下記は学生時代に海外技術研修プログラムに参加したときの、研修報告書。
IAESTEオフィシャルホームページ
はじめに
IAESTE(International Association for Exchange of Students for Technical Experiences)と言われ、世界58カ国の組織から成り立つユネスコの諮問機関である。
一般に海外、特にヨーロッパ諸国の企業では大学生の夏休みを利用して長期に渡り、雇い入れ、業務サポートをさせる事が多い。
学生の側としては、アルバイトにもなるし、研修生という立場で数年後これから就職しようと考えている職場環境を体験できる訳
なので、メリットも多い。企業側からしても、将来、就職を試みようと考えている学生のチェックもできるし、何より従業員の夏期休暇取得による労働力不足を補う上でも、効率的と考えているのではないだろうか?
日本ではあまりなじみの無い大学生の企業研修であるが、当時私が所属していたESSのメンバーが前年の応募でカナダのノーザンテレコム(現ノーテル)で研修し、とても貴重な経験ができたことを聞いて、自分も応募したのであった。
研修先としては、当時私は機械工学を専攻してたので、ドイツのメルセデスベンツ、スウェーデンのボルボあたりの自動車メーカーか、船舶で有名な北欧企業で研修することを考えていたが、当時所属していた研究室の教授の助言もあり、後者での研修を試みた。
A 1.研修の概要
・研修地 :Finland(Turku)
・研修機関:Wartsila Diesel Oy Turun tehdas
・研修期間:1993.6/17 〜 8/30
【研修先の紹介】
白夜の国、フィンランドは日本人にとって情報が少なく隣国スウェーデンの影に隠れがちでイメージの乏しい国である。ヨーロッパ諸国は”Economic Crisis”と言われるほど不況の波が押し寄せており、フィンランドも例外でなく、6%を越える失業率など、近隣諸国と同様に多くの問題を抱えていた。
しかしながら、そこフィンランドには、ヨーロッパの一国であることを実感するゆとりと、北欧の国家らしい充実した社会福祉がある、精神的に豊かな生活があった。私の研修先であったTurkuはフィンランドの南西にある、遠くストックホルムを臨む海沿いの街。 かつて首都だったこともあり、歴史を感じさせる趣深い美しいところだった。
Wartsila Diesel はフランスのバカラなどと同様にクリスタルガラスで有名な「ARABIA」やヨーロッパにおける鍵で有名な「ABROY」などを抱える財閥、Wartsila Group の1企業であり、日本を含め、世界30ヵ国に渡る支社を持つ船舶用エンジンの世界企業である。
Wartsila Dieselは、世界の船舶用中速エンジンマーケットにおいて、トップシェアを占めており、私のいたTurkuは、本社のあるVaasaに次ぐ技術開発のヘッドクォーターであった。
【配属部門】
Production Deveropment
【就業時間】
週休2日制、1日7.5h(8:00〜16:00)
【給与】
月給:6000 FIM (1 FIMはおよそ20円 →12万円)
ただし、所得税がおよそ21%引かれ、手取りはおよそ9万円
1【研修先の状況と研修生への待遇】
【日程と仕事内容】
オフィスにはフィンランドの研修生の他に、様々なプログラムで来ている他国からの研修生も多く、改めてフィンランドにおける、学生を対象とした研修が盛んであることを実感した。フィンランドでは多くの大学が卒業条件として、また企業では雇用の条件として研修の経験を重視するらしく、毎年の様に、3〜4ヵ月間研修をしている学生が少なくないのは驚きだった。
普段は月曜日から金曜日まで、Aura川沿いの美しく絵に描いたような歩道を通って朝7時半に出社、コーヒーを飲み、寝ぼけ頭を覚ましながら仕事を始め、好きなときに休んで11時過ぎにおよそ30分間の昼食、会社にあるレストランで食事をしていたが、ファーストフードで済ませたり、北欧名物スモーゴスボード(日本でいうバイキング料理)レストランに連れていってもらったりしたこともあった。職場では、終始打ち解けた雰囲気で、和やかに仕事をすることが出来た。
【研修先の人間関係及び管理形態,職場での生活】
研修受入元のResponsibleは人事担当の最高責任者であり、彼はいろいろと親身になって相談にのってくれ、1度彼の所有する島のコテージに招待し、バーベキューや、ハイキング、ジェットスキー、そしてフィンランド名物のサウナなどを体験させてくれた。
初めの仕事は彼が私の意見を取り入れながらアレンジしてくれたProduction Development部門での仕事だったが、コンピューターかCADを使った仕事がしたいと相談を持ちかけたところ、とりあえずトレーニングを1週間やってみて、様子をみようじゃないかと、チャンスをくれた。その後、私はもう夜遊びを我慢し、万全の体制でデスクに向かった。普段から大学で豊富な実地経験を身に付けている地元の学生にこんなものかと思われるのが勺だったからである。
