DV ドメスティック・バイオレンス  自己崩壊と愛と平和 そして つまらない自分(副題 ガラスの心) 1964年生まれ うお座

    
物心がついてから親父の家庭内暴力に悩まされ続けました。さらに、母親に対する父親の虐待が血を分けた自分の体に突き刺さりました。まして、酒乱の暴力に本人の理と記憶がある筈もなく空虚な憎しみが自分を包むのです。親という身近な人からの虐待が他の対人関係についても良くないほうに働いている気がしています。特に思うのは、自分の懐の狭さが歯切れの悪い人付き合いに向かわせているように思うのです。なんでもない人の突っ込み(温かさ)に自分の中の身近な感覚の恐怖が付きまといます。人の心に入りたいけれども入れないさびしい自分が情けないと思うときがあるのです。人との距離感を大切にしたいのに、とてももどかしい自分です。かわいそうな自分の目から見たまわりの世界にかわいそうと思われる人がいると優しくしたい衝動に駆られます。それはかわいそうな自分の友達がほしいのです。最初は人当たりがよくやさしそうですが、心の弱い薄っぺらで、軽薄な自分がすぐに目が留まるようになります。人をやさしく包む本当の抱擁感は強さがあってこそ健全な雰囲気を醸し出せます。スポーツで自分を鍛え,曲がっている心をまっすぐにして、すがすがしい自分であることが目標です。スポーツで人を攻めるのにかわいそうは言い訳で曲がっています。付け加えますが、現在の父親は、年も取り酒も断ち、本当の自分を見つめている気がしています。年老いた親夫婦ですが、残りの人生を楽しく朗らかに送ってほしいと願っています。 また、両親がむかしより反面教師として、公言している状態を考察し、前途に対して自分に戒めるものであります。 氏名の姓の読みを、「よこがわ」から「よこかわ」に平成5年より変更しています。みなさんよろしくお願いします。 
 


子供時代の疑問 その1

子供は、最も身近な肉親である両親にありのままの自分が認められることが基本にあって、人生を生き抜く力を身に付けるものと考えます。体1つで生まれてきた弱い赤ん坊にとって、生命維持を保障してくれる環境こそが大切であり、また、暖かい環境を認識できることが大切であると、考えます。子供は、愛情に包まれて育つべきです。親が子供を叱ったり教育したりすることは自然なことですが、親は子供に対して叱った時の何が悪かったのかを(潔く毅然とした態度で正直に)理解させることが義務であると思います。ただ怖いだけの押し付けには、意味がありません。私は、(おそらく母親の育児環境の保護の観点から、)父親に愛されて生まれてきたのだとしばらく誤解してきました。父親の正当性のない、自分のストレス解消だけの自分や家族への暴力は、力で対抗できないものにとって、とてつもない屈辱の何者でもありません。然るに母親は、取るに足らない言い訳を子供に託して、しかも、そこにあるはずのない父親の愛情を表現して事を収めるのです。そんな事が当たり前に成ると、自分の本当の気持ちが抑圧され、体が自然と防御反応を構えるようになってしまいます。苦しいはずの家庭の現実から離れた、別の悩みを抱えることによって、現実逃避が始まるのです。それが自分の体の不調だったり、学校の悩みであったり、自分の友達間での悩みであったりします。さらに、自分がとても可愛そうなのに、弱い自分が母親の心配をするのです。また、大好きな自転車に乗り、当時のヒーロー「仮面ライダー」の世界に入って、近所の通りを「ブーーーーーーン」と限りなく唸りながら楽しむのです。周りから見ると変な感じですが、子供の自分には代えがたい楽しみであったと思います。私は不幸にも生まれてから、親に対して孤独な勝ち目のない戦いを強いられてきたのです。その中で痛恨なのは、頭で考えた正義や、道徳が微塵にも打ち砕かれ、自分の話や気持ちが踏みにじられるところにあります。謂れのない暴力は、子供から見た親からの人格の否定の手紙であります。そんな時の幸せは、体に染み付いた恐怖とストレスを忘れる事と、寝る事と、外での遊びで気分を紛らわし、自分を取り戻すのです。母親は、勉強して自分の力で自分の人生を頑張る様に希望を与えていましたが、少なくとも勉強が集中できる環境では無かったと思います。例えると、捕虜になった兵士が毎日拷問を受けて自分を見失っている状況で明日出題されるテストの内容を暗記する環境です。体が物事を忘れていくことで、体調を維持しているのに、逆の思考は、通常以上に苦痛であったかも知れません。さらに、自分にありのままの自分の本当の拠り所であるはずの場所から遠く離れて、対人恐怖症傾向が現れます。大したことのない友達同士の争いに、冷めた目で見てしまい、とても当事者ではいられません。そんな気持ちが、擬似的に卓球にも現れます。しかしながら、仲間や、友達のおかげで、以前よりは、気持ちの上で戦いに正直に向き合えるようになってきた自分がうれしいです。しかしながら、相手に勝った時のなにかしら空虚感が付きまとう不自然な感じと、負けた時の惨めな感じは本当に卓球の世界の厳しさみたいなものを感じます。

