大正3年土蔵土蔵記概要工事予算顔役半四郎金の支払施主の管理計画と施主
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5.施主の現場管理

 記録『倉庫建築記』は多賀氏が施主の立場から作成した物である。記録から当時の施主は構造材・造作材・壁の土やスサや縄について、基礎的な知識を十分もっていたことが分かる。番号3〜8に見られる荒壁・裏壁・毛ぶせ・大ならし等、記録には専門の建築用語をそれとなく使用している。当時は建築そのものに施主は職人並の立場で参加した。こんにちのように、化粧や機能に片寄った注文ではなく、素材の性質や耐久性、使用個所、施工時期まで指定してきた。

 風雨の方向や冬季の凍結に関しては、同じ屋敷でも周辺の山や川の位置形状によって、施主は職人に必要事項を指示をしたのである。
 この『建築記』は単に記録を残すことが目的ではなく、工程間の時間を読みとる目的を持って作成されたとも思える。

 番号8には(8.中塗り初 旧5月1日)中塗り開始の記録をしている。中塗りが完了すると土佐漆喰の仕上げ段階になる。
 施主である多賀氏は、土佐漆喰の『癖』を十分知っての上で、工程を進行させていることが分かる。次の施工、土佐漆喰の工程にかかる旧5月中旬といえば現在の6月である。1年の中で、この月こそ土佐漆喰の『技』を仕掛ける最高の時期である。

 多賀氏は、土蔵建築に当たって土佐漆喰施工は雨期である現在の新暦、6月に標準をあわせ工程を組み、800円3銭(現代の職人の賃金から割り出して1,500万円程度)の工事をコントロ−ルしている。当時の施主は、ある意味で現場における最高権限を持った監督でもあった。同時に各職域の相談相手でもあったといえよう。
 特に『蔵』を持つ施主は、地域の政治経済、あらゆる行事において中心的な存在であった。多賀氏のような人物がいて建築職人達は技を仕掛ける舞台を与えられ、より高度な構法・技法を研究開発或いは能力開発をしていったのである。




土蔵・破風側西

 施主は職人の育て親でもあった。現在地域に土佐漆喰技法が残されているのは、施主と施工者が互いに必要とする『財力』と卓越した『技法』を持っていたからである。土蔵の写真左(北側)の壁面は水切瓦が落下しており、現在鉄板を打ち付けている。

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