フィンランドでは学生時代に長期休暇を利用して企業で研修経験を豊富に積むのが一般的であり、卒業、入社の際の判断材料とされるほど重視されるため、理工系の大学を5年も通っているにも関わらず、私のような実地経験の少ない学生は役不足と映るのだろう。
本来は約1ヶ月かけてマスターするCADを1週間で扱えるレベルになった私に、ボスは " Excellent!"とねぎらいの言葉をかけてくれ、さまざまな仕事を与えてくれた。 以降、はじめはあまり乗り気でなかった地元の研修生も次第に声をかけてくれるようになり、さまざまなアドバイスやフィンランドに関する様々な情報を提供してくれるようになった。
なかでも、大学にて同じ分野を専攻している彼らのうちの一人とは最後まで様々な分野の話題について語り合った。
後から分かったことだが、彼の態度が最初冷たかったのは、フィンランドの男性は一般にシャイで人見知りする傾向が強いからである。
今回の研修を通して、日本の大学が企業での実地経験よりむしろ大学での研究の内容や成果を重視していることを肌身を通して感じた。 私が当時日本の大学て研究している内容を彼らに説明する機会があり、私の研究テーマの内容に近い研究をやらせてもらえないかと頼んだが、トップシークレットに関わるからと断られた。
後に、会社が機密を守るために神経質で必至になっていること、フィンランドという国自体、人口が少ない(日本より少しだけ小さな国土に人口が東京の半分以下!)ことからクオリティ、付加価値の高いものだけを作ることを特に意識しており、また、競争力の低下を防ぐための独自性を守ることに必死であるため、セキュリティの扱いには尋常ならない警戒の目を光らせていることなどを教えてくれた。
研修最終日、いろいろ面倒をかけたボスや職場のスタッフ、他の研修生達に別れの挨拶をしたときは、熱いものが込み上げた。
【厚生施設,その他の諸設備】
Wartsila Dieselはフィンランドを代表する企業であり、従業員が快適に過ごすための福利厚生は当然しっかりしている。社内にはスポーツジムや、フィンランドといえばお決まりのサウナも完備されているほか、レストランでのランチや、系列グループであるクリスタルガラスで有名なARABIA直営店での割引なサービスなど、様々な特典があった。
【研修の技術的内容】
初めに割り当てられた仕事は、船舶エンジンを加工するために用いられる、長さ60mあまりのマシニングセンタ(工作機械)のの設計でであった。 Factory内にある同等製品の現物を参考にして、加工容易性、整備性などを考慮したうえで、最適形状の部品を適所に配置するように心がけた。 結果として、スーパバイザーによるアドバイスを何度か受けながら、
手書きによる数枚の全体図と部品図を完成させた。
Production Deveropment部門への移動後は、ユーザーズガイドを片手にチュートリアルを行い、1週間で使い方を覚えた。 設計にはSUNのEWS上で動くでMEDUSAという3D-CADを使用した。 設計対象は、Wartsilaの主力エンジンである、ボア(口径)46cmに及ぶ、 巨大な18気筒エンジンの改良設計であった。
設計にあたっては、変更項目について周りのスタッフらと協議を行い、変更事項に該当する仕様を決めていった。
決定した仕様に基づき設計を進める過程で、スーパーバイザーのチェック及びアドバイスを受けた後、設計情報を社内の図面ライブラリーに登録し、設計変更に関する理由や具体的変更点の記述などを、英語とフィンランド語の両言語で登録する必要があった。
図面登録が完了した後は設計情報を本社Vaasaに送るというものだった。 3D-CADは、X,Y,Z面から見たデザイン、そして各々の厚みなどを指定することで 作成されるので、2次元のCADと違い、イメージを具体化することが容易ではなく、勘を養うことが必要であることを実感した。
【渡航前の準備】
・交通機関と費用
(往路)
Tokyo → Moscow (トランジット1泊)
Moscow → Helsinki(アエロフロート)
Helsinki → Turku (鉄道)
(帰路)
Turku → Paris (ユーレイルユースパス)
Paris → Tokyo (アエロフロートロシア航空)
(費用)
○航空券(ヨーロッパ往復90日オープン+トランジットホテル代)
→ ¥151,000-
○ユーレイルユースパス(15日間)
→ ¥ 41,500-
大学生協で航空チケットは購入した。初めはトランジットなしの予定だったが、 アエロフロートの便が急遽キャンセルされてしまい、モスクワで一夜を過ごすことになってしまった。しかしながら、トランジットホテル関係者の外貨稼ぎのサービスである、モスクワ市内観光バスツアーに15ドルで参加、赤の広場、クレムリン、後に歴史的舞台となった最高会議ビル周辺など思ってもみなかったところを観光できた。
