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すべてを爆破する確実性 |2|
Q:
恩寵と平安と自由という人生についての観念が、私達の世界的浅薄さを回避するために招かれた、ただのフィクションであるならば、何故それらは、ともかくも続いているのか?人が方向をかえるかもしれない、永続的、超越的なリアリティは無いとして、何故、私達は、自身を存続すべきなのか?食べ、眠り、呼吸することしかないんでしょうか?
U.G.:
あるものが、全てです。
行って、見なさい。
私が言っていることは、あなたに投げ出された、無意味で抽象的な存在の背後に何かがあるとするなら、あなたが自分のために、見出しにいかなければならないということだけです。
あの人達は、神聖なハートだの、普遍的な精神だのuniversal minds、魂を超えてだのover-souls、ご存知のように、騙されやすい人々をかつぐための、抽象的、神秘的な、用語の全てを語るのです。
生命は、純粋で単純な身体的、生理的用語で記述されるべきです。
脱神秘化、脱心理化でなければなりません。
"ハイヤーセンター"だの、"チャクラ"だのと語らないでください。
人の体をコントロールする腺以外のものではないのです。
この有機体の機能に指示を与える腺なのです。
あなたのケースでは、あなたは侵入者――思考を招くのです。
あなたの自然状態において、思考は何かをコントロールすることを止めるのです。
;その前に挑戦が置かれるとき、それ(思考)は、一時的な機能に入りこみ、即座にもはや必要とされない背景に落ち込むのです。
Q:
それじゃあ、私達が何をしようが、私達は、不自然に機能するということですか?
U.G.:
そういうわけで、これらのことを指摘しているのです。
架空の社会や架空の人間をわすれなさい。
あなたが機能していることを眺めるだけです。
それは大切なことなのです。
有機体の独自性が完全に開花することを妨げてきたものは、文化です。
文化は誤ったものを据え付けてきました。
――理想的人物など――人の前に。
全ての事柄は人類の区別をなす意識から生まれたものです。
それは、暴力以外のなにも、もたらしはしませんでした。
2人のグルや救い主はけっして同意しなかったわけです。
各自、自分にある無意味を説教するつもりなのです。
Q:
あなたの話を聞くように、なにが引き付けたのでしょうか?何故、私達は、あなたが言わねばならないことに興味があるのでしょうか?
U.G.:
あなたは、あなたが知りたがっている答えを求め、あなたが誰かの元に行ったのと同じ理由で来たのです。
あなたは、私の話を知って、私に起こったことが、あなたも再現できるはずだと信じています。
あなたは、生涯を通じて、洗脳され、模倣という点からしか考えられないのです。
あなたは、私に起こったことを、ともかく繰り返すことができると考えています。
それだけです。
それが、あなたがやってきた動機です。
それは、あの宗教的なガラクタへの新しいアプローチではありません。
それは、全く違うものなのです。
ロマンティックで、霊的、宗教的なしろものと、全く無関係なのです。
全くです。
私の言うことを、宗教的な用語に翻訳するならば、あなたはポイントを完全に失しています。
"宗教""神""魂""無上の幸福""モクシャ"は、ただの言葉であり、あなたの心理的な継続性を、損なわずに保っておくために使われる観念に過ぎないのです。
これらの思考が、そこにない時、残された物は、単純に、調和的に、生理的に機能するのです。
この有機体の機能の仕方を言うことができます。
というのは、あなたの問いがここに挑戦を創ったからです。
あなたの問いは、この起こるべき反応を必要とする状態を創ります。
そのように、それが、それ自身を表現するのですが、それは、それが、機能する仕方ではありません。
それは、知らないという状態で機能するのです。
私は、自分がどう機能しているかを自問しません。
それらが起こる、前にも、間にも、後にも、私は、自分の作動を自問しません。
コンピュータはどう機能しているか問うのでしょうか?
Q:
しかし、コンピュータには、感情もプシケも霊的次元もありません。
どうやって、あなたは比較できるのですか?
