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99 :バラデーロ :02/06/20 18:15 ID:29d8SDRi
出雲大社に行ったときのこと。
駐車場に入りバイクから降りると、自分のバイクの隣に止めてあったブラッ
クバードにオーナーが近づいてきた。その人はツナギを着た40過ぎぐらい
のおっちゃんだった。
「なんや、君も大阪からか!」
「ワシ、リストラで会社クビになってこっちへツーリングに来とるんや」
「日御碕の方角が恵方、わかるか?つまり縁起のええ方角っちゅーこっ
ちゃ、せやから日御碕の民宿で4,5日過ごしとったんや」
「連泊するから言うて民宿でえらい値切ったったわ。せやけど毎日、朝から
メシが豪華すぎて参ったわ」
「これから大阪帰ってまた仕事探すわ」
「ほな、君もきぃつけてな」
おっちゃんは一方的にこれだけしゃべるとブーンと行ってしまった。
なんだかすぐに仕事が見つかりそうな気がした。
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110 :774RR :02/06/20 19:58 ID:l4Tzls+X
大して面白くないだろうけど…
私がバイクに乗り出したのは15年も前…
その頃はまだ単車は市民権を完全には得てなくて、女性ライダーも
増えつつあるという状況だった。そのせいか、ライダーって言うのは
結構、何気に結束が固かったりしたもんだった。(今でもなのかな?)
乗り始めた時から「人に迷惑かけるのはいやだな…」とソロで走ってい
たせいか、結局一人で走るのが習慣になっていた。
まだ、あまり上手くなかったある時。いつものコースでいつもの味噌
田楽の峠の茶屋で田楽食べてると、GSX-R750(当時憧れの的だっ
た)に乗ったおっさんがいた。その時はそのまま、私はいつもの道を
走りだた。
まだまだ下りのワインディングが苦手な時でよたよたと走っていると、
先程のGSX-Rが後ろに来ていた。バイクを脇に寄せて先へ行っても
らうと、GSX-Rは飛ばすでもなく先を走る。しばらくすると、道にある
危険物(石ころとか砂とか)を指差して教えてくれたり、ゆっくり走って
コース取りを教えてくれた。
ワインディングを走り終えて、一般道に出た後、停まって話をしてから
その日は一緒に走った。
その人とは、その後約2年ほど一緒に走りました。
その人はずっと年上だったんで、ガス代、飯代、果ては土産代まで出し
てくれた。よくワインディングで競争しあったなァ〜。わざと大型が辛くな
る細い1斜線しかないブラインドカーブに誘い込んで、ブロックしたり…。
本当に楽しい時間だった…。
今はもう、その人と同じ年齢になってしまった自分が、何だか不思議です。
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117 :前スレ493 :02/06/21 00:23 ID:Q9uTKEKc
遅ればせながら新スレお疲れです。
現在床に伏せているためバイク乗れてません・・・。(泣
そういえば以前書いた「毎朝見るライダーさん」ですがこの間かなーり寝坊した時
慌てて家を出たらうちの前を丁度通り過ぎていきました。ウェアはいつもと違っていたけど
やはりその後方確認などの仕草ですぐに判別。(w
「ありゃ、あの人も遅刻か?」と思いその日は原付で後を追う形に。
時間帯がいつもより遅いせいかますます渋滞しているその日。
いつもは絶対にすり抜けなどしない(見たことがない)その人がその日は
トロトロとすり抜けしていました。(驚
「あぁ、やっぱ焦ってるのかな〜」と思ってるうちに信号待ち。
青になると同時にいつもなら他の車に後続という形を取るその人ですがその日ばかり(?)は
飛ばして行ってしまわれました。
いつもと違う一面が見られた事でもある意味忘れられないです。(w
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118 :774RR :02/06/21 07:13 ID:5/t9fo89
テスト開けで気分よくマタ〜リワインディング中に事故。
ちょっぴり大怪我。両親、兄弟慌てて駆け付ける。
ちょっぴり怒られて結構心配させた。
そこまでは普通のよくある?風景。
ところが、輸血等とかで精密検査をしたことから実子ではないことが判明
体が冷たくなっていくと同時に汗が全身から吹き出てきた。
産まれた病院で取り違いがあったらしい。
最初は隠すつもりだったみたいだけど、様子がおかしいので激しく問い詰めた
