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7.工 程
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記録の土蔵建築に要した期間は約6ヶ月である。土蔵の場合、一般の住宅と違って内部施工は簡単である。(簡単といっても現代とは比較にならない労力を必要としたが・・・)内部の仕事量に対して、特に外部の壁施工は厚さに加えて工程の数が多く、
それぞれに期間を要し、更に大工職人の玄能による振動が壁の障害になることから同時施工できないこともある。クラックや剥離の原因となるためである。
したがって、同じスペ−スの一般住宅であれば、おそらく半分以下の工期で落成したはずである。土蔵は厚い壁に加え造形的な水切瓦が施工される。壁の下地塗に関しても乾燥に要する期間は、一般の住宅との比較では多くの日数を要する
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@ 屋根葺き(建築から1ヶ月弱経過)
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屋根は断熱的に2重構造になっている。瓦・野地板・垂木がひとつ。その下部に空間を取り壁のように左官仕上げ土佐漆喰で二つめの層を設ける。更に下部に板を張る。土蔵独特の施工である。したがって雨への備えである瓦葺き、屋根仕舞は以外と手間と共に工期を必要とする。
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室戸地域では屋根瓦を1度葺いて数十日後(1ヶ月位)はぎとり、漆喰を敷いてもう一度葺く事があったという。台風への備えである。
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A 荒壁塗〜裏壁塗(25日間隔)
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冬季の土壁は凍結への注意が重要であるが、現場は海岸沿いで比較的温暖である。そのため荒壁の時点で季節的には凍結などに対する配慮は必要でない。
荒壁は旧1月19日、約1ヶ月間壁のクラックを誘い、暴れ放題下地を動かせて次の工程に着手している。
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B 大ナラシ(裏壁塗から約1ヶ月経過)
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上記のAとほぼ同様のことが言える。土に比較的長めのスサを加えて塗り付ける。厚みはこれまでの調査から25o程度と思われる。
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C 中塗り(大ナラシから1ヶ月半経過)
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中塗りになると土は篩いにかける。一定基準以外を取り除くのである。砂を少々混入する。スサは短め(ある土蔵調査からスサの長さは荒と大ナラシが60o・中塗30oであった。いずれも調査した範囲の平均値である。)塗厚は15o程度と思われる。
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@土佐漆喰 3o |
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A砂漆喰 12o |
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B中塗 15o |
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C大直し 25o |
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D木舞縄(ワラビ縄) |
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E荒壁 127o |
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F木舞竹 35o |
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G貫 |
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壁の内部構造(香美郡吉川村土蔵より) |
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壁200o(板壁18o含む) |
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D 落成(中塗りから22日経過)
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記録は中塗りから落成にいきなり飛んでいる。土佐漆喰の施工が記されていない。中塗りから23日目が落成であれば、おそらく左官仕事は22日目の5月22日で完了したと思える。平面3間×2間の外壁に中塗りを含めて22日間で完了するには、どのような手配が必用であったのか。
筆者は3通りの考えをもって施工計画を組み立ててみた。
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a.記録以前から施工
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まずひとつめは、5月1日中塗り初と記録されていることから、23日の落成までの 期間が少ない。中塗りは記録の5月1日以前から行われていたのかも知れない。この 建築記録は日報のような記録ではない。
後日、メモから転載したのか。思い出して記したのか。番号1〜9の項は番号10以 降の書き込みが完了してから確定できる項目内容である。(予定の記入という考え方 もあるが、建築記という標題からその可能性は低い)
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8. 中塗り初
5月 1日
9. 落成 5月23日
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したがって編集していることは明らかである。そうすると読みとりや記載時における誤りの可能性は否定できない。
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土蔵2階内部 |
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@丑梁 |
Aノボセ梁 |
B母屋 |
C化粧野地板 |
D天秤梁 |
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E小屋束 |
F土佐漆喰壁 |
G妻梁 |
H柱 |
I壁板 |
b.落成以降左官仕事は行われた
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賃金の支払いは番号71に記録されているように、最終は7月14日である。落成が5月23日にしては期間的に支払いが遅れている。
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71. 7月14日 竹中11円9銭6厘 津呂左官・政幸 幸二郎両人の賃
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そこで落成という行事を中心に考えてみると、当時の落成等は一般的に施主の家で行われた。料理は手作りで、近所の人々の手伝いよって成り立っていたのである。祝いの当日手伝いを行うということは、近所の人々は早朝から夕方まで1日(自分の)仕事の手を止める事でもあった。
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したがって祝い等をたびたび行える時代ではなかったと考える。そうすると何か他の行事と合わせて行った可能性はある。とすればその後、左官工事(外壁の土佐漆喰)は継続されたことになる。
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c.短期集中
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施主は新暦で言えば6月の雨期による湿度を、土佐漆喰の施工最適期間として計画をしたならば、その限られた日数に集中的に人手を揃えたと考える。
記録から、それらしき項目を手間に置き換え、土佐漆喰施工時期に絞って計算すると以下のようになる。
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・左官人役
番号 40:約56人
42:約25人
53:約33人
71:約12人
合計 126人
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・手元人役
番号 44: 31人
46:約 7人
合計 38人
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総合計 164人
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職人の賃金(日役)については別の項で解説を行うが、左官職人95銭、手元50銭として計算を行うと概算だが上記の人役となる。
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壁の内部構造 |
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壁の内部構造 |
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左官職人126人役、手元38人役、手元は当時は若くて体力には自信のある強者がいたといわれる。その人達はこんにちとは比較にならない程に手先が器用であった。そのためイザと言うときには、鋸や玄能・鏝等工具をもって(持参して)職人並の手伝いを行ったのである。こうした準(左官)職人といえる手元を加え、本職左官の総勢164延べ人数が22日間に集中したことも考えられる。
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40.6月 6日
竹中(渡)53円20銭5厘 左官岩之助同人弟子 春馬
一太郎 熊五郎の分
42. 竹中24円22銭 5厘 左官眞之助分
44. 竹中13円95銭 山野正之助の31人役代
46. 6月 7日 竹中 6円28銭5厘 岡波 青山 高橋 森 他諸払
53. 7月 7日 竹中 31円56銭5厘 左官亀之助 重太郎同人弟子の賃
71. 7月 14日 竹中 11円9銭6厘 津呂左官 政幸 幸二郎両人の賃
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