*** 天気を気にしながらの出発 ***
四日間の山行から帰ってみると、自宅のあたりにも秋の気配が漂っていた。部屋に入る時に感じ
る、むっとした熱気はもう無かった。窓を開けると涼しい風が吹き込み肌寒さを覚えるほどだ。鋸
岳の霜や早川尾根のみぞれを考えれば、当然のことかも知れないが、季節の移り変わりを、ほっと
した気持ちで、また一面寂しい気持ちで迎えたことだった。
私は雲の動きを気にしながら中央線の列車に乗っていた。天気は確実に回復の気配を見せている
もののまだ多量の雲が空に居残っている。私は鋸岳にまず登りたい。しかしビバークになるかも知
れないこのコースは晴天に合わせたい。私は木曽福島で眠りから覚めると列車が塩尻に着くまで、
地図と空を見比べて考え込んでいた。そしてなかなか減りそうにない雲に、やはり大事をとって穴
山から入ることに決心したのだった。ところがこの理詰めの結論は私の感情の欲するところと矛盾
していることがだんだん表面に出てきた。そして塩尻に新宿行きの急行列車が入る頃には、もうさ
っきの結論はひっくり返っていた。
本数の少ない戸台行きのバスに乗るために辰野からは飯田線の電車より早く出るバスの便に目を
つける。雲はずいぶん切れ、戸台行きのバスからは木曽山脈が湿度の低い澄み切った青空の下に美
しく眺められた。私は未登の経ヶ岳のあたりに特に注目する。近くから見ると独立峰然として堂々
たるものだ。もし雨で鋸に失敗したら経ヶ岳にしようかなどとも考える。
バスが高遠を過ぎるころ私は居眠に入ってしまった。
戸台で下車した登山客は私一人だったが、帰る客は10人ほど見られた。わたしは偶然のことで上
島四郎氏に会う機会を得た。鋸の様子を聞きながらしばし雑談。わたしは横岳峠のビバークを考え
ていたが氏は角兵衛沢大岩下の泊り場を薦め、ここまでなら暗くなっても懐中電灯さえあれば道は
分かると教えてくれた。
*** 暗いゴルジュを登る ***
さんさんと降り注ぐ陽の下、半ズボンになった私は広く明るい戸台川を遡行する。このあたりは
潜伏流になっているらしく、見えるのは一面白い石ころと両岸の緑だけだ。能卿谷もこんな感じだ
った。あの時の気候もやはり空の澄み切った今日のようなすがすがしさがあった。
いつの間にか白い三角点のピーク、駒ケ岳も見える地点まで来ていた。角兵衛沢の出会いを確認
したのはそれからすぐのことろだった。もう天気の心配は無かった。私は踏み跡を忠実に辿ればよ
かった。
道は森林帯を抜け、急なゴルジュのジグザクの登りになる。振り返ると夕焼けが美しい。木曽山
脈のシルエットがくっきりと浮かんでいる。昨夜の徹夜勤務のあとにしては気持ちのよい順調な登
行だ。前方に大きな岸壁を見る。これからこんなのが次々と現れるのだろう。
谷が狭くなり再び森林帯に入る頃、急に暗さを感じ懐中電灯を取り出す。ガラ場の雑草に注意深
く踏み跡をたどる。道がとてつもなく大きな岩壁に突き当たるかに見えるところに来た。
後から考えるとそれが目的の大岩だったのかも知れない。しかし道は岩壁を右に見送って左上へ
延びていた。私は腕時計を見る。泊るにはちょっと早すぎると思い、暗闇の岩壁をそれ以上確かめ
もせず先を急いだ。道はまたガラ場に出た。急なガラ場で、うっかり踏み跡を外してしまったが、
前方に現れた狭い岩壁の谷に当然道は繋がっているものと考え平気で斜面を登り続けた。
しかし様子がどうもおかしい。闇の中で気がつきにくい斜面はかなり急で浮石も多く、足を踏み
込む度に、ゴーッと音を立てて岩屑が落ちてゆく。私は立ち止まった。谷を吹き抜ける風が身にし
みるので長ズボンとカッターシャツに着替える。ルートを間違えたらしい。リュックを置いたまま、
私はあたりを模索することにした。思った通りこの谷は行き止まりだった。私はリュックのところ
に戻り、浮石に注意しながら右岸を探して下った。
私は意外と簡単に踏み跡を見つけた。しっかりした踏み跡だ。また森林帯だ。ほっとする。しか
し再びガラ場に出ると斜面はますます急になり踏み跡を探す私の勘も狂い勝ちになってきた。
目的の泊り場は一向現れなかった。上島氏が教えてくれた「しっかりした道」がこんなに分かり