【保険】
東京海上火災保険 ¥10,310- (90日間)
保険はセット商品をで申し込まず、単品を組合わせて1/3の価格に抑えた。 最初は、AIUを希望したのだが、AIU はセット以外は扱っていない(IAESTEから紹介されたユニオンエアーサービスにて)とのことであった。大学生協のCOOP-VISA
クレジットカードに自動的に付帯してくる海外旅行保険と組み合わせて、十分な選択だったと思う。
【就労ビザ申請について】
通常、ヴィザ申請は、3週間以上前に受け付けるそうだが、アクセプタンスが届いたのが出発予定日の約1週間前であった。
フィンランド大使館に電話予約をした後、IAESTEで貰った書類全部と預金残高証明書、航空チケット、ユーレイルパス、そしてパスポートを持って広尾にある大使館へ向かった。
事情を説明して交渉した結果、就労ビザ(Work & Residence Permit)はその日のうちに発給してもらうことができた。
書類は1枚でも欠けると発行してもらえないのでIAESTEで貰った書類は大切に保管しておきましょう!
【研修国のIAESTE委員会とその取扱いについて】
私の研修地、Turkuは首都ヘルシンキから西におよそ200Km離れた都市であり、IAESTEだけでなく、AIESECやPairs, Agricultual Training, Scandinavian Nordjobb などのプログラムからのForign Traineeも一括して 地元のMan Power OfficeのTreinee Secretary である女子学生ヨハンナが世話をしていた。
大所帯でもなく適当な人数だったため行動しやすく、我々の意見やリクエストを聞いてくれとても充実した、親密で有意義な週末を送ることができた。当然そこでは多くの研修生といろんな話をする機会に恵まれていたが、ヨーロッパにおける経済問題、特にドイツの東西統一による、政治的、経済的不安はとても大きく、どのドイツ人学生も政府は統一の時期を誤ったと言っていたのが印象的であった。ほとんど毎週の様に開かれていたプログラムのうちいくつかを紹介しよう。
1.Juhannus (Mid Summer Festival) 6/25
ユハヌスは普段シャイで内気な北欧の人々が陽気で生き生きする1年で最も盛り上がる祭りであり、我々はArchipelago(群島)のひとつであるParainen島の海辺で開かれる大きなフェスティバルに参加、かがり火やバーベキュー、ダンスパーティー、カラオケなど夜更けまで大いに楽しんだ。
2.Helsinki Weekend 7/16〜7/18
IAESTE 主催。2泊3日でフィンランド各地域の研修生がヘルシンキに集まり、パーティーやサウナ、ピクニック、シティラリーなどのプログラムを通して国籍を越えてお互いの親睦を深めた。一人でこのプログラムに参加したのではじめはとても緊張したが、ロシアや北南米、中東、東欧も含めたヨーロッパほとんどの国の研修生たちと共にディスコで大いに盛り上がったり、いろんな話題について話し合えたことは私にとって非常に有意義で良い刺激となった.企画してくれたIAESTE
HelsinkiのComitteeに心から感謝している。
3.Cycling Tour to Naantari 7/9〜7/10
フィンランドとイギリスの女の子二人とドイツ人と私の男、計4人でのTurkuから40Km程離れた海沿いの美しいリゾート、ナーンタリへのサイクリング。夕焼けのムーミンランドやヨットハーバーでの散策や、ログハウスの中で楽しく過ごした夜,
少し離れた無人島で透き通る空の下で食べたサンドイッチの味など忘れられない思い出が...。
4.Susi-Party
アパートに隣人や研修生達7人位を呼んでにぎりずしと現地で手に入れた、ラーメン、日本酒を披露、大盛況のうち終わった。その後みんなでカラオケバーに行き、はじめての英語の曲に挑戦したら大成功、人前で歌うことが滅多にない彼らには、新鮮に映ったのだろう、バーで絶賛を浴びてしまった。世界各地でカラオケブームが起こっているとはいえ、日本はカラオケ先進国であると実感した。
5.Stockholm Weekend 8/13〜8/15
スウェーデンまでの交通手段はTurku とStockholm を結ぶクルーズシップ、Viking Lineで。この週末はちょうどWater Festivalだったので、日中は主に市内観光、夜はパーティー、みんなで盛り上がり大花火大会を見に地下鉄の駅へ向かったが駅員がいなかったので全員無賃乗車.ワインボトルを片手に大合唱しながら目的地へ。世界中の研修生達と大いに親睦を深め合えた週末であった.
