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・・・・・BBSのお作法・・・独自でやる人読まんでよし・・・・・・・・・
○今日は寒いね、風邪は誰かに移すと治るって。犬に移したらどうでしょう? |
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//////////////////////////////////////////////////////////////////////////// まず私z1975(笹)がトピ(スレッドとも呼ばれる)を立ち上げたのが2001年4月29日 (注)おとぼけキャッツは東京のバンド、ダディ竹千代がリーダーで爆笑のステージ この後2人のやり取りが続きある日(5月9日)ついに!!亮が登場する。 今日yahooの掲示板をロムってたらこのスレが目に入りました http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/9548/ 皆さん初めまして!! Tony T Chopperさんのご紹介でやってまいりました。 素晴らしい内容ですね!! クリエーションは私も大好きです。”玄人集団”って感じですよね。SHOGUN等も含 現在、トリオのブルースロックバンドをやっておりますが、ここで色々ご教授いた このメンツでロックの素晴らしいアルバム達について語り、バンドについて語り、団 今では幻となったヤフーでのトピ、幾つものハンドルで登場出来る仕組みになってお ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
| 私の場合一番影響を受けたミュージシャンは言わずと知れた竹田和夫氏であるが、その他にも洋楽のアルバムも聞いてきたことは言うまでもない。その中でも特に存在が大きい作品10枚を並べた。ボクはギターを弾く人間なのでギター寄りになってしまったのはご勘弁願いたいが、例えばバンドを作って70年代ロックをやるとしたら以下のアルバムの何枚か選べば大丈夫なことはウケアイです。 1 ローリング・ストーンズ「アウト・オブ・アワー・ヘッズ」 最初に日本のGSジャガーズで「サティスファクション」のファズフレーズを聞いて血が沸騰して、すぐオリジナルの本作を買う。もう一曲ダイナマイトバージョンというべき「ラスト・タイム」があってこちらはミック・ジャガーが最後絶叫していてロックボーカリストの真髄を見た。しかし本当に好きだと言える曲は時間掛けて出てくるものであって「ウエストコーストの宣伝屋」「マーシー・マーシー」等のR&Bが体に入るとこれは麻薬みたいなもんなんだろう、やめられなくなる。「ウエスト・コースト〜」の 途中ギターソロ場面なぞただテーマを奏でるだけなんだけど、その事が格好良いの。 ストーンズの場合R&Bをやるとなると「マイ・ガール」「グッド・タイムス」のようにオリジナルにほぼ忠実に行う場合と、ロック調にアレンジしたものに分かれると思うが断然後者の方が輝いている。この時期未だアルバム単位でコンセプトを出していない時代で寄せ集め的な雰囲気で雑な感じも良い。ボクはこのアルバムを何度も聞いた。あまり聞くと溝が深くなって皿を回す度に針がゴミみたいなものを拾ってくる、そういう回数を聞いた。この作品でストーンズの本当の魅力つまりR&Bを自分たちの好きなように料理してゴキゲンにやる、楽しければいいんだよという事を教えられた。 2 フリー「ライヴ」 あまたある洋楽ロックアルバムの中でたった一枚、俗にいう無人島への一枚とも言える、それくらい好きな作品。ロックバンドの定石はドラム、ベース、ギター、そして独立したボーカルの4人であって、3ピース、ツインギターはこれから変化したスタイルと思っている。フリーの一番の武器は何だったか?恐らくタメでありましょう、ドラムもベースもこれ以上タメると時間止まってしまう位タメている。 そしてポール・コゾフの泣きのギターにソウルフルなポール・ロジャース、録音時期はメンバー同士のコミュニケートは最悪だったらしいがバンドはそういう時期にこそ良い音を出す場面もある。 コゾフは泣きのギター(チョーキングビブラート)の他バッキングに優れた技を用意しており、 コード刻みながらフレーズ出したりする所も要注意。 一番盛り上がるのが他のバンド名にもなった「ミスター・ビッグ」。コゾフはこの曲でEとDのコードを延々繰り返すのみでこれ以上のもんがあるかいう位圧倒的な泣きの世界を作り出している。