ベガ−ズには逸話が一杯ある
その事に関してはいつでも誰でも書き込みが出来るようにしたい

笹から7回目のエッセイが届きました
以下、笹のコメント

「さて今年最後の笹エッセイですが
そんなことあったからというより前々から
そういうこと書きたいと思っていたのです
。」


・・・・・BBSのお作法・・・独自でやる人読まんでよし・・・・・・・・・



ネットの楽しみは何か?ナンパかオークションか、検索か?
BBSである。友達の種類で一番長持ちするのが"知友"と中国で
言い伝えられているようにシュミを同じくする人との交わりこそが
この世の面白みなのである。しかしこの世界、世間と同じで誤解はあるわ、
バトルはあるわ、場合によっては深刻な状況になる事だってある。
ひとことでいうと暗黙の了解を身につけないとやっていけない。
私の場合、ニフティの通信世界スタート時に読んだその名も「暗黙のご了解事典」
(メディア・テック出版)が多いに役立ちバイブルとしてきたのだが最近はその了解
も身につけずハタからみて危なっかしい人も多いのです、これだけネット人口増えてくると。
インターネットの導入本は多いのにBBSのスキルは少ないのも遠因でありましょう。

以下私のBBS感と本の内容をかいつまんで紹介したい。「今更お前に言われたくない」と
いう向きもあろうが、そういう人に限って友達居ないんだよな。ネットの相互理解に役立てば幸いである。

1 嫌なレスほど書け
誤字に気付いて訂正レスをアップする、単に思い違いを自分でアップする事は基本の基本だけど、
例えばあなたのここおかしいんじゃ?ってつっこみ受けたとする。
死ぬほど考えて本当におかしいのであれば君子豹変して矢張り訂正ミス、或いは謝罪レスを書くのである。
これは恥ずかしいから嫌だけど、周りはそういう風に見ないのであって、アップされた瞬間から
「あー謙虚な人なんだ」ってあなたを受け入れて呉れるであろう。

2 当たり前なことばかり書くな
そういうのは町内会の挨拶で充分でしょう、

 ×こんにちは今日は寒くて、その後風邪大丈夫ですか?お大事に。クラプトンの新 
  作に感動しました。

確かに潤滑油としてその機能は果たしているが困る。レスとは作品でもあって端的にいうと
宴会のステージなのですよ、当たり前なことをやってもつまらない。そこに主張、ネタや情報
がないと相手にしてもらえない世界ではある。

                                                                                               ○今日は寒いね、風邪は誰かに移すと治るって。犬に移したらどうでしょう?
  クラプトンの新作は4曲目始まって15秒後のフレーズいいっすね。

3 嫌われるレス
教えて下さいだけの人。これは弱るでしょう、PCをそういう道具として使ってる人も居るんだろうな、
その場だけの付き合いで終わって良いなら何も言わないけどね、
どうせ使うのならPCぶったぎったら汗も出て血も出なきゃ。

4 ちやほやされたい症候群
お姫様でいたい症候群とも言う。要するに女性(の一部)であるが、ネッターの比率は男性が多く女性で
アクティブは少ないからどうしたってチヤホヤされてしまう。それでいい気になってついみんなが困るよう
な事を書いてしまう。男性では実生活で先生やそれなりの部署に付いている人々も世間知らずが多く独
りよがりなレスを書いてしまう。そういう連中に共通して甘ったれでワガママ。姫でいたい人、威張る人は逝ってよし。
最低限の社会常識がここでも必要なんですよ。BBSはバランス感覚の勝負だ。

5 困ったちゃんになってしまったら(みんなと合わないようだ)
3と4をまとめて困ったちゃんと呼ぶが総じて場の空気を読めない別名馬鹿はどこでも居るもんだ。
いざ自分がそういう立場になっていることを感じたら兵をまとめて撤収しよう。そこはあなたの居場所
じゃなかったのである。お気に入り(ブックマーク)から外してまた他のBBSに行けば良いだけの話。
しかし同じ過ちはするな。

6 裏メールはやめろ
例えばBBSで争いがあって当事者に知恵つける積もりで「こう書いたらいいんじゃないか?」
これが裏メールである。二人分の知恵なのだから書かれた方はたまらない、
正々堂々と最後まで行きましょうよ。そして裏メールより悪質なのが
ロム者のメールである。普段はBBSに居ないのに「あなたのレスはおかしい」
こうなると嫌がらせである。卑怯者とはこういう奴だ。

7 初めて入る場合
いきなり来て誰かに話し掛けてもそれはおかしいんですよ、やっぱり私は誰々で
何がしから紹介されて、検索してたどり着いて、普段こんな生活でってある程度の
自己紹介は必要。あなたの顔は見えないけど目鼻くらい感じさせてあげることは大事なんだ。

8 怒りの表現は拡大されて伝わってしまう
これが暗黙の了解事典より最大の収穫だった。
活字信仰は誰でも持っている。教科書、新聞、絶対的にタダしいと頭から思っているからネット
の活字で怒ると普段そんな経験ないから相手は予想以上に落ち込みます。もし予想以上
に傷つけたくないのであれば怒りは最小に押さえる。夜中に書いてると特にヤバいな。

9 絵文字、(笑) は少なめに
絵文字は有効だ。ふざけ半分に言ってることを分からせる場合、(^^;)
があるとないとでは大違い。ネットで初めて出てきた表現でアメリカ発だった。
しかし初心者はそれに頼ってありとあらゆる絵文字使いまくるが利口には見えないな。
それまでインタビュー記事にしか使われなかった (笑) も同様で自分で (笑) とするのはネット
が生んだ文章表現である。これも最小限が良いだろう。