6.WRC 1000 Lakes Rally Tour in Juvaskyla 8/27 〜 29
自分が思い立ってアレンジした企画。
研修生3人で列車とレンタカーを使い、ユバスキュラ周辺を3日間で約800Km走り回り、念願だったWRCラリーを見ることができた。
ちょうどWartsila Diesel Groupがスポンサーとしてバックアップしていたので、ラリーの王者、「砂漠のライオン」の異名を持つ、アリ・バタネン氏と直接話ができたことはラッキーであった。途中でドイツからの研修生と意見の食い違いで対立したこともあったが、最終的には皆満足と心地良い疲れで帰宅することができた。
ラリー区間の移動中に多くのフィンランド人に声をかけられ、エントリーしていたトヨタ、スバル、三菱などの自動車だけでなく、持っていたハンディカムや電気製品などを高く評価していた様子から、日本人に対する珍しさと、日本に対する感心の高さを知った。
その他、Steamboat Cruiseや、Horse Riding,地元有名企業の会社見学会など多くのイベントに参加した。
【到着後の出迎えについて】
あらかじめ現地のIAESTE には到着時刻を知らせて(5日前)あったが、フライトのおくれで約90分予定をずらさねばならなかった。しかし、生憎5時過ぎだったこともあり、現地のIAESTEや会社には連絡がつかず、結局Turkuに着いたのは9時過ぎだった。誰が何時にどこに迎えに来てくれるのか全く分からなかったので心配していたのだが、駅にはMan Power OfficeのTreinee Secretaryである女子学生ヨハンナが笑顔で迎えに来てくれていた。
まず、ハンバーガーショップにて軽い夕食を取りながら、現地での生活や各種のプログラムについての説明と翌日のブリーフィングをした後、2ヶ月半の住み家となるStudent Villageへ到着。
しかし部屋の電気がつかない上に、ベットはあるがマットレスしかなかった。6月半ばといえども北海道よりずーっと北に位置するフィンランドである。私は会社から布団やカーテンなどを借りるまで2日間持ってきた洋服全てを着て白夜で深夜まで暗くならない部屋で就寝した。
【研修国での生活について】
・宿舎について
会社から自転車でおよそ25分位のところにある、夏の間だけ多くの学生達が旅行や帰省で引き払っているStudent Villageのアパートにあるキッチン共同、シャワートイレ付きの部屋を家賃月815FIMで借りた。
最初の登録や月々の支払は全て自分でHousing Office に行き済ませた。 生活に必要な道具は鍋、ナイフなどからカーテン、ラジカセ、自転車までほとんど会社が用意してくれたので、バス代は浮き、買い物に便利、おまけにいい運動にもなった。
その時荷物の運搬を手伝ってくれたのは、後に日本のNTTでIAESTE研修をすることになっていたヘルシンキ工科大学の学生であった。彼は日本に来る直前までそこでアルバイトをしていたのだが、お互い研修中も手紙を交換するなど積極的に交流した。
アパートには共同サウナもあったのたが、会社にあるサウナを主に利用していた。 ここには全部でおそらく40棟近くのアパートが立ち並んでおり、 他の研修生やヨハンナなども住んでいたほか、近くにはスーパーやミニゴルフ場、 教会、バーなどがあり、おまけに目の前がバス停という便利な場所にあった。 しかし、到着後,週末にはほとんどの店が休みになることを知らずに、 週末を迎えてしまい、危うく餓えそうになったこともあった。
フィンランドにはあまり外食する習慣がなく(フィンランドの他の欧米諸国と 異なるかつて貧しかった歴史から、外食は贅沢でよくないもののイメージが)、皆自炊をしているようだ。
そのせいか学生にしろ社会人にしろ日本より早婚であるように感じられる。
ちなみにTreinee Secretaryであったヨハンナは2児の母であった。
【語学面について】
