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スピリチュアルメッセージと題して新太郎がスピリッツを感じた言葉を紹介します
私の言いたいことは、口に日本文化や日本伝統を軽蔑しながら、お茶漬けとは縁の切れない、
そういう中途半端な日本人はもう沢山だということであり、日本のみらいの若者に望むことは
ハンバーガーをパクつきながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである。
三島由紀夫:「若きサムライのために」のお茶漬けナショナリズムより
僕はプライドというものは絶対感だと思う。
自分がバカであろうと、非力であろうと、それが俺だ、
そういう自分全体に責任を持って、堂々と押し出す。それがプライドだ。
ところが自尊心だとか、プライドだとか言いながら、まるで反対のことを考えいる人間が多い。
他人に対して自分がどうであるか、つまり、
他人は自分のことをどう見ているかなんてことを気にしていたら絶対的な自分は無くなってしまう。
岡本太郎:「自分のなかに毒を持て」
みんなどうしても安全な道を採りたがるものだけれど、それが駄目なんだ。人間、自分を大切にして、安全な道を望むんだったら、何もできなくなってしまう。
計算ずくでない人生を体験することだ。誰もが計算ずくで、自分の人生を生きている。例えば美術かで言えば、美術家というのは、人に好まれる絵を描かなければならない。
時代に合わせた絵で認められないと、食っていけない。生活ができない。
だけど僕は全く逆のことをやって生きてきた。本当の自分を貫くために、人に好かれない絵を描き、発言してきた。
一度でいいから思い切って、僕と同じだめになる方、マイナスになる方を選ぼう、と決意してみるといい。
そうすれば必ず自分自身がワァーッと盛り上がってくるに違いない。それが生きるパッションなんだ。
岡本太郎:「自分のなかに毒を持て」
激しく挑み続けても、世の中は変わらない。
しかし世の中は変わらなくても、自分自身は変わる。
世の中が変わらないといっても、それでガックリしちゃって、ダラっと妥協したら、これはもう絶望的になってしまう。
そうなったら、この世の中がもっともっとつまらなく見えてくるだろう。
だから戦わなければならない。戦い続けることが生きがいなんだ。
しかし今まで随分戦ってきたが、世の中変わらないのどころか、逆に悪くなっている。つまらなくなったのは事実だ。
変えようと思っても、変わらないのが事実なんだ。だけど挑むということで僕自身が生きがいを貫いている。
僕は絶対に変わらない社会と妥協しない、これが、僕の姿勢だ。
岡本太郎:「自分のなかに毒を持て」
「お互いに」とか、「みんなでやろう」とは、言わないことにしなければなりません。「誰かが」ではなく、
「自分が」であり、また「今は駄目だけれども、いつかきっとそうなる」「徐々に」という一軒誠実そうなものも、ゴマカシです。
この瞬間に徹底する。「自分が、現在、すでにそうである」と言わなければならないのです。
現在にないものは永久にないというのが私の哲学です。逆に言えば、将来あるものならば必ず現在にある。
岡本太郎「今日の芸術」より
みんな音楽はボタンを押せば聴けるものだと思っているけど、絶対にそんなオートマチックじゃないとおれは思ってるんよね。
音って当たり前に存在するモンじゃなくて、それを存在させる「何か」を露にすること、それが自分の(活動)協力なモチベーション
になっている。
ヤマタカEYヨ「スタジオボイス2001年9月号」より
みんなね、すきっていうことで、自分が好きな物を守るようになるんだよ。自分の身体を、結局生きてるって事を固守したくなるから。
それこそ”好き”さえも解放させることの方が、さらに広げられるのに、「だめ!」ってことで線を引くから。音楽がなんだかわからなくってもいいのよ。
そして、「えっ!?これなんで在るの?」っていう。もう音楽ではなくて「えっ何これ?」ってなった時に、人はいろーんな価値観が、変わるって言うか、見つめなおせるから。
なにかあった時、それがピーんとよぎって。さあ、自分にとって有利なほうに行くか不利なほうに行くか、ってなった時、微かに僕の音楽で、「ここでやると不利なんだけど、
こっちのほうが正しいはずだ」と動いてくれれば、僕も一応やった甲斐がある。逃げて欲しくないというか、いつも言ってるけど。あきらめるてほしくないとか。30年やってる人間なら
いってもいいでしょ、あきらめるなって。
灰野敬二(ミュージシャン)「スタジオボイス」2000年3月号より
伝えたいことは山ほどある。ありすぎる。音楽で伝えられることの中で一番大きいことって、やっぱ想像力だと思うよ。
今、世の中に必要なのはイメージする力だよ。
小山田圭吾「エレキングVOL28」