後年完全版が出されたがどういう訳か音質が硬かった。 3 ジェフ・ベック「ラフ&レディ」 ベックという人はスタイルを変えていく人なんだけど、第二期は過度期に居たと思う、例えば「シチュエイション」でハイトーンを出した後に低音で狼が吼えるようなチョーキングをかましてくる場面は 他にも数多く天才的な閃きをみせるベックの中でもベストに残るものでしょう、ドラムもコージー・パウエルを迎えてシャープなシンバルワークや機関車のようなバスドラがベックとの相性を感じさせる。 第二期は二枚しか出なかったが残ったメンバーはハミング・バードという渋いバンドを結成して3枚作品を残した。ボブ・テンチこそは哀愁のボーカリストなのである。第二期のもう一枚はスティーブ・クロッパー、プロデュースでこれも傑作だけど、緊迫した雰囲気でこちらを選んだ。 4 レッド・ツェッペリン「レッド・ツェッペリン」 ラジオから聞こえた「グッド・タイムス・バッド・タイムス」のガンガンにやられた人は後遺症をひきずるハメに陥る。音の出し方で言ったらEを押さえて二つガンガンってやれば同じ音は出てくる。しかし、そういうのをイントロに使う、その事が凄いんだ。それが終わると「ゴナ・リーヴ・ユー」のアコギサウンド、落差が激しくて快感を生む。生ギターでもロック出来ることの証明である。シングルでは「グッド・タイムス・バッド・タイムス」の裏になった「コミュニケーション・ブレイクダウン」も刺激的な曲で、とんでもないイントロだと思う。ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃーんぎゃんぎゃん。 5 ビートルズ「ザ・ホワイト・アルバム」 ビートルズの場合は全作品完成度が高くある種の隙間といえば一番ニュアンスが伝わるかな、隙間がなくて、アルバムの中に入っていけない要素あると思うんだがどうだろう、例えばコードをコピーする場合ストーンズだと簡単に取れるけどビートルズだと難しいような。実際に難しいコードを使う場面もビートルズの方が断然多いからではなくて、かちっとまとまっている事に拠る入りにくさがあると思う。ホワイト・アルバムも完成度高いけどバンドっぽいし、面白い曲が沢山入っている。ポールのアコギ曲の名作「ブラック・バード」「マザー・ネイチュア・サン」を収録、ジョンのアコギも傑作で「ジュリア」でみせた宇宙はこれが3フィンガーなの?って位完成されている。 6 クリーム「素晴らしき世界」 日本ではスタジオ版とライヴ版が別々に発売された。最近CDで一枚になってレンタル店に置いてあったので早速MDに落として聞いている。「ホワイト・ルーム」や「政治家」でのクラプトンのソロワークの見事さは勿論の事だけど、ヘンテコリンな「おまえの言うように」や「ネズミとイノシシ」でのアグレッシヴさも癖になる。ボクはクラプトンのギターソロで一番好きなのは「トップ・オブ・ザ・ワールド」である。そしてロックギターを弾く人間なら全ての人がマスターすべき「クロスロード」が収録されていることが本作最大の収穫でありましょう。ロバート・ジョンソンのブルーズをロックに昇華、クラプトンはここでホワイトブルーズの極致とも言うべきソロを奏でている。他の曲では全面的にボーカルを担当しているのがジャック・ブルースで優れたテナー資質の一人である事はもっと語られて良いよね。 7 デレク&ドミノス「レイラ」 デュアン・オールマンとクラプトンの邂逅は長い間会わなかった兄弟が再び出合った時のようなものだったらしい。個性はまるで違っていて、テクニックで言ったらこの時点ではデュアンの方がクラプトンを凌いでいるが、全体でみると矢張りクラプトンの作品というイメージを持っている事がこのアルバムがロック史に残る要素の一つになっていると思う。クラプトンの包容力というべきか。 最初は大概熱い「レイラ」のある方を聞きまくるのだけど、渋い「アイ・ルックド・アウェイ」や「ベルボトム・ブルース」が段々好きになってという人達は多い筈。 なお「レイラ」が終わって最後の曲で聞こえてくるハーモニックスはEチューニングでないと出てこない音なんだけど、多分同じチューニングで「リトル・マーサ」(イート・ア・ピーチ収録)を仕上げたデュアンの仕事だったのかな。 8 ディープ・パープル「イン・ロック」 パープルはこれに尽きる。ハードロックの要素は全部これに入っていて、それはギターのリフ、絶叫するボーカル、曲の良さ、そういうものを徹底的に追求してみたのが本作でありましょう、冒頭の「スピード・キング」が聞こえる瞬間の格好よさったらない。