菟田野水銀鉱山

本州最大の水銀鉱山
「丹生」のつく地名は「古代朱(硫化水鋤」の産地であることは知られているが、
奈良県では吉野郡下市町の丹生、奈良市丹生、宇陀郡菟田野の「入谷」などがあ
り、いずれも土壌から高い水銀値が検出されている。
ところで、古代から水銀は彩色絵の具として利用されるよりも金銅仏の鍍金に多く利用された。仏教が日本全国に広がり金銅仏の生産ラッシュが訪れると、水銀の需要もピークに達した。古代の超ハイテク産業であった水銀の生産地のひとつが「大和の芳野の川上といえる処よりも出づ。これも朱砂なり。…」と『本草綱目訳義』に紹介された菟田野の水銀である。『岩波写真文庫』の「奈良県・新風土記・1958」に「本州では最大の水銀鉱山、菟田野」と紹介され、工場の写真も掲載されている。

朝鮮人徴用工名簿
水銀は戦争遂行のための重要資源として増産を強いられ、強制連行された朝鮮人徴用工が菟田野の二つの水銀鉱山にも投入された。
1993年夏に公開された強制連行者の名簿「厚生省調査報告書」(以下「報告書」)の奈良県分に記載された朝鮮人徴用工は、大和水銀鉱業所が昭和20年2月14日入所の46人(ただし名簿には45人分の名前しかない)。小松鉱業所は昭和14年から昭和20年までの37人である。また、小松鉱業所には22人の在日朝鮮人の自由労働者がいたことも「報告書」で判明した。
 厚生省報告書」の奈良県分表紙36事業所、377分の入所経路、氏名、生年月日、退所事由、厚生金保険脱退手当金、賃金の未払い分、退所時の待遇等が記戯されている。
「報告書」で特に目をひかれるのは「退所事由・逃亡」の記述である。大和水銀鉱業所で4人、小松鉱業所では徴用工37人のうち半数以上の19人が逃亡しているのである。いかに苛酷な労働状況であったかが推測できる。


聞き取り
神生鉱業所小松鉱山で技師として勤務したT氏は、自らの体験と鉱業所で共に働いた同胞たちの様子を詳細に証言した。要点をまとめると、@8時間労働で3交代制、命令があれば超過勤務もあった。
仕事の内容は岩をトロッコに乗せたり、削岩夫の手伝い。
A賃金は1日2円50銭、敗戦時には4円50銭だった。(他の証言者の場合、日当が60銭、80銭、月30円とT氏に比べて低いが、職種によってかなりの差があったらしい)徴用者は給料から3食分の食費を天引きされた。
B徴用で連行されてきた朝鮮人は25人ぐらい。(厚生省名簿には37人)結婚直後や畑から直接連行されたひともいた。
Cバラックでの集団生活をさせられた。逃亡できる状熊ではなかった。
(名簿では半数が逃亡した)菟田野町同和教育研究会の聞き取り調査資料より