ヨーロッパの人々は陸続きになっていたり、テレビ番組の影響によるものなのか、一般に多くの人々、特に若い人達は日本人よりはるかに上手い英語を話すが、私の場合、なんとか仕事上で英語における苦労はしなかった。
ただ、イギリス人の女の子のNative Speakerの早口には着いていけず、苦労した。
生活する上での会話は英語で充分なのだが、新聞、多くのテレビ番組、標識、食品の表記などは当然フィンランド語であり、英語のニュアンスとは程遠いものも多く、はじめのうちは分からない言葉を聞きまわり、帰る頃には旅行するのに必要な程度の言葉は覚えてた。
当たり前だが、フィンランド語ができたほうが喜ばれるし、便利、その上親しみも増すので余裕のある人は勉強しておくといいと思う。
【生活水準について】
同じヨーロッパでも生活へのこだわり方がずいぶん違うようである。 フィンランドの場合、食生活にはあまりお金をかけず、質素である。
そのかわり、レジャー,特に長いバカンスを家族で楽しむための理想は高く、 キャンピングカー、ボート、ヨットなどは特別なものではなく、ほとんどの家庭にサウナ、コテージがあるという話はまんざら大袈裟ではないようだ。
また、人々の流行に左右されない物に対する価値観も高く、”我々は何よりもクオリティを優先する”と何度も耳にした言葉が現実味を帯びていたと共に、呆れるほど高い物価の日本で流行に左右されながら、広告に踊らされ、ホイホイ高い金を払わされている自分がばかばかしく思えた。
福祉国家全般にいえることなのかも知れないが、治安はいいし、どこに行っても公共施設が充実し、生活の地域的格差がないといった安心できる環境である反面、落ち着き過ぎ、派手さがないなど刺激に乏しい点、重税(職場ではほとんどの人が40%以上の所得税を払っている)による、勤労意欲の低下(ワーカホリックになるより全然ましだが)が潜在する事などが気づいた点として上げられる。
日本と同様に、フィンランドでも自殺率が比較的高いそうなのだが、原因の一つとして、冬の間の日照時間が関係しており、北に位置するこの国では、南部でも1日あたり約3時間、北部になると60日間ずっと夜が続くなど冬は憂鬱になりやすい環境であることを実感した。
【研修の総括】
私にとって今回が初めての海外生活体験であり,期待と裏腹にどんなことが待ち受けているのだろうかという不安があった研修だが,終ってみれば内容の濃い,とても充実した2ヵ月半であった。
せっかくの機会だからと,海外の人々との飾らない,心からのつきあいを積極的に行おうと心がけた結果,数十ヵ国の学生たちとのコミュニケーションを通して多くの友達ができた.
技術的なことは大きな収穫でないし,効率だけなら日本で行う内容に遠く及ばないだろう。
しかし,英語を通して専門的なことを話し合い,物事を決めていくというプロセスを経験できたし,日本に欠けている北欧らしいゆとりのある精神的に豊かな暮らしを垣間見ることもできた。
全てが楽しかったわけでなく,困ったこと,失敗したこと,失望したこともあった。エストニアの女子学生から聞いた,旧ソ連の制圧下での長く辛い過去や, 大学を卒業しても仕事さえほとんど無い,明日どうなるか分からない不安定な国の現状などを聞いた時,どう答えてよいのか分からず,言葉が無かった。
日本におけるわれわれを取り巻く環境が,いかに安全で,恵まれたものであるのかを実感するとともに,状況に甘んじてはいけないという義務感を感じた。
いずれにしても今回の研修で,国境に関係無く,言葉,文化は違ってもHeartは同じで,真の交流を可能にするのは素直な気持ちと紳士的態度であることを実感した。
これらの経験は自分にとっていろいろと影響を及ぼしたし,自分の将来に大きな意味を持つだろう。
最後になりましたが,貴重な経験を与えていただいたIAESTE-Japan, IAESTE-Finland,Wartsila Dieselのスタッフの皆様,そして三ヵ月にわたり休みを頂き研修させて頂いた研究室の皆様,そして,私の家族に心から感謝します.