にくいのに自分で腹を立てていたが、多分もっと歩きやすいルートが別にあったのだろう。夜の登
行は慣れている私だが、やはり陰気くさくて嫌なものだ。道に迷ったとき特にそう思う。
私は大岩下の水場を当てにしていたので一滴の水も持っては来なかった。どうしてもそこへ着か
なければ今夜は勿論、明日も予定の仙水峠小屋まで水は得られない。
私はとにかく登るしかなかった。振り返ると星空の下に山麓の民家の灯が点々と眺められた。外
すまいと一生懸命たどった踏み跡を、また外してしまった。と言うより自然に消えてしまっていた
のだ。谷は狭くなっており懐中電灯を横に振ると右岸の壁にも左岸の壁にも確実に光が届いた。更
にライトを上下に振ると、その光が岩壁の表面を上下に幅広く動いた。してみると道は両岸の間を
通っているに違いない。私は歩きやすそうなところを探しながら急斜面を登りきり、緩い斜面にな
ると潅木の中にはっきりした踏み跡を見つけていた。もしかして私は違った踏み跡を辿ってきたの
かもしれない。しかしゴルジュの道はあまり踏み跡が残らないので断定は難しいだろう。
ほっとして、もう泊り場だろうと歩きだした。しかしまた様子がおかしくなってきた。道はどう
も峠のような地形の頂上へ乗り上げているようだ。とにかく行ってみよう、と頂上に出たとたん、
私は前方にこうこうと輝く鈴なりの灯を見た。
角兵衛のコルまで来てしまったようだ。あの光は間違いなく諏訪盆地の灯だ。私は大岩を知らず
に通り過ぎてしまったのだ。わたしはがっかりもしたが、一方では夜の角兵衛沢を無事に登りきっ
た誇りと、明日の行程が楽になるという安心感に浸っていた。
*** 水の無い夕食、そして朝 ***
無論、大岩を探して下る気はまったく無かった。私はコルを吹き抜ける風を避けるため角兵衛沢
を今登って来た方向に少し下り第一高点の根元にリュックを下ろした。この岩壁はオーバーハング
になっていなかったが殆ど垂直なので、落ちるべき岩屑は落ち切っているものと思われた。水が無
いので食パンや菓子をかじるより他なかった。鋸岳の通過ではリュックの荷物を極力少なくする必
要を感じ、シュラーフは持ってこなかったが、キルティングコートは結構防寒に効果があり、大陸
性の高気圧下の晴天という冷えそうな標高2500mの稜線にあっても比較的よく眠ることができた。
もっとも寒さで二、三度は目が覚めたが。
寒さの中にあっては特に待ち遠しい朝がやってきた。4時50分。まだ暗いが体を起こし、ライト
で照らしながらパンをかじる。寒いと後片付けの動作も鈍り勝ちになる。ぐずぐずしているうちに
あたりが明るくなってきた。コルの北側の岩壁に明るい太陽の光が射す。何と頼もしい光だろう。
昨夜、目の覚める度に私を迎えてくれた空一面の美しい星たちは役目を終え、そのあとにはあく
までも青い空があった。私はリュックをそこに残して三角点ピークを往復することにした。
コルからは昨夜苦労して登ってきた角兵衛沢のゴルジュが静かに流れていた。稜線は長野県側が
急斜面になっていたが歩行は楽しかった。三角点は小広いピークに潅木に囲まれて鎮座していた。
文字通り快晴の空、展望の素晴らしさ筆舌に尽くし難し。
以外に大きい恵那山、昨日も見えた木曽山脈、堂々とした御岳、遠いながら間違いなく覚えのあ
る白山山脈、乗鞍から立山、白馬方面まではっきり見える飛騨山脈、先週歩いたばかりの八ヶ岳連
峰の向こうには妙高、火打、焼山、雨飾の稜線がはっきりと指呼できる。志賀高原、奥秩父の山々
も無論一望のもとだ。諏訪盆地の特に八ヶ岳山麓の斜面が特にすばらしい緑のじゅうたんをひいて
いる。振り向けば駒、仙丈をはじめ赤石山系が最も近くに眺められるのは圧倒的だ。
戸台から入山したのを心から喜びコルへ引き返す。リュックを担ぎ第一高点へ。再びすばらしい
展望が待っていた。鋸岳の最高点だけのことはある。
ここから中ノ川乗越までは楽しい岩稜の散策だった。途中、大ギャップから道は北側を巻いてい
た。私は巻き道の最低点あたりで、山側の斜面に水滴の落ちているのを見つけた。しめた!と思っ
た。5秒から20秒に一回の割でしか落ちない水滴だが、私はコッヘルを出し、我慢強くそれを溜め
ては、ゆっくり味わいながら喉を通した。こうして20分くらいの休憩時間に盃一杯くらいの、しか
