*** 夜行の疲れもあったが ***
予想してた通り国鉄の夜行列車も長野電鉄も空いていた。まあまあ睡眠もとれた。志賀高原の一
ノ瀬でバスを降りて入山するつもりだったが、気のよさそうなバスの運転手がバス停のない梯子沢
の出合で、やはりそこに用のある土地の老人と私を降ろしてくれた。ここの方が少しだけ近い。あ
りがたい。山頂のあたりはガスに覆われていたが私は晴天を信じていたので、バスの運転手と客の
老人が降雨を予想する話をしていたのを気にもせず気持ちのいい沢沿いの道を所々、軽く渡渉しな
がら登っていった。
一ノ瀬からの道と出合うあたりで十人くらいの人たちが思い思いに笹薮の中に散っていった。沢
沿いの道にかなりの足跡があった訳がわかった。彼らは筍を取りに来ていたのだった。そこから先
は切明まで長い静かな山歩きになった。
*** 岩菅山までは順調だった ***
ゆったりとした道だが夜行明けなので体調を整えながらゆっくり歩きノッキリに出る。もう一息
と先を急ぐ。東館山からの尾根はガスが切れよく見える。スキーツアーで来た位置を思い起こそう
と考えながら懐かしく眺める。野反湖への尾根もこれといった特徴のない姿を見せている。
ノッキリから少し登った時、わたしはうつむきかげんに歩いていた頭を何気なしにひょっともた
げたら、知らないうちにガスの切れた岩菅山が目の中に飛び込んできた。これはやはり抜群の迫力
だ。右側魚野川の深い谷は緑の海だ。久しぶりに山らしい山に来たなと思う。
いいタイムで一等三角点の山頂に着く。まだ先が長いのであまりゆっくりもせず腰を上げる。
*** 雷、藪漕ぎそして迷い道 ***
佐武流山の方向の空が黒く、雷の音がするがすぐに治まると期待しながら歩く。ところが中ノ岳
を過ぎると雨粒が落ちてきた。やはり来たかと思いながら雷を避けるかのようにぐんぐん下る。
森林帯に入って一息。烏帽子まで降られたが雷は来なかった。所々残雪が道を消していた。おま
けに笹薮が切り開かれていないので道を探すのに細心に注意が必要だった。特に烏帽子から切明ま
でがひどく踏跡がすっかり笹の葉で覆われ、手でかき分けないと確認すことも進むことも出来ない
ところが連続していた。面倒になって勘で進んだりした。足が順調にスタンスを確保していればい
いとの判断からだ。
やっと切明発電所の送水管の上に立った時は、これで助かったと思った。ところがその後が誠に
長かった。私としたことが安心し過ぎてうっかり近道を見逃し、遠回りの林道に入ってしまったの
だ。疲れきって和山温泉に着き、ゆっくりと地図を見てやっと気付くだらしなさ。
*** 膝を痛めたか ***
翌日、宿の主人に山の様子は聞いておいたし天気も雲一つ無い快晴なので、もう登頂したのと同
然と思った鳥甲山は実に苦しい山行となった。早朝宿を出て対岸に渡るため川辺までちょっと下る
時、左足の腿のあたりがいやに痛むのを感じた。昨日は何も気付かなかったのだが、何か無理をし
たのだろうか。しかし対岸に渡って登り始めたらあまり痛まない。どうも下る時に痛むようだ。そ
のうちに慣れるだろうとたかをくくって歩いていった。
第一の試練はムジナ平だった。入り口の指導標を見つけたものの私は勘違いして伐採用の道に入
ってしまった。かすかな踏み跡も発見できる勘が裏目に出てしまった。地形から考えても尾根に取
り付く必要を感じていたこともあった。ただこの尾根はムジナ平の西側にコルを作っている。だか
らコルまではムジナ平を歩いたほうが楽な筈だ。しかしそっちにはブルドーザーが放ってあったの
で、ろくに調べもせず手前のコブをめざして踏み跡を追い始めた。これが悪かった。
道は殆ど消えていたが、いづれにせよあのコブに登り切ればちゃんとした道があると思い込んだ。
ところが少しムジナ平方面に回りこみ下を見ると太いブナの幹に赤いペンキの跡が見える。これで
私は振り出しに戻らねばならぬことを知った。例の足痛のため下りにてこずり50分の徒労となっ