子供時代の疑問 その2

小学5年の時に私は、転校というストレスを受けました。良きにつけ悪きにつけ、幼少の頃から育った土地を離れることはとても寂しいことでした。近所の子供が集まって、「パンパン」(メンコ争奪戦の事)「かくれんぼ」「ケンケン温泉」「缶蹴り」「キャッチボール」「土手スキー」「自転車による探検」「天体観測」(小学5年の夏休みの宿題の自由研究は木星の衛星の運動)でした。とても楽しかった思い出があります。当時学年によって自転車に乗れる範囲が、学校で指定されていましたが、5年になりその制約が無くなり、(福岡町全域)喜んでいた矢先のことでした。ある日、父親が、「小矢部の母親の実家の近くによい物件があって安いので家を買うことにした。」と、言った。母親が言うには、何の相談も無かった事でした。物心が付いてから父親の家庭内暴力に悩まされ、母親が子供の目の前やそれ以外でも暴力を受け顔にアザができたりしていました。そのつどほとんど頻繁に小矢部市の母親の実家に兄弟を連れて、時には1人で避難していました。酒の酔いが醒め、頃合を見計らって父親が小矢部市の母親の実家まで、母親と子供兄弟を連れに来ていました。離婚の話など親戚を交え頻繁に行われていました。場合には父親側親戚一同で脅迫による離婚話のもみ消しもあったようです。子供の私から見ると、父親が、「悪かったからと頭を下げて家族を引き取りに来るのでは無く、良く覚えてなくて生活に都合が悪いから戻ってきて欲しい。」という内容で、自宅に戻る事ばっかりで、とても恥ずかしいのになぜ、その近所に家を買って暮らすのかとても疑問でした。父親の理由は転職による通勤の不都合でしたが、車の免許は怖いので取らないし、バイクの免許は、学科が難しく途中で投げ出すので、お話になりません。引越しをしてからも家庭内暴力は、収まる訳もなく、より気軽に家庭内暴力を行っていた節があります。とても、情けない事です。年をとってから車の免許をもう1度、取得しようとしたようですが、これも途中で投げ出してしまった様です。

子供が生まれ育ち、体に馴染んだ土地を離れることは、とてもストレスが、かかります。イザというときは、馴染みが物を言います。子供にも、人間関係があることを親は良く知るべきです。

