなたは、漂ってさえいません。
あなたには全く方向がない。
;浮いているだけです。
明らかに、あなたの人生には目的がない。
そうでなければ、あなたは過去には生きないでしょう。
あなたを助けなかったものが、誰かを助けるはずがない。
私が何を言っていようと、あなたは、言葉の媒介です。
あなたは、すでに、私が言っていることを、ぶん取ってしまった。
そして、それを新しいイズムにイデオロギーに何かに到達する手段にします。
私が言おうとしていることは、あなたが、自分のための何かを発見しなければならないということです。
しかし、あなたが見出だすものが、社会に役に立つだろう、世界を変えるために使われてもいいなどと、考えるような、誤ったまねはしないでください。
あなたは、社会とともに終わります。
それだけです。
Q:
その、各々によって、発見されなければならないものとは、神とかエンライトメントですよね?
U.G.:
違います。
神は究極の娯楽であり、妨害されない幸福なのです。
そんなものはいません。
存在しないものを欲することが、あなたの問題の根本にあります。
変容、モクシャ、解脱、あの全部のガラクタは、同じテーマのバリエーションだということです。
:
永遠の幸福という。
身体はそれを受け取れません。
例えば、セックスの快楽は、本質的に、一時的です。
身体は長期間妨害されない喜びなど受け取れず、身体は破壊されるでしょう。
身体に、架空の恒久的状態を強要したがることは、深刻な神経学的問題です。
Q:
しかし、快楽を求めることに対し、信仰心の厚い人々は、警告します。
祈り、瞑想、いろいろな実践を通じて、人は、ただの快楽にすぎないものを超越するよう鼓舞されますが・・・。
U.G.:
彼らは、あなたに霊的パセドリンpathedrins、霊的モルヒネを売りつけます。
薬を飲んで、寝ることです。
科学者達が、快楽ドラッグを完成させたからには、それを飲んだ方が、ずっと楽です。
薬は、あなたが追い求めるエンライトメントや神こそが、究極の快楽であり、さらに、あなたがいつもいる痛ましい状態から、自由になるため、あなたが発明した快楽だなどという印象は与えません。
あなたの、痛ましい神経症的な状態は、2つの葛藤するものを同時に欲しがることによって、引き起こされているのです。
Q:
しかし、どういうわけか、あなたは、これら全ての葛藤から自由になった。
そして、あなたは、果てしない祝福などは主張しないものの、根本的に幸せのようです。
何故、あなたの人生は、他のコースじゃなく、このコースをとったのですか?
U.G.:
私が自分の人生を語るとすれば、まるで、誰か他の人の人生を言い表すようです。
自分の人生を考える時、愛着も、感情も、情緒的な内容も、私にはありません。
私が、過去に関する何か個人的で重要な考えや感情を抱いているとあなたが考えるなら、あなたは間違った印象を受けています。
最初、ある男が、宗教的背景から脱却しました。
(ジッドー・クリシュナムールティに関すること。
――編集者)そして、彼の教えは、すでに流行遅れで、古臭く、人を誤らせるものでした。
J.K.は、説明に関して、心理学的な形態を選んできました。
それは、すでにpass・(文字化け解読不能)。
あなたにJ.K.を論破するdestroyことは、できませんが、彼が作り出した思考の枠組みは、時代遅れで、訳に立たないのです。
問題は、心理的なものではなく、身体的なものなのです。
この体は、何十万年のもの間、基本的に変化していないのです。
リーダーに従い、孤独を回避し、戦争を行い、グループに入る――そのような全ての特徴は、人類の遺伝的構造の中の、生物学的遺伝的性質の一部なのです。
Q:
すでに遺伝的に、残忍で、好戦的にプログラムされた有機体に、善か悪か問うことが可能かと問うことは、脇に置くとして。
宗教的実践、瞑想、ヨガ、謙遜などを止めろと?――人にこれらの生物学的限界を超えさせようと企てることを。
U.G.:
瞑想は、悪そのものです。
そういうわけで、あなたが、瞑想しようとすると、あらゆる悪い考えがふくれ上がるのです。
さもなければ、考えが、良い考えか、悪い考えか、などと、言うことはなく、そのようなことを識別するわけがないのです。
瞑想は、闘いなのです。
が、あなたはより以上の痛みを経験することだけは、できます。
私は断言できます。
あなた方の文化によって、あなたに、瞑想のゴールやモクシャが投げ込まれるだけではなく、最終的には痛み以外のなにも得られないだろうと。
あなたは、けちで、つまらない神秘体験を経験するかもしれないが、そんなくだらない体験など、あなたにとっても、誰にとっても、なんの価値もないのです。
Q:
しかし、私達は、そんな、つまらない体験に興味があるのではなく、自由が欲しい・・・
U.G.:
何か違いはあるんですか?あなたがこの自由を見つけるかどうかということ。
エンライトメントか、そうでないかということに。