10 テンポは自分のテンポで
話の流れについていけないと感じるBBS参加者は多いでしょう、しかし丁度良い時間の流れるBBS
とは個人差がありすぎて一日何個と言えない。今こんな事書いて怒られたらどうしよう、みんな覚え
ているかな? 大丈夫です。レスは有った方がみんな嬉しいもんです。何も速いテンポに合わせる必要もないのよ。

どうでしょう、そんなに難しいもんならもう書けないと思うか、思い当たるフシあると思うか? 
どっちでもいいんです、とにかく書く。書くとは恥をかくと思っていれば間違いなし!! 知友を得る為にね。

・・・・・・・・読んだら早速書いてみよう・・・・・・・・・・・


笹から6回目の投稿です
今回は笹がyahooの新潟県に作ったトピックから
「BEGGARS BANQOET」のサイトが出来るまでの展開です

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本サイトの起爆剤となったと自負している新潟ロック70年代トピをもう一度振り返っ
てみようと思う。登場人物達の了承を得ないで
ここにアップする事をお許し下さい。

まず私z1975(笹)がトピ(スレッドとも呼ばれる)を立ち上げたのが2001年4月29日
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 40才以上の方々になるのかな、未だロックが定着していなかったころの新潟のロッ
 クシーンを覚えている人居たら何でも良いお話しましょうよ、例えばムゲンなん 
 てゴーゴー喫茶があって、出ているバンドが ボアーズでゴールデン・カップスの
 ディヴ平尾に似てるボーカルが居て、それを客席でぢっと見てる連中 がサイレン
 スでこのバンドは後々パンクバンドのベガーズになったとかそういう話。
 護国神社近くの野外音楽堂で東京のバンド呼んで画期的なコンサートもあったとか、
 体験した人いるろっか?

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しばらく反応がなくて矢張りダメかと諦めていた頃5月5日とにいさんが登場します。
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 ってベガーズ・バンケットですか?
 私、みた覚えありますよ。当時チューボーでして、初めて金出して見に行ったLive
 がベガーズが確かグランドホテルでやった時でした。
 初めてみたLiveですから、良く覚えてます。3ピースのブルースバンド、リカちゃ
 んバンドっていうバンド、そしてベガーズでした。76年位かな。
 あと、その数年後に海浜公園でおとぼけキャッツ見たのも覚えてます。けど、それ
 以前はわかんないな〜。

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このレスで出てくる3ピースのブルースバンドてのが私が居たバンドで、偶然にもこ
の後登場する亮の3人があの日同じ空間に居た事になる。

 (注)おとぼけキャッツは東京のバンド、ダディ竹千代がリーダーで爆笑のステージ
を展開し関西の誰がカバやねんロックンロールショーとタメを張った。

この後2人のやり取りが続きある日(5月9日)ついに!!亮が登場する。
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 今日yahooの掲示板をロムってたらこのスレが目に入りました
 ベガ−ズのあきらです。
 皆元気ですよ。
 僕の作った間 章のサイトです。

 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9548/
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わお、これがロックだ。25年振りの再開です。
そしてロック・イズ・グレートさんもやってきます。

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 皆さん初めまして!!

 Tony T Chopperさんのご紹介でやってまいりました。

 素晴らしい内容ですね!!
 68年生まれの私にとって、70年代の音楽シーンは”タイムリー”に経験してな
 いのですが、今振り返 るにつけ、本当の意味での「バンド」が沢山あった時代で
 すよね。(私の自論では、80年代のMTVの 台頭以降、いいバンドは消えたと
 思っています)

 クリエーションは私も大好きです。”玄人集団”って感じですよね。SHOGUN等も含
 めて、当時の音作り には学ぶべきものが沢山あります。

 現在、トリオのブルースロックバンドをやっておりますが、ここで色々ご教授いた
 だきたいと思っており ます。
 何卒よろしくお願いいたします。

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彼もタイムリーには経験してないけど、当時のロックが本物だとするイカした人です。
今の時代例えば高校生でもクリームのサイトを作っている人とか、亮のお嬢さんもス
モール・フェイセスなんかもレパートリーだと言う。良いものは不滅なんですね、今
でもピカピカです。

このメンツでロックの素晴らしいアルバム達について語り、バンドについて語り、団
鬼六について語り(^^;)、そして亮はついにベガーズサイトを立ち上げる事をやって
のけた。そしてそこ(ヤフートピ)では終わろうかって書いたらトニーさんが即、
「賛成」って腰も砕けるレスがあり終了宣言を書いて終わり。消えたのは同年6月2
7日。普通最初に「えー残念ですう」とかやるよな、おい!!(爆)

今では幻となったヤフーでのトピ、幾つものハンドルで登場出来る仕組みになってお
り、ヒマつぶしのスレッドや実のないバトルも多いけど新潟ロック70年代トピでは
亮との再開、トニーさん達との出会い、そして本サイト誕生の起爆剤になった事は嬉
しい出来事でした。最後に亮のレスで今後とも鍵となっていくだろうというものを紹
介します。これから彼のいう"地獄"こそ語って頂きたい。(内容は間さんとの邂逅を
語って呉れたもの)