 子供時代の疑問 その3

私は、小学生3年生から4年生にかけて朝刊の新聞配達をしていました。一時、夕刊も配っていました。朝は、おそらく朝4時頃に起床して、出かけていたと思います。配達は、新聞に折り込みチラシを自分が担当している分に入れる事から作業が始まります。作業環境が気になったのは、作業スペースの横がお店の女子トイレで、少し匂った事と冷暖房が効かず冬場の寒さが身に凍みた事ぐらいだったと思います。折込チラシが入りますと、専用のオレンジ色の新聞ホルダーに入れ、配達にかかります。天気が良く晴れた日は、仕事がやり易いですが、雨の日が大変なんです。雨に濡れないように体で新聞をかばいながら配るのですが、降り方によっては如何しても新聞が濡れてしまいます。子供ながら商品を配っている自覚はありましたが、遺憾ともしがたいこともありました。m(_ _)m ペコリ                    
当然ですが、新聞やチラシを盗んだことは1度だってありません。 さて、これからが本題です。ためた配達料は、母親に預けていて、自分が大きくなったときに貯めたお金をそのまま貰えるものと勘違いしていました。最初は、欲しかった望遠鏡の代わりに代金と入門を鑑みて、天体用の双眼鏡を買いました。ケンコー製 10倍*50ミリ 当時良く分からなかった私は、10倍 かける 50 で500倍なのか!と、喜んで買いましたが、間違ってました。50は、双眼鏡主対物レンズの口径を表していたのでした。ちょっとがっかりでしたが、値段と物としては、お金は自分で作っても、実際に買っても良いと親の許しを得て、買えたのは、自分の気持ちとしては奇跡に近かったように思いました。うれしさに実感が伴わない気持ちでした。まるで自分でない状態でした。しかも、買い物に同伴したのは、父親でした。 ある日、私の父方のおばあちゃんに何か欲しいものが無いか聞かれたので、望遠鏡をせがみました。またしても奇跡が起こり、そこで買ってもらえる約束を取り付けれたのです。しかしながら、どれだけ月日が流れても、買ってもらえそうではありませんでした。が、弟がおばあちゃんに一言「うそつき!」と、言ったそうで、(自分の記憶では、私が言っている!しかも当時、弟に聞くと、「言ってない。」と、言っている。弟:当時 横川公英 現在 小嶋公英)おかげで買ったもらえることになったのです。しばらく時間がながれ、ビクセン製 赤道儀付き屈折式天体望遠鏡 80ミリ*1200ミリ (主径*焦点距離)を買って貰ったのです。よく分からないのは、後になって、その時の料金に新聞配達で、貯めた残りのお金が入ってたことです。聞いて無かったです。

      子供時代の疑問 その4

 昔から「おもちゃ」と言えば、ダイヤブロックで視覚的に魅力のあるものは、あまり買って貰った記憶がありません。母親の教育観念は、「おもちゃがあると、勉強しない。」で、ありますが、一環して駄目なものは、プラモデルと漫画でありました。 ある小学時代のお正月1月1日の事です。当時、家は、お正月といえば寝正月でその日も、両親は午前中は布団の中、お昼からも初詣につれて行ってもらった事が1度もありません。とても退屈ではありますが、やっぱり子供にとって楽しみは、お年玉であります。お年玉といっても自分で自由に使えないお年玉であります。お年玉を貰うとすぐに貯金のために母親に預けなくてはなりません。退屈で面白くない僕は、プラモデルが欲しいと懇願しましたが、やっぱり駄目でした。しかし、如何しても欲しかったので、黙って売っているお店を探し買ったのでした。大変だったのは、それからで最初はこっそり作っていたプラモデルも、すぐにばれてしまい、「そんなもの返して来い!」といわれましたが、「作りだしたものは返品できない!」と話、納得してもらったつもりでしたが、その日たまたま母方のおじいさんが年始に来てて、父親に酒が入っていました。その後話が、ぶりかえし「お正月に買い物は、するもんじゃない!」と玄関で二桁以上顔を叩かれ、玄関の横の壁にも頭を打ち付けられながら、作りかけのプラモデルを抱えて返品に行く事になったのでした。雪降る中お店に返品にも行けず、家に戻ると叩かれる始末で、その日暗くなるまでプラモデルの濡れた箱を抱え恥ずかしい私は目立たない町の田んぼ道を放浪したのでした。その日の夜にやっと許してもらいせっかく買ったプラモデルだからちゃんと作るように言われたのでした。濡れた箱からは知らない間に部品がこぼれ落ちていて組み立てることができない状態になっていました。 親からすると教育の一言で片付けるのでしょうけど、私からすると、親のストレス解消のおもちゃになった実感しか残らないものになったのでありました。

 しつけ?か 教育?か はたまた いじめ?か!