What is the difference whether or not you find this freedom, this enlightenment or not. それで、得をすることはないでしょう。
あなたに、この状態が、どのような良さそうなことを為し得るのでしょうか?この状態は、あなたにある全てのものを取り去るのです。
それで、"ジーヴァンムクティ"――解脱しながら生きるliving in liberationと呼ばれるわけです。
生きています。
その一方で、体は死んでしまっています。
どういうわけか、体は、死をくぐり抜け、生き続けています。
幸福でも不幸でもありません。
幸福のようなものはありません。
あなたは、望まない、望めない、これなのです。
あなたが望むものは、全てであり、あなたは、此処で全てを失うのです。
あなたは、全てを望みますが、それはできません。
宗教は、あなたに、とてもたくさんのものを約束してきました。
――薔薇、庭――そして、あなたは、棘で終わるのです。
Q:
しかし、J.クリシュナムルティのような、他の教師達は、発見の旅と言います。
気づきと自由な探求を通して、人は見出すものと・・・
U.G.:
変化がないのです。
革新的であるにせよ。
そうでないにせよ。
There is no transformation, radical or otherwise.サーカスのテントで話す、あの道化は(J.K.のこと)、あなたに発見の旅を提供しますが。
それは、偽のチャーター便です。
そんな旅はありません。
ベーダのようなしろものも役に立たないのです。
あれは、ソーマジュースを飲んだアシッド(LSD)頭で、考えられたのです。
J.K.は、彼の話を聞きに行く人々以上の神経症です。
Q:
古代の宗教的教えを信用しないとして、現代の心理学をより重く受け取りますか?
U.G.:
百年以上にわたって、心理学の全分野は人の全ての考え方をミスリードしました。
フロイトは20世紀の驚くべき詐欺師です。
J.クリシュナムルティは精神の革命を語りました。
その点、精神などありません。
魔法のように変容される、このマインドは何処にあるのでしょうか?J.K.の弟子達は、意味のないフレーズを繰り返すことしかできない地点に来てしまいました。
浅薄で空っぽな人々です。
J.K.が大群衆をひきつけることができたという事実はなんの意味もありません。
蛇使いも人の群れを呼びます。
群集をひきつけることは、だれにでもできるのです。
Q:
しかし、あなたは、似たようなアプローチをとっている。
U.G.:
そうです。
彼の言葉とフレーズの80%を使っています。
彼のようなグル達や、聖者、救済者を非難するために、何年にも渡って、彼が使ってきた、そのフレーズをです。
彼は、自業自得です。
今まで言ったためしがなかったことがあります。
:
彼は、人格者ではありません。
彼には、卓越した名声great characterがありましたが、私は、人格者などに全く興味がありません。
世界メシアという、見当違いな役まわりで、作りあげた混乱を、彼が見て、全ての事柄を解消するなら、私が最初に敬意を表するでしょう。
しかし、彼がそれを行うには、年を取り過ぎ、ボケsenileすぎています。
彼の信奉者たちは、私が、彼に、彼用の一服の薬を与えていることに、ぞっとしています。
彼が何であるか。
と私が言うこと。
あるいは、他の宗教的権威が何であるかなどと、私が言ったことを比較しないでください。
私が言うことに、なんらかの霊的含み、とにかく、なんらかの宗教的味わいを与えるならば、あなたは、ポイントを失っています。
この全てが落ちなければならないのです。
Q:
しかし、いまだ、J.クリシュナムルティ、そして、多分、歴史上の何人かは、言うべきことがあると思えるのです。
J.クリシュナムルティ(の場合)、彼自身が自由人であると主張したことであるようです。
U.G.:
彼には何かがある。
私はこう言うのが気に入っている。
彼は、角砂糖を見てきたが、角砂糖を味わったことは無いと。
あの男、私、また他の誰かが自由かそうでないかなどは、あなたの問題ではありません。
;それは、現実逃避者マインドの標語shibbolethであり、本当のことを回避するために考案された娯楽です。
そして、それは、あなたの不自由さです。
あなたは、確信するかもしれない。
自分は自由な人間だ称する者は、詐欺師であるということを。
あなたが自由にならなければならないものは、あの男や他の教師たちによって、論議された、その"自由"だということです。
あなたは、"最初で最後の自由the first and last freedom(J.K著−邦題−自我の終焉)"、そして、その間にやってくる全ての自由から、自由にならなければならないのです。
注 U.G.は著作権フリーです
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