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 最初は明訓の玄関口だった、間さんはとてもすごい風体の人で最初は何だと思った
 よ、それですぐに川岸町の喫茶店に連れていかれて「自由空間」の話をされたけ 
 どチンプンカンプンだった(笑い)、間さんはどこかで俺の事を聞いて訪ねてきた 
 ようだ、間さんの担任が教頭になっていて俺の事を聞いたそうだ、自由空間が終 
 わって俺とK田が大学へ行ったので1年くらい疎遠になった、俺とK田は大学に興味
 がなくなり俺がK田を誘う形で大学を中退して新潟へ戻ってきた、それからミツ 
 なんかとバンドを組んだそれが「ベガ−ズ」のはじまりだ、ある日K田と北光社 
 の前の交差点を歩いていると前から間さんが歩いてきた「やぁ、久しぶり、今何やっ
 てる?」と聞かれ俺達はバンドのテ−プを聞かせて、「カッコいいじゃないか」 
 という事になりそれからはトントン拍子で話が進み地獄の日々が待っていたという
 事さ、それから間さんとは一生かけても出来ない事を数年でやった、それはすごい
 経験だったよ

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笹から5回目のエッセィです
彼のロックに対する姿勢やロックに対する愛情がひしひし
と伝わって来る文章です

ここではいちいち説明はしません
それよりじっくり読むと笹の言わんとしてる事が分かると思います
それにしても笹は文才がある

2001.8.30.

 私の場合一番影響を受けたミュージシャンは言わずと知れた竹田和夫氏であるが、その他にも洋楽のアルバムも聞いてきたことは言うまでもない。その中でも特に存在が大きい作品10枚を並べた。ボクはギターを弾く人間なのでギター寄りになってしまったのはご勘弁願いたいが、例えばバンドを作って70年代ロックをやるとしたら以下のアルバムの何枚か選べば大丈夫なことはウケアイです。

1 ローリング・ストーンズ「アウト・オブ・アワー・ヘッズ」

 最初に日本のGSジャガーズで「サティスファクション」のファズフレーズを聞いて血が沸騰して、すぐオリジナルの本作を買う。もう一曲ダイナマイトバージョンというべき「ラスト・タイム」があってこちらはミック・ジャガーが最後絶叫していてロックボーカリストの真髄を見た。しかし本当に好きだと言える曲は時間掛けて出てくるものであって「ウエストコーストの宣伝屋」「マーシー・マーシー」等のR&Bが体に入るとこれは麻薬みたいなもんなんだろう、やめられなくなる。「ウエスト・コースト〜」の
途中ギターソロ場面なぞただテーマを奏でるだけなんだけど、その事が格好良いの。
 ストーンズの場合R&Bをやるとなると「マイ・ガール」「グッド・タイムス」のようにオリジナルにほぼ忠実に行う場合と、ロック調にアレンジしたものに分かれると思うが断然後者の方が輝いている。この時期未だアルバム単位でコンセプトを出していない時代で寄せ集め的な雰囲気で雑な感じも良い。ボクはこのアルバムを何度も聞いた。あまり聞くと溝が深くなって皿を回す度に針がゴミみたいなものを拾ってくる、そういう回数を聞いた。この作品でストーンズの本当の魅力つまりR&Bを自分たちの好きなように料理してゴキゲンにやる、楽しければいいんだよという事を教えられた。

2 フリー「ライヴ」

 あまたある洋楽ロックアルバムの中でたった一枚、俗にいう無人島への一枚とも言える、それくらい好きな作品。ロックバンドの定石はドラム、ベース、ギター、そして独立したボーカルの4人であって、3ピース、ツインギターはこれから変化したスタイルと思っている。フリーの一番の武器は何だったか?恐らくタメでありましょう、ドラムもベースもこれ以上タメると時間止まってしまう位タメている。
そしてポール・コゾフの泣きのギターにソウルフルなポール・ロジャース、録音時期はメンバー同士のコミュニケートは最悪だったらしいがバンドはそういう時期にこそ良い音を出す場面もある。

 コゾフは泣きのギター(チョーキングビブラート)の他バッキングに優れた技を用意しており、
コード刻みながらフレーズ出したりする所も要注意。
一番盛り上がるのが他のバンド名にもなった「ミスター・ビッグ」。コゾフはこの曲でEとDのコードを延々繰り返すのみでこれ以上のもんがあるかいう位圧倒的な泣きの世界を作り出している。後年完全版が出されたがどういう訳か音質が硬かった。

3 ジェフ・ベック「ラフ&レディ」

 ベックという人はスタイルを変えていく人なんだけど、第二期は過度期に居たと思う、例えば「シチュエイション」でハイトーンを出した後に低音で狼が吼えるようなチョーキングをかましてくる場面は
他にも数多く天才的な閃きをみせるベックの中でもベストに残るものでしょう、ドラムもコージー・パウエルを迎えてシャープなシンバルワークや機関車のようなバスドラがベックとの相性を感じさせる。
第二期は二枚しか出なかったが残ったメンバーはハミング・バードという渋いバンドを結成して3枚作品を残した。ボブ・テンチこそは哀愁のボーカリストなのである。第二期のもう一枚はスティーブ・クロッパー、プロデュースでこれも傑作だけど、緊迫した雰囲気でこちらを選んだ。

4 レッド・ツェッペリン「レッド・ツェッペリン」

 ラジオから聞こえた「グッド・タイムス・バッド・タイムス」のガンガンにやられた人は後遺症をひきずるハメに陥る。音の出し方で言ったらEを押さえて二つガンガンってやれば同じ音は出てくる。しかし、そういうのをイントロに使う、その事が凄いんだ。それが終わると「ゴナ・リーヴ・ユー」のアコギサウンド、落差が激しくて快感を生む。生ギターでもロック出来ることの証明である。シングルでは「グッド・タイムス・バッド・タイムス」の裏になった「コミュニケーション・ブレイクダウン」も刺激的な曲で、とんでもないイントロだと思う。ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃーんぎゃんぎゃん。

5 ビートルズ「ザ・ホワイト・アルバム」

 ビートルズの場合は全作品完成度が高くある種の隙間といえば一番ニュアンスが伝わるかな、隙間がなくて、アルバムの中に入っていけない要素あると思うんだがどうだろう、例えばコードをコピーする場合ストーンズだと簡単に取れるけどビートルズだと難しいような。実際に難しいコードを使う場面もビートルズの方が断然多いからではなくて、かちっとまとまっている事に拠る入りにくさがあると思う。ホワイト・アルバムも完成度高いけどバンドっぽいし、面白い曲が沢山入っている。ポールのアコギ曲の名作「ブラック・バード」「マザー・ネイチュア・サン」を収録、ジョンのアコギも傑作で「ジュリア」でみせた宇宙はこれが3フィンガーなの?って位完成されている。

6 クリーム「素晴らしき世界」

 日本ではスタジオ版とライヴ版が別々に発売された。最近CDで一枚になってレンタル店に置いてあったので早速MDに落として聞いている。「ホワイト・ルーム」や「政治家」でのクラプトンのソロワークの見事さは勿論の事だけど、ヘンテコリンな「おまえの言うように」や「ネズミとイノシシ」でのアグレッシヴさも癖になる。ボクはクラプトンのギターソロで一番好きなのは「トップ・オブ・ザ・ワールド」である。そしてロックギターを弾く人間なら全ての人がマスターすべき「クロスロード」が収録されていることが本作最大の収穫でありましょう。ロバート・ジョンソンのブルーズをロックに昇華、クラプトンはここでホワイトブルーズの極致とも言うべきソロを奏でている。他の曲では全面的にボーカルを担当しているのがジャック・ブルースで優れたテナー資質の一人である事はもっと語られて良いよね。

7 デレク&ドミノス「レイラ」

 デュアン・オールマンとクラプトンの邂逅は長い間会わなかった兄弟が再び出合った時のようなものだったらしい。個性はまるで違っていて、テクニックで言ったらこの時点ではデュアンの方がクラプトンを凌いでいるが、全体でみると矢張りクラプトンの作品というイメージを持っている事がこのアルバムがロック史に残る要素の一つになっていると思う。クラプトンの包容力というべきか。
最初は大概熱い「レイラ」のある方を聞きまくるのだけど、渋い「アイ・ルックド・アウェイ」や「ベルボトム・ブルース」が段々好きになってという人達は多い筈。
なお「レイラ」が終わって最後の曲で聞こえてくるハーモニックスはEチューニングでないと出てこない音なんだけど、多分同じチューニングで「リトル・マーサ」(イート・ア・ピーチ収録)を仕上げたデュアンの仕事だったのかな。

8 ディープ・パープル「イン・ロック」

 パープルはこれに尽きる。ハードロックの要素は全部これに入っていて、それはギターのリフ、絶叫するボーカル、曲の良さ、そういうものを徹底的に追求してみたのが本作でありましょう、冒頭の「スピード・キング」が聞こえる瞬間の格好よさったらない。日本では当時でPYG(ピッグ)いうGSのスター達が作ったバンドがレパートリーにしていて、バンド少年達もこぞってコピーしたいわば教科書みたいなアルバムである。

9 グランド・ファンク・レイルロード「ライヴ・アルバム」

 教科書で言ったら実はこちらを催す人は多いでしょう、それくらい曲の作りはカンタン、ギター持って
あとドラムとべースが居れば同じような音は出てくる。新潟のライトミュージックコンテストで今でも覚えているのは出てくるバンドの大半が「ハートブレイカー」これには参った。
一応フォローするときちんとやるには勿論テクニックが居るんだけどね、ロックの導入にはもってこいの曲達という事でこのアルバムは偉大なのです。ボアーズもやった「孤独の叫び」も収録。

10 オールマン・ブラザース「フィルモア・ライヴ」

 ピーター・バラカン曰く"ステアリング装備の戦車"がオールマン・ブラザースである。
本作のヒットで、不遇だったデュアン達は「やっと朝の豆を食わずに済むな」って電話していたそうな。発売成功後のデュアンの死、そしてベリー・オークリーの死にみまわれる事になることも知らず。
嗚呼、運命はなんと残酷だろう、こんな素晴らしい作品を残した後の死はあまりにも悲しい。針を下ろすとまるで放たれた野獣が唸りを上げるようなデュアンのボトルが鳴りだす「スティツボロ・ブルース」に始まり最後まで息を抜けない。「ストーミィ・マンディ」はもうブルーズを超えて芸術品とまで言い切って良いと思う。オールマンの場合長い曲達も特徴の一つで溢れる湧き水のようなデュアンとディッキー・ベッツのソロワークには圧倒させられる。後年「フィルモア・コンサート」というタイトルで編集してないアルバムが発売されて、本作の実際のステージの音を体験する事が出来た。例えば「ストーミィ・マンディ」はギターソロの後にハープが入っていたんだなって分かってよかったけど最初に刷り込みされてるからなんだろう矢張り本作が永遠であります。