  子供時代の最悪事件 その1

小学生時代のある夏の日の出来事でした。その日は、お昼頃異常乾燥注意報が発令されるくらいの空気が乾いてよいお天気でした。近所の同級生が、一人で町内のある田んぼのあぜ道で、学校で勉強したばかりの理科の凸レンズを使い太陽光線をノートに焦点を結び黒く焼きを入れようとして遊んでいました。面白そうだったので、やらせて貰いました。が、うまく行き過ぎたようでノートの1枚の紙に火がついてすぐにノートに燃え広がり燃えやすいものが無いようなところに投げようとしたところで手に焼けどをしてしまい田んぼのわらくずのあるところに落としてしまったのです。すぐに田んぼに燃え広がり大変なことになったと思っていました。とても動揺しました。近所のおじさんが消防署に連絡してくれて、お蔭様ですぐに火は消し止められましたが、頭の中では、いろいろな所で怒られる事を想像しながらも、なんとか事情聴取は必ず受けなければならないと子供ながらしばらく頑張っていました。が、近くのいた野次馬の知らないおじさんが「どうしたが?」と聞いてくるので、僕が火を出してしまった事を告げると、「お前、ここに居ったらアカン。大丈夫だからあっちへ行け!」と、言われたが、僕が「火事の説明センナン。」と、頑張ったが、「いいから。」と、言われその場を立ち去ったのである。幸い家屋に延焼せずにすんで事は収まったが、今となってはいい訳だが、その場を離れたことがとても 残念なことだった。当時、その火事でお世話くださった消防の方、近所の方々、ありがとうございました。深く感謝しております。

幼少時代の人格形成は、大切であり宝物であるべきだと思うので、1つの事例として考えていただければ、幸いです。

       子供時代の最悪事件 その2

 転校前の話ですが、ある日、近所の小学校の上級生と遊びに出かけたとき、電車を見に行くことになり何本か通過していく列車を鑑賞していましたが、いつの間にかレールの上に石を置くよう脅されまして、大変困ったことがあります。上級生の命令でしたが、さすがにレールに石を置くことは、危険すぎることは理解していたので、列車が今にも来るのではないかびくびくしながら、とりあえず車両の前面にそのような通行に支障をきたす物を跳ね飛ばす板が取り付けてあるので、車輪が石を踏まないほどの大きな石を乗せてみたり、はたまた跳ね板の下を通過しても車輪の重量で砕けるような薄い石を選んだり、まったく参りました。怖かったのですが、少なくとも自分が電車を脱線させることは避けたかったので、「お前が命令したのだから、お前が責任取れよ!」と、言って石をレールに置いたままその場から逃げました。後からその上級生が追ってこなくてほっと、しましたが、そのあとの数時間が列車事故がとても心配でたまりませんでした。その後、その上級生に石の件で聞く機会があって、「あの石、どうしたが?」と、聞くと。「あのあとすぐに石を除けといた。」と、言ったので安心しましたが、僕にはブラックリスト級の近所の上級生と、なってしまいました。その子とは、遊ばないように大人から何べんか、聞きました。

 危険な人間との付き合いは止めましょう!

リスク マネージメントとは!?

小学生時代のある日の午後、近所の子供と電車を見に出かけた。鉄道は、レール以下に車体がありえないので、田んぼの脇にある、ある鉄橋の下に二人でもぐりこみ、列車の通過を楽しんだのだった。ものすごい迫力に大満足であったが、少し慣れてくるともっと近くで見たくなり、枕木レベルまで、顔を近づけて見たくなり、そのとき隣の子供の事が妙に心配になり、(子供は、危険を理解せずに時に、とんでもないことをする奴がいることを、経験で知っている。)「触ったら殺す!」と、言って、相手に了解を得て、ことに臨んだのであった。列車が通過した跡、「すごーーい!」と言って、感動して隣を見ると、なんと泣いていたのだった。後で謝ったが、気の毒なことを言ってしまった。これは、言動と共に、とても危険な行為で、絶対にまねをしてはいけません。違法行為で、処罰されます。

家庭不和による代償性快楽の可能性があります。恥ずかしいです。

子供時代のある暑い夏の日のプール         

 小学校中学年頃のある暑い夏休みのことでした。小矢部の母親の実家に泊りがけで遊びに来た時のことです。その家には従姉弟の同級生がいますが、特に遊ぶことも無く暇にしていたとき「うめ」お祖母ちゃんの提案で、従姉弟が通っている(後に自分の転校先)大谷小学校にあるプールへ出かけることになったのですが、あいにくプールの準備が無く、あきらめかけていた矢先に、うめお祖母ちゃんが、「従姉弟のあまりがあるからそれを使いなさい。」の一言で、話が急展開したのでした!?しかしながら、同級生の従姉弟は女子で、さすがの私もワンピースの水着は、相当に抵抗があったはずでしたが、おばあちゃんの「そんなもんどうある!」の一言と、借りてもいいがけ?に対して、従姉弟の「いいよ!」の一言で話が決まってしまったのでした。(T.T)周りは知らない生徒ばっかりとは言え、それはもう学校でうんこをするより超越した恥ずかしさでいっぱいの中でとても寒いプールを経験したのでありました。まったく男の子の面目丸つぶれとはこのこと!母親の駆け込み寺になって、お世話になっているとはいえ、家では味わえない心の傷が深くしみわたる後味の悪い経験を積んだのでした。 譲れない決断は年齢問わず固辞するべきです。

