御所市 朝町
 三盛鉱山跡

はじめに

朝鮮人労働者は?

現地調査

   その1
   その2
   その3
   その4
   その5
   その6
   その7
   その8
   
 御所市朝町に、銅山の跡があり、その坑道の入り口が今もそのまま残されている。ずいぶん以前から、そう聞いてきました。ようやく、その鉱山について現地調査をすることができました。まず、調査の目的について、述べたいと思います。
 鉱山や、トンネル工事など戦前の過酷な労働の現場跡には、必ずと言っていいほど、朝鮮人労働者の姿があります。九州の炭坑は言うまでもなく、京都府丹波の労働者が20人にも充たないようなマンガン鉱山にも、また、今は訪れる人もない奈良県の一番奥、野迫川村の金屋淵銅山にも、朝鮮人労働者の働いた事実が確かめられています。この朝町の鉱山にもきっと朝鮮人労働者の足跡があるにちがいない、そう考え、現地調査、および地元のお年寄りへの聞き取りを行いました。
 地元の人の話によると、鉱山は二カ所に分かれており、北側のものを「龍神鉱山」、南側、奥の鉱山を「三盛鉱山(さんせいこうざん」と言うそうです。掘削が始められた時期はよくわかりませんが、明治には掘り始められていて、戦時に国策として、盛んに掘削されたようです。そして、やはり、思ったとおり、朝鮮人労働者も。地元の人たちが多く働いていましたが、他の地域からの労働者もいて、社宅のようなところに住んでいたそうです。そして、その中に、朝鮮人労働者がいたそうです。また、他の人の話によると、「落盤事故が起きて、朝鮮人の鉱夫がなくなった。身寄りがなかったので、働いていた人たちがお金を出し合い、地元の寺の境内に埋葬した。」と言う話も。
 そのお寺でも同じお話を聞くことができたので、事実と考えて間違いないでしょう。
「戦前の鉱山には必ず朝鮮人の姿がある。」私たちが主張してきたことが、この小さな鉱山でも確かめられました。