大正3年土蔵土蔵記概要工事予算顔役半四郎金の支払施主の管理計画と施主
施工の工程左官の決断技の報酬主役選んだ長デザインおわりにHPトップ


10.技の主役

 敷地造成から基礎・建築資材の搬入・施工と、動力の少なかった時代ゆったりした流れで工程は進行していった。しかし、労働の中身は体力的に厳しいものであった。
@ 大工職人の手間

 完成までに要した半年の期間は、現在とは比較にならない手間をかけている。


   ・大工職人の手間   135人役 (29.9%)
   ・左官職人の手間  138.5人役 (30.6%)
   ・人夫の手間    178.5人役 (39.5%)

1階床に敷き板を使用
 ・厚さ   30o
 ・幅・長  665×985o

番号名称
@土天棟木
Aノボセ梁
B丑梁
C丑梁受


つち天井・小屋組(二重梁構造・上段に瓦の屋根構造)

A 左官技法から姿図を

 左官職人については工程の概要は以下のようになる。
・  

 
@木舞竹・木舞縄・ひげこ
A壁土・すさ作成
B荒壁塗
C裏壁塗
D大ナラシ
E中塗
F砂漆喰
G土佐漆喰



稲藁ひげこ (1マス50o)

  

 これらの工程は機械化導入の困難な部分で、当時も現在も殆ど手仕事による仕様といえる。土蔵の外観は壁・水切り瓦・鉢巻といった土佐漆喰の割合が多く、手間や美観的にも左官職人の仕事が主役の座を占めている。
 大工職人としては土蔵独特の木組みに『規矩術』を必要とし、高度な構法によって施工されている。
 しかし、いずれも隠れた部所になる。強度上重要性は高いが豪華さ美しさ(美観)を引き出す直接的なものではない。土蔵は左官技法・土佐漆喰の造形によって存在感を高めていると考えてよい。この現場において、施主は大工と左官どちらの職人をイメ−ジして蔵を設計をしたのであろうか。もしも施主の立場が筆者であれば、左官の腕前を一番に求め、(大工施工も重要であるが)土蔵の姿図を想像するであろう。
・・


水切瓦 比較的急勾配・肉付のある『ドウ』
 大工職人の技法が、ある程度限定された素材に刃物を切り込み工作していくことに対して、左官職人は素材に加え、日々時間単位で変化する現場周辺の温度や湿度、風の強さを相手に勘の作業を組み立て完成する。瞬間瞬間に、経験に基づいた精密な判断能力が求められる作業である。
 左官職人が工程間の判断を誤れば、土佐漆喰は亀裂・剥離を誘発し普通の壁となるであろう。記録の土蔵施工において、最終的な化粧を背負う左官職人こそ主役であったと考えて間違いではない。

B 手元の技法

 手元の手間は178.5人役である。手元とは職域の補助的な作業をする労働者である。建築現場における当時の手元は、農業をしながら地域の工事現場の技術・技能の支え役として、職人相手に現場(建築)作業をした人達である。
 現在でも、日本瓦の屋根葺き等においては手元として作業を行う人達を見かける。いずれも50歳代〜60歳代が多い。
・・


荒壁のダンゴ【土・スサ・(石灰:窯底平成13年野市町)】
 当時は働き盛りの若い手元がいた。先にも述べたが手元と記録された人達は、現在とは比較にならないほど手先が器用であった。建築現場に対する総合的な知識は、職人に準じたものであった。
 従ってある者はチョウナや斧を使用したり、建前などは足場の組立、垂木や野地板を打ち付けたり、壁工事においては木舞竹・木舞縄・ひげこ(記録には毛ぶせとある)・荒壁塗などを行った。

 また、若い弟子達には良き指導者であり、職人にとっては他の現場の情報提供者でもあった。彼らはいつも職人に影のように付き添って、施工を支援するという重要な役割を背負っていたのである。したがって、手元達は建築現場には不可欠な『準職人』としての役割を果たしていた。

 職人が80〜95銭の賃金に対し、45〜50銭で仕事を行った手元の存在は、技とは無縁の人として表舞台に登場することはない。しかし優秀な手元は職人をあやつり、意のままに『リズム』に乗せて、仕事の能率を高めたのである。

 記録の土蔵建築において178.5人役、施工に要した手間全体の39.5%という数字から、彼等の労力(技能)なくして土蔵の落成は困難であったと考えられる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

目次香川左官地域古建築塗壁壁塗表情こまい壁仕上わだい

/