U.G.:
あなたは、あの宗教的枠組みに私を入れることはできません。
私が言っていることをあなたの宗教的枠組みに翻訳するあなたみよってなされた、どんな試みも、ポイントを失うことです。
私は、"迷っているhanging。だからあなたも一緒に迷いhangにおいで。"というあなたの聖者達の一人ではありません。
あの全てのガラクタは、狂気の形formです。
Q:
生と死の真相を知りたがることについて、何をそうイキリタッテいるのでしょうか?
What's so mad about wanting to find out about life and death ...?
U.G.:
ちょうど狂女が自分はおかしくないというようなものだからです。
あなたは、いずれ自分は死に、死というものがあると力説する。
どちらも誤りです。
リアリティに基づくマインドの状態である限り、両者は同じように根拠が無いのです。
Q:
私はあなたを知的に理解し始めていると思うのですが・・・
U.G.:
私が言っていることを理解するなど、冗談じゃないでしょ?
あなたは、私を少なくとも知的に理解するという。
まるで、他に理解の仕方があるように。
あなたの知的理解。
そこには、途方もない発明がある。
知的理解は、これまで、あなたに馬鹿なまねを1つもしなかった。
あなたは、この知的理解が洗練されたものであると主張するわけです。
そんなものが何の役にも立たないことを知り尽くしていながら。
これは驚きです。
理解することなど望まず、理解しようとすることがない時、生命は意味深くなるのです。
生命、あなたの存在は、その途方も無い、生き生きとした性質を有するのです。
愛、無上の幸福、際限の無い至福、平安についての全ての知見は、存在についてのこの自然なエネルギーをブロックするだけなのです。
私が言っていることが、宗教的なもの全てと何らかかわりが無いということを、どうやって、あなたに理解させることができるのでしょうか?
死んだ後バンで運び去られる何百もの体を見ても、あなたは、なおも、自分の死を想像できないでしょう。
不可能だ。
というのは、あなたの死は、あなたによって、経験されるはずがないからです。
それは、ありのままの何かです。
こういった、あらゆる屑を私に投げつけるのは良くないことです。
これに当たれば、なんであれ、即座に燃やされてしまうのです。
――それが、ここにあるエネルギーという自然なのです。
霊的な人々というものは、一番、不正直です。
私は、その上に霊性の全体が打ち立てられるその基礎のことを、強く言っているのです。
私はそれを力説している。
霊など無いなら、霊性の全体は、戯言であり、無意味なのだと。
"自己"という概念を取り巻く全ての事柄から自由になるまで、あなたは自身の存在に入り込むことなどできないのです。
まさに、たった一人になるには、霊的生活の全体的な基礎、誤ったものは、破壊されるべきなのです。
酔っ払いの群れのように、ファナティックになるとか、暴力的になって、寺を焼き討ちしたり、偶像をバラバラにしたり、神聖な本を壊したりすることを言っているのではありません。
全然違うものです。
あなたの内側の大きなかがり火のことなのです。
人類が考え、経験してきた全てのことは、立ち去らなければならない。
今日の世界における、驚くべき暴力は、イエス達とブッダ達によって、生み出されてきたのです。
Q:
しかし、文明的になろうとすることは、確かにジャングルの行動原則を超越しようとすることであり、・・
U.G.:
それが、神を信じる人たち、平和を諭し、愛を語る人たち、人間ジャングルを作り出した人たちなのです。