        優柔不断は事故の素
 
小学校高学年くらいの頃、母方の3兄弟家族で保養施設へ一泊で遊びに出かけたことがありました。親たちが、宿泊を終え帰りじたくをしている広い部屋で兄弟、いとこ達総勢8名で部屋の座布団なんかでふざけていた事がありました。親父はいつものごとく酔っ払っていて、不気味でしたが周りの目がありわりと安心できる状態かなと思っていました。しかし、予感は的中し自分の左耳タブを思い切り上下して、叱り飛ばし一泊二日の旅は台無しになったのでした。被害にあった左耳からは、血が流れ 一時的に音が聞き取れにくくなりました。それこそ現場は大変しらけて、その日は、生でいとこの目に親父の暴力が目に焼きつくことになったのでした。

人生最大の危機

 就職して、3年目ぐらいで塾のお手伝いの話があり、小学、中学の科目を指導書を頼りに細々と教えていた頃がありました。英語は、NEW COURSE、辞書片手に間違えた事を教えないよう恥も外聞も無く、対応していました。特に印象深かったのは、返事が返ってこない女の子が、明るく対応してくれる様になった事。1件。5教科の内、国語だけが特に弱く、4教科ではそれぞれどんなに頑張っても満点以上は取れないことを主張して、不得意科目を頑張ってくれた事。(少なくとも私はそう思っている)見事志望校に合格していきました。1件。ほか、みなさんご苦労さまでした!ある日、冬の寒い日にそのお宅の居間で授業の始まりの時間を待ってたときに近くのファンヒーターの缶の石油が無くなったので、近くにいたそのお宅のおばさんに給油をお願いしたとき、なんと!蓋が半開きで手渡されたのである!ファンヒーターは火がついたままでしたので、気づかずに装着していたら、火事は免れようも無かったでしょう。近くには、生徒さんはじめ、家の旦那さん(足が不自由)、家が木造。もし気づか無かったら大変な事になるところでした。何事もなく良かったです。その後、数年でそのお宅が新築された事が、なんとも寒い現実でした。

   注意1秒ケガ一生!

   
   
   
  枕草子「すさまじきもの」
  さくら枕草子
   
   

                                           独り言


 人の五感である視・聴・嗅(きゆう)・味・触の五つの感覚。これらの感覚によって外界の状態を認識する事。また、生を受けた者の感覚の世界的な

共有感、喜怒哀楽を理解し、母なる大地によるそれぞれの地域的整合性のある暮らしを守る個性を尊重する事。さらに、高能力者の言葉のアクセス

である氷山の一角に潜む学術的な感覚を理解し、討論できることが人物としての理想であるが、道半ばにして、いまだに駆け出し状態で受身でである

お客さん状態を理解している毎日である。その点、講演会で聞き及んだ、経歴、人脈、感覚、力量ともに「竹中 平蔵」さんは、その現場の人物である

と感じています。私を含め、理解できない人を説得することは大変なことだと思います。すばらしい日本のビジョンが現実のものになりますよう願って

います。竹中さんのすばらしいところは、無いところからは、何も生まれないという感覚だと思っています。

無い袖は、振れないのです。

 アメリカとの最高学府同士の指導者交流が、平和の道ではないかと思うこの頃である。

 人々の暮らしと、お金は馴染んだものですが、税金は景気が悪いときは、薄く広く消費税で、景気が良いときは直接税で柔軟に徴収して欲しい

と思っています。基本的に収入が無ければ、購買意欲は起こっても購買は出来ません。また、購買意欲は人が生み出すものです。限られた人間の

満足感より、多くの人々の満足感や希望が、社会のエネルギーになり発展していると信じています。資本主義社会の切磋琢磨は、厳しさと同時に夢と

平等を生み出していると信じています。年間国家予算が、税金で集めるお金の2倍を超える予算が平気で組まれている現実をどのように小学生に

説明するのでしょうか?日本国民の貯蓄を担保にしていいなんて、どの政治家が支持を得ているのでしょうか?どうしてそんな国が円高で苦しむの

でしょうか?通貨の総量規制を柔軟に対応して、予算に組み込んでいくことが自然と思うのは、いかがですか?デフレのときは、市場から予算を集めると

日本の国民が幸せになるんじゃないかな?

