
柳本飛行場は、正式には「大和海軍航空隊大和基地」という。この飛行場の建設には、朝鮮人労働者が数多く就労し、そして「強制連行・強制労働」や強制連行した朝鮮人女性を「日本軍慰安婦」とした史実がある。
大和海軍航空隊の開隊年月日は1945年2月11日で、その10日前の2月1日に、鳥取県の第二美保航空隊から赤とんぼ(九三式中間練習機)54機と予備機若干が飛来し開隊したものである。そして、約6か月で8月15日(敗戦)を迎えるのであるが、敗戦時には、人員1700名、航空機としてゼロ戦49機、練習機71機、爆弾大小合わせて約1500発、等が配置されていた。
ではなぜ、このように充実させることを急いだのか。陸軍航空総軍戦闘指令所を予定していた香芝市のどんづる峯地下壕とともに、本土決戦時に柳本飛行場は海軍の重要な役割を担う予定であったからである。(詳しくは、『朝鮮人強制連行・強制労働ガイドブック 天理・柳本飛行場編』参照)
1、柳本飛行場の建設
『天理市史』では、1944年9月15日が建設開始日とされ、防衛庁文書『航空基地 施設吏貨資料表』による大和航空基地の創設年月は44年6月となっている。被強制連行者の金永敦さん、宋 将用さんは、「43年秋に2年契約で連行された」と証言。44年の暮れから大林組の柳本飛行場建設事務所で 働いた日本人男性(1924年生)は、43年からの建設を証言している。また、43年12月に天理教の信者詰所を 宿舎に開隊された三重海軍航空隊奈良分遣隊の建設に関わった平木氏は、奈良分遣隊の日本人建設労働者が、 朝鮮人労働者と入れ替わり43年秋に飛行場建設に駆り出されたと証言する。これらを総合すると、43年秋か ら工事が開始されたとみていいだろう。
3、柳本飛行場の増備
前出の防衛庁文書に、大和航空基地の増備年月は、「45年6月」と記している。 沖縄戦(4月1日から6月23日)で勝利したアメリカ軍はつぎに九州に上陸してくる。そう考えた日本軍は、 海軍の司令部を日吉から大和基地に移転させることを視野において、この「増備」が行なわれた。そして、 5月15日に第一大和基地設営を任務とする第581設営隊が編成され、6月15日には、大和基地の島津航空 機株式会社工場防護を任務とする第588設営隊が編成される。これも「増備」のための配置であろう。
4、戦闘308飛行隊が大和基地へ
戦闘308飛行隊(零戦の部隊)の零戦が柳本飛行場に飛来するの は、7月18日。任務は「大和基地に進出を予想される第3航空艦隊司令部の防空」である。
5、海軍省の司令部から視察にくる 8月1日、軍務局第一課の大谷稲穂大佐を団長格とする7、8名が、 海軍案(大本営を大和航空隊に移転する計画案)を視察。「第3航空艦隊参謀長山澄忠三郎大佐から詳しく 案内をうけることになっていた」(中山定義著『一海軍士官の回想』)とあるように、第3航空艦隊司令部 は大和航空隊の兵舎に入っていた。
柳本飛行場図、地図等
現在も残る基地跡
朝鮮人労働者の戦後