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8.左官・松坂岩之助の決断
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記録をそのまま読みとれば、1日に約7.5人で中塗りから土佐漆喰仕上げまで行ったことになる。外壁の面積に対して22日という非常に短期施工において、可能性を決定付けるのは水切瓦の準備である。水切瓦の下地が何処まで進行していたのか?
通常中塗りを行って水切り台は施工される。しかしそれは方法のひとつで、職人・松坂岩之助はどのような工程を計画したのであろうか。
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水切瓦【@ふくりんA瓦BどうC隅どうDめE台】 |
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@ 腕前とは
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当時の土蔵工程に関する資料が残されていないため推測になるが、水切の瓦取り付けも中塗り以前に完了していたとも考えられる。
筆者は現代の住宅における土佐漆喰の工程・工法によって当時を探ろうとしているが、技法というものに細かい規則はない。左官職人個々が師匠から基本的な手順を授かり、応用の段階で自分の考え、を加え流れや形を創造する。これが職人の『作風』といわれるものである。
作風或いは工程は、その場の状況に変化が求められた場合、臨機応変に対応する。そこに職人の腕前の真価が問われるのである。
ある日、施主は『落成は5月23日でどうか・・・』イエスかノ−か返答を求めた。左官職人、松坂岩之助親方はそこから22日間のシナリオを作ったのである。
職人や手元、材料の手配。新暦の6月といえば雨の時期である。当然施工不可能な日数も計算されていた。
工程によっては10人を越える職人達が、休み時間も惜しんで壁面に鏝の技を仕掛けたことであろう。このように推測すると、番号8の5月1日迄に、水切瓦の施工がどのように処理されていたのか、この一点がポイントといってよい。
松坂岩之助親方が描いた工程表は、筆者ごときの想像をはるかに越えた、時間単位の詳細計画によって展開されたと考える。
記録に間違いがなければ7〜8人の職人と手元が、体力の限界まで懸命の知恵と技をもって現場で施工したことになる。
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水切瓦 隅部 |
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A 職人気質
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筆者は3通りの可能性を探ってみたが、施主の記録は間違いのないものと考える。そうすると現場では早朝から陽の暮れるまで、突貫工事に挑む延べ164人の左官職人と手元(準職人)の激しい動きがあったことになる。従って超・過密な工程表によって落成は達成できたのであろう。
職人達からこれだけの協力を得られたのは、22日間のドラマを計画した土佐漆喰施工の中心人物、松坂岩之助氏なる親方は人格者であったに違いない。
中心に彼がいて職人は火の玉のように仕事をしたのである。松坂氏は高知県に多い、こうと決めたら後には引き下がらぬ一途な職人である。
余談だが松坂岩之助氏亡き後、松本家は左官業を行っていない。しかし、地域の人々は親しみを込めてつい最近まで、松坂家を『左官屋さん』と呼んだと聞いている。 |