日本では当時でPYG(ピッグ)いうGSのスター達が作ったバンドがレパートリーにしていて、バンド少年達もこぞってコピーしたいわば教科書みたいなアルバムである。 9 グランド・ファンク・レイルロード「ライヴ・アルバム」 教科書で言ったら実はこちらを催す人は多いでしょう、それくらい曲の作りはカンタン、ギター持って あとドラムとべースが居れば同じような音は出てくる。新潟のライトミュージックコンテストで今でも覚えているのは出てくるバンドの大半が「ハートブレイカー」これには参った。 一応フォローするときちんとやるには勿論テクニックが居るんだけどね、ロックの導入にはもってこいの曲達という事でこのアルバムは偉大なのです。ボアーズもやった「孤独の叫び」も収録。 10 オールマン・ブラザース「フィルモア・ライヴ」 ピーター・バラカン曰く"ステアリング装備の戦車"がオールマン・ブラザースである。 本作のヒットで、不遇だったデュアン達は「やっと朝の豆を食わずに済むな」って電話していたそうな。発売成功後のデュアンの死、そしてベリー・オークリーの死にみまわれる事になることも知らず。 嗚呼、運命はなんと残酷だろう、こんな素晴らしい作品を残した後の死はあまりにも悲しい。針を下ろすとまるで放たれた野獣が唸りを上げるようなデュアンのボトルが鳴りだす「スティツボロ・ブルース」に始まり最後まで息を抜けない。「ストーミィ・マンディ」はもうブルーズを超えて芸術品とまで言い切って良いと思う。オールマンの場合長い曲達も特徴の一つで溢れる湧き水のようなデュアンとディッキー・ベッツのソロワークには圧倒させられる。後年「フィルモア・コンサート」というタイトルで編集してないアルバムが発売されて、本作の実際のステージの音を体験する事が出来た。例えば「ストーミィ・マンディ」はギターソロの後にハープが入っていたんだなって分かってよかったけど最初に刷り込みされてるからなんだろう矢張り本作が永遠であります。 |
| ボクの場合リクリエイションとキャロルバンドを抱えてるわけですが、ここでは主にリクリに焦点をあてて親父バンドの作り方紹介していこうと思う。 いくらクリエイションが好きだと思っていても一人ではバンドが出来ないのでネットに接続した。最初に加入したニフティで今でもネットで付き合いのあるGODLEEさん、ヒリュウさん、招き猫さん達とクリエイションの話は出来た。同じつながりでインタネに入って少しずつ輪が広がっていって、「クリエイションが好きだ、竹田和夫さんの曲が良い」って人たちが現れてきて、「それじゃバンドをやろうよ」って話になって。ネットの有難いところは接続してる人なら基本的に平等で相互理解のセンスがあればあらゆる人間関係は可能になる筈だ。世間では絶対に知り合うことの出来ないバンド仲間も出来るのである。その繋がりはボクの場合本当にラッキーな事なんだけど御本人竹田和夫さんの前座というポジションまで頂くことが出来た。 例えばメンバーが居ないとなったらどうするか? まず検索エンジンで「メンバー募集」というワードを入れてみる。何種類か検索エンジンがあるから全て試してみよう。地域別、或いは楽器別などさまざまだ。しかし募集サイトいうのはあまりあてにはならないんだなあこれが。まだ音楽雑誌プレイヤーのあの細かい文字がびっしり並ぶ募集頁が世代的にも充実している。ここは高校生からベンチャーズ親爺世代までバラエティに富んでいる。注意して見ると、同じ人が毎月出ていて宣伝効果も狙っているんだろうか。 最も手っ取り早いサイトでの見つけ方としたら、矢張りファンサイトのBBSが最高でしょう、ただしこれはコピーバンドの場合で同じファンが集まっているのだからそれは早く話しまとまる。ファンサイトの見つけ方も検索エンジンでヨロシクです。 バンドいうのはメンツが集まるまでが90パーセントとみていいでしょう、気持ちの合う同士、音楽の好みが合う同士というのは居そうで居ないのである。5年くらい掛かる積もりで頑張ろう。 いよいよメンバーが集まったとして、最初に出てくるのはスタジオをどこにするかになるね、メンバー間の中央か、リクリで言うと、私以外は東京だから上京してすぐ行ける秋葉原に限定になる。 ライヴは何処にするか?リクリは幸いながら最初から場所だけはあったけど、これは特殊なケースで、普通はライヴハウスにコネないとすぐには出られない。望みのライヴハウスにデモテープ持っていくのも良いし、時間幾らの箱を見つけるのも良いだろう、後者は前述の雑誌プレイヤーの広告で沢山そういう箱が掲載されている。 ライヴも決まった。