サブポップのブルースパビットも俺と同じラジオ局でDJをやっていたんだ。だからおれもそのころから彼のやっていた
「サブポップ」っていうファンジンに関わるようになっていった。彼がファンジンやラジオのショーをやっていた理由は、
自分たちのポップカルチャーを守るというものだった。俺もそれを「自分たちの文化を墜落させない」っていう意味合い
で捉えていたし、ポップカルチャーの領域だけにとどまらない種類のものだとも認識していた。
この考え方の背景にあるものは経済の状態をよくして、自分のコミュニティに還元するってことなんだ。
つまり利益を上げるって事よりも、協力し合って地元の農業だとか、有機農業を支援したり、地元の人間を助けたりっていうような
ことを目的にしている。自分の暮らしている街をよくするほうが、ニューヨークやロサンゼルスで起きているミュージックカルチャーを追従
するよりも重要なんだ。だからポップカルチャーを支持して、自分たちの暖炉のなかで人間関係を築くほうが、遠くの合図の火よりも重要なんだ。
メジャーレーベルの連中は利益にしか興味がないけど、俺の人生にはそれ以上のものがある。金の価値じゃはかれないものがあるんだ。
その一つは音楽って言う芸術表現だから、Kレーベルは表現される物をそのまま出して、それを求めている人たちに届くようにしている。
それが何よりも重要なんだ。経済的な問題も含めて、それをどんな形で実現させるかが、俺たちのチャレンジなんだ。
キャルビンジョンソン(Kレーベルオーナー、ダブナルコッティックサウンドシステムのVO)
私たちの演奏する音楽にはなんらかの必要性、不可欠性を反映してなければならない。そうしなければ、聴衆の時間を無駄にすることになるし、
とてつもないエゴイズムになってしまう。ステージに立って演奏することは、オーディエンスに時間を過ごすことを強要することなのだから。
多くの場合、ただそこでは時間が無駄になっているんだ。それならば本当はオーディエンスも演奏家も違うことに時間を費やしたほうが有益だ。
だから自分の演奏になんらかの必要性、つまり「私はここにいなければならないんだ」という概念を生み出さなければならない。
自分のしていることが、自分自身とオーディエンスにとってなんらかの重要性を持たなければ、やめて違うことをやったほうがいい。音楽的
マスターベーションになってしまうから。他にできることで役立つことがあるはずだ。だからアーティストでいることは重要な責任が伴う。多くの
アーティストはその責任を認識していない。
AMM(即興演奏グループ)ジョン ティルバリー: 「FADER VOL6」より
人間、生きてる以上は貫くべきスジがある。決意しないから、それがつかめないだけなんだ。生きている瞬間瞬間、あれかこれかの
分かれ道に立たされている。意識する、しないにかかわらず選んでいるんだよ。こっちに行けば無難で、人にも認められ、褒められる。
すると誰でも自衛本能みたいに無難な方向を選んでしまう。だから虚しくなるんだ。
逆に危険だ、こんなことしたらおれは駄目になってしまうんじゃないか?…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間は危険には敏感だ。ブルッといやな感じがするよ。腹の底がゾーッと冷たくなるような。
「危険」、つまり「死」の予感なんだ。
その時、よし、それなら死んでやろうと決意して、恐ろしいほうに飛び込む。パァッとその瞬間、全身が生きてくる。
やってごらん。死即生、生即死。
岡本太郎「太郎に訊け!3」のおわりにより
いい道と、険しい道っていう二つの道があった時に、自分にとってつらい道を選んだほうが、あとからカルマの解消になっていくんですよ。
人間ってある時期必ず辛い事を逃げないでどう対処するか、試される。
横尾忠則:「BARF OUT」 1999年一月号より
おれはもうカレーを作らなければ、生きている感じがしなくなった。
福士太郎(カレー職人、一軒家カフェ「ルーク」スタッフ、experymental
nature musician):「一軒家カフェルークスタッフの会話より」
洗い物をしてたら、水道の水に引っかかったジャガイモの皮が渦を巻いた。
ワビサビを感じた。
ボールに水を入れ、それを箸で叩く。スチールパンの出来上がり。
玉ねぎをフードプロセッサーで切る。まるでスクラッチ。
トマトの赤は情熱。鶏肉の足は羽ばたくための土台。
圧力鍋から出る蒸気は山の噴火。ほうれん草の緑はマイゴール。
ありがとう。
ブヨン A.K.A 福士太郎(キッチンアーティスト):「キッチンミュージシャン、心の詩」
男っちゅうのはアゲマンと付き合え。
私はアゲマンだったよ。
高崎マユミ (太郎カフェスタッフ「博士」の母親。)
インドには人それぞれに行く時期が必ず自然に訪れる。
三島由紀夫:「インドへ」 横尾忠則著 より