小 笠 原 諸 島    

地  理

  小笠原諸島は東京都に属し、伊豆諸島の八丈島から800kmの距離にあ
 る。ちなみに、東京から八丈島までほぼ300kmあり、1000〜1300km程
 度が小笠原諸島となる。八丈島、ベヨネーズ列岩、須美寿島、鳥島、孀婦岩
 (そうふがん)を経て、小笠原に着く。

小笠原諸島の構成

   西之島・西之島新島
聟(むこ)島列島  聟島・鳥島・北之島・中之島・笹魚島・媒(なこうど)島・嫁島・
 前島・後島
父島列島  弟島・乾島・孫島・兄島・瓢箪(ひょうたん)島・西島・人丸島・
 父島・閂(かんぬき)島・南島・霊岸島・巽(たつみ)島・東島
母島列島  母島・向島・鰹鳥島・丸島・二子島・平島・北鳥島・姉島・
 南鳥島・妹島・鳥島・野羊島・姪島
火山(硫黄)列島  北硫黄島・硫黄島・離島・南硫黄島
   沖ノ鳥島
   南鳥島

1/20万地勢図 小笠原諸島 (国土地理院)から、島と付くものだけを
 抽出した。ほかには、○○岩や○○根などがある。

小笠原諸島の山

順位 名 前 標高(m) 所 在
     − 916   南硫黄島
  榊ヶ峰 792   北硫黄島
  堺ヶ岳 443   母島
  乳房山 423   母島
  中央山 318   父島
  夜明山 308   父島
  見返山 254   兄島
  菅笠山 238   兄島
  天海山(西岳) 229   弟島
  高山 229   父島
10   三日月山 227   父島
11   広根山 191   弟島
12   摺鉢山 161   硫黄島
13   屏風山 155   媒島
14   野羊山 150   父島
15   大山 88   聟島

父島に常世ノ滝といのがあるが、
残念ながら川の名前までは分からない。

  まぼろしの島 中ノ鳥島

  明治40年(1907)に山田禎三郎が発見し、翌年に明治政府が中ノ鳥島と
 命名し、小笠原支庁の所轄とした。しかし、再び発見することができず、194
 6年に水路図から削除された。
  位置は南鳥島北方、鳥島の東方にあるとされた。外国版の海図にはガンジ
 ス島と記載されている。(コンサイス地名辞典 三省堂)

自  然

 

  フィリピン海プレートの移動に従い、隆起・浸食されながら形成されている。
 年降水量は1800mm程度でほぼ東京都と同じ。平均気温は23度Cで亜熱
 帯性気候に属しているが、湿度が低く乾燥気味である。大戦中の空襲による
 森林の延焼は、戦後50年を経過しているにもかかわらず、森の緑は回復し
 きれていないようだ。

  小笠原諸島は太平洋上に孤立して動植物に固有種が多い。「東洋のガラパ
 ゴス」とも呼ばれる所以である。クマバチ、ゲンゴロウ、タマムシ、トンボ、セミ
 イトトンボ、アメンボ、などの昆虫にも小笠原の固有種がいる。

  小笠原は特別天然記念物アホウドリの繁殖地としても有名だが、関係者の
 努力により、とりあえず絶滅の危機だけは免れたようだ。しかし、危険はまだ
 残っている。現在は1300羽まで回復した。

歴  史

 

1593 文禄2年   信州深志(松本)の城主小笠原長時の孫、小笠原民部少輔貞頼が
 発見したとの伝承がある。
1669 寛文9年   紀伊国船頭長右衛門などが漂着する。帰還後に下田奉行に報告
 する。
1675 延宝3年   幕府が第一次江戸幕府巡見使を派遣する。無人と報告する。
  19世紀   太平洋域で捕鯨が盛んになり、各国の捕鯨船が水を求めて寄港す
 るようになる。
1827 文政10年   イギリス軍艦が小笠原に到達し、イギリス領を宣言する。
1830 天保元年   アメリカ、カナダの白人5人とハワイの先住移民20数人が父島に上
 陸し、最初の居住者となる。
1853 嘉永6   米国東インド艦隊司令長官ペリー提督が、浦賀に先がけ父島に寄港
 する。ハワイからの移民を首長に指名し、英米両国間で領有権紛争が
 発生した。
1861 文久元   幕府、第二次江戸幕府巡見使を送る。翌年、八丈島の農民30人を開
 拓使として送る。
1876 明治9   関係諸外国の承認を得て、初めて明確に日本領土と認められる。
 この年に島庁を設置する。
1880 明治13  東京府の管轄となり、東京府小笠原出張所を設置。
1882 明治15  英・米・カナダ系の住民は、日本に帰化した。
1886 明治19  小笠原出張所を廃止し、父島に小笠原島庁を設置する。
1926 大正15   小笠原島庁は、小笠原支庁と改められる。大村、扇村袋沢村、
 沖村、北村、硫黄島村の5村での町村制が施行される。
1944 昭和19   約7700人の全居住者が内地に疎開する。アメリカ軍が硫黄島に上陸
 し、日本軍守備隊2万人が全滅する。
1946 昭和21   米軍の直接統治下におかれ、欧米系の島民129人が帰島する。
1951 昭和26   対日平和条約が調印される。
1952 昭和27   小笠原支庁、及び各村役場が廃止される。
1967 昭和42   11月に佐藤・ジョンソン会談で、小笠原返還についての合意がなさ
 れる。
1968 昭和43   4月5日に小笠原返還協定の調印が行われ、6月26日に日本に復
 帰した。
1972 昭和47   小笠原諸島が国立公園に指定される。
1979 昭和54   小笠原諸島復興特別措置法が、小笠原諸島振興特別措置法に改
 正される。4月22日に第1回村長及び村会議員選挙を実施。
1989 平成元年   3月31日、小笠原諸島振興特別措置法が、小笠原諸島振興開発特
 別措置法に改正。
1996 平成8年   4月1日に地上波テレビ放送局が開局した。
 
  以上が中近代史だが、小笠原諸島には先史文化に属する遺構、遺物が発見され
 ている。近隣のマリアナ諸島や沖縄との関連や、無人化した理由などはこれからの
 研究課題である。
  ちなみに、八丈島にある湯浜遺跡や倉輪遺跡では、関東や信州の土器のほか、北
 陸系の土器も出土している。

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最終更新日2001年7月9日