笹だんごさんから4回目です
今回は彼のバンドの作り方や運営について書いてます

ボクの場合リクリエイションとキャロルバンドを抱えてるわけですが、ここでは主にリクリに焦点をあてて親父バンドの作り方紹介していこうと思う。

いくらクリエイションが好きだと思っていても一人ではバンドが出来ないのでネットに接続した。最初に加入したニフティで今でもネットで付き合いのあるGODLEEさん、ヒリュウさん、招き猫さん達とクリエイションの話は出来た。同じつながりでインタネに入って少しずつ輪が広がっていって、「クリエイションが好きだ、竹田和夫さんの曲が良い」って人たちが現れてきて、「それじゃバンドをやろうよ」って話になって。ネットの有難いところは接続してる人なら基本的に平等で相互理解のセンスがあればあらゆる人間関係は可能になる筈だ。世間では絶対に知り合うことの出来ないバンド仲間も出来るのである。その繋がりはボクの場合本当にラッキーな事なんだけど御本人竹田和夫さんの前座というポジションまで頂くことが出来た。

例えばメンバーが居ないとなったらどうするか?
まず検索エンジンで「メンバー募集」というワードを入れてみる。何種類か検索エンジンがあるから全て試してみよう。地域別、或いは楽器別などさまざまだ。しかし募集サイトいうのはあまりあてにはならないんだなあこれが。まだ音楽雑誌プレイヤーのあの細かい文字がびっしり並ぶ募集頁が世代的にも充実している。ここは高校生からベンチャーズ親爺世代までバラエティに富んでいる。注意して見ると、同じ人が毎月出ていて宣伝効果も狙っているんだろうか。

最も手っ取り早いサイトでの見つけ方としたら、矢張りファンサイトのBBSが最高でしょう、ただしこれはコピーバンドの場合で同じファンが集まっているのだからそれは早く話しまとまる。ファンサイトの見つけ方も検索エンジンでヨロシクです。

バンドいうのはメンツが集まるまでが90パーセントとみていいでしょう、気持ちの合う同士、音楽の好みが合う同士というのは居そうで居ないのである。5年くらい掛かる積もりで頑張ろう。

いよいよメンバーが集まったとして、最初に出てくるのはスタジオをどこにするかになるね、メンバー間の中央か、リクリで言うと、私以外は東京だから上京してすぐ行ける秋葉原に限定になる。

ライヴは何処にするか?リクリは幸いながら最初から場所だけはあったけど、これは特殊なケースで、普通はライヴハウスにコネないとすぐには出られない。望みのライヴハウスにデモテープ持っていくのも良いし、時間幾らの箱を見つけるのも良いだろう、後者は前述の雑誌プレイヤーの広告で沢山そういう箱が掲載されている。

ライヴも決まった。間違ったらどうしよう、このプレッシャーに押し潰れそうな気分、これはもういたたまれないっす。家で10回練習して一回でも間違えばそれはステージでも間違う、プロは二倍のスピードで練習する等などかつての先輩達は有難いメッセージを残して呉れた。練習練習また練習、ギター、ベースに特定すればこういう楽器達は便所にも持っていけるのだから、起きている間は全部練習に使おう。

最後に親爺バンド最大の敵は何か? 恐らく女房殿をはじめとする家族でありましょう。いい年食った親爺がスタジオに向かったり、「今日はライヴだ」などと言うのだから白い目で見られない方がおかしいのであって、最初から理解を求めてはいけないのである。でも不倫で離婚は聞くけどバンドで別れたって聞かないからその辺大丈夫でしょう(笑)

さーあなたは何のバンドやる? オリジナルでいくかコピーでいくか?



笹だんごさん3回目です

2001.6.20.

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             ある日のレコード評論

あのう、ボクの場合回想記事としては高校卒業後すぐ上京したのでベガーズのプロト
タイプ、サイレンス時期しか書けない事を今後ともご了承願います。今後ベガーズの
メンバーがこの場を引き継ぐ事を期待しております。勿論他の雑記帳は随時アップ致
しますが。

 60年そして70年代にかけて後のロック史に残る重要なアルバムがまさに百花繚
乱の如く発売されたことはご存じの通りだけど、あきらの部屋にはストーンズ、ビー
トルズのアルバムを初めてとしてそういうアルバムが沢山あった。本サイトの起爆剤
になったと自負しているヤフー掲示板での「新潟ロック70年代」トピでは、彼の部
屋で僕達バンド連中がレコードを聞いたエピソードを紹介した事もあった。

 僕たちはその日ビートルズ、リンゴのドラミングの事や、ストーンズの初期から中
期にかけての最も愛聴したアルバムの事を語り合った。当然他にはどういうバンドが
良いんだ?って話になって、多くのアルバムをぱらぱらやってその時ふとMC5が出
てきたんだ。僕たちは不覚にも「あまり大したことないんじゃないの」なんて話した。

 今でこそ元祖パンクとも言われ、モーターシティ、デトロイトで生まれた知る人ぞ
知る爆走ロックバンドで「キック・アウト・ジャムズ」は当時ではブラインド・バー
ドが得意、現在でも日本が誇るパンクバンド、ギターウルフが重要なレパートリーと
している。

 ただ当時でもあまり知られてないバンドとしてMC5が居て、ジャケットも格好良
くないものだと思った。少し日を置いて会った時にあきらがこう言ったんだ、「あの
後聞いたら結構良かった、良いよMC5」それは非常に印象的な発言だったんだ。覚
えてないだろうけど(笑)

 あきらもまた体内に爆弾があってそれを押さえつけて生きていくタイプでしょう、
多分今でも通用するMC5の爆弾センスを吸収しちゃったんだと思う。ボクはバンド
練習でも仲間内でも星飛雄馬の如く目が燃えてしまう彼の鉄火場を何度も見ているね、
今は丸くなったかな(^^;)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