感情が心が不安定だったためか母親が口を滑らせたことから発覚した。
その日以来家族とは少しぎこちなくなってしまった。
退院してからすぐに勉強に打ち込みはじめた。あんなに好きだったバイクも友人に売ってしまった。
そして遠方の国立大学に合格して家を離れた。
勉強とバイトに明け暮れて新しいバイクを買ってから
学校の無い日を使って実の両親を探しに行った。そして意外とすぐに諸条件から見つけることができた。
一応確証がないのでそこの家へとお邪魔した。
女性が独りで暮らしていただけだった。子供は小さい頃に病気で、御主人もつい先日亡くなったばかりだった。
その女性から髪や血液などを戴いて検査を依頼し結果をもらった。
やはりこの人が母であった。
その日から度々その家へとお邪魔するようになった。
学年が変わったことを受けて通う校舎も変わりそれが母の家から近かったため
下宿?同居をさせてもらうようになった。育ての両親には内緒にして。
それから少しずつ明るくなれたのかもしれない。
わだかまりのあった育ての両親や兄弟とも少しずつは歩み寄れるようにもなったし、
学内のバイク有志とツーリングクラブにも行くようになった。
昔からの友人には以前は暗かったけど最近また明るくなったねと言われた。
そしてそのまま就職して結婚を考えられる女性と出会った。
そしてそれを機に育ての両親にも事情を説明し、結婚式には母にも知人という形で出席してもらった。
その後母とは養子縁組をして、育ての親からの相続放棄を自分から申し出た。
育ての両親は最初反対したが最期にはわかってくれた。
今では関係も概ね良好で年始やお盆には気軽に訪れられるようになった。
あのバイク事故がなかったらと思うことは以前ではいくらでも考えたけれど
ここ最近ではそれでも真実を知り得たことは良かったなとも思えるようになった。
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121 :774RR :02/06/21 11:23 ID:tGNu0g1G
122 :774RR :02/06/21 11:24 ID:tGNu0g1G
高1の夏。ダチに誘われて地元の花火へ行くことにした。
当時乗ってたカブでテケテケと夕方の待ち合わせ時間に集合場所へ行くと
見慣れない可愛い女の子がそこにいた。この子も誰かと待ち合わせなんだろうなと思いながら
待ってるとダチ登場。
俺が気づいて声をかえる前にその女の子がダチの名前を呼びながら駆け寄って行くではないか。
唖然とする俺の前でダチが平然と「あ、こいつ俺のカノジョ。」
ちょっとショックだった。なんだよ彼女いないとか学校で言ってたクセに。
その子が俺好みだったから更に鬱。
気を取りなおして3人で花火の場所を取りに行くことにした。別にいちゃつかれたわけではなかったけれど
ふたりだけしかわからない会話とか楽しそうにしてるカップルの真横で恋人いない男がどれだけ惨めかということを
わからせてやりたかった。
で、ふてくされた俺は場所取りを自分独りでするからふたりは出店とか見てこいよと言って
シートを敷いて待ってることにした。
あーあ、早く帰りたいなーと思いながらフテ寝してると隣にいた人が急に
「すいません、どうしてもトイレ行きたいんでここ見張っててもらえますか」
どうでも良かった俺は「あーいいですよ。」とだけ言ってロクに顔も見なかった。
戻ってきた人が「どうもありがとうございました。アレ??」と言って固まった。
なんだろう?と思って振り向くと「平O君じゃない?B中の」合ってるのでよく顔を見たら
同級生のリツコだった。正確に言えば元同級生。学校途中で転校して行ったからだ。
「久しぶりー。かっこよくなったネ」の言葉はお世辞であったけど悪くなかった。
リツコは少々変わった子で少し周囲から浮き気味の性格だった。けれど優しい子でもあった。
だが陰湿ないじめがあって、俺は気づかなかったけど二年の頃は相当ヒドかったらしい。
親の仕事の都合で転校することになったとのことだったが、バスで通えない距離でもなかったらしく
噂ではいじめのせいだと後から聞いた。
俺はリツコとは仲良しってわけでもなかったけど、あるきっかけがあって彼女と面識があった。
部活帰りにある少女マンガ家のコミックを買ってるとこを偶然見られたのだった。
けれど、彼女は茶化すどころか「私もその人のマンガ買ってるよ〜兄も読んでるし」
と言ってくれた。で彼女から何シリーズかを貸してもらったりしていた。だからといって彼女は慣れなれしくなるわけでもなく
俺も彼女と特別にどうとか考えることもなかった。ただ共通の趣味がある友人として見ていた。