し貴重な水分を補給することができた。未練を残しながらも時間が惜しいので、偶然発見したお助
け水場を後にした。
中ノ川乗越から三ッ頭までの風倒木には全く参った。それに昨夜も今朝も主食といえば食パン二
切れしか食べていないので、どうも体が重い。三ッ頭でとうとうただ一つの水分補給源である一個
のみかんの缶詰を切ってしまった。うまかった。
ここからわずかの時間で往復できる烏帽子岳はコニーデ型の美しい稜線と黒っぽい岩峰の魅力的
な山だったが、今日の日程と体調を考え合わせると残念ながら割愛しなければならなかった。
*** そうとは知らず悪路へ ***
駒の六合目に着く。もう道も良くなるだろうと思い、それに暑いので半ズボンになり上は半そで
のメリヤスで六合小屋の横を通り六方石へのトラバースルートに入る。この道は入り口が不明瞭で
ちょっと迷ったが、ガレ場に積まれたケルンとそこを渡ったところの樹に打ち付けられた文字の消
えている道標、そしてそこから踏み跡が山腹を巻いていることなどから、私はルートを確認するこ
とができた。しかし楽な筈のトラバースルートは実は大変な難物だった。五月の奥美濃よりは益し
という程度だった。いや、あの時より危険なところもあった。15分も歩かないうちに踏み跡は怪し
くなってきた。最初の岩壁のへつりは桟橋が朽ちていたが簡単に越すことができた。途中二、三ヶ
所に積まれたケルンと一箇所の赤いリボンは私に貴重なアドバイスを与えてくれたが、ルートは踏
み跡が残っている部分より消えているところのほうが多くなり、比較的平らなところに出ると踏み
跡はあちこちに散っており幾度となく現れる岩壁に突き当たると岩壁の上下へ思い思いの努力の跡
を発見することができた。これらはインチキな登山地図に裏切られた我が同胞の悪戦苦闘の跡をま
ざまざと物語っていた。このルートはもはや一般道とは程遠い廃道だった。
彼らの多くは途中から引き返している。だから奥に進めば進むほど道は不明瞭になる。私も引き
返し稜線を抜けることを考えた。しかし少しづつでも近くなる六方石の稜線を見ると何だか引き返
すのが馬鹿馬鹿しくなり、またもう少しで楽な道になるかもしれぬと期待をかけてみたり、奥美濃
で藪漕ぎにちょっと自信をつけていることも私の決心を揺さぶった。しかし簡単ではなかった。も
ろい岩盤で手足に無数の傷つくっても私は長いズボンに着替えようともせず、反対に自分の下手な
技術を責めたりした。
とうとう腋の下にまで青島にある鬼の洗濯板のような傷をつくってしまうと、さすがの私も上半
身だけは長袖のカッターで遅まきながら体を守った。しかしもうそのときは四肢に洗濯板が赤い血
を滲ませていた。もっともこれらの跡は十日もしないうちに自然消滅するものばかりだった。
*** 命がけのトラバース ***
こうして私は何度目かの岩盤に突き当たった。迷ったあげく私は下から巻こうと岩盤の縁に沿って
下った。大きな岩盤だった。この岩盤は急に谷へ落ち込んでおり下側を巻くのは不可能だった。し
かし私は岩盤の裂け目が上へ一本伸びているのに目をつけた。そこには雑草と潅木が茂っていた。
私はそれに掴まってよじ登り始めた。そして岩盤の途中で最も急なところへ来た。私は一本のしゃ
くなげの枝を掴み全身の体重をかけて岩盤の上に出ようとした。その瞬間ぷつりっとしゃくなげの
枝が折れてしまった。私のいままでの経験と勘から信頼に足りると思っていたこの枝は50kにも届
かない私の体重を支えることができなかった。ずり落ちかけた私は、しかし次の瞬間、辛うじて岩
盤の上に留まっていた。ほっとしながらも不思議でさえあった。
ゆっくり周りを探ると、私の手は岳樺を掴んでいた。しかもとても上手にしっかりとつかんでい
た。先ほどしゃくなげをつかむ前に支点としていた岳樺だった。わたしは夢中で何かをつかんだよ
うな気はしていた。しかしこんなに速く手が動いたことが信じられなかった。その反射神経には視
力など及ぶべくもないと思った。多分この時、盲人でも同じ結果になっていただろう。私は自分の
反射神経に感心しながらも、気持ちが落ち着くと、もしこの岳樺が無かったどうなっていただろう
と、岩盤の下に目をやった。