Tony_T_Chopper さんから何とも恥ずかしいような嬉しいよな追想文をもらいました

2001.6.18

ベガーズ・バンケットへのラヴレター

ベガーズ・バンケット、それは私にとってロックンロールの体現者そのものだった。

 そう、小学生が中学生になりティーンエイジャーと呼ばれる世代の入り口に立った
あの頃、深夜放送、ブラックコーヒー、ヌードグラビア・・・・・・それらと同じように、
ロックミュージックはある日突然、それまでそんなものを知らなかった子供達の前に
姿を現すのだ。大人への憧れを強烈に抱くその年頃にとって、ロックの持つ妖しさ、
暴力性、狂気はまさに毒そのものだ。スターミュージシャン達の言動を雑誌で読み、
そのファッションをグラビアで見ては胸をときめかせる日々が始まっていた。

 そんな当時はどこにでもいたフツーの中学生だった私の目に、ある日街角に貼り
だされた一枚のポスターが飛び込んできた。モノクロのポスターの中で凄む男達の
様相は尋常ではなく、まさにロックの非日常性そのものがそこにあったのだ。
もちろん彼等は、まだ中学生になりたてのガキ(それも男)に来てもらうつもりなど
毛頭無かったろうが、まるで人さらいにオイデオイデされてついて行ってしまう
幼な子のように、そのポスターに記されたコンサート会場へと私は足を運んで
しまうのだった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 それが75年11月15日のグランドホテルだったのでした。
あのコンサートは、良く覚えているようなあまり覚えていないような、とても
不思議な想い出なのですが、今でもグランドホテルのそばを通ると必ず自然と
目線が行ってしまいますし、あの日の光景が脳裏をよぎります。それほどまで
強烈に”すり込み”をやられてしまったわけです。楽曲とか音とか演出とかの
細かなディティールでは無く、暗い会場と眩しいスポットライトの対比が生み
出す妖しい空間、興奮と上気した感情を孕んだ開演前の独特の空気、そして
何よりロックの持つパワー・・・これらがよってたかって私を襲った訳です。

 笹だんごさんのエレクトリック・サーカス、リカちゃんバンド、そしてベガーズ
という構成のコンサートでした。笹さん、あきらさんにとっては数あるコンサート
のなかの一つに過ぎないのかも知れませんが、私にとってはホンモノのロックを
この目で見ることが出来たとっても重要な日です。おかげで四半世紀過ぎた今に
なって光栄にもこのような接点を持つことができた訳ですし。

 さてさてそうこうしているうちに、ベガーズとの次の遭遇がやってまいりました。
いつだったのか、なぜそれを知ったのか覚えてないのですが、数年前まで駅前に
あったパナソニックのショウルームで行われたミニ・ライブです。ハードトリート
の発表記念(?)的なライブだったと思います。

 そのショウルームはフィルムコンサート(懐かしいですね)なんかも当時良く行わ
れていましたが、キャパはせいぜい50人くらいかな、だからそのときはかなりの
接近遭遇。あきらさんが白いニットのガウンを着ていたのを何故かよく覚えてます。
MCで”ブラウン・シュガー”の意味を解説していたこと、その一番上等なヤツを
”スノー”と呼ぶこと・・・・・・・・・いやいや我ながら良く覚えているものです。
おかげで肝心の曲をさっぱり覚えてない(笑)、悪魔を憐れむ歌は覚えてます。

・・・ただ、残念でならないのはこの後私はだんだんとロックから離れていっちゃった
んですね。バンド組んで、そこそこ楽器を弾けるようになると、楽器弾くこと自体
が目的になってしまった。それと丁度フュージョンブームが重なった私は70年代
後半をそれらの音楽とともに過ごし、80年代になると新潟を離れ・・・と、以降は
ベガーズとの接点を持つことは無かったのです。

 あ、今日ベガーズサイトみて思い出したこと、ベースの若槻さんのストーミーは
一度某楽器店主催イベントでご一緒したことがあるんですよ。
このバンドもコワモテでしたねぇ、とてもじゃないが怖くて(笑)声なんか掛けられ
たもんじゃなかったですよ。

話を戻して・・・

 人間は原点に帰って来るものです。
笹さんが立ち上げたトピで”ベガーズ”という言葉を発見したとき、さらには出演
したご本人と知ったとき、一気に記憶がフラッシュバックしたのです。
そこにトドメを刺したのがあきらさん、あなたの登場です。
yahoo掲示板に地域カテがあるのを知ったのが最初の書き込みの数日前、やっぱり
なにかに導かれたんでしょうかね。

女にとって最初の男が忘れられない・・・かどうか知りませんが、私にとって最初の
ホンモノのロックだったベガーズ・バンケット、忘れようもないのでした。

追伸)当然私は「ハード・トリートメント」持ってました
   ・・・けど、無いんです(笑)。誰か持ってったヤツがいるんだよなぁ。
   あきらさん、CDかMDに焼いてネット通販でも始めませんか?
   おっ、茨城からも予約が・・・


