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11.施主の選んだ長

 地域には古くから左官棟梁という呼称が残っている。建築物の小屋組部材にも記されているという。棟梁とは一般的には大工職人の現場責任者に対する言葉である。責任者とは各職の工程を組み、段取りをする指揮者である。
 他の地域においては大工職人の中でも、墨付けを行った者が現場責任者であり、その人に限り『棟梁』といわれる。
 左官職人はどちらかといえば下請けで、大工棟梁に従うことが一般的である。地域においては大工棟梁がいながら、左官職人が棟梁と名乗ることを何故許されたのであろうか。(全国的に左官棟梁という呼称は無い訳ではない。インターネットで検索すると幾つかの例が表示される。)
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ひさし庇屋根
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@ 土佐漆喰の援護

 
『左官棟梁』は、賃金もひとつ上を要求してきた。施工のうえでも大工職人に従うのではなく、対等な立場の中で協議し独自の工程を提案していったのではないだろうか。 それは土佐漆喰という強い癖をもつ建材を、最高の仕上げにするために許された特権であったと考える。

 完璧な仕上げを喜ぶのは施主であった。左官のバックには記録の施主のような有力者が常にいたのである。左官職人の工程に組み込まれ従ったのはどちらかといえば大工職人であったのかも知れない。
 土佐漆喰の伝統技法を継承した左官職人にあってはプライドは高く、大工棟梁を越えて直に施主と談判する方式がとられていたことも考えられる。

 つまり、全く別の組織として大工と左官は存在した。施主が左官を直接選ぶことによって、左官職人は大工の下請けという従属的な仕組みから切り離され、自由に工事の程度を提案し必要な予算を要求できたのである。
 そうした流れは大工職人との間に利害関係がなく、左官職人は対等な立場を主張できたので『棟梁』の呼称に対し、ためらいもなく受け入れることができたのであろう。


水切り瓦(写真左 隅部・右 セキヒ)
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 これ迄も記述してきたように『左官棟梁』という現場の長
(おさ)としての職位に置かれたのは、国宝級といわれる高知県独自の土佐漆喰の援護があって許され、周囲に認知されたものであろう。
A 祝儀

 下記は施主が土蔵落成祝いに贈ったお礼の金額、祝儀である。筆者はこれまで『棟梁』について解説してきた。

   66.大工祝儀 8円50銭
   67.左官祝儀 2円
   68.日雇祝儀 1円
   69.左官広三郎へ見積礼1円
 施主から見た真の建築責任者として、職種的に人間的に施主はどの人物を信頼し感謝したかったのか。その順位は祝儀の金額によっても参考になる。
 記録番号(66〜69)の中で、突出しているのは大工職人の祝儀8円50銭である。1日の賃金が80銭であるから約10日分。これは地域における実質賃金17,000円に置き換えると約17万円である。それに対して左官職人は約4分の1と比較にならないほどに低額である。

 当時大工職人は現場に仮設の作業小屋を建て工作を行った。木取りといって、1本1本の構造材の寸法を整えていく作業から始まり、墨付け・工作・組立・造作と、工事開始から完了まで長期間現場にいたのである。

 左官職人の場合は、どちらかといえば断続的であり短期集中的である。したがって、施主は何時も現場にいる大工職人に相談することが多くなる。祝儀の金額から推測して、土蔵の土佐漆喰からくる外観的主役とは別に、建築現場を指揮し、総合的な管理監督をした真の棟梁は大工職人であったと考えてよい。

 そうなると左官棟梁といわれる長の位置付けはどのようになっていたのか、なぜそうした呼称がつくられたのであろうか。
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現場(H14土蔵新築工事・野市町)
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B 左官棟梁とは

 筆者も現場で見習いや監督を行った経験がある。建築現場には『大将』という呼称がある。これは『先生』といったような呼称と同じもので、関連性をもった人々全体に使用できる便利な呼称である。

 『棟梁』という呼称であるが、これは軸組在来工法において現場単位で呼称される。構造材に『墨付』を担当する大工職人を指していう職位である。
 地域で使用される『左官棟梁』は、仲の良い大工職人から左官職人にプレゼントされた呼称であったのかも知れない。『大将』に近い意味で使用されたのではないかと考える。落成に施主が記念に施工者の氏名を記して残したのか、または地域でこうしたことが一時的に『はやった』のかも知れない。
 いまでは詳細を知ることはできないが『左官棟梁』の文字が地域の建築物全てに記されているとすれば、儀式的なものとして職人社会から認知されたものであろう。
 しかし、地域で多く発見されたとは聞いていない。また、そうした職位を権威ある者から認定されたとも聞いていない。

 本来職人達は頑固で独自の作風をもって物造りを行うが、名前を記して後世に残すと言ったような『自己』を主張しない人達が多いのである。そのため一般的に棟梁の名前を記した住宅は少ない。だが、高知県東部の土佐漆喰技法に生きる左官職人は、日本を代表する高度な『技』をもち光る壁を造る。


記録の土蔵

 ある時は大工棟梁を超えた信頼を受けて現場に存在し、大きな責任と権限を持って仕上げ施工を請け負っている。その姿は、確かに現場を仕切る棟梁にふさわしい風格を備えている。土佐漆喰の高度な技法を見るとき、棟梁の前に左官と限定しているこの呼称は、あって当然のものとも思える。

 当然のものであったから、大工職人が認め、左官職人自身も受け入れたのであろう。『左官棟梁』という呼称の背景には土佐漆喰という他県にはない、日本一といわれる左官材料と、職人の技と知恵があったためである。

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