久しぶりに会って、お互い中学生という壁みたいなものがなくなっていて妙に話が弾んだ。
で、戻ってきたダチ達がどうでもよくなってリツコと喋ってばかりいた。
花火を見てるときは来てよかったなと楽しいのに泣きたくなるほどだった。
目前に広がる光のショーが終わって、さて帰るかなと思った頃にあることを思い出した。
彼女から借りてた本がこの前一冊ほど出てきたことを。
で、カブの後ろに彼女を乗せて俺の家まで向かった。途中で捕まりはしないかとビビりながら。
道すがらどうして地元の花火に独りで来てたのかを聞いた。
彼女曰く、中学時代、花火を見たかったけど一緒に行く友達もいなくて、独りで行く勇気がなくて
このしがらみみたいなものがなくなったときに絶対1人で行けるんだということを確認したかったらしい。
だけど、いじめてた奴らに会わないかと内心はビクビクもんだったそうだ。
あと、「私、もう一度平O君にだけは会いたかったんだ〜」と言われた。
俺は素直にうれしくて「俺もリツコには会いたかったよ、転校した頃俺風邪で休んでたし、お前何も言わないんだもん」
「マジ?」
「マジだって。」
しばらく無言・・・・。
家に到着。すぐに彼女の本を持ってきた。
駅まで送ろうと一緒に歩いてるときに思い切って聞いてみた。
「彼氏いるの?」
「うん、一応ね。」
がっかり。何でも年上の大学生だそう。駅でサヨナラをして別れた。
帰り際、明日はいいことあればいいなと思いながらゆっくり歩いて帰った。
数年後成人式へと出かけた。
リツコの姿を一番に探してみたが、見れなかった。が、彼女と同じ高校に通ってる子に話を聞けたので聞いたら
リツコは高校を中退して結婚したそうだ。相手は俺が本人から聞いた大学生だった。
今では子持ちの主婦として遠くの地で頑張ってるらしい。
少し切なかった。
そのあと、記憶が定かではないが、俺は飲み会の席でリツコをいじめてたグループの女共に罵詈雑言を浴びせてたらしい。
そのせいか未だに同窓会の案内は俺には来ない(ワラ
でも後悔なんて全然ない。むしろ後から聞かされて、酔った俺を誉めてあげたいぐらいだったもの。
ウォー全然バイクに関係ない話でスマソ
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126 :茶文字 ◆xELvisFU :02/06/21 16:40 ID:jx3Sf5OX
道の駅巡りで琵琶湖西岸から小浜へ走ったときの話。
鯖街道にある道の駅「くつき新本陣(滋賀県朽木村)」で昼食をとりバイクに戻ると、
Spacy125にのった男性が話しかけてきた。
軽装だったので近所の人が買い物に出たついでに立ち寄ったのかと思ったが、
聞けば奈良北西部の方で、県境に近い私の家から20分ほどしかかからない、ご近所さんだった。
朽木だってけっこうな距離があるんだが、このあと私が予定しているコースと
ほぼ同じルートを走る予定らしい。
「今年72歳なんですがね、あっち(舞鶴や敦賀のことだ)は終戦直後に引き揚げ港でしたやろ。
嫁の両親がそれで帰ってきましてな、所持金を全部税関でとられましたわ。
だいぶ経ってから何とか戻ってきましたけど、3000ドルほどあったんですが、
今なら30万ちょっとになるけど、戦後すぐのレートか何かで1ドル = 4円にしかならずで」
知人に譲ってもらったのだろうか、このバイクは埼玉まで取りに行って
そのまま走って帰ってきた、とおっしゃっていた。
それ以降どこへでも走っていってしまわれるそうで、ぶらっと出かけては
旅先のパチンコ屋で遊んで帰ってくるのが趣味だという。
一日の走行距離が私と大差ない、125cc乗りの72歳。ちょっと驚きだ。
その後先発した私は、ほど近くにあるR303の道の駅「若狭熊川宿(福井県遠敷群上中町)」に
停車したのだが、しばらくして国道に目をやると、先ほどの男性が気持ちよさそうに
通過していくところだった。
後ろ姿をこみ上げる見送りつつ、私は偉大なる先輩に心の中で敬礼した。
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127 :774RR :02/06/21 17:59 ID:cE+TuJ9u
スクタのジーチャンで思い出スた
ここの誰かも会ってる可能性大な気がするんだが、北海道で出会った、
スクタで横須賀から来たとゆーオッチャン
メットとゴーグルを付けた犬(ジローっつーらしい)をスクタのステップに
スタンディングさせて走ってるのが注目を集めてて、さらに旅の道すがら
募金活動もしているらしく、雑誌とかにも美談調で紹介されていた