【来年度以降の研修生へのアドバイス】
研修国の事をあらかじめ調べておくとその国の理解が深まりとても役に立つと思う。 特にヨーロッパは陸続きの国が多いためさまざまな歴史があり,それが言葉や文化,生活に密着しているから背景を知っていると沢山のことを学べると思う。
当然,語学力は充実した研修生活を送る上で出来る限り身につけておいたほうが良いし,円滑にコミュニケートする上で義務だと思った.環境によるせいもあるのだが,今回知り合った研修生のうち,英語だけでなく,他に数か国語を話せる人が少なくないのは驚きであった.研修中いろいろと日本のことについて聞かれる事が多いので,機会があれば調べておくと良いだろう.また,英語でカラオケを歌えるようにしておくとよいかもしれない!?
おまけ (旅行記)
研修終了後にプライベートでスゥエーデン、ドイツ、スイス、フランスを旅行した。
旅行中、研修中に知り合い、多くのイベントに一緒に参加し、親しくなったドイツ人、ヘルマン宅を訪ねた。
彼はドイツのシュツットガルトの隣にある、カールスルーエ大学の大学院生で、研修生であると共にIAESTEのスタッフをしていた。
私が訪れたときは、フランスに食事に行こうと、彼が調度その時面倒を見ていたブラジルからのForeign Treinee二人と共に、小1時間かけて車で国境を越えたフランスの片田舎にある、ふつうの農家がこじんまりと経営しているような、近所の人しか知らないような小さなビストロに案内してくれ、とびきりのピザとワインをごちそうしてくれた。
その後、おとぎ話に出てくるような小さな街周辺を散策した。 ここも、我々以外はおそらく99%地元の人たちであろうと思われるようなバーに行き、フランスのビールと雰囲気を楽しんだ。
宿泊はヘルマンのアパートの隣人が同じIAESTEのスタッフで、彼はちょうど旅行に行っていて留守だからということで彼の部屋を貸してくれた。 翌日はヘルマンの実家であるハイデルベルクへのドライブで、有名な古城や多くのノーベル賞受賞者を輩出したことでも有名なヨーロッパ最古の大学、学生牢などを見学した。
そこでは多くの日本人がいて彼らは皆団体でやってきて忙しく見学し、おみやげをたくさん買いあさっていたが、その姿を見て、彼は一言、”旅行をすると我々はカードをごく親しい人に出し、日本人は多くの知り合いに多くのおみやげを買う”。
その後、観光客のいない、壁には何十年も前の大学のクラブの旗やトロフィー、写真が飾ってある、由緒あるバーに行き、イースト菌が底に溜まったドイツ名物のヴァイツェンビアーや黒ビールを楽しんだ後、露店でソーセージ片手にもう一杯。その後、かつてゲーテが愛したといわれる哲学者の道から、年に一度の花火大会を見ることができた。
その後も数件バーをはしごしたが、ラテンとゲルマンのスタミナにはついていけず、帰った頃には死んだように寝た。
翌日は一人でマインツからライン下りをしローレライの岩などを見た。
船頭にここから引き返すよ、といわれた小さな街で下船し、町中の肉屋さんでやっている立ち食いの、しかし結構おいしいランチをとり、スーパーでヴィッキー(ミネラル炭酸水)と菓子を買って列車に乗り、オー・デ・コロン(フレンチでケルンの水という意味)の発祥地ケルンを見物したがさすがに名物4771(有名な香水)は買わなかった。
鍵を管理していたヘルマンがイン・キーしてしまい自分の荷物が取り出せなくなった。しかし、旅の出発が1日延びたがおかげであきらめていたメルセデスベンツミュージアムやIAESTEの事務所を訪れることができた。
ちょうどその日はパーティーがあって参加することができたがAIESECで来ていた日本人の学生たちが自分たちだけでかたまっているのを見て、情けない感じがして彼らとは話す気になれなかった。
その後、ヘルマンと私と、部屋を貸してくれていた、ステファンの3人で飲み直した。ステファンの日本人感や、私のヨーロッパでの生活の感想、翌日向かうスイスのユングフラウヨッホなどに話を咲かせ、早朝に出発する予定だったので、最後の杯を交わして礼を言って寝た。 翌日私はICEでベルンに向かった。