 わたしたちが、暮らしている惑星地球は、太陽からエネルギーを受けることによって成り立つ自己完結社会であります。ベースには、共生と調和があり、

ここで断っておくがそれは間違ってもごく限られた人物の心の捻じ曲がった抑圧の代償でしかない、共産主義社会ではなく、また、お前達は、馬鹿だから

管理者のルールに従いなさいといった、管理者の都合に合わせた宗教は、注意が必要で特に他人の生命を毀損してまで地位を守ろうとするせこくて、

能無し管理者が集う宗教には、個人の発展は無く、違法ですらある。地域が現実に必要としている共生と調和を与える法の中で、地域上の自然と

調和して、生きるためのルール理解し尊重して、個人の価値観や利益が能力に応じて保障され、幸福を得るための環境を維持することが、大切だと

思います。私たち大人は社会の中で、ごく当たり前に個人の夢や希望が描けない社会にならないよう力を注ぐことが大事だと考えています。

さらに付け加えて、持論を述べるが、「人は、人でなければならない。」「人は、間違いを犯す生き物である。」「自分は神であると思った瞬間その人は、

人でなしである。」と思う。日本では、スーパーコンピューターが世界各地のデータを取り、天気予報を行っていると聞いている。それでも

外れるのである。人を含めた自然を踏みにじる共産理念は、破壊されるべきものと思う。どれくらいの大きさの球の上(社会保障制度の大きさ)に、

相対的に各自の価値観を構築するかは、その社会に関わるすべての人で決めるのである。当然人が社会を構成し、権利と義務の中でそれぞれに

ほめられる価値観を構築するのであるから今日、開かれた平和的な教育が大切に感じます。火器類が人々を抑圧するレベルの低い説得力と価値観は

排除されるべきと、思う。特に、社会が成熟し発展するためには、社会のための安定と治安維持が必要です。残念ながら私は、幼年期から久しく

基本的な家庭の安定に苦慮してきましたが、ちょっとしたトラブルで、上記のような大げさな身構えでは無く、スマートにおしゃれに楽しく、齢を重ねたい

と、思っています。

 この惑星、地球に生を受けて暮らしを営む人々は、それぞれに太陽の光の恵みから、長い時間をかけて気象的、地理的環境に適した生活を工夫して

文化を育んできたと考えています。エネルギーは、常に安定に作用します。地球に降り注いだ太陽光線は、大地や海洋を暖め、より高いところから低い

ところへのエネルギーの循環が行われます。太陽の恵みである穀物や、気象を基に生活が行いやすい環境の中で、より多くの時間が割かれた文化が

育まれ、商品、芸術が、その場所から拡散し、人々を幸福にしているのだと、考えています。「暖から寒」それぞれの緯度に、命に対する美が妥当性の中で

研ぎ澄まされます。人々の生活の価値観の中で契約と利益から、人々の交流が生まれ個々に幸福が構築されると、考えます。平和とは心の安定であり、

また感じる人間としての、その時間でもあります。平和とは、4次元であり、これもまた、より多くの個々の平和の集まりが大きな安定に繋がっているのだと

思っています。それを可能にしているのは、より多くの人々が納得している規則であり、約束であります。まわりの環境のストレス加重が能力にふさわしく、

また進歩的な時間の流れの中で、建設的で夢のある毎日であることが希望です。間違っても、紙の上だけで考えられた自己中心的な絵空事で人を

傷つけないように気を付けたいです。明日の私の仕事が無事終える事ができるよう願っています。

追伸:父 栄一は、平成20年5月9日肺炎にて、永眠いたしました。 お世話になった方々、本当にありがとうございました。合掌

 

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2003年02月21日 19時19分51秒

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