た。時間にしたら大したことも無いとも思えるが、こういったところの上り下りは体力を消耗する
ものだ。
*** 長い時間をかけた鳥甲山 ***
道はブナとダケカンバの間を急上昇していた。日陰は得られたが蚊などの虫に攻め立てられ、お
ちおち休みもとれなかった。ガスの羅臼岳を歩いた時の苦しかったことをふと思い起こした。
やがて痩せ尾根となり陰が得られなくなると暑い陽ざしが応えた。小さな上り下りが連続し道は
しっかりしているものの高度が稼げない。途中数箇所で針金が渡してあるところがあったが、普段
なら絶好の稼ぎどころなのだが、今日ばかりは左足を気にしながら全くの初心者が歩くようなスピ
ードしか出せなかった。
小赤沢を4時半に出る終バスに乗ることはもはや不可能となりどうして屋敷まで無事に歩ききるか
が問題になってきた。
予定よりかなり遅れてやっと鳥甲山の頂上に立った。そこには静かな好ましい風情があった。昨
日歩いた岩菅山の全容が眺められたが、もはやスケッチを始める元気は無かった。その他の山は上
昇気流のガスに呑まれていた。しかしこの上昇気流がどれだけ私を助けてくれたことか。私は直射
日光のかわりに、谷から吹き上げる心地よい風を享受することができた。
*** いろいろあったが ***
私は慎重に下り始めた。道はしっかりしていて問題なかった。食欲が出ない時によくやることだ
が、水で弁当のご飯やおかずを少し胃の中に流し込んだが150ccのウィスキーびんの水はすぐ
空っぽになってしまった。あとは体力と左足との最もバランスのとれたスピードを見つけることだ。
やはり上り下りが多少あったが、それにしても下りをこれほどゆっくり歩いたことは、かって無
かったことだ。それでも今朝登った白ー尾根がだんだん遠のいてゆくのに元気づけられて文字通り
一歩一歩進んだ。回り灯籠のように和山が遠くなり、上ノ原が近くに眺められるようになってきた。
地図に現れてない小さなコブがたくさんあるので、これこそ最後のコブだと思い込んでまた裏切
られたりしながらの下降だった。それでも最後の急な下りに入ったとき、自分の期待がだんだん本
物に近づいていくのを確かめながら、わくわくした気持ちで歩を進めた。
遥か下ではあるが樹の間から屋敷の赤や青のトタン屋根が見えてきた。長い下りの末、突然自動
車道に出た。ここでまたヘマをやった。インチキ地図を鵜呑みにして15分余りさまよったあげく
さっきの下降点のすぐ近くに屋敷への近道を見つける始末。いやはや、我ながら自分に呆れた。
数戸しかない和山と違いここは30戸あり一軒雑貨屋もあった。宿に落ち着くと、私はけろっと
してビールまで飲んで寝た。
*** 何とか終止符を打つ ***
翌朝私はバスに乗るため小赤沢まで歩かなければならない筈だった。今日の登山はもう昨日から
諦めていた。出発する前から予定の四阿山には無理があると思っていた。たとえ昨日の終バス乗っ
ていても、森宮野原までが精一杯で、次の日は菅平から5時間で頂上を往復しなければならない計
算になる。和山温泉の人に津南辺りの山について聞いてみたが、耳寄りな答えは得られなかった。
わたしは民宿のおかみさんにあらかじめ言っておいたように8時ころ玄関に出た。そうしたら今
日はここの主人が飯山まで出るので車に乗っていかないかとのこと。やった。運が良い。
主人は私に気を使って、道は悪いけれど見晴らしのいい中津川左岸の道を行ってくれた。
県営のとてつもない大きな牧場を通り抜け一時間あまりで津南に降り立つことができた。津南で
乗った客は私も含めて四人だった。どんよりとした空はもうすっかり夏の様相を呈し、蒸し暑さを
感じるくらいだった。
1974/06/27 飯山線車中で
2012/06/23 補筆
タイムデータは
「岩菅山、鳥甲山」に載せてあります。
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