すると3mくらい下にもう一本の岳樺が生えていた。もしあそこまで落ちていたら、足が引っかか
れば足で、手が引っかかれば手で、胴体が引っかかれば胴体であの岳樺を掴んでいたいただろうか。
それともスピードに乗って岩盤に頭をぶつけていただろうか。冷汗でぞーっとする瞬間。気を引き
締め慎重に登る。
この難所を過ぎたあとも道は一向によくなる気配がなかった。予定の麻利支天はは諦めて六方石
からすぐ仙水峠に向かうと決める。そうこうするうちに私は水の音を耳にした。沢だ。私はとにか
くそこで一服しようと考え急斜面を下る。同胞の下った踏み跡がある。やっと十分な水にありつく。
水筒につめて踏み跡を辿る。最後の大きな岩盤は切り込む入り口を探すのに随分時間をくってしま
ったが、やっとそれを越して潅木帯を潜り突然這松の上に出たとき、私はこれですべてが収束した
と感じた。
六方石で一服しながら麻利支天を眺めると、何だかまた欲が出てきて、白い花崗岩の山腹を歩き
始める。鳳凰の向こうに富士山が見えた。早川尾根や北岳も近くに眺められた。午後の太陽が白い
地面に反射して眩しい。麻利支天を終えて六方石に戻った私は、今日歩いてきた鋸岳の各ピークを
確認する。第一高点は広島の原爆ドームのようだ。飛騨山脈はまだはっきり姿を見せていた。仙水
峠下の小屋に着いたときはまだ陽の光をまともに受け、無人小屋の中は暖かった。波乱の縦走もこ
の小屋で何とか落ち着きを取り戻したようだった。安心したせいか、この夜は昨夜のビバークより
寒さを感じたが、まあまあ必要な睡眠はとった。
*** 旅の終わり、御座石鉱泉 ***
翌日は曇り空だった。しかしそのうちに晴れるだろうとの期待に反して、仙水峠のあたりから雨に
なった。雨は冷たく稜線を渡って吹きつける風は身にこたえた。雨は一時みぞれになった。昨日の
朝、鋸の稜線で見た霜と思い合わせると気温はだいぶ下がっているようだ。
雨に濡れた軍手は保温力が無く、私はけつまずく可能性の低い登り斜面では片手ずつ交互にズボ
ンのポケットに入れて温めることにした。しかし登りとは言え高嶺の最後の急斜面は時々両手で体
を確保しなければならなかった。
生憎の雨天ながら霧はあまり出ず、私は四囲の山々を十分展望しながら歩くことができた。特に
白根三山の姿が回り灯篭のように移り変わるのが興味を引く。富士も上半身を出している。縦走路
に笹が生えていないのも気に入った。
長かった早川尾根をやっと終えて鳳凰小屋に駆け下りここで二日ぶりに人と話をする。まだ日本
語を忘れていなかった。時間に余裕があるのでわたしは鳳凰小屋泊まりの予定を変更し御座石鉱泉
まで下ることにした。この下りは長かった。一旦止みかけていた雨がまた降り出す中をやっと御座
石鉱泉にたどり着く。女将さんが一人で宿番をしていた。客は私一人。
風呂に入り夕食にありつく。あり合わせながらご馳走だ。女将さんと少し世間話などし,7時過
ぎにはもう暖かい布団に潜り込んでいた。雨は益々強く屋根を叩いていた。降りたいだけ降ってく
れ。
翌日、また雨かとがっかりして外を見ると以外に晴れている。雨と思ったのは沢の音だった。朝
は自炊する。今夜のオケの練習に間に合わせるため早めに出発する。目的を果たして下山する気持
ちはなんとすがすがしいことか。とくに今朝のように明るいのがよい。途中から霧の消えかかった
鳳凰を見る。
40分も下ったところでわたしは早くも都会の悪臭のお見舞いを受けた。自動車だ。考えてみると
わたしは慣れっこになって毎日自動車の海を泳いでいるわけだ。恐ろしいことだ。服の濡れるのを
覚悟で平川峠に逃げる。穴山駅で乗った列車の客は私ひとりだった。
1969/9/13〜16 記す
この山行のあと10日くらい右目の痛みが続いた。楽観していた私も一向に良くならないのが気に
なってきた。御座石鉱泉のおかみさんが出してくれた、木の実から造ったという地酒が悪かったの
ではなどと思ったりしたが、眼科に行ってみたら原因は目に刺さった岩屑だった。駒をトラバース
したとき入ったものと思われる。とんだ近道だった。地酒は関係なかった。申し訳ない。せっかく
気遣って出してくれたのに。
1969/09/21 記す
2012/03/17 補筆
to top page