人間ジャングルに比べ、自然ジャングルはシンプルで分別がある!自然の動物は自分の同類を殺さない。
それが、自然の美しい部分です。
この点、人は他の動物よりたちが悪いです。
いはゆる"文明的"人間は、理想と信念のために殺します。
その一方で、動物たちは生存のためだけに殺します。
Q:
人間には強力な理想と信念があります。
動物には無い真実を探求するからです。
U.G.:
真実などというものは無いのです。
現実に、そこにあるものは"論理的に"確定されたあなたの前提でしかなく、あなたが"真実"と呼ぶものです。
Q:
しかし、繰り返しますが、偉大な教えの全ては、実践、無私無欲、放棄を通して、真実を見つけることの重要性を強調してきました。
U.G.:
私は放棄する価値のあるものだけを放棄します――ともかく放棄があるというその考えを。
放棄すべきものなどありません。
放棄に関するあなたの誤った考えは、"真実"や"神"などについての更なる妄想を生み出すだけです。
Q:
我々が動物より、たちが悪いと考えるのは、全く、喜ばしいことではない・・
U.G.:
人間は動物よりたちが悪く、そのため、人間が道徳的なジレンマを作り出すことを、避けがたく、起こりうるものにしてしまったのです。
人がその意識において、最初に隔絶を経験する時――その人が自己意識を経験する時――その人は、その人ではない他の動物たちへの優越を感じた。
そして、そこのおいて、自分自身の破壊の種を播いたのです。
Q:
そうすると、私が、あなたを正確に理解するとして、私達が生命を見当違いにも自己と非自己に分けたことによって、私達の心の中や私達の関係の全てにおいて道徳的問題を作り出してしまったと、あなたは言っている。
そして、私達の根本的な障害は考えることであると・・・
U.G.:
あなたは、思考を通じなければ、何も経験できないのです。
思考の助けを借りなければ、自分の身体を経験することもできないのです。
感覚的知覚があります。
あなたの思考は、その身体に形と定義を与えます。
さもなければ、あなたはそれを経験する方法が無いのです。
身体は一思考のように存在する以外は、存在しないのです。
1つの思考があります。
全て、その1つの思考との関連において、存在するのです。
その思考とは"私"です。
あなたが思考に基づいて経験することは、幻想なのです。
Q:
幻想を存続させてはいけないと覚醒が、私達の中で、展開されないということだけで?
Do not illusions persist only because awareness is not developed in us?
U.G.:
"覚醒"という言葉は、人を誤らせます。
覚醒は、分裂した状態ではありません。
;2つの状態があるわけではないのです。
――覚醒と他の何かというような。
2つのものではないのです。
あなたが何かに気づいているというのではありません。
覚醒は脳の作用です。
物事affairsの幾分幸福な状態、なんらかの変容、神を知る何者かになるため、覚醒を利用できるという考えは、私にとっては、馬鹿げたことなのです。
あなた自身、また、あなたを取り囲む世界に変化を起こすため、覚醒が利用されることはないのです。
意識、無意識、覚醒、自己に関するこのゴミ全部は、現代心理学の全産物です。
心理的に上手く行くために覚醒を使えるという考えは、ひどく有害なものです。
百年たっても、私達は、心理的ゴミ――フロイトとギャングの全体から、自分達を解放することはできないようです。
意識の意味することは、正確に、まさに何なのでしょうか?