笹だんごさんから今回は初代ギタリスト「ミツ」についてです

2001.6.18

覚え書き  その2
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ミツの事。
あれとも面白い話色々あるんだ。ボクより二級下なんだけど、どういう縁でうちに来
るようになったのかはっきりしない。ミツの回りに居た人間がロック好きで、Tさん
家に出入りしていて、その繋がりでミツも同じギター同士いうことで我が家にも来る
ようになったのかな。
ある時期毎晩一緒にセッションしたね、それで家に来た時に必ずこう言う。「たけお
さん居ますか?」(注ボクの本名は武田松男) その度にお袋が訂正する。「松男なら
二階で待ってるよ」
翌日来ても「たけおさん居ますか」ってなる。きっとあがっていたんだろうな、
ボクの母キヨミは音楽好きでそういう仲間なら大歓迎で得に気分の良い男、ミツの事
は良く覚えていて、かなりの時期「あの子が来るとたけおさん居ますか言うてねぇ」っ
て言ってた。 ミツとセッションするようになって、彼も良い音出すようになってき
て、特にブルーズだと燃える事が判ってきた。ある日ボクに神妙な顔して言うんだよ
「松男さん、オレはジョニー・ウインターを目指そうと思うんだわ」そうかやってく
れよってなもんですよ、未だ黒人ブルーズの音源など新潟に限られたものしかなかっ
た時代ゆえ、彼がジョニー・ウインターというホワイトブルーズのそれも最もエモー
ショナルなギター弾きに向かった事は面白いと思うんだ。多分そういうセンスがベガー
ズのある時期役に立った筈だから。多分突き詰める彼の事、今の彼は黒人ブルーズを
追求しているんじゃないかな、日本一美味いラーメンを作るかたわらに。

 最もミツを語る上で的確に現してるのが三国の言葉だった。「あれは6弦切るんだ」
この広い世の中に6弦切る奴はそうそう居ないね、いかにエキセントリックなギター
を弾いたか判るでしょう。ところが脱退したという事を聞いて、ボクは亮にそのこと
を尋ねた事があった。答えは「麻雀を一緒にやる時は良いんだけど、バンドとなると
違う場合もあるねっかて」って雰囲気だったと思う。ベガーズ解散後も一時、亮とは
一緒にやってるようだから、よくある音楽性の違いでくっつき離れを繰り返す関係だっ
たんだろうな。

 ミツがチャーのバンドのドラム竹中氏が新潟に転校して来て一緒に作るバンド前も
面白い話しあるね、明訓の文化祭で出てくるバンド毎にミツが聞いたそうだ、「その
東京の上手いギターってこれくらいの事出来るか?」そしてその度に竹中氏(注チャー
と同性)が「あー出来る」って言う。そりゃ当然だって、あのチャーだもん(笑)

 近年ボクはミツの作るラーメンを食べに彼のお店に二回ほど行った。どこよりも美
味しいね、ちょっと静かなのが気になるんだがあれは客が既にミツのファンで彼が打
ち込む佇まいに呑まれているんだろうな、独特の雰囲気ですよ、流れているジャズも
ユニークだしね。幸い入った瞬間にボクだと判って呉れてるようで軽く目が合う。何
も長い話をする訳じゃなくて、それだけで良いんだろうな、ミツ君またセッションや
ろう。



# 1 笹だんごさんの初めての追想記です

2001.6.16.

 ベガーズ(亮)との出会いから現在(2001年)まで

 最初に亮と会ったのは確か高校二年(1970年)の頃だったんだ。新潟のバンドとして
サイレンスいうバンドがそこには居て、彼等は既に高校生としては立派なテクニック
を持っていた。その前にボアーズいうバンドの話をしなければいけない。ボアーズは
二回位ステージを見ただけだけど今でもそのサウンドを覚えている。要するにギター
ロックでボーカルが個性的でって、黎明期の日本ロックの典型ではあった。多分カッ
プスを意識したんだと思う、ボーカルの人もディヴ・平尾に雰囲気が似てたから。ギ
ターがその頃未だ珍しかった、ソロをがんがん弾くタイプで注目の的だった訳。ボアー
ズを見て憧れた後輩達が作ったバンドがサイレンス。

 でも亮は未だそこ(サイレンス)には居なかった。これは結構重要な事で彼はボクに
とっては遅れて(笑)きた人だったんだ。でも最初から目の輝きが違っていた。
三国がボクに言う訳、「亮は運動は上手いし、勉強は出来るしや〜」ってね、それだ
け格好良かった事は確かだね。サイレンス周辺に居たボク(ドラムの三国と高校同級
の縁)やボクのロック先輩Tさんと亮や亀田が一緒にやり始めたのが付き合いの始め
なんだね、レパートリーは

 ブラック・ナイト
 タバコ・ロード(ナッシュビル・ティーンズ)
 オー・ダーリン(ビートルズ)
 ウォーキン・ブルーズ
 ゲット・アウト・ライフ・ウーマン
 ディス・マジック・モーメント
 C・C・ライダー

 殆どはその頃イニシャチヴを持っていたTさんの選曲で。この曲達でチューリップ
祭というステージに立った事もあった。亮は珍しく高音バリバリ出るタイプだったか
ら「オー・ダーリン」なんかのソウル・バラード最高だったね。

 言い忘れたけど練習場がハンパじゃないよ、海だもん(爆)、根性入っていたね、そ
んなバンド居たら連れてこいってなもんです。
スタジオなんて気の利いたものは未だない時代、倉庫やガレージも見あたらない、
それじゃてんで、リヤカーにアンプやらドラムやら一式積んで、えっちらおっちら運
んだ。そばを自転車ですいーっと走って行くのが亮です(^^;)  電源は同級生の田村
君ち。この人がまたヤサしい人で断れなかったんだろうなあ。いっつも終わった後に
エビセン一袋差し上げてお礼としていたっけ。

