[中国の旅] 江蘇省南京 2001年3月 [日程]2泊3日


雨花台です。塔から南京門と市内が見れるよ


一日目:上海から列車で三時間くらい。車内は清潔で揺れも
    なく快適。南京駅からタクシーでホテルへ。
    昼食後、南京博物院前を歩き途中タクシーで
    孫文(孫中山)の陵墓である中山陵へ。そのあと
    明孝陵から、梅山散策、神道、四方城、美齢宮
二日目:南京大虐殺記念館、雨花台、中華門と廻り、中心街を
    ブラブラ。
三日目:朝南京から青島へ。


■南京■

三国志時代に孫権が呉の首都に定めて以来
長い間10の王朝と政府が都をおいている。
明王朝の城壁が残り、大平天国の首都でもあり
孫文が中華民国の臨時政府の首都に定め
日本軍が占拠するまでは国民党政府所在地。
(今でも台湾では南京が首都としている)

また古都南京は周りを低い山で囲まれた
盆地で中国三大かまどの一つに数えられ
夏、異常に暑いことでも知られている。





ちょうど梅の花の季節で、梅花山は満開!スバラシイ香りと
景色が楽しめた。上海はまだ寒いのになんだか暑いくらいの気温
お墓にしてはデカイ中山陵のなっがぁ〜い階段で一汗かいた。
緑が多くて気持ちがいい。のどかで昔は都。なんだか日本で言えば
奈良みたい?なだらかな山があって盆地で夏暑い。

南京大虐殺記念館ではジョン・ラーベのコーナーがあって
「南京の真実」を販売していた。私も読んだけどあくまでも
1個人の主観に基づいた私的な日記というのは頭に入れている。
私的な日記というのは人一人一人の感じ方が違うのだし
ラーベ氏は戦時中の町中を自由にくまなく廻っていたわけでは
ない。租界地から自分が感じた事、見たことを書いているその
内容は生なましくゾっとするがそれは軍事記録ではない。
「真実」ではあっても=正確ではないのである。

”数”を戦後にどうこう言っても、各国資料は焼いてしまって
いるのだし当事者がいない現代では不明確なことばかり。
専門科に私は任すね。自分は議論する気はないし、何にしても
数の大小に関わらず貴い命が沢山失われたってコト。
戦争とはそういうもので起こしてはならないもの。
前事不忘、後事之師(昔の事を忘れずに未来に生かせ)
と書かれた壁がある。戦争してもなにも良いことはないのは
もう誰にだって明らか。誰だって愛する人を失いたくないよね。
日本の修学旅行者の千羽鶴も沢山あった。

南京では子供達が広場で凧上げしたり、走り回ってあそんでいた。
上海ではそういう光景はそういえば見ないなー。
つられて凧を買ってしまいその後ずっと持ち歩くことに気付き後悔。
ところで台湾の学校なんかにある地図では南京は台湾の首都に
なってるらしいー!そして中国の地図での台湾は中国の台湾省と
記してある。是非2つの地図を並べて見たいなぁ。
■観光アレコレ■


□中山陵

中国革命孫文(孫中山)の墓
392段の階段を登ると祭堂と墓室。
1925年に孫文が没したために
1926年に蒋介石がつくったもの。
遺体が北京から移されたのは1929年
敷地面積は約一万平方m。でかい墓だよ。
□明孝陵

明の太祖洪武帝の墓。1383年建立。
建築物も作られたが大平天国の戦火に
焼かれ基礎しか残っていない。
清時代の享殿のみが現存している。
□神道

明孝陵の門前に作られた参道は1・8km
両側にはゾウやライオン・ラクダなどの
石の動物が対になって並んでいる。
□梅山

明孝陵の向いに一面梅の木を植えた小山が
あり、行った時はちょうど満開。
様々な種類と色の梅の花がよい香り!

□美齢宮

1931年建造の蒋介石主席官邸。妻の
宋美齢にちなんでの命名。入り口には
美齢の車がおかれ、彼女の豪華な部屋や
蒋介石の執務室など公開されている。

□南京大虐殺記念館

抗日戦勝利40周年記念の1985年8月
15日開館。8月15日って日本の敗戦日。
この記念館に建ってる300000の数字が
その後物議をかもしだす。駐屯していた日本の
兵隊数で原爆2発分は不可能にちかいことから。
国民党の被害者が混じってる説もある。
この記念館の場所はかつての集団虐殺現場。
□雨花台

中華門の南側の丘で南宋の楊邦義が金と戦って
殉死した場所であり、大平天国と清との戦場
でもあった。蒋介石はここを処刑場にしている。
□中華門

南京はぐるりと城壁に囲まれており13の
城門があるがその中の1つで四重になっている
中華門は中に3000人もの兵士が潜み隠れる
ことができたという。かつて日本軍も共産軍も
この門から入城した。