んがソのオッチャン、キャンプ場で話をしたら「昨日の夜は自販機から電気剃刀の
充電しちゃったよー、がははー」なんつってたんスyo(ワラ
先頭
128 :バラデーロ :02/06/21 18:13 ID:zOOfS3vU
北海道に行ったときのこと。
洞爺湖近くの道でタンクバッグ、サイドバッグ、リアバッグに荷物をいっぱ
いに載せたTY250Zに乗っている人を見た。信じられなかったが、確かにTY-Z
だった。ある意味スーパーカブでツーリングするよりもよっぽどすごいか
も。
先頭
130 :774RR :02/06/21 18:38 ID:SC9B81Gp
ライディングもかなり上手くなった頃、いつものコースは青梅から名栗村を経て
定峰へ抜ける道だった。大抵、日帰りで秩父や日光へ行く時は行き帰りここを
通ったものだった。
ある時、薄暮が迫りこのまま行くと1時間で真っ暗になることは分かっていたが、
走りながら時間の計算をし、やはり誘惑に勝てない私は正丸から名栗村を経て
帰ることにした。
いつもの通り快調にワインディングしていた時、いつの間にか後ろに1台の白い
四輪車が迫ってきていた。四輪車はイライラする風でもなく後ろについていたが、
さすがに直線になると250ccのパワーでは追いつかれてしまう。どう見ても、四
輪車の走り方は地元者特有のカーブ一つ一つを熟知している走行だった。結局、
適当な直線で脇に寄り、手で先に行くよう合図した。ドライバーは抜きざま、ハ
ザードをつけて礼を返してくれた。
そのまま、私はいいチャンスとばかり煽らない程度に四輪車についていった。
見えない程に引き離されはしなかったが、それでも、カーブを越えて直線になる
と引き離される。彼の走行は、私にとってとてもいい勉強になった。
ワインディングも終わり人家が増えて直線が多くなった頃、私達は青梅に向け
て小さな橋を渡る分岐点に近づいていた。四輪車は恐らくこのまま飯能へ向か
うだろうと思い、分岐点からかなり手前で私はウィンカーを出した。
分岐点の手前で、四輪車はハザードを点灯させ、ドライバーが手を振り軽く
ホーンを鳴らした。
なんと言うことはない光景だったが、ほんの少し一緒に走った時間がほんのりと
心が通じ合った瞬間のようでいい気持ちだった。
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134 :774RR :02/06/21 19:08 ID:SC9B81Gp
引っ張ってもらった話をもう一つ…
バイクを磨いたと言っては、よく学校を自主休校して走りに行った。
奥多摩までは往復2時間から3時間程度の距離だったので、いつも
ちょっと走りたい時に走りに行った。
青梅に焼き団子の美味いお寺があるので、そこへ寄って買ってから
奥多摩の駐車場で頬張るのがお決まりだった。
まだ、そんなにワインディングに慣れていない頃。
走っている私の後ろに1台の単車がついた。皮つなぎを着た以下にも
走り屋の風体だった。もっとも「ベテラン」といった風格で、決して悪い
品格ではなかった。
なだらかな下りの直線で、私は左に寄り手で先へ行くよう合図した。
ライダーは抜き様、ひょいと頭を下げて手で「ありがとう」と返してくれた。
思い返すと、それが初めてのお礼を返してもらった経験かもしれない。
ライダーは飛ばして先へ行ったにもかかわらず、しばらくすると、スピー
ドを落としてゆっくり走行していた。私が彼の姿を確認すると、彼はふと
振り返り少しスピードを上げた。…私がついていける程度に…。
彼は道々頻繁に振り返って、私の様子を確認している風だった。カーブ
になると、彼は大げさに曲がっていき私を振り返る。しばらくして、彼が
ライン取りとアクセルの開閉を教えてくれているのだと気が付いた。
必死になって彼のまねをして走っていると、奥多摩湖が近づいて来た。
彼はスピードを上げて、走り去っていった。
私はいつもの通り駐車場に入って彼の姿を探したが、彼のバイクも彼
の姿も見えなかった。
しかたなく、一人で焼き団子を頬張っていると単車の音が近づいて来た。
見てみると、先程の彼だった。
彼も気付いたらしく、駐車場にそってカーブにのっていく彼は一瞬軽く
ブレーキを踏んだようだが、手で軽く挨拶をして去っていった。
私がいつも言っている駐車場の他に、もう少し手前に第一駐車場(?)が
あったことをこの後知った。
それでも、「単車っていいなぁ」と初めて思った瞬間だった。
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