 さてサイレンスのボーカルが抜ける事になったのかな、いつのまにか亮がサイレン
スにトラバーユしてたんだよね、向こうが新潟の本家本元だからボクも指くわえて見
送って泣いた(笑)。 それがベガーズの基本形サイレンスパート2のスタートだと思
う。ベガーズとは違うスタンスではあるものの最初にサイレンスがあった事は外せな
いでしょう。明訓の文化祭で視聴覚室にてサイレンスやボクバンドが出た事もあって
ボクはその頃最先端だったスピード・グルー&シンキの曲や亮から教えて貰った岡林
の曲「おまわりさんに捧げる歌」なんかをやったんだ。

 話が前後するけどある日、亮が生ギターで岡林信康の曲をジャカジャカやった瞬間
というのも忘れられない、浜茶屋でね、弾き語りでそれまで聞いた事ないようなとん
でもないメッセージが込められていて、とっても新鮮だったんだ。あきらは誰よりも
早く「自分でモノを考える」事をやったんだと思う、そうでなければ誰が岡林の曲な
んか注目したかですよ。今の時代、少なくてもあの頃の岡林の歌はラジオでも絶対に
流れない。危険な時代になってきたもんだ。

 高校を卒業してもサイレンスは続いていた。ボクは就職の為に上京したんだけど、
彼等はバンドを維持する事が出来た。浪人したっていうことかな(汗) そしてその頃
だね、平凡パンチの後ろの方の頁や、テレビのドキュメントにサイレンスが取り上げ
られたのは。 前者は暗い日本海に向かって、グラファンよりデカい音出すバンド、
後者はその生活内容といったものだった。蛇足ながらテレビドキュメントは新潟では
放送されなかったようだ。ボクは東京でそれを見て、あきらに手紙を書いたような気
がする。

  グランド・ホテル・コンサートの事

 東京の印刷会社を辞めて、今の仕事(調律)をする為の準備期間として新潟に帰って
きたんだけど、サイレンスはベガーズ・バンケットに変身していてブレイクしていた。
亮は完全なロッカーになっていたし、後輩のソバヤ(ミツ)がメンバーに居るのも吃驚
して。チャーの同級生が新潟に転校していて、チャーとの付き合いが生まれていたの
も語りぐさだね。その彼等ベガーズがグランド・ホテルでコンサートをやるという。
何となくまた付き合いが生まれて、即席にTさんと作ったバンド、エレクトリック・
サーカスで出る事になった。ボクはその頃もう完全に竹田和夫信者となっていたから、
全曲クリエイションのレパートリー、しかもトリオでという恐ろしいバンドです。

 そしてベガーズのステージ、それは荒くれたストーンズいやもっと底知れぬパワー
持っていたな、音の塊がこっちに向かって飛んで来る印象と言えば判りやすいかな、
既に間さんがバックボーンに居た事もあって包帯を巻いたりストリッパーが出てきた
りする演出もばっちりで驚いたもんです。 
 
 そして亮との付き合いはここで一旦終わっている。それが75年の事。

 気の遠くなるような時を経て今から5年ほど前、実は彼が生死をさまよってる時期
みたいだけれども、その頃から亮の事ベガーズの事が気になって、同時期始めていた
ネットで書き込みしてみたけど反応ゼロではありました。未だインタネは黎明期、パ
ソコン通信やってるのは30代が花盛り、40代は高年齢って時期だったから無理も
ないんだけど。一昨年辺りから2人ほど知ってるって人が現れた位で。ある日ヤフー
の掲示板、それも新潟地域も用意されてるのを知って、そこへトピを立ち上げてみた。
タイトルは新潟ロック70年代。はっきり言って、亮という人はいいとこ80年代で
死んでるだろうと思っていた。ロッカーのタダしい姿としてはそれしかないでしょ
う(^^;)。でも生きていた。生きていて何とそのヤフー掲示板に現れて呉れた。これ
には吃驚した、彼も吃驚したろうね、何で俺を知ってるのが居るんだ?ってなもんで、
相当驚いた証しとして、「あなたは一体誰なんです?」ってメール寄越した位だよ、
ちゃんとグランドホテル3ピースのギターだって書いてるのに、可哀想にボク忘れら
れちゃってるよって(笑)
それからは熱いトピになったね、トニーさんロクグレさんいう10才若い人も参加し
てくれて、人数こそは少ないけど、当時の新潟のロックシーンの空気を知るにとどま
らず幅広いロック話で盛り上がった。それに終わらず今度はベガーズサイトも間サイ
トに作るって言うじゃないですか、嬉しい事ですて、早速こうやって練習代わりに書
いてるんだけどね、使われるかどうか未だ判らないです。

 結論として、70年代中期というのは最も日本ロックがその魅力を発揮した時代で
例えばワールドロックフェスティヴァルが後楽園で開かれたのも75年8月。これは
「もう日本のミュージシャンも向こうと同等」というコンセプトで内田裕也さんが開
いたものだけど、同様に日本の各地方で盛り上がった事は間違いない事実としてある。
そのベクトルが今現在どのように展開して、それは当時のロックと較べてどうかとい
う大問題もあるけれども兎に角75年がピークだったことは否めないでしょう。

 そしてベガーズというバンドも新潟の空気をある時期、ヤケドする位熱くさせて呉
れた僕たちにとって重要なバンドです。今、サイトでベガーズを語る事によって一時
でも蘇るのならこんなに嬉しい事はない。やろうよ、気分はあの砂浜だよ!!






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