間違ったらどうしよう、このプレッシャーに押し潰れそうな気分、これはもういたたまれないっす。家で10回練習して一回でも間違えばそれはステージでも間違う、プロは二倍のスピードで練習する等などかつての先輩達は有難いメッセージを残して呉れた。練習練習また練習、ギター、ベースに特定すればこういう楽器達は便所にも持っていけるのだから、起きている間は全部練習に使おう。 最後に親爺バンド最大の敵は何か? 恐らく女房殿をはじめとする家族でありましょう。いい年食った親爺がスタジオに向かったり、「今日はライヴだ」などと言うのだから白い目で見られない方がおかしいのであって、最初から理解を求めてはいけないのである。でも不倫で離婚は聞くけどバンドで別れたって聞かないからその辺大丈夫でしょう(笑) さーあなたは何のバンドやる? オリジナルでいくかコピーでいくか? |
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あのう、ボクの場合回想記事としては高校卒業後すぐ上京したのでベガーズのプロト 60年そして70年代にかけて後のロック史に残る重要なアルバムがまさに百花繚 僕たちはその日ビートルズ、リンゴのドラミングの事や、ストーンズの初期から中 今でこそ元祖パンクとも言われ、モーターシティ、デトロイトで生まれた知る人ぞ ただ当時でもあまり知られてないバンドとしてMC5が居て、ジャケットも格好良 あきらもまた体内に爆弾があってそれを押さえつけて生きていくタイプでしょう、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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ベガーズ・バンケット、それは私にとってロックンロールの体現者そのものだった。 そう、小学生が中学生になりティーンエイジャーと呼ばれる世代の入り口に立った そんな当時はどこにでもいたフツーの中学生だった私の目に、ある日街角に貼り それが75年11月15日のグランドホテルだったのでした。 笹だんごさんのエレクトリック・サーカス、リカちゃんバンド、そしてベガーズ さてさてそうこうしているうちに、ベガーズとの次の遭遇がやってまいりました。 そのショウルームはフィルムコンサート(懐かしいですね)なんかも当時良く行わ ・・・ただ、残念でならないのはこの後私はだんだんとロックから離れていっちゃった あ、今日ベガーズサイトみて思い出したこと、ベースの若槻さんのストーミーは 話を戻して・・・ 人間は原点に帰って来るものです。 女にとって最初の男が忘れられない・・・かどうか知りませんが、私にとって最初の 追伸)当然私は「ハード・トリートメント」持ってました |
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覚え書き その2 最もミツを語る上で的確に現してるのが三国の言葉だった。「あれは6弦切るんだ」 ミツがチャーのバンドのドラム竹中氏が新潟に転校して来て一緒に作るバンド前も 近年ボクはミツの作るラーメンを食べに彼のお店に二回ほど行った。どこよりも美 |
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最初に亮と会ったのは確か高校二年(1970年)の頃だったんだ。新潟のバンドとして でも亮は未だそこ(サイレンス)には居なかった。これは結構重要な事で彼はボクに ブラック・ナイト 殆どはその頃イニシャチヴを持っていたTさんの選曲で。この曲達でチューリップ 言い忘れたけど練習場がハンパじゃないよ、海だもん(爆)、根性入っていたね、そ さてサイレンスのボーカルが抜ける事になったのかな、いつのまにか亮がサイレン 話が前後するけどある日、亮が生ギターで岡林信康の曲をジャカジャカやった瞬間 高校を卒業してもサイレンスは続いていた。ボクは就職の為に上京したんだけど、 グランド・ホテル・コンサートの事 東京の印刷会社を辞めて、今の仕事(調律)をする為の準備期間として新潟に帰って そしてベガーズのステージ、それは荒くれたストーンズいやもっと底知れぬパワー 気の遠くなるような時を経て今から5年ほど前、実は彼が生死をさまよってる時期 結論として、70年代中期というのは最も日本ロックがその魅力を発揮した時代で そしてベガーズというバンドも新潟の空気をある時期、ヤケドする位熱くさせて呉 |
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