あなたは、思考を通してのみ、意識し、気づいている。
他の動物も思考を使います。
――例えば、犬も飼い主を見分けます――単純なやり方で。
犬は言葉を使わずに見分けます。
人間は、より複雑化させる思考構造をつけ加えたのです。
思考はあなた方のものでなく、私のものでもありません。
;それは、私達共通の遺伝的特質inheritanceです。
あなたのマインドや私のマインドというようなものはありません。
マインドだけがあるのです。
――人に知られ、感じられ、経験されてきた、世代から世代に受け継がれる全体性。
私達は、あの"思考領域"において、全面的に考え、機能しています。
呼吸するため、同じ空気を分け合うように。
思考は、この世界で、良識的に知的に、機能し、コミュニケーションをとるためにあるのです。
Q:
今だ私達は実感するのです。
これらの思考を、思考する、思考者−"機械の中の幽霊"のようなもの−がいると。
そして、考えることが記憶からの反応以上のものを含むと。
U.G.:
あの知識というもの。
それは、そこにある全てです。
"私に(を)"、"プシケ"、"私は"、また、あなたが名づけたがっているものならどのようなものでも、その大半は、教育を通して、世代から世代に受け継がれてきた知識総体以外のものではないのです。
あなたは自分の子供に教えます。
色を識別すること、読むこと、作法をまねること。
そして、それは各文化に対応するものです。
:
アメリカ人はアメリカの作法を学び、インド人はインドの作法を学ぶ。
etc 身体,手、顔のジェスチュアは最初の言語を構成します。
あとの言葉は、(そこに)加えられます。
私達はいまだ話言葉を補足するためジェスチュアを使っています。
というのは伝えたいことを充分に表現するのに、言葉だけでは、不十分だと感じるからです。
この全ての事柄は、思考について、何かを真に知り得るということを伝えているわけではありません。
私達にはできないのです。
思考を思考の対象とする時のみ、あなたは思考を意識します。
さもなければ、考えていることを知ることさえないのです。
私達は、あそこにある何かを理解するためだけに、何かを思い出すためだけに、何かに到達するためだけに思考を使います。
そうでなければ、私達は、思考があるかどうかを知ることさえないのです。
思考は思考の動きと切り離して考えることはできません。
思考は、活動であり、それなくして、あなたは行動できません。
純粋で、自然発生的な、無思考の行動などというものは全くないのです。
行動することは考えることなのです。
あなたには、自己始動し、自己永続するメカニズムself-starting, self-perpetuating mechanismがあり、私はそれを自己the selfと呼ぶのです。
これが、実は実体があるということを意味しているわけではありません。
私はその言葉に含蓄を与えたいわけでも、そのつもりもありません。
あなたの語る、エゴや自己は何処にあるのでしょうか?
あなたの実在しない自己は、誰かから霊性と祝福を耳にしたのです。
あなたが感ずる祝福と呼ばれるものを体験するためには、思考をコントロールしなければならない。
それは不可能なんです。
それを試みるならば、あなたは燃え、あなたは死ぬでしょう。
Q:
過去と未来から独立する"今"を語る哲学者の話を耳にします。
永久の現在などというものは存在するのでしょうか?
U.G.:
次から次へと経験を希求することは、あなたの"現在"を構成していますが、それは過去から生まれたものです。
ごらんなさい。
あなたの目の前にマイクロフォンがあります。
あなたはそれを見ている。
"マイクロフォン"という言葉なくして、それを見ることなど可能なのでしょうか?
マイクロフォンを見、経験するのに用いている道具instrumentとは、その過去なのです。
あなたの過去。
それが見出されるなら、未来は全然無いのです。
あなたが興味を抱くどのような達成も未来にあります。
その未来が作動し始めることのできる進路は、この瞬間にしか無いのです。
不幸にも、作動する(はずの)この瞬間に過去があるのです。
あなたの過去はあなたの未来を創っています。
;あなたは過去において、幸福だった。
あるいは不幸だった。
愚かだった。
あるいは、賢明だった。
あなたは未来において、逆になろうとします。
そして、未来は、過去と何らかわりがないはずなのです。
過去が作動しない時、"現在"は全くありません。
あなたが"現在"と呼ぶものは過去の反復なのです。
"今ここ"という現実状態での作動において、過去はありません。
ゆえに未来も無いのです。
あなたが私に追随しているfollowingかどうかわかりませんが・・・過去が生き残り、その継続性を維持できるのは同じことを繰り返し経験したいという耐えざる希求を通してのみです。
そういうわけで、人生は退屈なものとなるのです。
人生にうんざりした。
何故なら、私達が、それを反復的なものとしたからです。
ですから、私達が誤って"現在"と名づけたものは、虚構の未来を投影するまさに反復的過去であるからなのです。
あなたのゴール、あなたの求め、あなたの待望はその鋳型に投げかけられたものなのです。
注 U.G.は著作権フリーです
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